第十六話 殺す覚悟
いずれ、あの場所へ近付いたという事は、あの怪物が七志にぶつけられる日が近いという事だ、と国王アレイスタの予言めいた言葉。その言葉を裏付けるかのように、事態は急展開を迎えていた。
エルフの一団が接近してきた。初対面の素っ気なさとは違い、今は七志に興味津々の様子だ。七志は逆になんとも言いようのない、得体の知れないざわつきを肌に感じとっていた。彼らの依頼内容の率直なところがまるで見えてこない。
テュースが知らされたと同じ内容の事実を、一同が揃って彼らから聞かされている。回りくどい説明が続き、肝心の、七志に何をさせたいのかを言いあぐねている様子がありありと見てとれた。
回りくどく、今は移住を果たしたオークの話題に寄り道している。エルフのリーダーが交渉役で、その隣にリーフラインが座り、テーブルの向かいに陣取るライアス、七志と向き合っていた。
エルフの、回りくどい説明が続く。
「王国政府から伝えられた限りでは、オークたちにその病が罹患する恐れはないそうだ。安心してくれていい。だが、ゴブリンを捕食することは止めさせた方がいい。将来的に影響が出る可能性がある。」
「どういう事だね?」
ライアスの鋭い眼光が、次へ行こうとするエルフの言葉を止めた。
「それは、」いいあぐね、意を決したようにそのエルフは口調を改める。
「かの山のゴブリンには、我々エルフの血が混じっているからだ。あなた方もご存じのゴブリンキング、あれはエルフとの混血だったと伝えられている。その血の影響で、彼らは他の土地のゴブリンよりも繁殖力が強くなったと考えられているのだ。だから、それを間接的にとはいえ、捕食で取り入れれば、オークたちにも何らかの影響が出てくるだろう。」
象皮病、特に新型に罹るリスクが高まる行為は避けてほしいと、七志はオークたちへの伝達を要請された。
隣に陣取ったリーフラインが捕捉で専門分野の事情を聞かせる。
「あの山のゴブリン族にはエルフの血が微かに混ざっていること、この地の魔力元素の乱れが魔力を持つ生物になんらか影響を及ぼすこと。複数の要因が絡んでいて、全容の解明は極めて困難だ。新型の象皮病にしても、その元となる象皮病自体が解明されてはいない奇病の一つなんだ。」
宿の亭主には遠慮してもらい、貸切状態に見張り付きという厳重な態勢で、一行は事情説明を受けていた。
「エルフ族特有の奇病があるということを、人間側はほとんどの者が知らないんだ。為政者の間にしか知られておらず、代々秘密は守られてきた。ゴブリン山の麓で新型が発生したことを受けて、緊急でエルフたちは全員が避難しなければならなかったんだ。」
制御の効かぬこの地のゴブリンたちが、自分たちの血を引いているから。
「罹患の可能性が非常に低いと解明されるまでの長い年月、エルフも獣人もあの山に立ち入ることを避けたんだ。」
おそらく、教皇府や隣国、この国の政府が躍起になってあの山のゴブリンを駆逐してきた理由も、そこにこそあるのだろう。七志のチームは身じろぎもせず、じっと話を聞いている。
エルフの要請で王国政府や隣国、教皇府は事実をひた隠し、噂だけが独り歩きで現状の物語を作り上げた。
この地の富豪タイラルは、性奴隷としてエルフの少女を手に入れた。
光も差さぬ、地下の部屋へ隠して何をしたものか。
やがて少女は死んでしまい、エルフの仲間は激怒した。
この山に住むエルフは居ない。タイラルもエルフの少女ももう居ない。
何が起きたのかは、もう誰にもわからない。
エルフたちのリーダーは、複雑な心境そのままの表情で静かに語る。
「かのゴブリンキングも、この奇病を患っていたのではないかと思われている。あれは……恥ずかしい話だが、我々エルフとの合いの子なのでね。時の帝王ルードヴィヒがその事実を知っていたかどうかはともかく、新種のゴブリンが繁殖すれば、間違いなくこの奇病も蔓延した。だから彼は、我々エルフ族にとっても英雄なのだ。」
ライアスは否定のように首を左右に振った。
「ゴブリンはエルフを毛嫌いするものだが……、恐らくは魔力磁場の歪みのせいか。普通に考えて、ゴブリンとエルフの掛け合いなど考えられんことだ。」
生物相を根底から崩壊させかねない由々しき事態だと、いつになく深刻な顔でライアスが呟いた。
「常識を覆す非常識が生み出される場所なんです、この土地は。」
