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第六話 城からの使者

 一方、七志は裏庭に居るというライアスを探していた。

 裏庭といって、垣根があるわけでもなく、小さく開けた場所に薪割り台と井戸があり、その向こうはそのまま畑に繋がっている。

「ここに居るって聞いたけど……、あ、あの人かな?」

 七志が目を向けた先には、薪の山を整理する老人の姿。腰には剣を帯びている。

 背筋がピンと伸びて元気溌剌という感じの小柄な男が、一人黙々と働いていた。撫で付けられた頭髪も真っ白なら、立派な口髭も真っ白だ。

「あの、貴方がライアスさんですか?」

「いかにも。すまんがまずはこの薪運びを手伝ってくれんか。」

 七志が話すよりも先に、その腕に薪の束をほい、とばかりに渡されてしまった。


「ふむ。わしに弟子入りがしたい、と。」

「はい、宿の女将さんに紹介されたんですけど、駄目でしょうか?」

「ふーむ。」

 老人はしげしげと七志を見やり、口髭を撫でる。

「まず武器を振るう筋力がまったくなさそうじゃな。」

 制服の上からでも解かるのか、ライアスはきっぱりとそう言った。

 基本以前の指摘を受けて、七志がうなだれる。これは望みが薄い、と。

 だが、引き下がるわけにはいかない。なにせこの世界での生活、いや、命が掛かっている。なんとかして承諾してもらおう、と決意を新たにした時に、再び老人が口を開いた。

「これからは、毎日の薪割りと風呂焚きはお主の仕事にするが良い。それである程度の筋力は得られよう。」

「それって、弟子にしてもらえるって事ですか!? やった!!」

 喜びを満面に表す七志に、ライアスはにんまりと笑った。

 薪割りに風呂焚き。それは、日常生活のうちの、最大の重労働である事を七志は知らない。


「ほれ、斧の構えはこうじゃ。腕はゆるく伸ばし、そのまま振りかぶる、逆らわず振り下ろす、真芯に当たればこのようにガッツリと食い込むでな。これを再び振り上げる、打ち下ろす、そうすると真っ二つに割れて、落ちる。」

 言葉と共に実際を見せてもらい、七志もうんうんと頷く。

 見ている分には簡単でも、これこそ本来の言うは易くの典型だ。

 斧を手渡され、ずしりと重いその重量に不安がよぎった。


「やってみろ、」

 言われて、七志とライアスが位置を変える。

 土台となっているのは太い根っこを加工したものだ。その上に丸太が乗せられ年輪を向けている。

 振りかぶって、振り下ろす。たったそれだけの事が難しい。

 何度かは土を叩き、何度かは斜めに刺さり、何度かは根っこの土台を削った。

 ようやく真ん中を打てるようになる頃には、七志は全身汗だくになっていた。

 ライアスが隣でひょいひょいと薪を割っている。


「ほいほい、薪が出来たから次の仕事にかかろうか。」

 七志がようやく数本の丸太を割ったところに声がかかり、山となった薪をライアスが指差した。

 恥ずかしさにうつむく。この老人がこれだけの薪を作る間に、自分がした事といえば、たった数本を二つに割っただけだ。これでは先が思いやられる。

「落ち込むのは結構じゃが、後にしてくれんか? まだまだ仕事は終わっておらんからの。

 次はこの薪を向こうへ運んでもらおうか。運んだら種火を貰ってきて、風呂を沸かす。窯に火が入ったら、そこの井戸から水を汲んで風呂桶へ運ぶ、風呂桶の八文目まで水を満たせば裏へ戻って火の番をする、時々風呂の湯加減をみて、ちょうどになったら女将に知らせる。

