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ゼウス・エクス・マキナ~神の仕組んだ英雄譚~ 【企画競作スレ】  作者: まめ太
第三章 ――か、こんな所に隠れていたとは
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第十九話 悲劇の幕開け

 いつか見た夢の続きかと思った。

 自身の背中に大きな薄紅色の翼がはためいている。

 女神なのだと、自覚がある。

 奇妙な夢だ。


 夢だと解かっている。夢ではないと解かっている。

 女神だと解かっている。女神ではないと解かっている。


 目を開けると、緑の大地が広がっていた。


 タイラルの屋敷の周囲は、どこまでも続くような広い葡萄畑だ。整頓された葡萄の棚が幾何学模様のパッチワークのようで、実りには早い、まだ春先の青々とした絨毯だった。

 ロバート・タイラルは当代きっての豪商で、気前のいい旦那さんで、女に人気の色男だ。

「ここが当家自慢のワイン工房ですよ、エルフのお嬢さん。」

 大袈裟なゼスチュアで両手を広げ、道化てみせる赤毛で背の高い男。少しばかり表情を歪めても様になる男前な顔。

 さぞや女にモテることだろうというセンスのいい服装。金持ちの嫌味がない精錬されたスタイルで、目の前にした少女をも虜にしようとしている。

 見事なブロンドの髪を持つエルフの少女はちらりと一瞥しただけで、すぐに視線をレンガ壁の建物に戻した。

 エルフは、人間とは価値観が違う。洒落た衣装もセンスのいいアクセサリも、彼女の気を引くアイテムにはなれなかった。タイラルはそうと気付いて肩を竦める。

「まっ、いいさ。」彼女を手招きした。「去年のワインは上出来です、一杯いかが?」エスコートにと差し出された手を、不思議そうに見つめる少女の手を、さりげなく掴んで引いた。


「旦那様、あれはエルフではありませんか、いったい……、」

 不安げな老執事の言う言葉を遮り、若き当主は唇に指先を当てた。聞かれては不味い、周囲を見回してから長年仕えてくれる信頼できる使用人たち一同に向いて言った。

「彼女は古い知人からの預かりものだという話はしたね。奴隷ということにしてあるが、本当は違うんだ。シュメール事変は皆も噂程度なら耳にしているだろう?」

「まさか!」

「そう、彼女は亡命途中なんだ。人間に内通したとか何とか……事変の内容は私もよくは知らない。エルフが人間のように内乱で争うという話も初めて聞いたことだ。とにかく、彼女の家族は同じエルフの一族から追われている。ここで匿い、知人の手引きで家族が全員揃ったところで落ちあい、外の国へ逃がす手筈だ。」

 だから、秘密にしなければならない、とタイラルは話していた。


 シュメール事変。

 聞き慣れないはずのその言葉を、なぜか麻衣菜は知っていて、エルフの少女に同情の目を向けている。そんな自身が奇妙で、彼女が哀れで、先に起こる悲劇に胸が潰れそうなほどの悲しみを感じていた。


 遠く、海を隔てた大陸の国で起きた人間とエルフとの戦争。周辺の国へも飛び火して、まずは人間の味方をするエルフが、同じエルフによって吊るし上げのような目に遭い始めた。

 人と共に暮らすエルフは多い。だが、それ以上に、森に住み人間の侵略を忌々しく思うエルフは多かった。

 原生林を打ち倒し、焼き払い、家畜を養うための放牧地へと変えてゆく人間たち。その営みが拡大されてゆくごとに、追われる森の生き物たちとエルフの数もまた増え続けた。

 我慢の限界を迎えたエルフにより、無計画に広がる人間の領域に歯止めが掛けられたのが、このシュメール事変だ。

 人間たちは大人しくなった。森へは不用意に近寄らない。恐ろしい魔獣から人々を護ってくれたエルフ達は、手出しをしなくなった。森へ入れば魔獣に狩られるようになり、人は森を諦めた。

 人の味方をし、人と共に暮らしたエルフは悲惨だ。エルフからも人からも憎まれた。海を渡り、砂漠を抜けた新天地には、事変の影響はまだない。多くのエルフがその地を目指す。少女の家族も、その一つだった。


