第二十七話 カナリア亭の新入り
遠征軍の凱旋。
起点となった中堅都市が見え始めると、目ざとい市民たちが沿道に居並び、熱烈な歓迎を送る中で行軍は迎えられる。義務だけでない熱気と、人々の歓声。はるばると人々の脅威である魔物退治のために出征した王権への支持の高さはこの時をピークとし、以降、実際の成果が噂に上るにつれ、下がっていくのだろう。隣国の行った横殴りな襲撃と、来訪者の功績がどのように評価され、人々の心情を左右するかは現時点では計り知れない。
来た時と同じ巨大なゲートを抜けて、街から街へのショートカットの魔法は行使された。
いつかのように大軍が幾つかに別れてゲートを抜け、順次、王都へと帰還してゆく。七志たちはこの中堅都市の近くにホームを構えているから、本来なら、ここでおわかれ、としたいところであったがそうも行かない。見慣れた街並みを後にして魔法に運ばれた。
王都は、さきほどの都市よりも盛大な祭りの状況を示していた。成功の如何に関わらず、人々はこの機を逃さず商売に結び付けるのだとジャックに教えられた。凱旋はそれだけで一つのイベントだ。
その後の流れは慌ただしく、あれよあれよと時間が過ぎる。ライアスは後始末の軍議でも重要な席を占めるために、しばらくは王宮に繋がれるとため息で七志に零していた。お前は先に帰っておいで、と言われたものの、七志がようやくで解放されたのは翌日になってからだった。あっちに引っ張られ、こっちに駆り出され、最後の戦いの立役者は語り部としても引く手あまたで、なかなかホームへは帰してもらえない。挙句の果てに慣れない酒まで飲まされて、気がついたのは夜明け前の豪奢なベッドの中だ。隣に眠る貴婦人に見覚えなどない。見知らぬ天井と見知らぬ添い寝美女。妙齢。
『ぅあーーーーー!!!』
声にならない悲鳴をあげて、慌てて退散した。記憶もないが、着衣の乱れもない。いつぞやの事を思い出しながら、見知らぬ館の外壁をよじ登って逃げる。家人に見つかった間男か何かのようで、情けない気分で一杯だ。間違いなど起こしていない、きっと大丈夫、たぶん大丈夫、大丈夫なんじゃないかな? 記憶は無いけど。
うっすらと開け始めた白い空に、取り残された月が青く輝いて、涙が出るほど綺麗だった。
散々の体で、早朝の乗り合い馬車に乗せてもらい、ようやく宿へ帰り付く。先に戻っていたジャックと、留守番だったリリィや宿の親爺さんたちには爆笑された。
「そりゃ災難だったな、七志。」
腹が痛ぇ、と文字通りに腹をさすってジャックが申し訳程度の慰めをかければ。
「どっかの貴族の奥方にお持ち帰りされたのよ、あんた。どーせ酔っぱらってポーッとしてたんでしょ、奥方たちは誰それと寝ただの逢引きしただの、そんな自慢くらいしか話題がないもんだからさ、カモられたのよ。」
ほら、シャツにしっかり印付けられてるよ、とリリィに指摘されて見つける己の胸元の、真っ赤な口紅のキスマークに凹まされた。狩られた証の鮮やかな刻印が誇らしげに存在を主張している。
「おお、七志さま、お帰りなさいませ。外に客人がおられますが、どう致しますか?」
ふよふよと近付いてきたカボチャが来客を告げる。可愛い女の子、と聞いてピンときた。
「すぐ行く! て、ちょっと待って、これはさすがにえーと、」
キスマークがべったりの服を着て会いに行けるような度胸はさすがにない。
「カボチャー! なんとかならないか!?」
困った時の○○えもん、という位置付けの使い魔がやれやれとため息を吐いて、そっくり同じシャツをもう一枚吐き出してくれた。気の利くことに色違いだ。
「さんきゅ!」
「色気付いちまって、やだねー、」
冷やかしの声には空のカップを投げつけて黙らせ、着替えも早々にダイニングを飛び出していった。
期待通りの相手がそこに待っている。いつぞやに見たエキゾチックな占い師の衣装に目元から下を隠すように覆うベール。ピンクに近いオレンジの髪色と、貧弱な胸元は間違いなく、あの少女だ。キッカ。
「キッカ!」
