第四話 冒険者の宿経営者相互補助組合
「兎やキツネなんかだと、そのまま持って帰って商人にでも渡せば済む話だけどもな。
なんせ、こういう世界だ。死骸があるとなれば、幾らでも集まってくるんだよ、掠め取ろうって奴らがな。」
一連の工程をいざ終えてみると、いつの間にか周囲にはただならぬ気配がある。
見上げた崖の上の暗闇には、何十という数の野生の双眸が煌めいていた。
「連中も賢いもんでな、人間のする事はだいたい解かってるらしい。俺たちが皮を剥ぐあいだは何もしてこないってのも、暗黙の了解ってやつだ。
貴重な器官は人間が、残りの死肉は森の獣が、てな。
欲張って奴等の取り分にまで手は付けるなよ、命が幾つあっても足りなくなるからな。」
そういうワケだから冒険者の荷物に塩の袋は必需品なのさ、と締めてから、ジャックは七志を促して死骸の傍を離れた。
リリィは岩に腰かけて待っていた。その手には、大きな緑色の物体。
それがホブゴブリンの両手だと気付いた時には、なんだかうんざりした気分になった七志だ。魔物の両手は組み合わさる形に麻の紐で縛られていた。
「お疲れさま、えっと……名前、まだ聞いてもなかったよね?」
なぜだか、今さらでもじもじと身をくねらせながらリリィが七志を見る。
「あ、そう言えば。俺、舞名七志といいます、えーと、」英語表記だと逆順になるのか、と思い返して、「ナナシ・マイナ」と言い直してみる。
きょとん、とした表情で、リリィは首をかしげていた。隣のジャックもなぜか同じく、だ。
「ナンシー? マイナー?」
「ナノ?」
盛大に聞き間違えをして、二人があれこれと候補名を連ねていく。
七志は苦笑しながら、一つひとつを否定した。
「七志だ、七志。」
「ナナシ、か!」
ようやく通じた。
「発音が珍しいから、わかんなかったー!
綺麗な大陸語だし、訛りもないのに、やっぱり変わってるわねー、七志。」
「そうかなー?」
華麗にスルー。七志自身が、その会話の奇妙さには気付いていない様子だった。単語の発音が通じないくせに、会話はスムーズだという不思議。
「あたしはリリィ・フランベールよ。冒険者の端くれってところで理解しておいて。
で、コイツがジャック。ジャック・エリンって言って、多少は名前の売れてるフリーランスの傭兵。」
「自分の自己紹介は自分でやるもんだろ、リリィ。さぁ、ここでぐずぐずしてたら上の連中が痺れを切らして追い立てに来る、そろそろ出発しようや。」
荷物のほとんどをジャックが持ち、七志にはリリィの事をと促す。
「おぶってやってくれ、」
そしてリリィには見えないように、隠れてウィンク。……役得は譲る、と。
こうして、塩漬けの毛皮の塊をジャックが、リリィのスリムな割に豊満なバストは七志の背中が、それぞれで引き受けて立ち上がる。
「ごめんね、七志。最後まで面倒かけちゃったね……、」
「い、いや。気にしなくていいから、」
それよりも身じろぎしないでくれ、胸が、尻が、とは思っても口には出来ない。
さらには、何か意味があるのか、バランスが崩れたのかは解らないが、いきなり「ぎゅうっ、」と両腕でしがみつかれた。
「な、なに……?」
心臓がばくばくと高く鳴る。声がひっくり返る。
マイナー人生で初めての経験かも知れない、女の子からの「ハグ」。
「ん。なんかね、感謝してもし足りないくらいだって、急に思い出したの。」
女の子の、甘い匂いが鼻をくすぐる中で、七志は黙ってその声を聞く。
「七志が居なかったら、あたしも確実に殺られてたんだなーって。カトブレパス以前の、ゴブリンに囲まれた時点でアウトだったと思うわ。
だから、七志はあたしの命の恩人ってわけよね。本当だったら、誰だって見捨てて逃げてく場面だったのに……どうしよう、感謝しすぎでこれ以上、なんて言えばいいかわかんない。」
リリィの声は最後に涙交じりになり、ぐすぐすとすすり上げながらで「ありがとう、」を繰り返した。
「街に戻ったら忙しくなるぜ。
まずは王様に謁見ってことになるだろうし、それまでに報酬を貰う手筈を繰り上げで急がないとな。のんびりしてると高価な皮が台無しになる。おっと、その前にギルド登録が優先か。」
「ギルドに売りつければいいじゃん、商人通しで交渉してる間にダメになっちゃうわよ!」
ギルドは買い叩くからなぁ、などと、七志そっちのけで楽しげな会話が続く。
「ギルドかぁ……」
