第十三話 ガールズ・パーティ
第二陣、出撃。
七志のあずかり知らぬところなのだが、この面子は強力な布陣だった。第一に、獣人が居るということが大きい。それをライアスは知っていて、あえて預かりものであるはずのルルムを投入している。ゴブリンにとって、獣人族は天敵なのだ。
ライアスの隣にはキッカが、テーブルに虎目水晶を乗せて待機していた。ライアスは低い声で聴かせるともなしに、彼女に話しかける。
「ゴブリンはエルフを毛嫌いする。傍に寄っただけで威嚇して騒ぐほどじゃが、それが獣人となると一目散に逃げ出すのだ。エルフよりも遥かに獣人は強い生物なのでな。その声を聞くだけで震えあがる。」
聞かされているキッカは、ちらりと横目でこの老人の顔を見た。本当に博識だ。どれだけの知識を持っているのか、この人をモデルにした魔物を作れば相当に強そうだと考えた。実際、隣国一の将軍をモデルにした魔物は恐ろしい知略を備えている。……性格が真逆になってしまったが。
その魔物から連絡が入った。
『キッカ様、目的地点に到着いたしましたぞ。ナビゲートをお願い致します。』
七志の使い魔として潜り込ませたカボチャのジャックだ。一見ではドメルと共通する点など見当たらないが。
『キッカ様?』はーあ、とため息をこぼすキッカに不審げなカボチャの声。なんでもないよ、と返しながらキッカは第二陣の者たちに付近の状況を報告し始めた。
「現在地点は洞窟の入り口に当たります。そこからしばらくは一本道で、少し先にはホブゴブリンが2匹座っています。眠っているのか、死んでいるのかはちょっと確認出来ません。2匹の後方、奥まったところは広い場所でそこにはかなりの数のゴブリンが群れています。……ざっと、20匹くらい。」
目まぐるしく切り替わる水晶の映像を、頭の中で整理しながら、纏め上げた分の情報を伝える。水晶の魔物は、彼女に洞窟全体の俯瞰図、ズームしたポイント地点の透過図、実際の映像と、道順に沿う形にして画像を念写していた。
「ホブゴブリンの地点まで、まずは進んでください。生きているなら速やかにこれを排除、奥のゴブリンへ向かってください。これを片付けて、その先がT字になっていますから、これを右です。」
『全体でどのくらい居る?』
リリィからの返信に、キッカはごくりと喉を鳴らした。
「洞窟全体だと、1000に近い数です。」
『そう……、気付かれたらおしまいって感じね。了解したわ。』
リリィの声がトーンダウンした。仲間を呼ばれてもアウト、騒がれて仲間が来てもアウトだ。キッカの眺めるものは繁殖地全体の透過図。ゴブリンを示す赤い点に埋め尽くされていた。
洞窟の中は、音が響いて元からが騒がしかった。奥のほうに多数の生き物が居て、動き回っているのだから当然か。オゥオゥ、ゴーッ、と、彼ら特有の声が増幅されて、遠く近くに響き渡っている。こんな環境で寝ているのだとしたら、ホブゴブリンという種はよほどに鈍感だと感心する。
「……腹部が上下してる。ちぇっ、生きてるわ。」
少し距離を取ってホブゴブリンを観察していたジェシカが残念そうに言った。そのまま、一同には止まっているようにと手で制しておき、自身はすたすたと2匹へと寄っていった。
水晶で様子を見ていたキッカは狼狽えたが、他の者は冷静だ。彼女が何者かを正確に把握しているから。
ジェシカの手許が一瞬、キラリと光った。投擲の仕草、何かを投げたことだけ解かった。
『なにを……?』
「始末しただけよ、」
腕を大きく回して、皆を呼び寄せ、キッカの質問にも短く答える。虎目水晶がその答えをフォローするように、画像をズームすると、以前と変わらず座ったままのホブゴブリンが映される。さらにカメラが寄った。2匹の首筋に、細い金属が突き刺さっている。猛毒の仕込まれたニードルだ。
「寝てる獲物を仕留めるくらい簡単な仕事なんてないわよ。」
さらりと言ってのけた。
「ジェシカ嬢ちゃんや、あんたはそれでなくても声が大きいのだから、気をつけてな。」
キッカと共に見守っていたライアスが注意を促す。とにかく洞窟は音が響く。ゴブリンがいくら知能が低いと言っても、そうそう違う種族の声が混じれば勘付く者も居るだろう。水晶の画面内でジェシカがぺろりと舌を出した。
