第十二話 みんな、今夜はカニ鍋よ。
空気が重い。
正直なところ、彼女が訪ねてきたことで多少なりの期待があったのに。
これ見よがしにベッドへなど腰掛けて。これがこんな空気じゃなかったら、押し倒すべきかどうかで悩む場面だと思うのに。深く吐き出されたため息を、キッカは違う意味に解釈した。
「あ、ごめんね。さっさと片付けなきゃだね。」
「いや、あらかた片付いてるし、大丈夫なんだけど……、」
言葉を濁した程度で察知してくれるほど、彼女は敏感な性質ではなかった。
まぁ、きょとん、とした表情も可愛いから許す。うんうん、と頷いて七志は傍のマジックアイテムを掴んだ。
「あ、それってドラゴン・オーブだよ。昼間にリリィが言ってたやつ。竜玉ね。ドラゴンの大きさに比例してるんだって。だから、それくらいだと10Mくらいの竜だよね。」
へぇ、これが竜玉だったのかと、七志は改めてしげしげと手にした球体を眺めた。水晶か何かだと思ったが、じっくりと見てみると、なるほど中心からぼんやりとした光が涌きだして微かだが発光している。
「ドラゴンは、自然界に存在する魔力を帯びた生物の一つでしょ。竜玉とか竜鱗の他にも有名なところでは、麒麟のたてがみに、ユニコーンの角、人魚の涙なんてアイテムがあるよ。彼らは会話が出来るから、そういう素材は比較的に入手が楽なの。ドラゴンのような厄介な性質もしてないしね。」
ゾンビ・ドラゴンの話を彼女も知っているようで、困ったような笑顔を浮かべた。眉毛が少し下がって、それも可愛いと思う。
「ドラゴンの素材って、取ったら死んじゃう重要な内臓器官だったり、会話が出来るほどの知能がなかったりで、ほんとに大変なんだって。それに、人魚のキモは色んな難病を直せる特効薬の材料だけど、それを入手するのは難しいよね。それでも、手に入れることは出来るの。」
人魚もエルフや獣人と同様に、社会性を持った知的生命体である以上、不当にこれを殺せば人間との間で諍いが起こるはずだ。それでも彼女は、人魚の心核、キモを合法で手に入れることは可能だと言った。
「ここは異世界だからね。七志の居た世界とは違う価値観もあるよ。」
意味深な言葉で、遠まわしに彼女は何を伝えようとしているのか。ジャックやリリィの態度で解からぬほどに、七志は鈍感ではなく、すでにキッカという少女の存在に疑念を抱いているのに。
正直なところを言ってしまえば早くて済む内容の話を、遠まわしに、遠まわしに、相手を窺いながらで進める。
互いへの気遣いがあって、これはこれで優しい気持ちになれるけれど。
「人魚の社会ではね、ミイラを作るのが普通なんだって。埋葬の島があって、魔法で保存してね。人魚たちは知ってるんだよ、キモがとても高価だって。……七志の世界の考え方じゃ、理解出来ない?」
「いや。臓器移植とかあるよ、俺の世界でも。」
臓器売買も日本では非合法だが、世界を見渡せば合法な国だってある。
もしもの時、困った時に大きな財産を生む、それを知って子供に残す保険は、その心はどこの世界も同じだろう。
ただ、この世界には魔法があり、そこにまつわる品々はとても高価だから、そういう風に回る考え方も生まれてくる。
キッカは、たぶん、自身と同じ来訪者だ。恐らく、隣国に住まうという、魔女と呼ばれる少女。
本当は知ってほしいと思っている。同じ来訪者だから分かり合えるはずで、けれど恐れてもいる。神は来訪者同士を殺し合わせるために呼び込んでくる、と聞かされ続けているから。そういう目に、何度となく遭わされてきたから。
さっきの来訪者の話は彼女の話だ。彼女が消した来訪者の話。どんな思いで聞かせたのかと、考えるだけで胸が痛む。喩え、そうしなければならないほど酷い相手だったとしても、彼女が自分と同じ世界の、同じ国から来た、同じ価値観の人間なら。受けた痛みを思うと泣きそうになる。誰かに話しても、救われるわけではないけど。
下心は抜きで、七志は彼女の隣に腰掛けた。キッカが急にそわそわしだしたのが解かる。
ああ、やっぱり。ちょっと残念な気持ちもある。
キッカにはそんなつもりはなかったのだ。勘違いで、そのつもりで来たんだろ、なんて押し倒したりしなくて良かったと胸を撫で下ろしたりもする。
それでも逃げないのは、これはどういう意味だろう。
探りを入れるように、彼女の手に自分の手を重ねてみると、柔らかかった。
キッカはだんまりで下を向いて、いつかのように顔を真っ赤に染めていた。
これは……、もしかして、イケちゃうんじゃないか? ちょっとだけ期待が涌いてきて、浅ましさに悲しくなる。傷付いた心を慰めてやりたい、なんて、ちょっとカッコよさげな気持ちになっていたはずなのに。
キッカが部屋に来た。これは、『いいよ、』の意味だろうか。
