第二十五話 マイナス160万G
ようやく、終了した。逃げてゆく敵軍の背を見送りながら、ようやくで七志は深呼吸の息を吐いた。
そこへ、騎馬を降りた国王がゆっくりと近付いてくる。どきりと心臓が疼く。嫌な予感がひしひしと感じられる。それでも仕方なしに七志は武装を解いて、機体をノーマルモードに戻した。籠手ではなく、その前段階、腕輪の形だ。敵意はないという意思表明。
恐らく国王は怒っているだろう。七志が狙った通り、エフロードヴァルツの軍に追撃を加えることの出来るギリギリ範囲外での攻防。思惑に気付いた時にはすでに勝敗も決していたのだから。
「七志よ、よくも我までをも謀ってくれたな。」
「はぁ。あの、……ごめんなさい、」
まったく心の込められていない謝罪の言葉というものを、アレイスタは人生で初めて聞かされたかも知れない。礼儀正しく見えて、その実は無礼。小心に思わせて、実際は大胆不敵。それが、この少年だということは、既によくよく弁えているのだが。見た目や態度に何度騙されたか知れない。
これ見よがしにため息を吐き出して、国王は首を振った。
「もうよい、お前という人間を読み違えた我の責だ。ライアスともども、不問としてくれるわ。いずれ、お前は自身の甘さ加減をつくづくと知るだろう故、我が殊更に言う事でもあるまい。」
人の忠告にも、不服げに口を尖らせている。口答えこそ無くても、よくよく見ればその態度にこの少年の性質が現れている。自身の居た世界での常識を、頑として曲げぬ、強い意思だ。これがあればこそなのだろう、あのライアス翁が矜持を曲げて弟子にしたという話も。
不思議と、憎くはない。ここまで反抗的な態度を露わにされてもそう思うとは、最愛の王妃エリーゼ以来のことだと、微かに口の端を吊り上げる。
「すぐに帰還の途に着く。お前のために嵩んだ戦費はツケにしておいてやるから、有難く思え。」
「え!? それ、俺が払うんですか!?」
当たり前だ、と振り返りざまに言い放ったところ、無双の来訪者は絶望的な顔をして天を仰いだ。実際のところ、そのような事例などありはしないが、飼いならすための鎖となるならどんな事例でもでっち上げてみせる。強大な力を持つ来訪者を野放しになど出来るわけがない、管理しておくための手段を選ぶほど、この世界の王家は善良ではない。国策だ。七志のようなタイプの弱点は、『人』だから、周囲も丸ごと抱き込んで身動きを封じるのだ。
……どうせ、来訪者などすぐにこの世界から消えてしまう人間なのだから、それで充分だ。
「王様のくせにツケとか、そんな言葉よく知ってますね。」
一気に俗物臭くなった国王に向かって、七志がボヤいた。
「王というものはいつでも玉座でふんぞり返っているものとでも思うか。それほど暇は持て余しておらぬが、市井の物事にも目を向ける程度は当り前のことだ。お前も冒険者の端くれを名乗るならば、宿の亭主に一度尋ねてみるが良い、おそらくは目を剥くほどのツケが台帳には記されておるぞ。」
少々呆れ気味でアレイスタが返した。この子供はまるで世の中を知らぬ、と逆に驚かされる。
事実、冒険者に限らず国の経済の多くは貸し借りで動いているところが大きい。踏み倒したり、逃げられたり、雑多なトラブルは常に役所を通じて上にも挙げられてくる。基本、国としては個人間のトラブルには関わらないが、その代わりに諸問題を解決するための機関も必要になる。責任を、国の代わりに引き受けさせる便利な組織が、冒険者たちのギルドだ。
七志は自身が一文無しである事実を今の今まで失念していた。
血の気が引く。顔色が、ここで白から蒼になる。宿に泊まっていながら宿代を払った覚えがないという自覚程度はすぐに呼び覚まされた。すべてがツケになっているなら、なるほど得心がいく。
「あの……、今回、超過した戦費ってどのくらいなんです、か……?」
恐る恐るで七志が国王の顔色を窺った。
「そう構えるほどのものではない、たかだか二日程度。ざっと見積もっても160万ほどであろうな。」
「ひゃ!?」
