第七話 モーニング・スター
翌日、言われた通りに七志は一人で王城へ向かった。
道も解からぬ来訪者だから、当然、城門の前まではリリィが付き添いで来てくれはした。だが、そこから先へは進めない。下々のための融通など、王家が取り計らう所以もない。
謁見の間は絢爛豪華だ。見栄とハッタリのために、そうする必要があり、そうなっている。
ここで七志は三時間待たされた。
椅子などない、立ちっぱなしの三時間は厳しいが、ようやく現われた王侯貴族たちは、誰ひとり謝罪もしなければ悪びれる様子もない。
当然だ、平民は王族に会えるだけでも感謝しろ、というのが彼らの言い分なのだ。
「ふむ。そちが来訪者と呼ばれる者か。その衣装はなんだ、僧服か?」
待たせた事には一言も触れず、いきなり王様はそう言った。
自分はちゃっかりと中央の玉座に座り、七志は立たされたままだ。
「いかにも細い身のように見えるが、そちは稚児か? それにしては不細工だのぅ?」
幾分小馬鹿にしたような口調で、国王はさらに言葉を足して鼻で笑う。
確かに、見たところでは王侯貴族という割に、他の者たちよりも明らかに筋肉質な体格をして、中世だか古代だかの露出多寡な鎧を纏っていても似合っている。武闘派というイメージアピールのために着ている鎧がいかにもゲームに出てくる悪役のような雰囲気をこの人物に与えていた。
明るい金色のゆるく巻いた髪。彫の深い顔立ちは、七志を鼻で笑う程度には整っている。
まだ歳も若いようで、周囲に対する威嚇を含んでこのような物々しい恰好をしているのだろう。先代の国王が崩御してから数年、王権は盤石とは言えない状態だ。
「こ汚い服に、貧弱な体。魔法も使えぬと聞いた。化け物を倒した勇者と云うが、とんだ期待外れだ。
どうせペテンであろう、正直に言うてみよ。そなたが化け物をたった一人で倒すなど、到底信じられぬわ。」
すかさず、隣の貴婦人からも悪しざまな言葉が飛んでくる。
「頭の具合も悪いのであろ? そのような顔をしておるぞ、ほほほ。」
これ以上ないほどの言い様。諸侯の忍び笑いが聞こえる。
『ふっ、』
うっすらと笑みを貼りつけて、七志は罵詈雑言を聞き流した。
見てくれの判断など痛くも痒くもない。七志は文筆家志望、文章をこき下ろされる時のダメージに比べれば、この程度は蚊に刺されるほどにも感じない。
某掲示板に作品を晒し者に提出すれば、この100倍の痛烈な言葉が返ってくる。
四方八方から。
その激辛刺激に比べれば……。
『痛くねぇ。ちっとも痛くねぇぞ、クソ貴族ども。』
七志は俯いた下で不敵な笑みを浮かべていた。
それでも悪口に対してまったく無反応でいられるほど図太い神経はしていない。
ムカムカとボルテージを上げ続ける怒りのパラメータが振り切れるのは時間の問題だ。
一方の国王にしてみれば、ここは諸侯に対して自身の審美眼を披露するに絶好の機会、得体の知れない来訪者という存在を正しく評価することによって、自身の評価も上がるという目論見がある。
「ふーむ。」しばらく唸った後に。「剣も使えぬ、魔法もやれぬ。おそらくそなたは運だけで生き延び、偶然を味方につけて強敵を倒したのであろう、違うか?」そう言った。
瞠目。
『……コイツ。……出来る……!』
国王の見立てだけでなく、王妃の見立ても当たっていた。
その後の紆余曲折は省く。そうして、七志の武勇伝がようやく披露される運びとなった。
小馬鹿にしても、居並ぶ諸侯は興味津々だったようで、皆、七志が語りだすのを待っている。
だが……。
期待の込められた眼差しは一つ、また一つと七志から外されてゆき、にこやかだった笑顔もうんざりとした不機嫌なものに変わる。
七志は口下手だった。
「ゴブリンどもには石を投げてですね、ちょうど淵になっていたので飛び込んでですね、……えーと、」