いや、待て。よく考えろ、七志。大事の前の今夜だ。そんなことあるか。
きっと明日が不安だから、その気持ちを和らげるために自身の許を尋ねたのだと七志は逸る心を抑える。キッカは、レーダーの役目を負っている。いわば司令塔の補佐、重要な役柄だ。彼女の働き如何で明日の作戦の成否が決定するといっていいほどに。
そんな彼女に今、動揺を与えることが不味いくらいは解かる。ここは、彼女がその気だったとしても、自身を律して、必死に堪えるべき場面だ。
「キッカ、」
予想以上に重苦しい声が出てしまった。そんなつもりじゃなかったのに。
切羽詰ったような鋭さに、彼女がまたびくりと震えた。
重なる手の中から、彼女が逃げ出す。
「あ、えと。七志、ごめんね、明日、大変なのにこんな時間に押しかけちゃって。帰るね。」
慌てて立ち上がり、そそくさと部屋を出ていくキッカ。
急に怖くなって逃げたのだ。七志のことは大好きだ、けど、そんなつもりで来たんじゃない。
ぼすっ、背中からベッドへ倒れ込んだ七志。天井を見て、ため息を吐き出した。
「……やっちまった。」
解かっていたはずなのに。そんなつもりじゃなかったのは、七志も同じ。
最後の最後で、しくじった。
◆◆◆
ぎすぎす。そんな音が聞こえてきそうな朝の風景。顔も見合わせられなくなった二人の気まずい空気に、開口一番でライアスがずばりと斬り込んだ。
「なんじゃ、七志。キッカ嬢ちゃんも。部屋で何をしとったんじゃ。」
この師匠が、おおよそのところは解かっていても、平然と問いただす、そういう性質なのはよぉく解かっている。他の面子もにやにやと、七志がどう答えるのかと無言で見守っている。人の悪い連中だ。
「なんなのよ! 七志! キッカがなかなか帰ってこないと思ったら、あんた!」
「なんもしてねーよ……、」
ぶんぶんと煩く飛び回る小生意気な妖精を追い払う仕草で、七志がぼそりと呟く。うんうん、と庇うようにキッカが頷いて皆に訴えた。
つまんなーい、とジェシカがぼやく。
何か期待されていたようで、皆、がっかり、という顔だ。
「据え膳食わぬは武士の恥という諺があるんじゃなかったでしょうか? 七志様?」
嫌な方面で博学なシェリーヌがしれっとそう言った。さすがに高級奴隷、頭に詰め込まれた知識のほどは一般市民のソレとは明らかに異なる。高級な店のホステスが世界経済に通じているのと同じ理屈だろう。高級な女は頭の程度さえ違って、賢いのだ。皆が好き勝手に言ったが、最後の一人にだけは反論する。
「意気地のねぇ……、」
「ジャックにだけは言われたくないな!」
人の事を言えるような立場ではないはずだ、と。
「まぁ、なんでもいいわい。予定通り、作戦決行じゃ。」
青くなったり赤くなったりの七志の顔色で満足したか、にんまり笑いの後でライアスが指示を出した。七志はともかく、キッカの方はこの騒ぎで少しはリラックスしたようだった。笑い話で済ませようとの配慮だったのか、と七志も気付く。デリケートな問題をいいようにイジられて、少々どころでなく不服ではあるが。
なにはともあれ、カニ狩り開始。
カニに八つ当たりするわけではないが、このむしゃくしゃした気分をどこへぶつけようかという七志だ。
『七志、そこの三叉路は真ん中を通って。右の通路はクレバスが出来ているから、絶対に行かないでね。』
感度は良好、キッカの声がコクピットによく響く。
「OK。ジャック、真ん中だってさ。右はクレバスだそうだ。」
「クレバスか。反対側がどっかに通じてるなら教えてくれ、キッカ。」
ジャックの声も、七志の乗り込む機体を通じてキッカに届く。すぐさま彼女からの返事がきた。
『反対側はないみたい。けど、カニがあちこちの通路を広げたり、新しく穴を掘っていたりで、複雑になってるわ。』
七志側では見えないが、キッカの隣に待機したリリィが、地図を広げて新しく出来ている通路を書き記している。
「まぁ、メチャクチャに掘り進めてくれたもんよね。」
洞窟と坑道を示す地図は原型をなんとかとどめている程度になった。危険な個所も幾つもある。キッカと七志の間を繋ぐ連絡方法は、割と簡単に解決が済んだ。七志の機体は、七志の望むままの装備を得る。通信機器はすぐに備わった。これを、キッカの側では虎目水晶が受信する。七志とジャックの間では、七志が口頭で伝えた。
第二陣が出撃した場合の、キッカとリリィの間の連絡はカボチャのジャックが担当する。本当に器用な魔物だと七志は感心したものだ。
食べるついでで掘り返した、といった感じの洞窟を進み、七志とジャックの二人は坑道の奥へ。
コクピットにまたキッカの声が響いた。
『七志、そろそろ近いよ。で、向こうも気付いたみたい。七志たちの方を向いて威嚇してるよ。』
見えていないはずなのに、感覚で解かるのかも知れない。注意が必要だと七志は頷いた。