 地下室に匿われたエルフの少女。追手に怯え、家族の安否を気遣い、不安な日々を送る少女に更なる不幸が舞い降りる。奇病の発症だ。右足首と甲のあたりに出た出来物は、薄気味悪く笑っている人の顔に見えた。

 気にしながら布を巻いて隠す少女に、麻衣菜は涙の零れ落ちるまま、瞼を閉ざす。

 走馬灯はくるくると回り、過ぎた日々を映し出した。


「どうしたんだ、この出来物は? もっと早くに言ってくれればよいのに……、」

「ごめんなさい。けれど、これ以上の迷惑は掛けられないから。」

 気休めほどの薬を塗り込んでいた時に見つかった。地下室に出入りする僅かばかりの使用人に隠れてこっそりと行っていた秘密は、屋敷の主に見つかって終わる。

「医者に診せたほうがいいのかな。2~3日待っておいで、信頼できる医者を探してみよう。」

 預かった限りは全力で守る。商人の誇りにかけて、秘密は死守する。

 不安げな少女が屋敷の主に尋ねた。

「あの、私の家族の安否はまだ知らされないんでしょうか、」

 バラバラになって逃れた家族は4人だった。はぐれた幼い妹を探して両親は危険なその国に残っていた。

 先に脱出した少女は、独り、家族の身を案じている。


「まだ連絡はない。脱出の手引きは各地で行われているから、心配はないと思うが。それにしても愚かしいことだ。もっと聡明な種族だと思っていたよ、エルフというものを。」

 憤りがつい、口を滑らせた。

 しまった、という顔で慌てて取り繕う言葉を探したタイラルに、エルフの少女は微笑んだ。

「エルフが聡明だなんて、買いかぶりです。長く生きる種族だから、それだけ慎重になるだけで、人間とさして変わりはしません。人間は命が短くて先の未来が見通せないから愚かしい、なんて言うけど……エルフだって、ほんの500年しか先は見えない。心は足踏みをして、成長を止めがちです。だから、500年なんてあっという間だって、私の父はよく言っていました。」

「……君の父上と、一度酒を酌み交わしたいものだね。」

 地下室に足止めされて少女の時間は足踏みをする。反して二人の心は距離を縮め始めた。


 別の景色では、タイラルとどこかの医者が揉めていた。

 揺らめく燭台の炎は、先の悲劇を予感するように先細り、今にも消えそうな小さな燈火だ。

「象皮病に間違いないでしょう、エルフ族特有の伝染病です。人間に罹患したという前例はありませんが、注意したほうがいい。どこかに隔離して、出来るだけ接触しないように努めて、」

「伝染る伝染らないはいいんだ! その病気の詳しい経緯と対処法を教えてくれ!」

「よく解かっていません、エルフたちは神秘主義で研究というものを嫌がるのです。」

 興奮する大商人を宥め、医師はワインを勧めた。

「薬は?」

「魔法による治癒そのほか、結果は知られておりません。試してもないという事はないでしょうが。」

 あるがまま、自然のままに生きようというエルフたちの矜持が、今日ほど疎ましく思えた日はなかった。


 愛はこんなにも尊いのに。

 涙を流す女神は、すべての存在にあまねく降り注ぐ月の穏やかな光。

 断片となった物語が色付いて動き出す。真実をこの女神へと訴えかける。

 救いを、と。


     ◆◆◆


 知人からの連絡には、もうしばらく待ってくれという一文ばかりが続き、ロバートは苛立ちが募っていた。

「くそっ、一体どうなってるんだ!? 脱出出来ない理由なんて、こちらにはまるで見当も付かないっていうのに、なぜ説明さえないんだ!」

 人を使って大陸の情勢を探らせ、かつてよりは多くの情報を掴んではいるものの、それでも秘密の多いエルフたちの内情を探ることは困難だった。

 こちらの状況は伝えてある。急ぐ理由も理解されているはずだ。

「彼女には、時間が限られているんだ。早く、早く。」

 象皮病が目立つほどに進行する前に、家族と再会させてやりたかった。醜く変わり果てる前に。もう、共に新たな土地を目指すことが出来なくても。

 調べて解かったこの病の恐ろしさに、手にした書簡を取り落としてしまったほどだ。治療法はなく、進行は早い。筋組織と皮膚細胞の異常な増殖の末に身動きが取れなくなれば、骨の結合が解かれ、内臓が圧迫されて最終的には死に至る。少女の未来は、閉ざされてしまった。


