第五話 玉子焼き定食と神隠し
冒険者の宿は多くが酒場やレストランを兼ねている。けれど、基本的にどこで食事を取るかは、宿泊者の裁量に任されたシステムで、泊まりの宿代と飲食代は完全に分けられていた。
一同は朝食を宿で済ませ、昼には落ち合って別の店で食事を取った。その店での出来事だ。
「厚焼き玉子が……!」
大げさなほどに感動しながらで、七志がそんな声を上げる。
リリィに案内されて入った店の看板メニューが、この、『玉子焼き定食』なるシロモノだったからだ。懐かしい響きに大いに期待を抱けば、期待通りの一品が運ばれてきた。
懐かしいフォルムの黄色い物体は、紛れもなく食べ慣れたあの厚焼き玉子だったし、小皿に盛られた浅漬けはこれまた正真正銘の、キュウリの漬物の浅漬けだ。ご飯まで盛られて、みそ汁があれば完全な再現と言えた。日本に居た頃にはどこにでも存在し、七志自身もどこそこの定食屋で食べていた、定番の味だ。
ふっくらと焼き上がった黄金色の玉子焼きはまくら型をして、食べやすいよう6つに切り分けられ、焼き立ての美味しそうな湯気を立てていた。一口齧れば出汁のやさしい甘さと醤油の香り。ここで熱い味噌汁を啜りたいところだ。
美人と評判だという看板娘が微笑みながら七志に話しかけた。
「あなた、もしかして来訪者の方ですか? きっと味噌汁を欲しがられるんだろうけど、ごめんなさいね、さすがに味噌という調味料までは再現出来なかったんです。ほんと、ごめんなさい。」
ガラスの醤油差しに入っている黒い見慣れた液体は、実はあなたの見知った液体ではない、とその彼女が教えてくれた。
「ショーユとかいう調味料でしょ? 来訪者がもたらした最たる物よね、美味いと思うわ。」
けれど、ショーユは醤油ではない、と謎かけのような言葉をリリィも答える。意味が解らないでいる七志に、ライアスが謎解きの解説を始めた。
「ショーユやアジノモトというのはな、魔法で何とかなったんじゃがな。ミソだけは伝来も味も曖昧なために創りだすことが出来なんだのだ。その黒い液体は、じゃから、醤油ではなくて、ショーユなんじゃ。」
一気に感動が吹き飛んだ七志の頭が、テーブルにごつん、とぶつかった。
つまりこの黒い液体は、正真正銘、得体の知れない黒い液体なのである。醤油味の。制作者は胡散臭さで定評のある、あの魔導師の方々。文字通り、魔法の二文字ですべてが片付く世界。
「卵焼き定食を考案したのは、あなたと同じ来訪者の男性なの。二十年以上も前の話よ。わたしの父なんだけどね、消えてしまう前に、この先もやって来る来訪者の為にって、このセットを残したのよ。」
「二十年前……、」
驚いた。そんなにも前に、すでにこの異世界へ飛ばされてきた日本人が居たとは思わなかったのだ。
「父は、かなり長い間この世界で過ごしたそうです。わたしが生まれて、物心付く前に消えてしまったそうなのだけど……。色々なことを調べていて、神々の研究にも貢献したって聞いているわ。」
「この事象を研究している機関があるのか、それは初耳じゃの。」
ライアスが口を挿む。
「来訪者はすぐに消えてしまう。だから多くは事情も何も分からぬままなのじゃが、気の利いた御仁だったようだな、娘さんの父君は。」
「ええ。来た当初は他の来訪者の方と同様に何も解からなくてただ戸惑うばかりだったそうです。父は自伝のような書物も残しているんですよ、娘のわたしにせめて思いを残したいといって、書き残してくれたんです。」
多く、来訪者たちは無双の力を持ちこの世界に多大な影響をもたらすが、彼ら自身に関する謎について追及する者は少なかった。七志のように人々の思惑に乗せられ、流されて、時が来れば消えてしまい何も残さなかったからだ。
無双の力を示したかどうか、七志と他の来訪者との違いなどその一点しかない。なぜこの世界へ飛ばされたのか、何が関わっているのか、そういう肝心の部分に触れようとした者は少なかった。