160万、と告げる言葉に息を呑む。160万ゴールドとは、いったいどのくらいの金額なのか、頭が真っ白で想像を拒んでいる。
文字通り、目を白黒させている来訪者を見て、ようやくアレイスタの溜飲も下がった。
「すぐに返せなどと酷なことは言わぬゆえ、安堵するが良い。我は寛大な王だ。」
捨て台詞のようにそう言い残し、連れていた騎馬に颯爽と跨る。後は一顧だにしない。
背中にちくちくと恨めし気な視線が刺さる。存外、気分の良いものよ、などと上機嫌で王は来訪者を残して馬を歩ませる。これが七志でなければ背など向けぬであろう、と考えながら。
すれ違いに騎馬を降り、略式の立礼を国王に示し、通り過ぎてから慌てて七志に走り寄ってきたのはハロルドだ。連隊隊長、ハロルド・バーグマン。国王の後ろに控えた精鋭部隊に居並んでいたらしい。
「七志、お咎めを受けたのか? 厳しいものならば、我々で嘆願を……」
「いえ、処罰はなにも。」慌てて七志は否定に走り、両手でNOの意を示す。「ツケが溜まってるぞ、と忠告されただけです。」残りはしょんぼりと、肩を落として告げた。
やはりこちらの世界では当たり前の流れなのだろう、ツケという単語を聞いた途端に、彼も得心の表情を浮かべた。
「そう気を落とすな、七志。独り立ちを始めたばかりの頃は、どんな職を選ぼうとも最初はマイナスからだ。当たり前の事だから、何も恥じ入ることもなければ、重荷に感じることもない。我々、騎士にしたって、最初は多くの借財を抱えることになる、懸命に働けば必ずプラスに転じてゆくから、心配するな。」
そのための相互互助の仕組みだ。力強く肩を叩き、ハロルドは七志に前へ進むようにと促した。
「宿に帰れば、力量に応じた仕事を亭主が選んで斡旋してくれる。冒険者の宿を経営している者たちも、これは商売なのだから、無茶な仕事を勧めたりはしない。安心して勧められる依頼をこなしていけばいい。報酬も、ツケの清算に充ててもいいし、支払いを強制されはしないはずだ。ツケはツケで放置して、全額呑んで使ってしまう者だっているからな。」
どうせ前金など依頼人から上前を刎ねているから、そういう部分で冒険者が宿の損失を気に病む必要はない。宿の亭主たちも商売である以上は、したたかなものなのだ。どんぶり勘定が当たり前の世界だからこそ可能な経済の形態だが。
「さぁ、帰ろう。長いこと鎧を付けたままだからな、臭くてかなわんよ。」
冗談交じりにハロルドが笑い、七志もつられて笑顔を向けた。
「そういえばもう何日も風呂に入ってないや。……臭うかな?」
もう半分鼻が麻痺して、自分では解からない。季節も冬が近いせいだろう、これが夏ならさすがに自覚も出来るのだろうが。騎士道は武士道同様、見栄が大事だから、そのような本音を吐き出すことはタブーであった。武士は食わねど高楊枝。
ここは魔法のある世界、もちろん消臭の魔法もあり、街へ戻れば専門の業者がクリーニングを勧めるために手薬煉引いて待っている。魔導師協会の、けっこうな収入源だとの噂までまことしやかに囁かれている。
遠く、帰還のための招集を告げる角笛が鳴り響いていた。
◆◆◆
朝日が昇る。そう言えば、と、昇る太陽を眩しく見つめながらで七志は思い出していた。
精霊界での出来事が一度に脳裏を流れ去る。途方に暮れていた月の女王は、ちゃんと王様に会えただろうか。あの世界は今後、どうなるだろう。
荒廃の原因は取り除かれても、今すぐに元通りの綺麗な世界に戻るわけではないと女王が言っていた。大地に魔力が溢れ、その恩恵で緑が生い茂る美しい森も復活してゆくにしろ、長い年月が必要だと。
「なぁに深刻な顔してんのよっ!」
「いてぇ!」
いきなり後ろから髪のひと房を引っ張られてのけぞりながら、懐かしい声に期待を抱く。よもやと振り返った先には、思った通り、火の妖精パールのイジワルそうな笑みがあった。
「パール!」
怒る前に喜んでしまうのは、やはり自身がお人よしなせいなのか、それとも慣らされてしまったのか。