色々な思いが渦を巻く。感謝の念、詫びの気持ち、それらとはまったく違う衝動的な思いも。いつかの時の失敗が胸をよぎる。少女を目の前にして、自戒の為に深呼吸。
いきなり抱きつかないように自身を律しなければならないほど、逢いたかった少女。
「来ちゃった、」
「お、おう、いらっしゃい、」
内面の高まりとは逆に、表面上、二人の会話はぎこちなく、子供のままごとのようでもあり。お互いに、最高潮に気持ちが高鳴っているのに、初心なやり取りで手の一つも触れ合わなかった。
今までは人目を忍ぶようにこっそりとしか現れなかった彼女が、今日は宿屋の玄関ホールにまで出向いている。
期待して待てば、彼女の口からは期待通りの言葉が零れ出てきた。
「わたしも、冒険者になろうと思って。この宿に、置いてもらえる……かな?」
やはり駄目だ、せっかくの自戒は意味を失くしてしまう。言葉より早くで彼女を抱き締めてしまった。
「えと、キッカです。ルーディルアートからやってました。最近ではこっちの王都で流れの占い師をしていました、宜しくお願いしますっ。」
「教皇府からはるばるリーゼンヴァイツまで?」
宿の女将が面談をした。お抱えの冒険者は慎重な人選が必要だ。問題を起こされれば、その宿の信用に関わり、受ける依頼の質にまで響いてくることになる。だから、冒険者の宿では得体の知れない人間はまず雇わないし、役所の登記簿に名のない者など相手にしなかった。他国の流れ者ならなおさら慎重に扱うのが常だ。犯罪者かも知れないし、トラブル続きで居辛くなった食い詰めかも知れない。来訪者が例外とされる程度だ。
女将はじっとキッカの顔を見つめて、それからしんみりとこう言った。
「……色々と事情があったんだろうねぇ、言いたくないうちは聞かないから安心おし。その代り、話したくなったら、このあたしにはこっそりと教えておくれ。あんたの身元引受人なんだからね、何も知らないままというのはいけないんだ、解かるだろう?」
登記簿の控えもない、身元を証明する保証人もない、自称流れ者だという言葉だけを信用して、女将は彼女を宿へ置く許しを出してくれた。
「人を見る目には自信があるよ、あんたは良い娘さ。うちを拠点にしっかりおやり。七志とも仲良くね。」
「あ、ありがとうございます!」
優しい眼差しに、キッカは深々と頭を下げて礼を尽くした。その儀礼がこの世界のスタンダードではない事を彼女はまだ気付きえなかったが、女将は何も気にしなかった。いいよ、いいよ、と手を振っただけだ。
あるいは、色々な事柄にはすでに気付いているのかも知れないが、女将は何も言わなかった。キッカが吐いた嘘についても、隠している真実についても。
宿の仲間たちも、女将に倣って何も言わない。
ジャックは人知れずでため息を零した。敵か味方か、何の目的で七志に近付いたのか。けれど女将の言うように、見たところでは危険さは感じない。いや、むしろ実際に会って驚いた。これが、あの悪名高い『火の山の魔女』なのか、と。まったく七志は大変な女を落とした。
来訪者の中には、ひどく女たらしな男も居た。簡単に女がなびく、ナンパ師のような来訪者が現れれば、より取り見取りで国中の女を寝取って回り、男たちにはひどく煙たがられたものだった。
早く消え失せろ、と恨まれもした。彼らは貴族のご婦人にもちょっかいをかけたし、王の側室に手を出した強者もいた。元から男も女も浮気性で、その辺りは確かにユルい国柄なのだが。
それでも。
ここまでの大物を釣り上げたナンパ師は聞いたことがない。かつて隣国を支配下に置いたことさえある、本物の『魔王』だ。釣り上げた当人は無邪気に鼻の下を伸ばしてにやけているが。
先が思いやられる。ジャックはまた深いため息を零した。
視線の先では二人だけの世界が展開中。
「七志、迷惑かけないように頑張りますっ、よろしくお願いしますっ、」
「こちらこそ、よろしく。キッカ。」
七志の頭の中では景気のいいファンファーレが鳴っている。
『パンパカパーン! 占い師キッカが仲間に加わりました!』
遠征軍の帰還を祝う祭りはその後、一週間続いた。