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第二十六話 戦争が嫌いになった日

 ハロルドの騎馬は徒歩の七志に合わせて歩調を極々緩やかに保ってくれていた。オーク二匹と妖精も賑やかだ。

 やがて本陣のホロが見え、そこに懐かしいと思える顔が待っていてくれた事を知り、七志は走り出した。

「先生!」

「ん、」

 いつも通りのひょうひょうとした顔で、ひとつこっくりと頷いただけだ。それでも弟子には伝わる。

「先生、ただいま、戻りました。」

 大きく腰を曲げ、頭を下げるこの儀礼がこの世界でも通じるかどうかは知らない、けれど精一杯の気持ちを込めた礼というものを思う時、日本人である七志にとってもっともしっくりと馴染む形式といえばこれだ。だから、精一杯の気持ちで頭を大きく振り下げた。

 師の方はと言えば、よく解からないなりにポンポンと、その頭を軽く叩く。

 感極まって涙が出そうになった。戦いが、大嫌いな戦争というものが今やっと終わったと実感する。

 戦争を知らない子供である七志が、その意義だとか有効性だとかを本当には理解などできるはずもないから、肌で感じた戦争の空気はそれだけで、戦争というものを完全否定に向かわせるに充分だった。

 それでなくても魔物が跋扈し、命懸けの戦いを余儀なくされるこの世界で、人間同士までが相争う。なんと馬鹿馬鹿しいことか。歴史の教科書や小説や漫画、映画でしか知らなかった知識が現実味を帯びた時、子供の中の真実を突く。

 七志はこの日以降、戦争は大嫌いになった。


 国王への報告は本陣に戻ってすぐに為された。そして、ゴブリン山へオークが移住する計画も。

 王より先に妹姫が口を出した。

「それは良い考えだ、七志。だが、本当に連中は信用が置ける者どもなのか、そちらは気掛かりだな、わたしから見て。」

 フィオーネはそう言って腕を組み、その隣に控える師匠のライアスは、何を考えるのか苦虫を噛み潰したように不機嫌だ。チラチラと視線を送って師匠の様子を窺いながら、七志は話を続ける。

「かつてあの山にはエルフが住み着いて、バランスを保っていたと聞きました。彼らが思慮のある、人間同様に知能の高い魔族であることは、俺が保障します。エルフの代わりに、あの山の崩れた生体バランスを戻してくれると思います。」

「うむ、ならば我に異存はない。あの山を巡る諸問題も解決される、なにより付近の村が蘇える切っ掛けとなろう。であれば何を憚る必要もあるまい。のう、七志。……そちも異存はあるまい、ライアス。」

「ふむ。仕方ありませんな。」

 なんだろう、師匠のあの歯切れの悪さは。そして、何か含みの有りそうな国王の言い回しは。奇妙だと感じながらも、その違和感の正体に七志は思い至らない。複雑な政治背景が絡み、この世界を知らない者には到底解かりようもない水面下の取引が今まさに行われていたのだが。


 結局、師匠ライアスはこの後にも七志には助言を与えず、だんまりを通した。

 七志も聞いてはいけない空気を敏感に感じ取り、疑問は疑問のまま、自力でその答えを探すしかない状態だ。帰りの行軍は全体の士気も高く意気揚々。ゴブリン討伐の結果は芳しくないが、敵軍に対する最後の一戦が兵たちの気分を盛り上げていた。

「どうした、七志。浮かない顔だな。」

 隣に騎馬を寄せ、ジャックが声を掛けてくる。

「ん。なんか、先生の機嫌を損ねたみたいなんだけど、原因が解からないんだ。」

「ああ? ゴブリン山の移住計画に反対みてぇな顔してたんだってな、聞いた話だが。」

 さすがにこの傭兵崩れは耳が早い。あの場に居合わせたのは少数の幹部軍人だけだが、そのうちの誰かから様子を聞いていたらしい。

「まぁ、気にすることもないと思うぜ? お前の意見は正しいよ、あの山はそのままで放置出来ないんだし、オーク達も向こうの世界じゃ邪魔者だ。ちょうどいい具合に噛み合った話だと、俺も思うよ。」

 何が不味いというのか、少なくともそれを知るのはライアスと国王くらいのもののようで、他に異論を唱える者は居なかった。国王に至っては、承知の上で賛同したようにすら見えた。それがまた、余計に引っ掛かりを覚える原因となって七志を惑わせる。

 七志は行きと同じくキッカに借り受けた名馬、紅疾風号を駆る。あの国王もこれを見て、寄越せの何のと食い付きが良かったものだが、お墨付きをくれた程度に受け止めてスルーした。


 太陽は、すっかり昇りきって中天にある。精霊界のことが気掛かりだった七志は、パールをそのポケットの中から掴み出した。彼女は頭の上では安眠できないと駄々をこねて、七志の武器モーニング・スターの代わりに、そのホルダーをベッド代わりに使用していたのだ。お蔭で棘マラカスは今、オークたちの荷物の中に紛れ込んでいる。適当に掴んだら脚だったようで、宙吊り状態の妖精が現れた。