その、数少ない来訪者の一人の足跡に七志は触れようとしている。
「多くの来訪者は、自身の置かれた立場に慣れることが先決問題なんです。この世界の事情はそっちのけで、自身の身に降りかかった謎を追った者はそう多くは居ません。」
身に余るチートな力を行使することに懸命になり、いかに巧く使うかに気を取られる。なぜ、という思いは常に抱いていながら、その謎解きをする間もなく消えてしまうのだと娘は言った。
「こちらの世界の人間も、彼ら来訪者はすぐ消えてしまうものと考えて、その謎を真剣に追う者は少ないのです。」
「それ以外の重要な事情が数多く存在するからの。」
当事者である来訪者自身がそのように軽い優先順位だから、他が真剣になることもない、とライアスが言った。
自分のことなのに、とは七志は言えない。七志自身がその事を深く考えないように避けていたという自覚がある。
「来訪者に関しては何も解かりません。けれど、二十年もの間、何も解からないままというのがおかしい事に気付いてほしいのです。」
「とてつもない存在が背後に控えておれば、人々が自然とその事に触れないよう細工をする事も簡単だろうからな。はっきり言って、世界中の人間が来訪者には興味が薄いのだ。恐ろしい力を持った人間がこれだけ頻繁に現れるとなれば、もっと危機感を持っても良いはずだ。なのに皆、当たり前にお前たちを受け入れてしまう。」
ライアスは改めて七志を見て、そう言った。
「父は、来訪者が自身と同じ国から来た者ばかりだと突き止めたのです。あなたも、『日本』という国から来たのでしょう?」
「そ、そうです、でもなぜ?」
七志の疑問には首を横に振って知らないと彼女は答えた。父親が何をもってその確信を得たかは解からないと。
「父は戦いを好みませんでした。何かに仕組まれたように立場を悪くすることがあっても、その場を逃げ出すことで解決して生き延びたそうです。気をつけてくださいね、あなたにもそのうち災いが降りかかるはずですから。」
それらしい事には既に何度となく見舞われているな、と思いつつ七志は頷く。
「いずれ、すでに存在する来訪者同士で殺し合いをするように仕向けられるはずです。次から次へと来訪者はやって来て、必ず片方が消えねばならない事態を招くのです。なぜかは解かりませんが、そこに鍵があると父は書き残しています。」
◆◆◆
「父は、来るのは皆、日本人だから、と。心細い思いをしているはずだからと、知り合いの魔導師に頼んで調味料を作り、この料理を残したそうです。そして母と結ばれ、わたしが母の身に宿ったとき、父は逃げるのを止めたのだそうです。そして消えてしまいました。逃げてばかりの男では申し訳ないと思ったのだろうと母は言っていました。……その母も数年前に病気で亡くなったのですが、あなたのような来訪者が訪れる限りは、わたしも父の思いを継いでこの定食を残していこうと考えています。」
本当をいえば、あまり採算は良くないんですけどね、と彼女は首を竦めた。
思い当たるのかジャックが娘に尋ねる。
「魔法に由る食材を使うのでは採算が悪いのも頷けるな、どっかでバランスは取ってるんだろうが、店の経営は巧くいってるのかい?」
お節介なことは承知で、七志も何か出来ることがあるなら協力したいと、ジャックの言葉に相槌を打つ。
「有難うございます、実は……、」
遠慮しながら、彼女は店の窮状を訴えたのだった。
魔法で作るショーユの原材料はコーヒーの実とピーナッツだという。そこへあれこれと魔導師秘伝の妙薬が加わり、あの醤油味の液体になるのだと聞かされ、七志は正直げんなりした。
「厚焼き玉子には、決め手となる出汁が存在するんですが、これが今採れなくなっていて困っているんです。」
出汁といえば鰹節だろうが、異世界の鰹節がカツオブシである可能性は高い。
「鉱山泡ガエルというモンスターの出す分泌物が必要なんですが、このカエルが最近姿を見せなくなってしまったそうなんです。」
