第十八話 解き明かされる真実
階段が崩れていたのでホバーで宙を渡り、二階へと移動した。
荒れ果てた一階部分よりはいくらかマシな様子で、客室その他、くすんだ色に変色してはいるがセンスのいい調度品の類は当時の栄華を留めている。
書斎らしき部屋が角の位置にあった。中は天井に届くほどの本棚が壁を為し、隙間なく書籍で埋められている。七志にこの世界の本の価値は解からないが、どれも高価なものなのだ。一通り、ぐるりと見回して、テーブルへ。
メモが切れ端になって残されていた。ロバート・タイラルの署名が見える。
『――引き取った少女について、尋ねておきたいことがあります。……』
後半の文字は書き直したらしく、黒く塗りつぶされて消えていた。下書きの紙片のようだった。
尋ねたいこととは、たぶん、象皮病のことだったのだろう。
「書斎にはものすごい数の本が所蔵されています、……勿体ないな、感染の危険が無ければ引き揚げたいくらいだ。」
『触らないほうがいい。消毒でウイルスは死滅するが、万が一にも念を入れておかないと。僕としても不本意だよ、きっと、とてつもないお宝が所蔵されているだろうからね。』
七志では本の選別が出来ない。なにより、そんな時間はない。汚染区域にあるものだ、諦めるしかなかった。
『その本はみんな、このまま朽ちてしまうだけなの?』
キッカの声が割り込んだ。
「仕方ないよ。持ち出しても大丈夫だという保障がないんだ。」
後ろ髪を引かれる思いで書斎を後にする。文筆家志望にとっては、身を切る思いだ。
「いよいよだ、地下へ潜る。」
『七志、とりあえずは探るだけで良い。戦闘は避けて、気配を感じた時にはすぐに引き返すようにな。』
今度はライアスの声が響いた。
「はい、先生。まずは様子見で。」答えた後、目を閉じて一つ深呼吸。「……行きます。」
腹に力を込めた。
地下へ続く階段は石造りの強固なもので、破壊を免れている。何かが滑ったような、妙なシミが帯を引いていた。乾いてこびりつく何かの液体。何度となく往復したものか、厚く塗り込められ、ワックスのようになっていた。
通信は再びリーフラインの指揮に戻った。ライアスは注意を促しただけでまた奥へ引っ込んだようだ。自分の出る幕ではないという判断だろう、先生らしいと七志は思う。
ふと思いたった疑問を魔導師に尋ねてみる。
「地下へ入った者は? 過去には居なかったんですか?」
『一度だけ、件の来訪者が突入したのが最初で最後ってヤツだ。彼は色々と引き揚げてきてくれたよ。大きなポカもやらかしたが、今解かっている多くの事柄は彼の尽力の賜物だ。我々は感謝しているよ。』
取ってつけたような回答だが、その感謝はたぶん本物だろう。
異世界人の感染者第一号となったその来訪者の行方は解からないという。七志は再び深呼吸をした。胸に重苦しい澱が降り落ちてくるようで、苦しい。
何年も前の事件であり、後には消えてしまった人物だ。病気を持ち帰ったとするなら何かしら事件になるだろう。だが、七志の知る限りで奇妙な病気が日本国で聞かれたことはない。日本から飛ばされた者のはずなのに。
「何かないか、探ってみます。」
『気をつけて。』
今はこちらに集中、とばかりに湧き上がった考えを打ち消す。
帰れないとしたら、消えた来訪者はどうなってしまったのか……考えるのが恐ろしかった。
『来訪者だった彼の名は、ヒデオだ。英雄という意味の字を充てるそうだ。屈託なく笑うヤツで、ヒーローみたいな事が出来るといって最初は単純に喜んでいた。我々は、彼を利用したんだ、いずれ消えてしまう来訪者という存在は、探索には打ってつけだったからね。』
まるで懺悔でもするように、魔導師の重苦しい告白が始まった。
『あの館の地下にいる者が、とても危険な病原菌に冒されていることは、その時には既に知られていた。他でもないタイラル自身が知人に手紙で知らせていたんだ。秘密にすること、隔離することを指示していた。病が進行するうちに、通常の象皮病とは違うことに気付いたのだろう。使用人をすべて解雇して、屋敷の地下を封鎖したことを知らせていた。恐らくは、脱出する直前に怪物となった最初のエルフに殺されたのだろう。』
あくまでも内密に処理しようとした商人。通常の象皮病は罹患したエルフを、最後には死に至らしめる。自然に死に至るまで閉じ込めておくつもりだったのだろう。タイラルの誤算は、変異型は罹患者を殺さないという事実を知る術がなかったことにある、とリーフラインは告げた。
『君の先任はカレンダーを持ち帰ってくれた。日付にバツ印が付けられたもので、ところどころ、丸印もあった。エルフの少女がまだ理性を保っていられた頃のものと思われる。地下に長い間閉じ込められていた事が伺える資料だ。』
