第七話 奴隷商人と知り合いになった。
ここ、魔導師街の奴隷市に一人の少女が繋がれていた。
その少女は、見目麗しく、色の白いほっそりとした体躯を持ち、耳が長かった。豪奢なクッションを幾つも与えられ、上等な絹の衣装に身を包んで、上を下にも置かないような特別の扱いで、それでも売り物として鎮座していた。
一目見て解かるエルフの少女を、しかし、買おうという者など居はしなかった。
人間を見下しているエルフ族の者にその事実を知られたならば、どうなることか。こうして鎖に繋がれている姿を知られたならばと想像するだに背筋が凍る。誰もが娘を遠巻きに、触らぬようにと通り過ぎた。
どんな理由で繋がれているのかは知れない。
どんな理由で娘を買ったものだか、売り手の姿もない。
それでも一人の商人がこのエルフの少女を買い取っていったという話だった。
七志が聞いたとそっくり同じ状況が、目の前に再現されていた。
鎖に繋がれた少女は、絢爛な刺繍の入った高そうな敷物の上に横たわり、これまた高そうで上等そうなクッションを枕に昼寝の最中に見えた。白いけも耳が時々ぴくりと動く。同じく白い縞柄のしっぽが、楽しい夢でも見ているのだろうか、ぱたぱたと嬉しそうに振られる。
「獣人族の奴隷、ですね……。」
目を丸くして、隣のジェシカが呟いた。声の大きい彼女にしては小さな小さな声だ。
そして、眠っている獣人の少女は、このジェシカに負けず劣らずの、これまた美少女だった。
「ま・ず・い・わ・よ~! エルフでも大概だけど、よりによって獣人族だなんて、どこのどいつよ、あんな厄介なモンを売り払おうってバカは!!」
どうせ厄介払いに決まってるけど! 吼えるリリィ。ついさっき、相手が獣人なら即戦争だと七志に語ったばかりだ。さすがに七志も今ではその危険さが十二分に理解できている、つい叫び返してしまう。
「ゴブリン山は語り草じゃなかったのかよ、どうして同じ失敗をあえてやろうとしてる奴が居るんだよ!?」
「知らないわよ! 売り手を摑まえて事情を聞くしかないわよ、これは! もうっ、どうしてあんたと居ると厄介事が向こうから舞い込んで来るのよ!」
リリィの言葉には、俺のせいかよ、と頭を抱えるしかない七志だった。
待ち伏せている間も、ほとんどの客は遠巻きに危険物を避けて通り過ぎる。極たまに、興味本位に寝顔を覗きこむ勇気のある男が居る程度で、時間が過ぎた。
ホロの持ち主らしき中年のうらぶれた男が、とぼとぼとした足取りで帰ってきたのはずいぶんと時が経ってからだ。
「どうやら交渉決裂って感じだわね。」
落胆した男の背を遠目に見つめて、リリィが言った。
「おそらく、王城へ出向いていたのでしょうね、国王に直談判したけれど聞き入れられずに帰ってきた、というところでしょうか。」
陛下に脅しすかしの話法は通じませんからね、とジェシカ。
「買ってくれる相手がいるとしたら、まず国王しかないわよね。ゴブリン山の件があるから、表沙汰にはしたくないと考えるのが妥当だろうし。」
確かに甘い考えね、とリリィも同意した。国王から逆に、始末料を要求でもされたのだろう。座り込むなり頭を抱えた男の様子から伺える。そんな取引がまかり通るなら、危険を持ち込む輩が後を絶たなくなる。三人はホロを見張るように店の影に隠れ、様子を窺っていた。
男はしんみりと座り込んで何か思いつめた表情にも見えた。あの年代なら家族もあるだろうに、そう思った途端、なにやら動き出さずにはいられなくなった七志だ。
「七志さん?」
ジェシカが声を掛けたがまるで聞こえないように。
潜んでいた陰から抜けだし、商人に向かって歩き始めた七志。
「あの、何かお困りのことがあるんだったら、相談に乗りますけど?」
胡散臭いカルト信者の台詞だよな、と自覚して、適当に言った言葉を後悔する。
商人風の男は弾かれたように顔を上げ、そしてしげしげと七志の容姿を見回した。
「君は……?」