リーフラインの言ったこのセリフが、なぜだか七志の胸にずきりと響く。エルフがまた、口を開く。その表情は、少しだけ嫌悪を浮かべていた。
「ゴブリンとエルフの混血など前代未聞だった。誰もが耳を疑ったものだ。だが、それは事実で、ゴブリンキングのカルカラは、エルフとしての特徴を幾つも備えていたのだ。君らの英雄、ルードヴィヒ帝が始末を付けねば、我々エルフ族の歴史までが今とは違うものとなっていた。かの英雄王は、我々にとっても尊敬すべき恩人なのだ。」
歓迎されざる王カルカラ、エルフはそんな表現をした。
今いる他のゴブリン種には、このウイルスは感染しない。多くの普通の人間も同様で、例外的に魔導師など高い知性と魔力を備えた者には感染の危険がある、とリーフラインは続けた。よって、あの山のゴブリンはいずれ封殺しなければならないのだ、と。
「僕の長年の研究成果ってやつですよ。あの山を封じつつ、あの山のゴブリンの数を制限すれば、非常事態は解除です。新型の感染経路は制御され、パンデミックは免れる。」
知能の低い彼らに感染拡大という鍵が握られていることが問題なのだ、とリーフラインは協調する。ゴブリンの数が一定に、勢力を広げなければ感染者が出る確率もまた下がるのだから。第二のカルカラを恐れるべきなのだ、と。
彼自身は別の研究が本業だという。驚いたことに、来訪者のことを調べ続けているという話だった。
「七志、君が食べた玉子焼き定食の食材は、僕が提供しているんだよ。」
「え!?」
「なんだい、その嫌そうな顔は。」
得体の知れない黒い液体の製作者と、奇しくもご対面、という展開だった。
「彼女の父親が君と同じ来訪者だったんだ。その関係でね、ずーっと仲良くさせて貰っている。彼女のことも、直々で頼まれているからね、責任重大なんだ。」
笑いで誤魔化しているが、なにか深い意味合いがその言葉の中には含まれていた。
「可愛い盛りの娘を残して消えてしまわねばならないというのも、なんともね……、」
最後の瞬間を、彼は見たのかも知れない。
◆◆◆
「もともとの象皮病ウイルスは発症率が極端に低い代わりに、感染力は非常に強い。風邪の症状に酷似していて、空気感染するんだ。おまけに抵抗力も異常なほど強くて、発症しなくても長い年月、ウイルスの保菌者になってしまう。知らないうちに汚染が拡大して、推定の潜在保菌者はエルフ族全体の3割と考えられている。」
リーフラインが、この男はこと研究報告となると口が閉じられないらしく、聞いている者たちを置いてきぼりに専門用語を羅列する。七志やライアス、シェリーヌ辺りには理解出来ても、他の面子は目を白黒させていた。
「だから、エルフ族は潜在感染者による二次発症を恐れて、現在までこの地に近寄らないことに決めたんだ。人間の王国連名で承知している事なんだよ。……あんな化け物がこれ以上増えちゃ堪らないからね。」
皮肉な笑みを浮かべる魔導師の隣にエルフ族のリーダー。
「恐れていることは二点ある。一つは、例の怪物そのものだが、もう一つ、そちらは人間族とて他人事ではないはずだ。」
「さらなる変異、じゃな。」
エルフの言葉を受けて、正しくライアスが答えを導く。
魔導とはもともとが物質に変化を与えるためのもの。だからこそ、魔力の関係で変化したという件のウイルスの変異が、これでおしまいという事は考えられない。放置、あるいは感染拡大する中で、第二・第三の変異が起きる可能性は高い。人間社会に秘密とされている理由もそこにある。エルフたちは逃げられた、だが人間たちは逃げる場所がない。一部、人間の魔導師にも罹患するという事実が公表されればパニックに繋がりかねない。
ざわつきが激しくなった。いったい、何を言おうとしているのだろう。
回りくどい説明で、いかに象皮病が恐ろしいかと脅しかけて、それで自分に何をさせたいのだろう。
おおよそのところの予測は付いていても、それを考えることから逃げてしまう。
待ってくれ、その罹患者はかつて美しい少女だったはずだろう、見知らぬ土地へ無理やり連れてこられた可哀そうな被害者のはずだろう、……何を言おうとしているんだ、仲間であるエルフの口から。
七志はだんだんと言葉が少なくなっていく。饒舌に喋りつづける二人の依頼者は、その分まで穴埋めするかのように喋りつづけた。エルフの、七志に向かう目は真剣そのものだ。
