第十話 カニとエルフとゴブリン山
寝不足は、その後の馬車による行程中に取り戻し、一行はほどなく目的地であるタイラルマウンテンの麓、ロガーナ渓谷へ到達した。厳重な警戒が敷かれた一角を通り過ぎ、物々しい傭兵の一団が占拠する古びた廃墟の街へ入る。
「ジャックじゃねーか! 久しぶりだな、生きてたか。」
「おう、お前にそっくり返すぜ。元気そうでなによりだ。」
傭兵といえばこの男で、ジャックが先導して街を歩く。数人の傭兵たちから情報を収集した。
「鉱山跡地のカニか、あれはとんでもねぇバケモノだ。並みの騎士やら傭兵じゃ歯が立たなかったそうだぜ。それでなくとも厄介な問題を抱えてんのによぉ、こっちに流れてきたらコトだな。なんとかしなけりゃいけないんだが、打つ手がねぇのさ。」
傭兵たちは冒険者に輪をかけたような荒くれの者たちだが、その分、戦闘力に措いては一介の冒険者よりも格段に上の連中だ。それが、厄介だと白状するような問題を抱えていると聞き、ジャックがいぶかった。
「どうした? 今度の任務はよほどのモンなのか? ヤベぇモンを引き受けてんだったら、早いうちに手ぇ引いた方がいいぜ?」
「そうもいかねぇんだよ、アイツ等との共同戦線なもんでな。逃げられねぇ。」
顎をしゃくって示した方角に、やたらと見目の良い連中の一団が控えていた。
「エルフ? なんであんなに大勢居やがるんだ?」
怪訝そうに目を細めたジャックに答えて、傭兵の男は肩を竦めて首を振った。
「知らねぇよ。何しに来てんのか、時々様子を見に来るんだ。どうせ真相を教えろとかなんとか、文句言いに来てんだろうけどよ。」
飽きもしないで、何年もよく続くもんだよ、と呆れ顔で吐き捨てたあとに男が続けた。
「なぁに、仕事自体は簡単なモンだ。ただ見張ってりゃいいだけだからな。あの壁の向こうに、廃墟があってな、そこに得体の知れねぇバケモンがうろついてやがんだよ。何重にも包囲が敷かれてる、出てくる心配はないんだが、万一に備えてってヤツで、俺たちは見張り役ってわけさ。」
傭兵とジャックが気軽く話をしている横で、リリィがそっと七志に耳打ちする。
「七志。この辺りのはずよ、タイラルの屋敷があった場所。きっと、この連中が見張ってる廃墟って、それの事だわ。」
傭兵が警備を固めているなどの話は初耳だと、リリィが不審を露わに告げる。七志も頷いた。なにか、噂で聞いていたものとは違う真相が隠されているのではないか、そんな気がした。
「採掘してる鉱山は、もっと向こうになる。けど、カニの化け物が出る区域ってのなら、この近辺で間違いねぇ。カエルもこの辺りに多く居たはずだ。数年前まではカエル採りに来る駆け出しの連中をよく見かけたもんだけどな、今はカエルと一緒にさっぱり見なくなったな。」
話から察するに、数年前くらいからカニが出没するようになって、カエルの数が減少しはじめたという事か。その頃はまだ原因が特定出来ず、巨大カニの存在も噂の域を出なかったらしい。
「馬鹿デカいカニの化け物が出るって噂はあったんだ。見たってヤツが少なかったからな、最初は誰も信じてなかったもんだが、目撃者が増えるにつれて、カエルも少なくなってってな、それで本当らしいって事になったんだ。」
「そのカニってどのくらい大きいの?」
リリィが横合いから質問を投げかけた。ジャックが振り向いて、促すように男を見る。
「ああ? そうさな……。坑道は人工的なものと自然の洞窟部分とがあるんだが、人工的な部分ってのは狭いんだ。で、奴の大きさってのは、その狭い部分がようやく通れるってくらいの大きさだな。」
坑道の高さを、自身の背の上に腕を伸ばす形で表現しながら、男はそう言った。ざっと2mか、と思った時に付け足しの言葉が告げられる。
「それが、数年前に俺が見た時の奴の姿だから、今はもっとデカくなってるだろう。見た奴の話じゃ、逃げる時に坑道の穴に飛び込んだら追って来れなかった、てことだからな。」
自然に出来た洞窟部分は鍾乳洞のようになっており、とても広いものだ、と男は言った。
「洞窟の中でも自在に動き回れるってわけじゃなさそうだな……。一体、何を主食にしてるんだろ?」
七志が呟くのを聞いて、男が答えてくれた。
「石を食ってんだよ、奴は典型的な魔法生物だからな。実験作が逃げ出したんじゃないかって言われてるぜ。」