「もうよい。」
しっしっ、まるで犬の仔を追い払う仕草で国王は七志の言葉を遮った。
なんだかデジャブを感じる。そう言えば街へ来たばかりの時に役所の受付嬢が、にこやかに同じセリフを言いやがった、と七志は口を噤みながら思い出していた。
「何はともあれ、そなたはゴブリンの群を退け、ホブゴブリンやカトブレパスという恐ろしい化け物に対峙しても生き延びることが出来たという事実に変わりはない。
それはひとえに類い稀な強運のなせる業。女神がほほ笑むのであろう、そちに。」
「で、あれば。
次なる行軍には我も出る。その時にそちの強運が付いてまわれば、ゴブリンなどものの数ではない。
七志よ、我が軍の殿を務める栄誉を授ける。これは王命である、有難く拝命するがよい。」
「お断りします!」
七志はきっぱりと、胸を張ってそう言った。
間髪いれぬ国王の言葉が続く。
「うむ。そちには特別に従者を二人付けることを許す。同宿の者より二名を選び、連れてまいるがよい。」
うぐぅ。国王の切り替えしに七志は呻いた。
王の顔をちらりと盗み見れば、逆らえばさらに状況を悪くしてやる、とばかりに嫌な笑みを浮かべている。
俯いた七志と見下す玉座の国王と。
「……お引き受けいたします、」
しばしの沈黙の後、折れたのは七志のほうだった。
「賢明な選択であるぞ。」
勝ち誇った満面の笑みが小憎たらしい。王は続けて言った。
「ふむ、そうとなれば我が軍に恥ずかしくない装備を与えねばならんな。
フィオーネ、そちが選んで与えよ。」
「ははっ。」
控えていた諸侯の中から、やはり鎧甲冑を着込んだ女性が進み出て額ずいた。
◆◆◆
フィオーネと呼ばれた女性は、七志に顎で合図を送り、付いてこいと先に立って歩き出す。
やはりぞんざいで居丈高な態度。
王侯貴族にいい人なんて居ない、七志は確信しつつ後についていった。
軍人的ないでたちの彼女は、少々刺激の強い鎧を纏っている。露出が多く、臍が丸見えになっているが、デザイン的には腰当ての金属部で防御される造りのようだ。
国王と同じ輝くような金色の髪と紺碧の瞳。さらりと流れる髪は国王と同じウェーブを持つ。
「この部屋が備品の保管庫となっている。中へ入れ。」
部屋といいつつ、とてつもない巨大な扉を前に、七志はおっかなびっくりで周囲を伺ってしまう。
「わたしも兄上と同じく、貴様が化け物を正面から倒してのけたとは思っていない。そも、おかしいではないか、その貧弱なナリで、どうやってあの怪物のパワーと渡り合えるというのだ?」
「正直なところを言えば、俺が倒したってよりは奴が自滅したってほうが合ってます。」
七志の言葉に、フィオーネは得心して満足げな笑みを浮かべる。
「うむ、そうだろう。そちは嘘吐きだが性根は曲がっていないようだな。」
噂には尾ひれがつく。七志は自分が倒したとは一言も言っていないが、いつの間にかそういう事になって、王宮には届けられている。陥れようという意志は秘かに何処にでも忍び込んでいるものだ。
キツそうな美人というイメージを抱いていた七志は、笑うと可愛いんだな、などという本来どうでもいい事柄を思い浮かべ、言葉の内容についてはさほど気にも止めていなかった。
「ライアス殿だと!?」
「はぁ、そう聞いてます。」
師事している元貴族のじぃさま、という話に及んで、フィオーネが訊ねたのはその人物の名前だ。
この驚きようは、もしかして、あのじぃさんは凄い人なのかも知れないな、程度には七志も事態の異様さを感じ取っていた。
「あの方は、兄上の再三の出仕嘆願にも応じなかったくせに、こんな馬の骨を弟子にすることは引き受けたというのか……!」
美しい顔を怒りに歪め、フィオーネはイライラと爪を噛む。