鰹節の原料はカツオだろ。なぜカエルに変換される。『カツオ』と『カエル』じゃ『カ』しか合ってないじゃないか!しかも山の幸か!などと声も出さずにもがいている七志を、引き気味にジェシカが見ていた。
「タイラルマウンテンを臨むロガーナ渓谷には昔に栄えた鉱山があったんですが、今では泡ガエルの一大産地となっています。近接する場所では現在も鉄鉱石の採掘が行われていて、付近の村にはまだ活気があるんですけど。その鉱山に村の者が様子を見に行ったんですが、途方もない大きさのカニが棲みついていて……。おそらく、あのモンスターに追われてカエルは棲家を移したのではないかという話なのです。」
洞窟に棲みつくカニ型モンスター……。
「ギザ美」
「ん? なんか言った?」
呟きを聞きとがめたリリィが七志に尋ねる。ふるふると首を横に振って、七志は考えを打ち消した。カニと言っても、ピンからキリまである、なにもアレと決まったわけではない。第一アレだとオリジナリティがありすぎて著作権に引っ掛かるだろう。ブツブツ。
看板娘さんはそんな来訪者を気味悪く一瞥してから、さらに話を続けた。
「泡ガエルは用途が広く、近隣の村でも重宝して使っています。他の店でもそろそろ問題になってきていまして、冒険者さんを雇おうかと相談していたところなんです。あのカニが居なくなれば、カエルは戻ってくると思われるので。」
「それなら私たちで請け負おうじゃない、乗りかかった舟ってやつよ。この子は七志といって今噂の来訪者なの、名前は知らなくても噂は聞いてるんじゃない? 任せておけば間違いないわよ。」
さっそくとリリィが交渉を開始する。さすがは目ざとい冒険者、クエストの臭いを嗅ぎつけた。
「え!? あの、青鋼の巨大騎士を操るという、あの来訪者って貴方だったんですか!?」
噂の来訪者、という言葉に娘は途端に驚きの色を浮かべる。
けれど、依頼については一存では決められないと言葉を濁し、リリィの申し出をやんわりと断った。
「報酬のほうは心配しなくていいわよ、うちは良心的な値段だからさ。」
英雄クラスとも噂される来訪者を抱えたチームを雇う金を心配したのだと、すぐにピンときたリリィが具体的な交渉を開始し、半ば強引にこのクエストを受けたのはそれからほどなくの事だった。
クエストには下準備というものがある。まずは情報の収集、次いで作戦立案、それから更に必要な道具類を揃えてようやく出かけられる。メンバーの厳選が必須な時もある。幸い今回は、現行のメンバーで事足りるだろうという判断で、ホームのカナリア亭へ戻る手間は省けた。後は道具類の準備だ。
仮のホームを中堅都市の冒険宿に定め、手分けして準備に取り掛かる。王都へも行かねばならず、準備期間の予定は二週間ほどだ、と今後のスケジュールがさくさくと決まっていく。
「鉱山ってことは、毒ガスの噴出ってケースも考えられるから、最低でも探知魔法は必要ね。」
買い物担当はリリィと七志だ。お目付けのジェシカもくっ付いて来た。七志には、何事も経験だと師のライアスが言い、市場の見学を勧められた。普段行く街の市場ではなく、魔導師たちご用達の魔法市だから七志は初体験になる。
片道二週間かけて王都へ向かうのかと思えば、もう一つ便利な飛空便というものがあり、竜を使って行く方法を取るのだと言う。これも国の管理で一般市民には馴染みが薄いらしいが。
「本来、軍用のものだから一般に開放はされてないわ。けど、冒険者は話が別なの。国も冒険者を便利に使ってるからね、こういう事で見返りをくれたりもするわけよ。豪商がどれだけ金を積んでも使えないものが、冒険者の証であるギルドカード一枚で便宜を図ってもらえるってこと。」