「来訪者です、あまりこの世界の事情には明るくないんですけど、」
「君があの! ああ、会えて嬉しいよ、娘にいい土産話が出来る、君の大ファンなんだ!」
七志の言葉を遮って、商人は大いに喜び握手を求め、手を握ると嬉しそうに振り回した。悪い人間ではなさそうで、拍子抜けだ。そして、ますます疑問が募った。
「なぜ獣人の奴隷など売ってるんですか? 売れるはずがない、と仲間に聞きましたが。」
もう隠す必要もない、すぐ後ろにまで歩み寄ってきた二人にちらりと視線を移して、七志がそう言った。
「好きで扱ってるわけじゃないよ、たらい回しの末にこっちに回ってきたのさ。商人は商人同士で繋がりを大事にしないと成り立たないんだが、そのせいで厄介事を押し付けられる事も多いんだよ。世話になってる商人から頼まれると嫌とは言えないし、その人も別の世話になった誰かに押し付けられて……最終的に、わたしのような弱小の者に回ってくる事になるのさ。」
深いため息をこぼし、疲れた顔の商人は諦めまじりの笑みを浮かべて事情を語った。
「知人に頼まれたんだ、何とかして欲しいって。その知人も、やっぱり知人から押し付けられたらしかった。たらい回しになってるうちに、何処でどんな事情でこんな事になったものだか、さっぱり解からなくなったんだ。連れているだけで金のかかる娘でね、後でどんな文句を言われるかも知れない、こっちの飲み食いを控えてでもこの子にはいいモノを食べさせて、いい宿で寝かせて……王都へ来るまでに大赤字だ、帰ったら一家で首を括るかね。」
物騒なジョークに、七志の肩がそわそわと動く。構わず商人はぶちまけるように愚痴り続ける。
「これから金策してこなくちゃいけない、国王様に相談したらとんでもない金額を要求されたよ。しかし、妥当だろうなぁ、なんせ獣人族の子供なんだから。言葉も通じないし、何処から来たのかも解からない、どうしようもないよ。」
一商人の手に余る問題は国に泣きつくしかないと、その男は言う。本来、関わらないと宣言している個人間の問題を国に何とかしてもらおうとするなら、金を積まねばならないのだ。賄賂でなんとかしてもらうという手段。
行政は、際限なく問題を抱えることになり、国が立ちいかなくなる事を理由にこれらの問題は自己解決を定めており、その一助に冒険者ギルドという機関まで設けている。自分でなんとかしろ、と突っぱねられたのだ。
問題が問題だけに、ギルドへ持ち込んでもかなりの報酬を用意せねばならないだろうし、賄賂を使って行政を動かそうにも、同額ほどに金を要求されて進退窮まってしまった、とそういう説明を男はした。
「言葉の問題ならどうにかなるんじゃないですか、七志さん。」
肘で突いてジェシカが言った。
「そうだな、話が出来ると思うけど……、起こして貰えますか? ご主人。」
さすがに噂は聞き及んでいるとみえて、商人は聞き返したりしなかった。すぐに立ち上がり、眠っているけも耳娘の肩を優しく揺らした。そっと、壊れ物を扱う仕草で。首に掛けられた高級奴隷の証である銀の鎖が揺れる。この鎖にしても、迷子札の代わりに付けているという話だ。魔法が掛けられており、遠くへ行くことを阻害する。
「ん……、あ、おはようですか? お腹空きました。」
カタコトのような言葉が娘の口からこぼれた途端、なぜかジェシカが反応した。
「七志さん! その言葉はエフロードヴァルツの、辺境地の言葉です!」
「エフロード……、そんな遠くから連れ回されていたのか、可哀そうに……、」
連れ回していた一人のはずの商人が、棚上げでそんな事を言ったのが妙におかしい。なんだかこの奴隷商人が憎めないと思い始めた七志だ。
「奴隷商人といっても、この人は大手のそれとは違うわね。他の商品と並べて、転売の奴隷を扱う業者さんよ、七志。」
店のホロには他に、生きた動物が何匹か鎖や麻のロープに繋がれている。カラフルな鳥が入った鳥籠に、止まり木で寝ている白フクロウ。それぞれ大人しいようで、じっとしていた。