腹に据えかねる、という気持ちはよく伝わった。
馬の骨扱いのこのムカつき具合とどちらが上だろうか。
引きつった微笑みを浮かべながら、七志はじっと耐えている。
それから後、倉庫の中に整然と並べて保管されている各種の武具を眺めながら、フィオーネの講釈が述べられるのを七志はふんふんと聞いていた。
「七志と言ったな。武器の扱いも知らぬ、貧弱で体力もない、そんなお前が扱えそうな武器となれば限られてくる。剣の類はまず無理だ、どれも重量があるからな。無理に振るい続ければ手首を痛める。
お前には決定的に筋力が足りぬのだ。それを補う武器でなくてはならん。」
「はぁ……、」
得意満面なしたり顔でフィオーネは薀蓄を並べていく。七志は感心して聞いているだけだ。
七志の口を通じて、自身の評価がライアスに届くものという計算がある。従って、平民風情に掛けるにはありえない程の丁寧さで、彼女は七志に接していた。
これがライアス絡みでなければ、適当にブロンズの剣でも与えてさっさと引き取らせている。
七志はもちろん、気付いてもいなかったが。強運がここでも発揮されていた。
「これが良かろう。……モーニング・スターだ。」
彼女が七志に選んで与えた武器の名だ。棍棒というより、マラカスという方が近い形状。ただし、先端の丸い部分には凶悪な鋭い棘がびっしりと生えていたが。
「うへ、」
思わず、声に出してしまう。さすがにスマートな戦闘を想像させる姿でない事は素人の七志にも解かってしまう。
「嫌そうな顔をしているが、お前が使えるうちでは最上のものだぞ。
なにせ殴るだけで、コツも技術も必要ないのだからな。とりあえずは戦える、有難く思うがいい。」
予備のものを合わせて二つの凶悪な武具が七志の手に委ねられた。
「次は鎧だが、お前に重い甲冑は無理だな。なめし皮の胸当てと鉢金、肩当ては棘付きにしてやる、これでタックルをかければ大概の敵は怯むからな。くくっ、」
武器の次には防具の選択。コーディネイトを考える時の彼女は妙に嬉々として見える。
サディストの気があるのだろう。
「宿の方にはぬかりなく届けておけ、一品でも足りぬとなれば関わるすべての者が処分されると心得よ。
よいな。」
控える従者にそう含み、指示を飛ばして下がらせた。
実際にやってのけもする、そうでもしなければ王命は蔑ろに、七志の元へは鉢金一つ届きはしない。王権を維持するためにも多少の恐怖政治は仕方がないものだった。
乱暴な時代だ、とても乱暴な。
当の本人が呆気にとられるうちに、装備の一式が揃えられ、七志のための荷物となって、運び出されていった。
「酒でもやりながらライアス殿の話でも聞きたいところだが、わたしもこう見えて忙しいのだ。
討伐隊の編成を任されているのでな。お前は殿、重要な部隊を率いることとなる、覚悟して掛かれ。」
「え!? 部隊を率いてって、」
聞いてない、とは言えなかった。そんな空気は微塵もない。
兵舎へ場所を移しての会話だった。忙しく立ち働く兵士たちに、七志に興味を向ける余裕のある者など一人も居ない。皆がピリピリと殺気立っていることも、雰囲気で解かった。
「兄上に引っ掛けられた事に気付いておらぬのか。」
意地の悪い微笑を浮かべてフィオーネはくすりと鼻を鳴らす。
「お前の責任は重大だ、下手をすればお前の率いる数十名の命が消えてなくなり、さらに下手を打つなら全軍が壊滅という状態にもなりかねん。
それが嫌なら、師匠を引っ張り出すのだな、ライアス殿ならば巧く陣頭指揮を取るだろうからな。」
冒険者の宿の些末な情報など興味のない王政府でも、そこに散らばる重要な情報だけはしっかりと把握している。どの宿に手練れが居り、どの宿が勢力を伸ばしているか……。
「そうでなければ、王など務まらぬ。そうは思わぬか? 来訪者よ。」