 また目のやり場がない。めくれたスカートの中身は見ないフリを決め込むことにした。

「いやぁー、なにすんのよぉ! 眩しいでしょ!?」

 寝ぼけ眼でパールは文句を言う。問題はそこではないと思うのだが、元が裸の種族だからか気にしてもいない様子だ。それにしても煩い。まったくこの妖精はキーキーと四六時中、口を開けば文句しか言わない。お蔭で遠慮とか配慮を考えずに付き合えるようにもなったが。

 ぷらぷらと、わざと振り回して眠気を覚まし、七志が問う。

「寝てるとこを悪いけどさ、向こうはどうなったんだ? 俺たちが帰った後だけど、月の女王はちゃんと向こうの王様と会えたのか?」

「目が回るー、ばかー、バカ七志っ、教えてなんかあげないっ、馬鹿ーっ、」

 逆さ吊りで振り回された妖精が癇癪を起して吠えたてた。

「拗ねるなよ、」

「脚、放しなさいよっ! バカでしょ、あんたっ!?」

「干しナツメやるからさ。好物なんだろ、妖精の。」

「食べ物で釣ってんじゃないわよ! 大好物よっ! バカっ!」

 目の前にぷらぷらと吊るされた干し柿のような食べ物をひったくって、それでも吠え続ける。

「バカ七志ー! イジワル七志ー! こんなので妖精の機嫌を取ろうったって、駄目なんだからねっ!」

 あっ、おいしい、と罵声の合間に小声が混ざる。

「じゃ、いいよ。オークたちに聞くから。彼らのほうが妖精よりも親切そうだしなっ。」

「なに言ってんのよ! オークなんかより妖精族の方が親切に決まってんでしょ!? だいたい、教えないなんて言ってないじゃないのよ! ちゃんと聞いてなさいよ、あんたったらほんとバカねっ!」

 本当に妖精という生き物はオークを敵対視しているらしい。効果覿面だ。

 わざとむくれたフリで口を尖らせると、得意満面で彼女は羽を広げて宙を飛んだ。

「じゃあ、話してあげるから、静かに聞いてなさいよ?」

 また頭の上の定位置に陣取って、自身と同じ大きさのスイーツを抱えながらでパールは話を始めた。巧く乗せることに成功した七志が、にやけた顔をしている事も知らず。


     ◆◆◆


 太陽が昇る時刻、精霊界では太陽の王と呼ばれる精霊王の半身が目を覚ます時刻だ。長い長い夜に苦しめられてきた月の女王は、昇る日の光に目を細めた。

「女王様、さぁ、参りましょう。」

 決心のつかぬ様子の王の半身を諭し、エミリアはその手をもう一度引いた。

 これで何度目だったか。

 引かれる度に、女王は身をよじり、申し訳がないとか細い声で泣いた。

「女王様、」

 きっと王様はすでに目覚めて待っている。その過ちを赦してなお、自身の足で、歩いて戻ることを望んで待っておられる、と、これも何度目かで女王に告げる。

「この世界を滅ぼしかけた身で、どのような顔をして、あの方に会えば良いのでしょう。」

「笑って差し上げてください、女王様。きっと、太陽の王も、それを望んでおられます。」

 七志が最後に見せたもの。笑いながら、片手を上げて、ゲートの向こうへ消えた来訪者。

 この女王がした事は、赦すにはあまりに大きな罪だけれど。

「笑ってください、女王様。その罪の重さに負けぬように。」

 エミリアの手をとって、月の女王はこくりと頷いた。


 王はバルコニーに立っていた。

 振り返らない背中は、立場上せめてもの責任でこちらを向かないのだと女王は知っていた。

 精霊たちは以心伝心だから、すべての者が彼女をすでに赦し、大きな喜びと少しばかりの戸惑いとで揺れている心までをも共有する。今までのこと、これからのこと、理解の為の言葉は必要ではなく、ただもう少しだけ時間が欲しいと思っている。……彼女の前の、振り返らない背中も。


「でね、七志。」

 また一口、ナツメを齧ったために話が中座する。

 勿体ぶって妖精は焦らした口調で『その後』の物語を、彼女の世界の救世主に話して聞かせていた。

「王様は、やっぱり振り返らないの。ううん、振り返ることが出来ないのよね。解かる? 責任と、愛情の板挟みってヤツよね。どんだけ長い間、お互いに会いたいと思っていたか知れない二人なのよ、だけど、精霊界を治める王様って立場で、しかも、世界を滅ぼしかけた罪まで負っていて……。」