もちろん、タダではない。けれど、こういう特権は割と多くあるのよ、とリリィが七志に教えた。街へ来て、冒険者として役所に登録した時から、各種の特権もそこに付随してくるという。逆に言えば、その為に冒険者たちは反発無しで役所の管理下に収まっている。際限なくツケを貯められるのも、その一つという事らしい。
軍用の竜は、ワイバーンと呼ばれるもので本来のドラゴンとは別種であるらしい。トカゲのようなつるつるの表皮で鱗はない。前足が翼になっていて、骨格はむしろ鳥に近いのかも知れない。小型と聞いたが、それでも七志の背丈よりも大きく、羽を広げれば3Mはあるのではないかという巨大な生物だ。人を乗せて空を飛ぶというのだから、この大きさはむしろ当然なのだろうが。七志たち三人を送り出すために同行の軍人四人が付く。七頭の竜が引き出された。
編隊を組み、一昼夜をかけてワイバーンの小隊が王都の空へ飛来すると、念のためなのか空砲で知らせが走る。返信を送る信号機も魔法の産物だ。赤や青の点滅が目まぐるしく走り、地上と空でやり取りをした後、無事に一行は王都の一角に着陸した。陸路なら二週間の距離が空路だと一昼夜。
この区域は、まだ七志も来た覚えのない場所だ。こんなところに竜が居たとは。
竜の発着所から、大通りに向かいそこで市バス代わりの運行馬車を乗り継ぐことで、ようやく目的の魔導師街へ辿り着く。全行程は丸々二日かかった。広大な国だと痛感する。七志が見知っていた辺りは、この国のほんの一画だ。正面玄関だけを見て、この国の大きさを知ったつもりでいた。王都だけでもこれだけ広い。
日本とどちらが広いだろうかと考え、交通機関の違いや地図表記の違いから、それを測るのは骨が折れそうだと苦笑した。今や何の不便もなくても、やはり異世界なのだ。
魔導師たちは各種のマジックアイテムを取り扱う。便宜を図るため、一つの区画に集まって生活していて、そこが魔導師街、通称では『魔窟』と呼ばれる一画だと教えられる。実際に来てみれば、そこだけが何か他の街角とは違い、異国情緒というべきかで、別世界だった。異国というか、魔界。
「何かお探しかい? 精神を夢の世界へ連れてってくれる薬なら、ここにあるよ。」
童話でお馴染みの魔女そっくりの老婆がニタニタと笑う。
「イモリの黒焼きが品薄だ、あんたら冒険者だろ? 多少は高くても引き取るよ、持ってたら売ってくれ。」
黒いローブは魔導師の必須アイテムか、似たような姿の者が多く居て、時々、七志は袖を引かれた。
買い物はマジックアイテム、毒ガスを検知するための道具だという。まさしくこの世界ではメカニックがやるべき仕事は片っ端から魔導師たちが横取りしている。機械が発達しないわけだと思った。
「七志、あんまりきょろきょろしないの。堂々としてないと足許見られるわよ。」
リリィがこっそりと耳打ちをして、七志に忠告を寄越した。魔導師街は王都の一角に位置するため、今日は王都で一泊する予定だが、おのぼりさん丸出しでいると余計な宿代を請求されかねない。どこで誰が見ていて、どこの誰と繋がっているかも知れない、用心は常に必要だとリリィに教えられる。
「そういえばあんた、魔法はなんで高額なのかってライアスに聞いたそうじゃない?」
「あー、うん。ちょっと酔った勢いというかで……、」
師匠が喋ったのだろうか、本当に耳聡いリリィに舌を巻く。隠し事は出来そうにないと思った。
「魔導師たちって、割と貧弱な連中が多いのよね。やっぱり引きこもって研究に没頭してたりするから。でさ、魔法を使うにはそれなりに原料だのなんだの必要なわけなのよね、媒体って言うらしいけど。それは秘境と呼ばれる所にあったり、強力なモンスターの臓器だったりするわけ。」
「へぇ、なんか大変そうだな。」
「大変なのはそれを集めてくる人間よ。で、連中は自分じゃ無理なのくらいは解かってるでしょ? だから、あたし達冒険者の出番ってわけね。……高額になる仕組み、だいたい解かったんじゃない?」
ちょっと意地の悪い言い方だ。察しの付いた七志も、同様の皮肉めいた表情で肩をすぼめて返事とした。