「ふむ、それはちとおかしいの。魔法生物は魔力の満ちる場所でなければ生息し続けることは出来ん。正確には、創造主である魔導師の調整を受け続けねば、やがては死んでしまうはずじゃが。」
ライアスが疑問を述べると、男は大袈裟なジェスチュアで手を振り回す。
「知らねぇよ! ただ、この近辺は魔力の元素が不安定なんだってよ、エルフ共がそんな話をしてたぜ。魔導師やらエルフのように、魔力の影響を受けやすい者は迂闊に近付いちゃいけないんだってよ。」
エルフ達も、そのカニの事を調べに来ているような素振りがある、と男が教えてくれた。
「なんにしろ、この近辺は変なんだよ。変なんだが、俺達にゃ隠してやがるって事らしいんだ。」
あんたらも坑道へ向かうなら気をつけろよ、と言い残して男は戻って行った。
「またしても、ゴブリン山が元凶か……。」
ライアスがぽつりと呟いた。
七志は七志で、一つ、引っ掛かる符号を見つけていた。
偶然なのか、やはり必然なのか。
かつて、精霊界でもこんなことがあった。元凶と漏らしたライアスの言葉で気付いたことだ。
七つの塔。符合する場所が、このゴブリン山にもある。ちょうどこの地は、地図に描かれた六芒星の中心になるのではないか、確かめたわけではないが、そんな気がした。
あちらの世界で起きていた異変と、こちらの世界で起きている異変が、同じ位置で起きるのは何の符号なのか。
魔の風が吹くと言われるあの場所が、こちらでは高い城壁に封印された場所に重なっている。もし、あの七つの塔の位置が、こちらとあちらで同じ場所であるならば、だが。
地図で見たゴブリン山は、広大な面積を有していた。七志たち遠征軍が進撃したのは、ほんの一区画に過ぎない。まさしく、ライアスやハロルド隊長が言っていた通りの『焼け石に水』という状態だった。今はその地に多数のオーク達が移住している。彼らに影響はないのか、急に不安がもたげた七志だった。
◆◆◆
「カボチャ、悪いんだけどさ、オーク達の様子を見てきてくれないか。なんか嫌な予感がするんだ。」
「移住したオーク達でございますか? わたくし、キッカ様に言われまして連中の様子も見てきておりますが、別段、変わったところはなかったと思いますが?」
そうなのか、とひとまずは胸を撫で下ろし、キッカの配慮に感謝した。きっとこういう事になると予測して、先回りでカボチャに指示を出しておいてくれたのだろう。七志がオーク達を気遣うと見越して。
「あの一団が詳しい事情を知っておるようだの。どうせ秘密にしておるのだろうし、教えてくれはすまいが、探りを入れてみるのも良かろう。」
そう言って、ライアスは遠慮なしにエルフたちの集団に向かって無防備に歩いていく。
慌てて七志が追いかけた。もし何かあれば自分が盾になる心算は付けておく。
「エルフは気位いの高い連中だ、無礼な真似など死んでもするまいよ。安心せい、七志。」
「はぁ。」
それでも、気持ち的には相手がエルフだろうが獣人だろうが関係ないと思っていた。
「我々はこれからタイラルマウンテンに向かおうと思っておるのだが、何か不都合なことでもあるだろうか?」
単刀直入に本題を切り出せば、案の定でエルフたちは警戒を持って二人に対する。
「この壁の向こうは立ち入り禁止だ、王国政府にも要請してある。もし、ここへ立ち入るという話ならば、許可証を見せてもらいたい。」
「いや、失礼した。そうではなくてな、この先、立ち入り禁止区域に隣接する廃坑道の方に用があるんじゃ。ほれ、バケモノのようなカニが出るという話は知らんかね? 先に聞き及んでおれば、惨事は免れるかと思うてな。」
彼らも知る話であるらしく、納得の表情を二人に向けた。
「ああ、そっちか……。恐らく、影響はあるのだろう、この近辺は異常な魔力値を示しているからな。我々も聞いた話ばかりだが、その魔物は魔法生物というらしいから、きっと巨大化したものだ。ゴブリンの異常繁殖もそうだが、かの地の影響は計り知れないものがあるのだ。」
やはり。地の底に、またしてもワールド・ボスが潜んでいそうな、そんな話が転がり出てきた。七志は嫌でもあの時の腕の痛みを思い出さずにはいられなかった。
オークたちにも警戒を促しておくべきか、色々な考えがよぎる。あの山のゴブリンの数が、通常に比べて異常なのだとエルフたちの言葉が示唆した。これも、初耳だ。
ともあれ今は、カニ退治が先決。