 つらい立場の二人は、最後には抱きあって涙を流したのだと、妖精の少女は締めくくった。

「何千年、傍に居ながら顔を合わせることも、言葉を交わすことも禁じられてきた二人が、ようやく結ばれたのよ。でね、七志。あたしからも一言言わなくちゃだわ。すんごく恥ずかしいんだから、耳の穴かっぽじって、よぉく聞いとくのよ!」

 また何か恩着せがましい言葉でも吐きかけるつもりなのか、と七志が身構える。

 意に反して、妖精の声ははにかんで、とてもしおらしかった。

「……ありがとう、七志、あんたで良かった。あんたに出会えて本当に良かった、ありがとう。」

 最後の、肝心の一行はとても小さな声になって聞き取り辛かった。

 けれど、今度は七志も空気を読んで聞き返したりはしない。穏やかに笑みを浮かべただけだった。


 七志の周囲は丸く収まっているかに見える。一方で、幕僚の間では少しばかり不穏な空気が漂っていた。

 国王アレイスタの号令が先にあったようで、戦場に展開していた一団はすでに陣地へ引き上げている。するとあの場面、必然的にアレイスタが単独で七志の許へやって来たということになるのだが、その事自体に懸念を示した者は表向きは彼の腹心の部下一人だ。いつぞやにも忠言をしたこの国の参謀、名をテュース・ロシュト・クランベル、王妃エリーゼの兄の一人で、彼もまた優秀なアサシンであり政務家だ。

 彼は殊更に、今度現れた来訪者に対して猜疑が強い。

「国王陛下、お気を付けください。いくら彼の者に害意がないことが明白であれ、そこに慣れてしまう事は危険です。」

「七志か。奴に気を許すなというお前の忠告もよくよく弁えている。迂闊であったことも認める、赦せ。」

 どうしても直に一言返してやらねば気が済まなかったのだ、とアレイスタは素直に非を詫び、臣下の注進に応えてみせた。この参謀が危惧する点も十分に理解している。七志は特別な来訪者だと、今ならばライアスの言動を通じて妹のフィオーネが感じたという懸念も理解する。特別ということは、すなわち、要注意人物だという事だ。

 あの時にせよ、七志は恐ろしい無双の力を見せつけたばかりだった。それと承知で近付くなど自殺行為に等しい。しかも単独などと、後から考えれば謗られても仕方のない迂闊さだった。どうかしていたとしか思えないのだ、当のアレイスタ本人にして。

 腹心の、もっとも信頼を寄せる切れ者の臣下は、主の疑問を正しく理解しその答えを注進する。

「あの者の能力は『通訳』、それだけと思われていましたが、考えを改めねばなりません。今までにも一人の来訪者の力が一つであるという明確なルールなどなく、複数の能力を持つ者も確認されています。」

「七志の能力はあれだけではない、と?」

「この恐るべき速さの人心掌握、これはむしろ能力と見るべきところと存じます。恐らくは、神の意思により巧妙に隠されているがため、殆どの者が気付かぬのでしょう。でなくば、何故、陛下やフィオーネ様に至るまでが、こんなにも容易くその御心を移されているのかが説明出来ません。思い返して頂きたい、単なる平民の、ただの数度、言葉を交わされただけの相手で御座いますれば。」

 臣下の言葉にふむ、と国王も記憶を辿り納得の表情を見せた。

「……なるほどな。いつのまにやら、あ奴の盾となり剣となっている、か。そちの忠告はさすがに他とは違う、よく見抜いたものだな。」

「意図して奴とは距離を置いておりますれば。他の誰が騙されようとも、この私は騙されませぬ。」

 優秀なアサシンならば誰もが身に付けている心得がある。他人に情を移さぬこと。彼はさらに上の段階、己の感情を凍結してしまう術さえ持っていた。心の動きようがないよう。

「はっきり申し上げて、神の意図など我々のあずかり知らぬところ。今まではそう思われてきております。神の意思を体現するとされる来訪者たちとて、勝手に現れ、勝手に消える。人如きの口を挿むべきところではないと、そのようにも言われておりました。しかし、今回の来訪者は、毛色が違う。」

「今までの来訪者との違い、か。あからさまな無双の能力が隠され、今日まで無能と思われていたことか。」

「左様です。神の意図するところが、あ奴を隠すということにあったのでしょう。何から隠すためであったのか、そも、誰が彼らを呼び込んでいるのやも皆目見当が付かぬゆえに神の仕業と言われておりますが……、一つ、こたびの事ではっきりと解かった事が御座います。」

「呼び込んでいる者と、消し去っている者と、二人が居るということだな。」

 でなくば、隠す意味はない。

「精霊界での異変も気に掛かる点でしょう。何か、あの者を中心として、今までとは違う何かが動きだそうとしているとしか考えられませぬ。お気を付けください。」

 忠臣の言葉に国王はだんまりで応えた。


 待ち望んでいた者が、ついに舞い降りたというのだろう。この世界に。


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