 一刻も早い訪問を願うタイラルの思いに反して、もたらされる情報は日に日に悪いものとなっていた。

「君の家族たちは向こうで無事揃ったらしい。だが、情勢が緊迫していて、国外はおろか家屋の外へも出られない状態だそうだ。エルフと人間の戦争は、向こうでは激化している。今は、エルフではなく人間の目から逃れる為に隠れているそうだ。他の国に飛び火するかどうか、予断を許さない状態で身動きが取れないと言ってきた。」

「そうですか……、」

「この間の薬はどうだった? ドクターが結果を聞きたがってるんだが。」

 話題を変えたつもりのタイラルに、エルフの少女は沈んだ表情のまま首を横に振った。

 病状も芳しくない。自身の罹った病が、象皮病といい、不治の病という程度の知識はこの少女にもあった。

「ロバート、あまりここへは来ないほうがいいと思うの。貴方に病が感染ってしまったら、わたし……、」

「象皮病は多くのエルフに感染している病気だ。風邪の症状に似て、風邪と思っている間に、このウイルスの保菌者になる。ただし、発病することは極めて稀で、千人に一人とも万人に一人とも言われている。……君は運が悪かった、滅多に当たることのない的に当たってしまうなんて。」

 戸惑う少女にも構わず、タイラルは胸元へと引き寄せ、彼女の髪を撫で梳いた。

「君の家族には誰も発病した者はないそうだ、安心していいよ。それと、人間にはこの病気に罹った者が居たという記録もないんだ、たぶん種族違いの為だろう。それに、俺は強運だからね、感染などしないさ。自信がある。」

「でも、」

「大丈夫、世界中を探せば、きっと方法は見つかるさ。諦めるのは、全ての方法を試してからでいい。」

 不治の病という事実が少女の心に諦観の根を張りおろそうとしていた。それを見抜いて、タイラルは勇気付けるように、細い肩を強く抱いた。


 少女は地下室に隠れ住み、カレンダーに印を付ける。

 戦争は長引いて、国は混乱していると聞いた。赤い丸がついている、今日はタイラルが戻る日だ。

「ただいま、お嬢さん。爺やに聞いたけど、あまり食欲がないそうだね? もし良ければ、外へ出てみるかい? 屋敷の者たちは皆口が堅い、信頼してくれていいよ?」

「いいえ、気持ちだけで充分。もともとエルフは小食なの、気にしないで。」

 無理に笑っている、それさえ看破されてしまいそうで、エルフの少女は下を向いた。外へ出て、もし、誰かに見られたら……。もし、その誰かが、告げ口をしてタイラルを困らせようと考えたら。そんな事を考えると、とても外へなど出てゆけないと思った。これ以上、彼に迷惑をかけたくない。

「今回はついに手に入れてきたよ。人魚の胆だ。かなり回りくどい事をさせられたが、連中も秘中の秘を譲り渡すとなれば用心深くなるのは当然かな。当代切っての魔導師と連絡もつけてある。彼に任せておけば、きっといい薬を作ってくれるよ。」

「人魚の胆だなんて……とても高価なものだわ、どうしてそんな無茶なこと……!」

「君のためなら金なんて惜しくない。それに俺は商人だ、金なんてものは、右から左に幾らでも流れてくるものだと知っているよ。後生大事に仕舞っておいても意味がないものだという事もね。」

 タイラルは少女の細い手首を取り、その甲に口付けを贈る。醜く腫れ上がってしまった手首の先を恥じるように、少女は慌てて腕を引っ込めた。

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