「金属音は特に聞かせんほうがいい。奴等は武器の音には敏感だ。」
『了解です、マスター。』
ぴしっと敬礼。ふざけているように見えるが、そんな余裕は実のところはない。緊張を緩和するためにわざとやっているのだと、キッカも気付いた。
『皆、そろそろいいわ。神経毒は少しだけ作用が遅いけど、寝てる子を起こしたりしないのが利点なの。もう死んでるから通り抜けちゃいましょ。』
ギリギリ気配を察知されるかという位置で待機していたのだと、その言葉でキッカは知る。同時に彼女が恐ろしい人間だという事実も。
『奥の連中にはまた別の毒を使うわ。シェリーヌ、あなた、口封じの魔法とかは使えるの?』
『もちろん習得していますわ。全体に掛けて時間稼ぎをしましょう。けれど、本来は単体に使う魔法です、速やかに処置をお願いしますわね。』
手許で見えない何かを練り合わせる仕草でシェリーヌが答える。効果が薄まっても、毒が回りきるくらいの時が稼げれば、結果的に口封じは成功だ。叫び声を上げさせなければ良い。
奥の気配を探っていたらしく、先頭を行くリリィが皆を制止した。
「しっ、勘付かれるわ。じっとして。」
洞窟内に響く声の質を観察し、変化が起きればすぐに動きを止めて息を殺す。連中が何もないと思ってまた騒ぎ始めると、こちらもまた歩を進めた。リリィは、状況分析ではキッカよりも上の技術を持っていた。音で判断する。
「キッカ、連中の正確な位置をお願い。洞窟はどのくらいの広さなの?」
『カボチャのジャックに転送します、』
良い事を思いついた、とキッカは咄嗟にそう答えた。カボチャは「はぁ?」と困惑顔だが。
それでもしぶしぶで口を大きく開き、その内面にホログラムのように画像を映し出した。これはどういう魔術だと聞かれれば、非常に不味いことになるのだが。七志に告げた自身の設定は、簡単なものしか作れない、ということになっているのに。まったく麻衣菜様は……と、内心でぶつぶつと文句を垂れた。
◆◆◆
転送された洞窟内、ピンポイントの俯瞰図に、点滅する緑の点がゴブリンの位置か。なるほどこれ以上に解かりやすい方法もない。正確には23個の点滅、うち幾つかはゆっくりと移動していて、多くはじっと動かない。
「今の時間帯は活動期じゃないから、寝てるヤツが多いのね。」
やりやすくていいわ、とジェシカがにこりと笑う。笑顔だけは天真爛漫、邪気の欠片も感じさせない。
「おもしろーい、どうなってるですか?」
口の中へ指を突っ込んできそうな勢いで、獣人の子供がカボチャに問いかけた。
「はぁ、その、えーと、なんと申しますか……」巧い言い訳を探し、「キッカ様の魔術でございましょうなぁ。」と、苦しい言い逃れで躱したカボチャ。内心、冷や汗もの。
「これは便利な魔法ですわね、わたくし、いつかキッカ様に従事したく思いますわ。」
弟子になりたいくらい、とシェリーヌはいたくキッカの魔術の腕を褒め称える。索敵系の魔法は数々あれど、これほどに用途に適して即効性のある魔法はそうはない、と。
「魔法は術者の創意工夫で利便性が大きく左右されますもの。魔法という元来目に見えぬものには、これといった型などないし、決まり事もないはずなのですわ。型に嵌めて凡庸性を高めたものが有名で、一般には魔法と思われていますけれど。魔導に関わる者からすれば、あんな初歩だけを捉えて魔術とされるなど失礼な話ですわ。」
魔導師は自身だけのオリジナルを生み出してようやく一人前とされるのだと、シェリーヌは言った。
「はいはーい、お喋りはそのくらいにして。」
とかく女が三人も集まればかしましいものだが、とばかりにリリィが遮った。リラックスのしすぎ、ここは魔物の巣窟なのだから、と緊張感の引き戻しを図る。
「いやですね、油断なんてしてませんよ?」
ジェシカが言うのを、指先を口に当てて「しーっ、」耳を澄ませるようにと促した。
「ゴブリンたちが騒ぎ出したわ。けど、こっちに気付いたわけじゃなさそう。解かる?」
「カニですか、」
「そゆこと。」