「わたしは魔導師ご用達の品を扱う商人だよ。使い魔にする動物とか、助手になれる素質のある奴隷を譲り受けて、紹介しているんだ。助手というのは、まぁ、住み込みの雑用係とかそういう事になるが。」
魔導師という人種は、生活破綻者が多いために金を持っていても一人では生きていけない人が多いんだ、と商人が教えてくれた。研究に没頭するあまり、餓死する者さえ居るという。
「魔導師の許で働きたいなんて、まっとうな人間の中にはまず居ないでしょうねぇ、そりゃ。」
呆れ半分にリリィが答えた。
◆◆◆
世間が思うほどには魔導師という人々は極悪人揃いじゃないらしい。それでも、信仰心が薄く常識感のズレた人々である事には違いない。普通の国民とはそりが合わない事が多いために、普通の職業としての世話人というものは成り立たないのだ。教会で教えるタブーに触れることばかりを選りすぐって研究材料としているようなものだから、尊敬と同時に畏怖されて、出来れば近付きたくない人種と見られる。
街の斡旋所に求人の張り紙を貼っても、変色してボロボロになってもまだ貼られたままだ。だからこそ、奴隷上がりの世話人というものの斡旋が成り立つようになっていた。
奴隷の待遇は持ち主次第といえる。境遇に満足出来ない奴隷は、転売の機会が来ることを願っている。次のご主人様は、今のご主人よりはマシな人がいい、と。それは大抵は人格的な問題であり、その主人の職業には依らない。
だから、世話好きな奴隷がいると聞けば、持ち主と掛け合い、本人に了承を得て連れてくる事も可能になる。魔導師というものは何せ、金だけは持っているから。他のあらゆるものを失って、金と魔力に変換したような人生だ。
「お腹空きました。」
カタコトの人間族の言葉で、少女は商人の男に訴えるような目を向けた。
「なんだろう、昼が近いから腹でも減ったのかな?」
言葉が通じないなりに男が機転を利かせて、娘の欲求にはなんとか答えてきたのだろう。
「七志、通訳してあげなよ、」
「うん。その子はお腹が空いたと言ってます、無理に人間の言葉を使ってるようですよ。」
少女の知る唯一の人間語が、この言葉なのだろう。彼女の住んでいた地域の人間が話す言語なのかも知れない。
「お嬢ちゃん、何が食べたいの? その前に、君の名前を教えてもらえないかな?」
「お兄ちゃん、獣人の言葉が喋れるの? すごいね。人間は喋れる者が居ないって聞いてたから、どうしようかなって思ってたの。知ってる人間の言葉もだんだん通じないようになるし、お家に帰れなくなるんじゃないかって思ってたの。良かったー。」
自身の現在の境遇を未だ理解してはいないのだろう、獣人の少女はそう言って笑みを浮かべた。
「わたし、ルルムだよ。獣人族の酋長の娘。狩りに出かけて、迷子になったから人間の商隊の荷物に紛れ込んで、里まで運んでもらうつもりだったんだけど、全然知らない街に連れて行かれちゃったの。その後は、色んな人間が交代で面倒見てくれたんだけど、言葉が通じなくなってきて……。良かった、これで家に帰れるよ。送ってってね。」
さも当然と。これが、リリィの言っていた他種族との意識の違いなのだろう。まるで王族が下々の者に世話をかけるかのような言いぐさだ。他種族の、人間に対する扱いはずいぶんと低い。
最初に紛れ込んだ商隊というのが、すでに彼女の言葉が通じる圏内の人間ではなかったために、今回の事件が起きたのだ。恐らくは他国からの商人たち。
詳細を、そのまま七志は商人の男に伝えた。
「酋長の娘ですって!? た、大変だ。居ないことで今頃大騒ぎになっているかも……!」
「それは心配ないと思うわ、獣人族は強いが故にそういう考え方ってほぼしないそうだから。長期間居なくなった者が居ても、ネガティブな方向から考えることはしないって聞くし。」
狩りと称してひと月ふた月と帰らない者など、ざらに居るという話も聞くとリリィが商人を納得させる。