「丸印は何の予定だったんでしょう、」
絶望して毎日の日付を数えていたわけではあるまい、絶望していたなら、カレンダーに印など付けないのではないかと七志は思った。
『タイラルは商人だからね、商用で屋敷を開ける期間も長かったろう。おそらく、丸印はタイラルが屋敷に戻る日だろう、適当に言いくるめられていたんじゃないかな。』
「……そうですか、」
『象皮病に罹ったエルフは、見るも無残な姿になるよ。ぶよぶよの、肉の塊、巨大な芋虫のようになる。豪商として社交界でもその名を馳せた色男が、よもやそんな娘に人生を台無しにされるとは思いもしなかったろう。きっと焦っていたに違いない、なんとかして始末しようと躍起になっていたんだろう。』
果たして、それが事実だろうか。なぜかは知らないが、七志は通説に対して懐疑的になっている自身を発見して戸惑っていた。
◆◆◆
「奥に進みます、」
『気をつけてくれ。4匹居るからな、出会う確率が高い。』
「はい。」
そうは言っても、ここまでの道筋では何の気配も感じられなかった。そんなに広い地下空間ではないはずなのに。
人工の壁が途切れ、ごつごつとした岩肌に変わる。壁をぶち抜いた跡があり、怪物が開けたものと思われた。屋敷の地下室に相当する部分の各部屋を物色したが成果はゼロだ。かつて来訪者が持ち帰ったものが全てであったらしく、これといった物はもう見つからなかった。
「いやに静かです。まさかと思うけど、洞窟の奥深くまで移動しているんじゃ……、」
『いや、それは無いと思いたいな。けど、確かにおかしい、何の物音もしない? 本当に?』
「ええ、静かなもんですよ。本当に4匹もの怪物がひしめいているんですか?」
『居るはずだ。……不気味だな、何か起きたんじゃないかな。』
隔離された怪物は、何も食べないまま何十年という時間を幽閉されていた事になるのかと、ふいに七志は気付いた。
「まさか……共食い?」
『有り得るな、とにかく気をつけて。そろそろ夕刻になるし、ここらで一旦引き揚げたほうがいいかも知れない。』
「解かりました、この三叉路の右から行って突き当たったところで引き返します。」
真っ暗な洞窟を光源で照らし、七志は右の穴を潜った。自然の鍾乳洞といってもごく僅かな部分だけだ。ほんの少しだけ石灰岩が剥きだして、それは乾いている。水の流れがないせいだ。
地下の水脈が流れを変えてしまい、鍾乳洞は成長する前に埋もれてしまったらしい。もし水が流れていたら、ウイルスが地下水をも汚染しただろう。
突き当りに行っても、何も見つけられなかった。右の通路は行き止まり、一番奥まった場所はなにやら黒ずんで粘液の分厚い層が出来ていたが。怪物の寝床にでもなっていたのかも知れない。
「この辺り一面、真っ黒になってる。……まさか、血のり?」
解析してもらう必要がある。あまりに静かすぎる洞窟内、一向に出会う気配のない怪物たち、推測できるのは共食いがすでに行われた後ということだ。
『共食いによって新たに変異が起きた可能性もある。とにかく油断しないでくれ、七志。』
「はい、……あれ?」
透視スコープに切り替えた時に、その発見はあった。X線が肉と骨を色分けて表示してのけるように、二つの異なる物質を区分するモニター。今は土砂を白く、その他を黒い影にして投影するように設定している。
白い床部分の土の下に、何か別の素材で出来た四角い物体が見える。
「何か埋まってる、掘り出して持ち帰ります。」
『解かった、よろしく頼む。』
パワー・アーマーの手は、なんなく岩盤の硬さになった土を掘り返す。目的の位置から出てきたのは、黒く変色した一冊の本だった。
「なんだろう、ハードカバーの本? いや、日誌かな?」
開けようとしたが、ページは凝り固まって開かなかった。
辛うじて最後のページが開いた。
変色の少ない紙面がライトに照らされる。やはり日誌の類のようだ。
みみずがのたくったような、子供の落書きのように塗りつぶされたページだった。
辛うじて読める文字も幾つか見られる。
「お……、」
頭文字から順に読み始めて息を呑む。
『お願いです。誰かわたしを殺してください――』
どうにか読めるその一文の先は、みみずの這った跡となり、落書きに紛れ込んでしまっていた。
最後に残った自我で、エルフの少女が書き残したのだろう。
そのいくらか前のページも開くことが出来た。
『――彼女の美しい肌も今では無残な灰褐色に変わり果てた。文字通り象皮のようにごわごわとしている。美しいブロンドの髪も抜け落ち、膨れ上がった頭皮に僅かばかり残っているだけだ。緑の瞳も……腫れ上がった瞼の下に隠され、きっと視界もひどく狭まっているだろう。闇が訪れているかも知れない。