「ジャック、奴が近い。こっちにも気付いているらしい、て!」
いきなり、前方の岩肌が粉砕され、巨大な塊が飛び込んできた。
咄嗟の判断で七志は巨体を受け止め、押し止める。これも巨大な鋏が腕の装甲に突き刺さった。以前の、ワールド・ボス、塔に居た怪物アルケニーよりも確実に手強いことがこれで判明した。
「装甲を突き破るのか!? やばい! ジャック!」
腕が落とされる、七志の叫びにジャックは冷静な声だ。
「そのまま押し込んどけ! 七志!」
メキメキと腕の装甲が軋んだ音をたてている。視界をリモートに、幾つかのパネル画面にチェンジした。ジャックの方をパネルの一つに映すと、イフリートを呼び出している。唸りをあげて、燃え盛る刃がカニ鋏の根元を切断した。
飛び退くようにカニは七志を放り出す。片方だけになった鋏を威嚇で振り上げ、そのまま器用にバックステップで元の洞窟奥へと逃げ去った。
『七志! 七志、大丈夫!?』
必死の声が聞こえる。キッカに「ああ、」と短く答え、七志は怪物の消えた洞窟の奥を見つめた。悪いと思いながら、手元の作業を優先する。コクピットのレーダー配置を確認しつつ、モニター画面の状況と見比べた。
「生体反応が無いんだ。魔法生物には反応出来ない、ちょっと待っててくれ、ジャック。」
どうするかと少しだけ思案して、七志は対応策をあれこれと試していた。なにせこの機体は七志の思い描いた通りの機能を備える、従って、あとは七志の機転次第というところだった。
「生体がダメなら……と。よし、いけそうだ。」
魔力感知に切り替えて、幾つかの反応が映し出された画面を確認した。一番大きく点滅しているのが、恐らくはあのカニだ。次に大きいのが自分だろう。傍に一回り小さいものがあり、これがジャックの持つイフリートと確認出来る。
「逃げてるみたいだ。キッカ、どこへ向かってるか特定頼む。」
『解かった、待ってて。』
キッカのナビゲート情報は、言葉より先にダイレクトに七志の機体へと転送され、七志からは洞窟の構造が手に取るようによく解かっていた。だが、表示範囲が狭い。ちょうど今は、標的の姿がモニター画面から外れ、圏外に居る。
これ以上の拡大地図を描画すると、逆に位置を把握し辛いと判断していたからだ。かなり広範囲に移動、それもひどく早いスピードで、距離を空けられ過ぎたために見失った。
キッカの側は、もっと広範囲、坑道全体をフォローしている。そちらに任せることにした。
「この先はまずいわよ、ゴブリンの繁殖地になってる洞窟群に繋がってるわ。」
地図を確認して、リリィがキッカに注意を促した。不味い方向へ誘導してしまったらしい、と。
「第二陣、出撃準備しますね。」
いっそ嬉々とした声でジェシカが言う。
ゴブリンの洞窟と、廃坑道とでは本来繋がりがないはずだった。だが、このカニは強靭なその鋏を用いて坑道を自在に掘り進めていたらしい事が解かっている。逃げる道筋も本来なら曲がりくねらねばならないはずが、まっすぐに進んでいる。明らかに逃げるための穴を掘り進めていると考えるべきだった。
『リリィ、ルルムを頼む!』
七志からの通信が、こちらでもよく聞こえた。
「OK、七志。大事な預かりものだからね、ぬかりないわよ。」
リリィが返答すると同じタイミングでライアスがシェリーヌの肩を掴んだ。
「シェリーヌ、彼女らのフォローを頼む。魔法生物に対抗するには、魔法が一番じゃ。」
「解かっておりますわ、お任せください。」
頭の良いシェリーヌに、多くの言葉は必要ない。彼女は、ライアスの言葉を表面だけで受け止めたわけではない、その内側にある意味までくみ取った上で、にこりと笑って承諾した。
正面切ってカニと対峙するのは、あくまで七志の役割。彼女は、七志が取り逃がした際の、最悪の事態に備えての準備にかかった。魔法生物の攻撃を受けきる事が出来るのは、魔法だけだ。
「リリィ、まずはゴブリンどもを優先で殲滅してくれ。乱戦に陥った場合に七志が不利にならぬようにな。洞窟から追い出すだけでも良い。奴等には音が有効だ、カボチャ殿、例のものを大量に出してくれ。」
「アイアイサー、」
答えるなり、カボチャの口からかんしゃく玉がざらざらと零れ落ちた。
「なんですか? おいしいですか?」
口に入れようとするルルムの手をやんわりと制止し、ライアスがゆっくりと首を振る。勘のいい獣人族だ、それで食べ物ではないことを理解し、頷いた。
「火を点けて放り投げたら、音が鳴るのよ。バーンッ、」
彼女にも解かる言葉で、ジェシカが教えた。あの戦役に参加していなかった彼女がなぜ知っているのか、愚問というものだろう、彼女の出自を考えればおのずと答えは出る。ゆえに誰も気にしない。シェリーヌは初めて見たようだ。噂には聞いていたのか、興味津々でいじっていた。