七志の追っているタラバが、こちらへ近付いている。その気配をゴブリンたちが察知したのだ。洞窟内に響く声の質が少し変わったというが、リリィだけに解かる程度の変化で他の者にまで解かるほどの大きな騒ぎではない。
「急ぎましょ。さすがに全部のゴブリンが起き出してきたら面倒だわ。」
こちらは4人、むこうは23匹、そこへ他の場所のゴブリンが合流することもありえ、予断を許さない。
地図に示された広い場所、その入り口付近に差し掛かった。
「では、手筈通りに。」
先頭が入れ替わる、リリィからシェリーヌへ。彼女は足早に空洞へ飛び込み、振り向くゴブリンたちへ向けて先制の魔法攻撃を仕掛けた。大量の気泡が一気に空間を埋め尽くし、一瞬後には消え去る。だが、後のゴブリンたちはいくら口を開こうとも声らしきものは出せなくなっていた。
すぐさまジェシカが後発の攻撃を仕掛ける。タイミングをずらし、起きている者の傍にいるゴブリンから先に毒針の餌食だ。起きている者が接触して目を覚ます前に、動かぬところの急所を的確に仕留める。投擲の仕草は三度。二度目の標的は起きてパニックに陥っている数匹、三度目は目算で遠い位置の残りの数匹。23匹全てのゴブリンに、毒のニードルを突き立てるのに要した時間はほんの僅か。
即効性の今度の毒は、激烈な痛みを伴うらしい。寝ていたゴブリンまでが跳ね起き、次の瞬間に目が濁り、次には死の痙攣を起こして倒れた。
「猛毒だけど、20秒くらいのタイムラグがあるわ。その程度の口封じは大丈夫よね?」
「ギリギリというところですわね、空間が広くて魔法が拡散しましたし。」
入り口に立つ4人の女は冷酷なほどの冷やかさで、死にゆく魔物たちを眺めている。
死に瀕したゴブリンたちは、ずっと叫んでいる様子だった。声は出ず、口だけが大きく開かれている。ばたばたと動かなくなる群れの中、最後の一匹も同じように声にならぬ叫びを上げようとしている。その口から、最後の絶叫が形になって絞り出された。形容しようのない悲痛な声だ。
「しまった、先に魔法が解けちゃった!」
慌てて周囲を見回すジェシカ。リリィも耳を澄ませ、声が他へ届いていないかと集中する。
「キッカさん! 至急、周囲の洞窟の索敵を開始してください!」
『解かりました!』
シェリーヌの要請に、すぐさまキッカの返答が届いた。
『そこへ繋がる3つの洞窟内のゴブリンに勘付かれたようです! 大騒ぎになってます!』
大変なミスだ、運悪く、近付いてきたタラバの気配がゴブリンたちを余計に刺激してしまった。
司令塔のライアスが動く。静かにキッカの傍へと立った。
「作戦変更、ルルム嬢ちゃんの奥の手を発動させて切り抜けるしかないの。」
「奥の手ですか?」
うむ、とライアスが頷くのをキッカは固唾を呑んで見守る。水晶に近付いたライアスが直々に指揮を執る。
「皆、聞こえるか?」
『よーく聞こえるから、手短にお願い!』
切羽詰ったリリィの返事。
「シェリーヌ、防護魔法を1分で皆に掛けてくれ。リリィは速やかに耳栓を全員に配布、装着。合図は事前の取り決めの通りにな。ルルム嬢ちゃんにスタンバイを、ジェシカ、通訳を頼む。」
『速やかに行動に移りますわ、』
『了解!』
『任せといて!』
さて、と、続いてライアスは自身の話しかけている虎目水晶に目を向ける。
「フィルターを掛けたほうが良い、獣人の咆哮は凄まじい威力じゃ。」
「あ、はい、解かりました。」
気付いてキッカが返答した。
「わんっ、」
ふざけるだけの余裕が残っているのは、もはやこの獣人の少女一人だけだろう。洞窟内に木霊する幾多の声は、先ほどまでのものとはまるで様相が違ってしまっている。恫喝するような、危険な響きばかりだ。遠く近く、洞窟内にゴブリンの吼える声が渦巻いている。その数を考えれば、皆が青褪めるのも無理はない。
ルルムはまるで動じるでもなしに、ちょこんとその場にしゃがみ込んだ。前足よろしく両手を揃えて地面に着き、背筋を伸ばして大きく息を吸い込む。ちんまりとした姿だけを見れば、可愛らしい姿勢。そして、吼えた。
グルゥオォォ!!
文字通り、地の底から涌きだしたかのような恐ろしい咆哮。獣人族の咆哮だ。
一瞬、洞窟内が静まり返った。
「吉と出るか、凶と出るか。」
見守るライアスがぽつりと呟く。