「あの、来訪者さん。あなたは見たところ、冒険者を生業としておられるようなのでお願いしたいのですが、わたしの代わりにこの子を、親御さんの許まで送っていって貰えないでしょうか?」
もちろんお礼は致しますと、商人はかき集めてきたのだろう重そうな皮袋を七志の手に持たせた。
「これは貰えません、さっき言ってたじゃないですか、一家で首を括るしかないって!」
そんな夢見の悪いことは御免だと、七志は皮袋を押し返す。
「まぁまぁまぁ、七志。」間に割って入ったリリィがちゃっかりその袋を掠め取り、言った。「あんたの腕のその時計と交換すればOKよ。この娘のお世話代にこっちもお金が必要になるんだし、これは貰っておきましょうよ。」
なんだか話がおかしな方向へ行ったような。
さっさと七志の腕からGショックを外して抜き取り、リリィが得意の交渉を開始した。
「これは、異界のアイテムよ。その価値は商人だったら説明なんて要らないわよね? しかも! 先の遠征の時にも持ち込んで、ほら、この通り! 傷一つ無いっていう素晴らしい品よ!! どう? お買い得でしょ?」
聞いていた商人の目が爛々と輝き始める。そうとうな価値があるという事なのだろう。時計の類ならこの世界にもある。持っている者は持っているし、それなりに高価だという話だ。
「交渉成立! いいでしょ、七志? 売っちゃっても。」
茶目っ気たっぷりの笑顔でリリィが念を押す。
なんだか腑に落ちないまま、そういうものかと頷いた七志だ。誰が一番の貧乏くじを引いたのか、考えがチラリとよぎり、すぐに追い払った。男は度胸。
「これを貰うとなると、その金額では追いつきませんが……、売り物の中で一番高価なものをお付けします、どうかその娘をよろしくお願いします。」
かなりつり合いの悪い取引で、七志の側が大損をする形なのだろう。商人は申し訳なさそうな顔でそう言い、店の商品をあちこちと探り始めた。取り出してきたのは、幾つかのマジックアイテムと、一人の奴隷だ。
「品物はまだしも、人間は、ちょっと……、」
辞退しようとした七志をまたしてもリリィが遮る。今度はジェシカと、売られた奴隷までもが一緒になって。
「なに言ってんのよ、七志! 貰えるもんは貰っときなさいよ! あんた大損してんのよ!?」
「そーですよ、七志さん! 奴隷は便利です! 美人だし、色々使えてお得なんですよ!?」
「わたしじゃ気に入りませんか? 新しい環境を与えてください、どんな仕事でもこなす自信はありますよ!?」
人並み以上の容姿の女三人に取り囲まれた七志に、意思を貫く選択肢は無かった。
「わたしはシェリーヌと申します、新しいご主人様。朝の給仕から夜のご奉仕まで、何でもこなしますので、なんなりとお申し付けくださいませね。」
こなれた微笑を浮かべて、妖艶さを漂わせる女奴隷は促されるまでもなくで、自己紹介をする。転売奴隷というくらいだから、奴隷という境遇にも慣れてしまっている様に見える。
「彼女はわたしの扱う品の中では最高級です。竜の宝玉と同程度の価値は保障致しますよ。なにより、魔法を使うことが出来るのですよ、水系魔法の使い手です。」
「最初の主人が教えてくれたんです、素質があったんですね。ですから、ご主人様のボディガードもこなせます、そこがセールスポイントになっているんですけど。冒険にも同行します、いつでもお申し付けくださいね、ご主人様。」
ふと浮かんだ疑問を、素直にシェリーヌにぶつけてみる。
「あの、それだけの能力を持ってるんなら、別に奴隷を続けている必要なんてないんじゃ……?」
「嫌ですわ、ご主人様。独立して生計を立てるより、よりよい相手のお世話になった方がいいじゃありませんか。」
高級奴隷というものは、考え方がすでに七志の思う奴隷とは違っている。むしろ、愛人契約とか、そんなイメージを彼女に抱いた七志だ。一口に奴隷といっても、色々とあるのだと感心した。