「おらたちも居るだよー、七志さぁ。」
空間に歪みが出来、薄墨を混ぜたようにそこだけ景色がマーブルになって、黒い穴が開いている。その穴からボタボタと、茶色い塊が二つ、地面に落ちてそう言った。地下で逢ったオークたちだ。
異界の穴は二匹を吐き出すと、バルブを閉じるように螺旋を絞りながらで閉ざされた。
「な、なんだ、この魔物は!?」
驚いたハロルドが咄嗟で腰の剣を抜き放つと、二匹は震えあがった。やはり見た目と違う臆病な連中だ。見てくれは、かのミノタウロスにも引けを取らぬ恐ろしさなのだが。
「連隊長! 彼らは魔物ではありません!」
慌てて七志が間に入ってハロルドを制止した。
「人間ってやっぱり早とちりなのね~。見た目で判断するなんて、サイテー。」
パールの言葉をにこやかに聞き届けられる者は少ないだろう。やはり言われた相手は、その肩書きに似合わぬ表情で妖精を睨む。連隊長ともなれば、そこそこ人格も練られたひとかどの人材なのだが。
それは別として七志は内心で毒吐いている。お前が言うな、と。
「連隊長、彼らは向こうの世界で俺たちの命を救ってくれた恩人なんです。彼らが居なければ、全員無事に戻ることは出来ませんでした。」
「七志さぁ~、」
うるうると瞳を潤ませても、姿の怖さは変わらず。
「おらたちの方こそ、七志さぁに助けてもらったんだぁ。精霊界を救った、英雄だぁ、七志さぁは!」
ぽろりと発せられた言葉に、連隊長ハロルドの興味が動いた。
「ほう?」
「あっ! その話はまた今度、」
慌てて七志が取り繕う。ジャックに釘を刺されている、精霊界での出来事はなるべく人の噂に乗せない努力をすべきだ、と。対策もなしに一人歩きした噂話ほど厄介なものはない。
真剣みを持たせて、七志はハロルドに向き直る。
「彼らの事、向こうでの出来事とも、国王様を交えた場でした方が問題がなくていいと思っています。」
「うむ、それはその通りだ。では、私もこの場では聞くまい。だが、彼らはあまりに目立つ。共に凱旋するのはどうかと思うな。」
「はぁ、」
チラリと目をやれば、所在無げにしている二匹と視線がぶつかった。
「おらたち、邪魔しねぇようにするだ、連れてってくんろ。」
「女王様のお許しも貰って来ただ、七志さぁに恩返ししてぇんだぁ。」
気合の入り具合ときたら、彼らの衣装を見れば一目瞭然だ。何処へ戦に行こうというのか、物々しい装備で山のような荷物を背負っている。リュックのような大きな袋からはフライパン、釜、コップにつるはし、槍に剣に包丁などなど、あらゆる物が詰まっていそうな勢いで、錆の浮いたスチール鎧に大鍋を兜の代わりに被っている。
「あの、俺が責任を持ちますから、彼らも連れて帰るわけにはいきませんか?」
「私の一存ではな。とにかく、本陣へまずは戻ろう。国王陛下に嘆願するのがなにより先だ。」
隠し通すことは難しいと判断して、オークたちを伴い本陣へ戻ることとなった。本当なら、彼らの姿は他の兵士たちには見せない方がいいのだろうが、ことここに至っては仕方ないという判断だ。
ハロルドの騎馬を先頭に、七志とオークたちが続く。パールはやはり七志の頭の上が気に入っているのか、いつかの時のように寝そべっていた。
進む道すがら、オークたちがこそこそと七志に耳打ちして聞かせる。
「七志さぁの考えてくれた計画に、おらたち全員乗っからせてもらう事になっただ。長老様のお許しも出ただ。精霊王さまは何だか心配してただけんど、おらたち、大人しいもんだで大丈夫だぁよ。」
「ああ、話通ったのか。良かった、」
実を言えば、かの地の惨状を前にして、七志はオークたちに一つの提案を寄越していた。
この、ゴブリン山への移住。ここには多くのゴブリンが居る。けれど、オークたちが麓の境界に根付けば、その繁殖や勢力の拡大を大いに阻んでくれるはずだ。かつて、そこに住んでいたエルフたちと同様に。エルフがオークに変わるだけ、その程度に七志は考えて彼らに提案したのだった。
エルフが森から去って、幾年月が流れたか、七志は知らなかった。