「実際、我々が危険を冒してこの地へ足を運ぶのも、それが理由の大半を占める。閉じ込めたあの怪物が、さらに変化してはいないかと、その確認のために何度となくここへ来ているのだ。最初の犠牲者以降、すでに三名の感染者が出ている。これ以上、犠牲を増やすわけにいかない。」
遠まわしに何が言いたいのか、解かっていても七志には聞く勇気がない。
もう一人、かの山で色んな事を教えてくれた魔導師も、あの日と変わらぬ笑顔で七志に理解を促してくる。ふと隣を見れば、やはり師匠はすでに覚悟を決めた硬い表情を浮かべて聞き入っていた。
周りの誰もが、決定事項として説明を受けている。七志一人が、受け入れられずに戸惑っている。
魔導師リーフラインが七志を通り越した後ろの面子に向かって話を通している。
「僕の予測では、あのウイルスが次に変異するとしたら、別のドナーに転移する過程でだろうと見ているよ。だから、これ以上は放置出来ない。保菌者である4体のモンスターを早期のうちに駆除しないと。ウイルスは体外では長く生きられない、メチルアルコールでの消毒も有効だ、けど、人の体内をアルコール消毒は出来ないからね。手をこまねいてきたんだ。」
そも、倒せるかどうかが解からなかった。リーフラインは、彼らが不死身性を発揮することを踏まえてそう言った。
「他の誰にも手出しは出来ない。あらゆる方法を検討したが、ウイルスを遮断して彼らを始末する方法は見つからなかった。遠隔魔法がまるで使えないからね。」
だから君たちも手出しは無用だ、と魔導師は念を押し、後方の面々もある者は頷き、ある者はため息で応えた。
周囲を固めてから、改めて魔導師は七志に向き直る。四面楚歌、という熟語が脳裏をよぎる。
「いいかい、七志。相手は恐ろしい化け物だ。かつてはどうでも、今はそうなんだ。」
七志の内面を読んだかのように、リーフラインは念を押してそう言った。
「……変異した皮膚は、外殻生物のように膨れ上がった肉体を、内骨格に変わって保護したんだ。普段はぶよぶよの皮膚組織が、瞬発的に強化され硬くなることが解かっている。いもむしのように這いずっていても、敵を見ると巨人のように立ち上がる。再生能力が強く、斬りつけた傷は開くより先に癒える。かつて来訪者が挑んだこともあったが、結果は最悪、罹患者を2名増やしただけだった。」
バケモノと戦ったその来訪者が帰って後、見張りのエルフに感染、発症したという。彼もまた保菌者となってしまい、消えて居なくなるまでこの地を離れることが出来なくなった。
「生身の者は手出しが出来ない厄介な存在だ。だけど、七志、君の力なら討伐が可能かも知れない。桁外れの攻撃力を誇るあの鎧をもってすれば……怪物の細胞組織が分裂増殖するより速いスピードで滅してゆければ、理論上、奴等の不死身性を崩せる。しかも、君のあの鎧は外気と君を完全にシャットアウト出来るのだろう? 君自身が感染する可能性はゼロ、そうなれば新型を完全に封殺出来る。」
外側だけの話なら、エチルアルコールのプールを用意すれば済むと、リーフラインは瞳を輝かせた。
「新型の発症者は、現在のところはこの地に封じ込められた4人のエルフだけだ。ゴブリンたちに保菌者がいる疑いは濃厚だが、それはまたおいおい考えてゆけばいい。更なる変異を食い止めるためにも、この4人は処置しなければならないんだ、七志。」
七志は戸惑っていた。場の空気が、自身の心境を吐露することを許さない。
嫌だ、と思っているのに。
盗賊との戦いの合間にも、何度となく繰り返し、抵抗してきたことだ。
殺すのは嫌なんだ、と。
もともと生き物ではない魔法生物や、敵であり魔物であるゴブリンを殺すこととはまるで違う。いや、ゴブリンを殺すことにも本来は抵抗があった。彼らが、自身や仲間を殺そうと向かってくるから、だから返り討ちで殺しただけだ。いや、殺すことが出来たのだ。無我夢中で意識する余裕が無かっただけだ。
出来るだけ忘れてしまうように努め、出来るだけ考えないようにして、心を誤魔化してきた。七志の住んでいた世界では、殺し殺されることなど、非日常の感覚だ。嫌でたまらない感覚だ。徐々に慣れてゆく心にどうしようもない恐怖を感じるのだ。
エルフたちのリーダーが、仲間殺しを依頼する。真剣な目をして、七志を見つめた。