 そこまでが風呂焚きの仕事じゃ。」

 水汲みは急いで汲まんと風呂桶から火が出るからな、と付け足した。


 本来は水を汲み入れてから種火を仕込んで湯を沸かすのだが、ライアスの手順は逆だった。

 のんびり井戸に釣瓶を垂れていたのでは鍛錬にならないからだ。

 竈に種火を放り込み、そこから藁屑、枯葉や小枝と順繰りに火の勢いを増してやり、薪の方へと火を移す。そこからが忙しくなった。

 慌てて井戸へ向かい、慌てて水を汲み替え汲み替え、釣瓶から木桶へ移して両手に持った。

 重い木桶を慌てて運ぶ。宿屋を半周して、土間を通って、廊下を走って、風呂桶へ流す。

 息をつく間もなく、慌てて戻り、釣瓶を垂らして水を汲み、木桶を満たして、廊下を走る。

 焦げた臭いがしてくると、隣を走るライアス爺が「ほいほい、火が出る、火が出る、」と急き立てる。

 重い桶を、腰を落としてバランスを取りながら零さず運ぶのは、思う以上に大変だった。


「ぜぇ、ぜぇ、」

 風呂桶がちょうどの水位に達して、窯の前へ七志が戻る頃には、額から喉元からと、盛大に汗が吹きあがって流れ落ち、制服の下のアンダーシャツを汗だくに濡らしていた。

 風呂桶は食料を保存する樽を少し大きくしたようなものだった。そこから各自で湯を汲み取って風呂場で使うのだ。

 桶の底が一部分、鉄で出来ていて、たぶんその向こうが裏手の窯に繋がっているのだろう、と七志は思った。床全体が暖められて、蒸し暑い。

 サウナ方式の風呂を、七志は知らなかった。


     ◆◆◆


 宿の食事は素朴ながらにとても美味い品々で、来たばかりの七志のためにと御馳走を振る舞ってくれたらしく、鶏の丸焼きまでがこの日の食卓には並んでいた。

 なにより七志が気に入ったのは、食後のデザートとして出た木苺のパイだ。

 宿の女将は料理上手で、朗らかで、どんどんと七志に食を勧める。

「さぁ、もっとどんどん食べとくれ! 遠慮しなさんな、あんたくらいの子はもっと食べるもんだ!」

「も、もう、充分にいただきました……、」

 わんこ蕎麦のごとくに、食べるしりから皿に盛られ、七志は目を白黒させながらギブ宣言。それでも女将は「まだまだ! 遠慮しなくていいんだよ!」と、ようやく空になったボウル皿に再びシチューを注ぎいれる。

 勘弁してくれ、と目で助けを求めた七志に、しかしジャックとリリィは素知らぬ顔を決め込む。

 割と薄情な仲間たちだった。


 食事も済んで、割り当ての部屋へと引き取った七志。

 こざっぱりとした、言い換えれば何もない部屋で、窓際に簡素なベッドが一つに、備え付けのクローゼットが一つ。嵐のような数日が過ぎ、ようやく一息つけたこの時になって、七志は元の世界に思いを向けた。

 ようやく、そういう余裕が出来たのだ。

 それどころではない状況で忘れていたが、家は、家族は、友人たちはどうしているだろうか?

 突然居なくなった自分を心配してくれているだろうか?

 今さらに寂寥感が込み上げて、どうしようもなく悲しくなった。

 もう、帰れないかも知れない。

 追い打ちのように思い出される言葉もある。

 来訪者は消えてしまうという話にしても、手放しに期待していいものとは思えなかった。そんなに楽天的な性質ではない、消えてしまうと言って元の世界へ帰れると保障されたわけではないから。

 不安は山積み、けれど一々気にしている余裕もない、と自身を叱責してベッドへもぐり、無理やりでも眠ろうと務めた。

 異世界の一日はハードだ、明日のために寝ないといけない。

 感傷に浸るよりも明日のことを考えよう、と、七志は目を閉じ、ひつじの群れを数え始めた。


 翌日は朝から薪割りだ。

 足元も危なっかしく、ふらつく七志の横で、昨日と同じにライアスがテンポ良く薪を割っていく。

 七志が動かぬ丸太一本を相手に四苦八苦している時に、血相を変えてリリィが裏庭に駆け込んできた。

「七志、お城からの遣いが来てるわ。あんたに会いたいそうよ。」

 息を切らせ、七志に薄く半透明な白い紙を渡す。羊皮紙というものを見たことのない七志は、それがとても上等なもので、王侯貴族くらいでないと使えないほど高価な品だとは思わなかった。