「あの魔物には、通常の武器は通用しない。獣人族の精錬する希少金属の鏃を用いて、我々エルフの中でも特に優れた戦闘力を有する者が、魔力と膂力のすべてを費やして、それでようやく傷を負わせることが出来たという程度だ。」
エルフの一人が七志の存在に気付き、口を開く。
「うん? お前は、噂に聞く来訪者だな。青鋼の鎧を身に纏うという……。神に与えられたその力を持ってすれば、あの魔物も退治出来るやも知れん。とにかく、我々、こちらの世界の者には手に負えん怪物だ。他の者たちも、下手な手出しは考えず、この者に一任することが賢明だろう。」
エルフの強戦士でも歯が立たない、という話を聞き、ライアスは渋った表情に変わる。
「それは厄介じゃな。一般にいう魔物の域を完全に逸脱しておるわけか。七志の得た力をもってしても、果たして通じるかどうか……。」
ライアスも七志の得た新しい力のほどは、隣国との経緯でよくよく知っているはずで、そのライアスをして、通用するかどうかは危ういと判断せしめた。それほどに、エルフ族の強戦士は強く、それが敵わぬ相手というものが恐ろしい敵であることを示唆している。
七志は正直戸惑っていた。来訪者は、無双の存在として畏れられたのではなかったのだろうか。そして今や、自身もそれらのチート能力に勝るとも劣らぬ力を得ていると自負している。それなのに、皆が不安がる。来訪者は無双というあの言葉は、本来、どういう意味で使われていたのだろうか、自身が思うような意味ではなかったのかも知れない、と考えはじめていた。
「あの、俺なら大丈夫です。精霊界でやりあった相手も、とんでもない怪物でした。あれに比べられるような、そこまで手強い魔物も居ないと思います。」
あのクラスがごろごろしているというなら、この世界でチート能力が無双だの何だのと持て囃されはしないだろう。
七志の予想を裏切って、ジャックが深刻な顔で言った。
「それがそうでもねぇんだよ。世界は広いって言うかな、お前たち来訪者が、神の力に影響された人間ってことなら、やっぱり同じように神の力に影響された魔物やら動物やらも居るってことだ。」
まさに神の悪戯というべき実情を、七志はここにきて初めて聞かされた。
魔風穴には神の力が介在すると、そういえば黒騎士も言っていた。迂闊だったと七志はつくずくと自身の甘さを思い知る。考えが至らなかったのだ、精霊界と人間世界、共通する七つの塔にまつわる神の影。あちらの世界も神の力の奔流が歪になって、魔風穴を作り出していたとすれば。では、こちらの世界では……?
「それが、ゴブリン山ってことか。」
ぽつりと呟かれた一言に、どういうわけだかキッカ、こと麻衣菜だけが微かに反応した。
「俺と、七志、お前の二人で向かうことになるだろう。カボチャも何かに使えるだろうから、連れてけ。他はここで待機、そんなとこだろう? ライアス。」
「そうさな。キッカ嬢ちゃんや、以前のように七志の姿を水晶に映し出すことは出来るだろうかの。」
出来るなら、それに加えて七志と離れた場所ででも連絡が取れるなら、なおベターだ、と注文が付く。
キッカは慌てて、虎目水晶を取り出して確認した。
「えっと……、あの、ここはどうも魔力の潮流がいびつみたいで、集中しないと難しいかもです。けど、頑張ってやってみます、大丈夫です。」
キッカはやはり魔法使いらしく、この辺りの魔力が他の地域に比べて妙な流れになっていると皆に告げる。来た時には気付いていたのだろうと、彼女の言葉を聞いて七志はそう思った。
さらに彼女は続ける。
「この立ち入り禁止区域の中に、原因があるみたいですけど……。ここを中心に渦を巻くような感じで、魔力の波動が徐々に乱れを生じていて、ここの中になるとどうなってるのかまるで見えません。」
キッカはごくりと喉を鳴らす。まるで、この状態はあの白い塔の上層にあった靄のようだと。彼女の持つ神の力を相当につぎ込まねば、そこを照らすことは出来ないと感じた。あの塔より、もっと酷い瘴気。
七志はキッカの目を見つめ、その焦燥をしっかりと受け止めて言った。
「大丈夫。あの時とは違う、無理だと思ったらさっさと逃げるよ。」
「うん……。」
心配してくれている、不謹慎だがついつい喜んでしまっている自分が居る。
「……、」
あの白い塔、黒騎士は確か『愛』を象徴する塔だと言った。嫌な予感に人知れず顔を歪めるカボチャが七志の影に隠れていた。翼の女神は、受苦を伴う愛の女神。麻衣菜にひどく悪い影響を与えるのかも知れない、と。