「君の青鋼の鎧を見るまでは諦めていた。そして、我々ですら傷を負わせるだけで精一杯の魔法生物を、いとも簡単に倒してのけたと知った時に、希望を抱いた。……君に、一縷の望みを託していいだろうか。我が同胞を、永遠の苦しみから解放してやってほしい。」
「なんで、」
その先の言葉を言うことを止めた。仲間を殺しても平気なのか、と。平気なわけがないから、言って傷付けることを止めた。まるで地獄のようだと思った。
「七志、」
不安げなキッカの声が背中に届く。後押しされるように、もう一度七志は口を開いた。散々に迷い、言葉を選んで。
「治る見込みはないんですか? だって、それこそ、魔法の力に頼るべきじゃないか、」
なんのための魔法なんだ。足掻くように反論を寄越す七志に、リーフラインが無情な言葉を返す。
「何のための魔法、そう言いたい君の気持ちは解かるよ。でもね、全ての魔法はある日にいきなり出来上がったわけじゃない。気の遠くなるような日々と、莫大な資金と、多くの研究者たちの、人生を捧げた末に生み出されたものだ。昨日今日に出来たものなど一つもない。来訪者の君には解からないかも知れないけど。」
「だったら、この病気だって、時間さえかければ……!」
「待てないんだ!」
なおも食い下がろうとする七志の言葉を、怒鳴り声が押し止めた。
「君という存在が、稀有な例だ! 千載一遇のチャンスになるかも知れない、これを逃せばもう永久にあのウイルスを封じることは出来ないかも知れない、……ドナーは生き続けるんだ! 斃せる者は君だけなんだ! 君自身が、いつ消えるかも解からない不安定な存在じゃないか! この機を逃したばかりに、さらなる変異ウイルスが誕生してしまうかも知れないんだ!」
テーブルに両の手の平が叩きつけられた。大きな音に、びくりと七志の身が怯んだ。
何も言い返せなくなった七志に、エルフのリーダーが静かに言葉を告げる。隣の魔導師は、息を荒げ、肘をつき、両手で顔を覆った。無理に息を整えている様子だった。
「我々も、悩んだ末の決断なのだ、来訪者よ。もしかしたら、他にも道はあるかも知れない、彼らを救えるかも知れない、けれど逆に、この機を逃すことで最悪の結果を招くことにもなりかねない。リーフラインが言うような、更なる変化も恐ろしい。……危険すぎる賭けは出来ない、世界の未来と彼らの未来を同じ秤にかけることなど出来ないんだ。」
皆が固唾を呑んで見守る中、ジェシカだけは自身の意見を七志にぶつけてきた。
「七志さん、わたしは、やるべきだと思います。世界全体を考えてください、安っぽいセンチメンタルに流されるべきじゃありません!」
「解かってるよ!」
まただ。理屈だとか信念だとか、そんな御大層なものじゃない、ただ、嫌なだけなんだ、と。どれほど声を上げても届かない。
「七志、」
優しいキッカの声が耳元に響く。
「諦めようよ、仕方のないことだって、あるよ。」
背中を優しく抱き締めてくれる腕に、救われる想いがした。
「嫌なんです、どうしても、殺すのは嫌だったんです。それだけは、知っておいてください。」
誤解だけはしないで。およそ反対の言葉を綴って、七志は依頼を引き受けた。
「ありがとう。感謝する。」
エルフのリーダーは短い言葉で締めくくり、その心中を代弁するかのように、今度は憤っていた隣の魔導師が噛み付いた。
「頼む、七志。君の心の痛みは解かる、だが、考えてくれ。これ以上、彼らを苦しめないでくれ。君には彼らを終わらせることが出来るんだ、君にしか、あの苦しみを終わらせることの出来る者は居ないんだ。彼らの病を治す方法も、いずれは見つかるかも知れない。けど、それは遠すぎる未来だ。永遠に近い時を苦しませるという事なんだ。」
それも、可能性に過ぎない。正直なところ、彼ら自身よりも、そこに関連する周囲の人々が疲れてしまっていたのだろう。古い古い逸話として人々の口にのぼる程度となった今、それほどの長い年月に疲れ果ててしまった。
「年に一度か、それ以下で、彼らが正気に戻る時がある。絶望に満ちたその叫びを聞けば、我らの願いも理解してもらえると思う。」
終わりにしてやってくれ、耐え難い苦しみから解放してやってくれ。
七志が経験したよりもずっとずっと長い期間でこのウイルスと戦い、治療の術を探してきた人々が、ついに諦めた瞬間でもあった。神に遣わされてきた来訪者、その者には、彼らを殺せる力があったから――。