鈴の鳴るようだった彼女の声は、今では割れ鐘のような魔物の呻きだ。時々意識が飛び、彼女に取りついた魔物が我が物顔に出てくるが、これは彼女ではない、彼女を苦しめる悪魔だ。――』
ところどころに黒く変色したシミが広がる。この文章を記した男のものだろうか。
『――彼女は我に返り、怯えて泣く。意識がない間に私にふるった暴力に怯えるのだ。幸い打ち身だけで済んだが、これからは少し警戒したほうがいいらしい。手立てが何もないなどとは、考えたくはない。――』
そこで終わっていた。
「ちくしょう、やっぱり、やっぱりだ……!」
そうだったんだ、と。ずっと感じていた違和感、人々の悪意に満ちた噂話。怨嗟の念が捻じ曲げた真実。
『どうかしたかい、七志。なにがやっぱりなんだ?』
いや、誰が悪いわけじゃない。心を落ちつけようと七志は返事も返さず深呼吸を繰り返した。
タイラルは、エルフの少女を始末したかったんじゃない。助けたかったんだ。
『キッカ? 大丈夫かい、顔色が悪いよ。』
耳元に、その通信が入ってきた時、七志はぎくりと肩を揺らした。動揺がさざ波のように打ち寄せる。
「キッカがどうかしたんですか、」
通信機の向こうへ神経を集中させた。一気にそれまでの思考が吹き飛んだ。
『わたしは大丈夫だから、七志。心配しないで。ちょっと今日は調子が悪いから、ごめんね、今日は引き揚げてきて。』
辛そうな少女の声が、気丈に答えを寄越す。
その時になって初めて、「一部の魔導師にも罹患の可能性がある」と言ったリーフラインの言葉が思い出された。
聞き流していたわけではなかった。つもり、だ。
「すぐに戻る。誰か、キッカを横にさせてやってくれ。元来た道を戻るだけならナビゲートは無くても大丈夫だから。」
『悪いな、七志。念のために検査をしてみるよ。とにかく急いで戻ってくれ。』
魔導師の声が届く。それきり返事も待たずに通信は遮断された。
新たに入手した資料は厳重に密封しなければならない。意識を向け、背中にハッチを作り出した。宇宙空間に出ても気泡一つ漏らさないと確信出来る。日誌を格納した。
「キッカ、無事でいてくれよ、」
この場に怪物が出てきたなら、たぶん、躊躇も戸惑いもかなぐり捨てられる、妙な確信がある。
◆◆◆
キッカはベッドで休んでいた。横たえた部屋の天井、木の板目を何気なく見ていた時に顔がにょっきりと出てきた。
「大丈夫、キッカ。」
心配そうに覗きこむジェシカの顔に、なんだか妙に笑い出したくなって、キッカは頬を緩めた。
今朝がただったか。真面目な顔でこの少女は、キッカに宣戦布告を告げたのだ。
「あたしは七志が好きよ。けど、見たところ、今のところは貴方たち二人の間に入り込む余地は無さそうだから。けど、いつまでも二人がお互いに思いあってるなんてこともないと思ってるの。隙間が出来たときには、遠慮なく、その隙間を広げさせてもらうから、そのつもりでいてね。」
今は七志もキッカを想っている。けれど、いつまでも想っているとは限らない。
不敵な微笑を浮かべ、王妃に似た美しい少女はキッカをまっすぐに見つめていた。
その同じ少女が、今にも泣きだしそうな不安げな表情で、同じキッカを見つめている。ほんの半日しか過ぎていないのに。今朝はムッとした。今はホッとしている。
今なら、今朝の言葉に堂々と答えてあげられるのに、残念だと思う。
「正々堂々と戦いましょ。」
あまりにか細くなってしまって、ジェシカの耳には届かなかった。
とても眠い。身体が苦しくて、その苦しみから逃れるために眠いのかも知れないと感じる。
うつらうつらと意識が飛びかけるものを、誰かしらが引き止めるように声を掛けて邪魔をした。
「キッカ、熱はないようだが、喉の痛みは? 扁桃腺も腫れてはいないな、たぶん、罹患ではないと思うが。」
適当に頷いただけでも、リーフラインは的確にキッカの症状をファイリングに照らして判断を下した。
罹患ではない。一同がほっと胸を撫で下ろす。
「ちょっと! 本当に大丈夫なの? ここ、安全じゃなかったの?」
胸倉を掴んでジェシカが魔導師を糾弾するのを、周囲が慌てて止めねばならなかった。
「安全だよ、理屈ではね。」げほごほと咳き込んで、魔導師はジェシカの手を払う。「近い場所ではあるから、100%の保証は出来ない。だいたい僕も危険を冒して研究を続けてるんだ。」そして、覚悟が足りない、と腹を立てた。彼にすれば、たかが数日でガタガタ言うなど論外、ということらしかった。
周囲の喧騒がだんだんと遠くに感じられる。眠ってしまいそうだとキッカは思っていた。そして、このまま誰も気付かないままでいてくれる事をそっと願った。
邪魔しないで。少しだけ、眠らせて。