 文面は少々高飛車、事務的に登城を要請する内容だ。謁見が許されたので来い、と。

 願った覚えもないのに、と不満を表情に浮かべていると、ライアスが横合いからその紙をひょいと奪っていった。


「国王からの召し出しか。」

 内容を流し読んで、そう言った。

 続けて七志にアドバイスを。

「貴族というのは自分を天使かなにかと思っている。終始にこにこと愛想良くして、言われたことははいはいと頷いておくが良い。常に靴を見て顔は上げぬよう、目を合わせる者を彼らは生意気と受け取る。

 チラリと見せる嫌な顔は彼らの勘に障る、嫌だと思ったらむしろ悲しそうな顔をして、困ると訴えるがいい。

 人に相談すると言うのもよくない、考えさせてください、と言うのが良い。」

 常に言葉を選ぶよう、相手は自分を一番良いものと思っている、とライアスはもう一度言った。

 昨日弟子入りしたばかりでも、自身を子弟と認めて扱ってくれた事に感謝して、七志は深く礼を表す。

 城になど行きたくない。が、行かずに済ませる道はないようだ、七志は重い息を吐いた。


 リリィの後について宿のダイニングへ向かう。

 宿の中ではそこがもっとも広く快適な空間だから、客はひとまずそちらへ通されるのだ。

 使者はふんぞり返って待っていた。

 小太りの、小男。きらびやかな衣装に身を包むというよりは、着られている。

 国王もこれと同じ種類の人間かも知れないと思うと、それだけで七志の気分はさらに重くなった。

 七志に気遣う視線を向けてから、リリィが口上を述べる。

「お待たせしました、こちらが使者様のお呼びになった来訪者の、七志です。」

「はじめまして、」

「うむ。硬くならずとも良い、わたしは単なる使者。国王様より全権を任されているとはいえ、単なる使者に過ぎぬからな。構えずとも良いぞ、うむ。」

 使者というものは、さほどに地位があるということもない下っ端の役人であったが、とかく王権に擦り寄ってうまい汁を吸おうという輩は、どんな肩書であれ利用しようとする。

 言葉の隅に表れている。厚顔としか言いようがない体で、露骨に袖の下を要求している。

 この小役人の口先一つで、ありもしない言葉を吐いたことにされ、謂れのない罪に落とされたりもする。邪険に扱うことも出来ず、無体な要求でも呑むしかない。

 剣呑な目をした七志に、慌ててリリィが使者の手に自身の手を重ねた。

 掴ませているのは、おそらくは金貨だろう。

 ぐっ、と堪えた。考えなしに怒鳴りつければ宿に迷惑がかかる。

 そうした事も含んで、国王からの召し出しは迷惑としか言いようがなかった。


「国王陛下はそちの活躍をお聞き及びになられ、いたく感心なされたご様子でな。

 例の、ほれ、カトブレパスという化け物だ、あれとの戦いの話などをお聞かせすると良いぞ。お喜びになられるであろう。名誉なことであるから、くれぐれも失礼のないよう。

 そうそう、来訪者とお会いになられる事は特例でもあるゆえに、な。そのような汚いナリではなく、そうそう、その特異な服装だが、それもご覧になられるゆえに、当日にはきちんと洗濯をしてから、城へ上がるように。くれぐれも、な。」

 使者は、どこまでも勿体ぶって、文章的にはおかしくなってしまった言葉を区切り区切りで言い置いて、深く息を吐き出した。

 偉そうにはしているが、どこか三流の匂いがした。


 使者は、七志を迎えに来たわけではない。

 端くれとはいえ、貴族。その貴族の乗る馬車に、どこの馬の骨とも素性も解からぬ下民同然の人間を、同席させるはずなどなかった。

 七志は明日、指定の時刻までに一人で城へ行かなければならない。

 もちろん、支度費などという気の利いたものは出ない。いや、出ているのだろうが、小役人が素直にそれを渡すはずなどなかった。

 七志はとにかく、気が重い。すこぶる、重かった。

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