正直、想像もつかない組織だった。ゲームのシステムでしか見覚えもないのだ。
レベル分けなどがされて、実力に応じた依頼しか受けられないだとか、そんな規定があったりするのだろうか。自分はどのレベルに分類されるだろう。とうてい、上位に食い込めるなどとは思わない。ゴブリンにも苦戦するのだから、実力は下の方だろう、と。
「七志、ギルドに登録を済ませたら、『カナリア亭』に来い。……歓迎するぜ。」
「そーよ! 七志、カナリア亭にいらっしゃいよ、マスターも良い人よ。きっと気に入るわ!」
「カナリア亭?」
いきなりの誘い。そして、意味の解らない七志にジャックが説明を始めた。
この世界には冒険者を統括する独自のシステムが存在する。
冒険者ギルドは、正しくは『冒険者の宿経営者相互補助組合』である。
巨大な組織だ。冒険者個人はほとんどがアウトローであり、社会的信用も糞もないが、その冒険者たちが利用する宿屋の方は、いずれもその土地のちょっとした有力者である。
彼らは他の職業がみなそうするように、同業で結びあい、自分たちの損害を極力抑える為の組織を作り上げていた。それはすなわち、客である冒険者の保護であり、依頼の選別や橋渡しであり、間接で流れ込むマージンの安定化だった。
冒険者はいずれかの宿に身を寄せ、少々割高な宿代を支払う代わりに、個人では入手不能な社会的信用を得る。持ちつ、持たれつ。
この世界では、宿を持たぬ者はない。犯罪者ですら、それ専門の盗人宿が差配するギルドがある。
冒険者に対する需要の大きさに比例してギルドは成長を続け、現状は国家でさえ無視出来ない勢力を誇っている。
冒険者はみな、冒険者の宿を介してギルドの管理下に置かれ、保護されていた。
七志の世界でいう、派遣会社と似たようなものだ。住み込みの派遣社員。
◆◆◆
昼を過ぎる頃、ようやく街へ辿り着いた。
丘の上に白亜の城がそびえている。城下町、という形態はその城の手前にまで広く続いていた。
街の周辺は見渡す限りで田園が広がる。ブドウを栽培しているのだとジャックに言われた。
街自体は、よくあるゲームの舞台のようだ。まるきりの中世ヨーロッパ。完全にその時代と一致するのかなど、専門家でもない七志には解かりようもなかったが。
年号が、七志の知る世界史とはまるで違うのだから、比べようもなかった。
リリィは医者へ、ジャックと七志は街役場へ。
「職業別で、ギルド登録の受付窓口はすべて役所の管轄だ。国王様に報告する書類を作成するためで、ついでに市民登録もされて、等級が決まれば税金の額も決まる。」
国王への報告とは表向きだけで、実際には庶民の名前や総数などがいちいち報告される事などない。便宜だ。細かい管理はそれぞれのギルドに任されており、役所が気を配るのは税収だけだ。
各ギルドが徴収額を誤魔化さないように、役所の方で書類を作成し、リスト化しているのだ。
これは地方の、貴族達が支配する領地においても同様であり、多くのギルドは国と貴族領の税を二重で納めることになっていた。直轄領では教皇の名で、貴族領と同等の額が徴収される。
王都には教皇庁が置かれていたからだ。リング教という宗教が、この世界ではもっとも信仰されていたが、総本山ともいうべき教皇の居る教皇府は別国にある。教皇に収める寄付の名目で直轄領では国に払う税とは別に徴収される。
一連の説明を受ける七志、細かい事は省いて解説するジャック。
「ま、細かいことはいいんだよ、おいおいな。おいおい。」
「そうだな、今の俺には関係ないことだしな。」
国王や貴族とお近付きになれるわけもない、まったく関係ない話だと七志は思っていた。
この時は。
「レベル分けとか、そういったものはないのか?」
七志の言葉に、ジャックが怪訝そうに眉をしかめる。
「は? 強さレベル? なんだ、それ?」
ジャックが逆に七志の質問を聞き返した。
「いや、だからさ、強さによってSランクとかって……、」
「強さは名声になって表れるもんで、わざわざ役所が調べて書き記すもんじゃないだろ。
第一、どういう基準なんだよ、それ? 強さなんて何をもって決めるんだ、オークを倒すにしても、罠に嵌めて倒した奴と、ガチで戦って倒した奴が同列になるってか? おかしいだろ、それ。」
「いや、そういうんじゃ……。」
納得のいかない顔をしている七志。
ゲームでは、ランクというものは結構重要なものだった。なにより、自分の強さを自慢するのに、今何レベルだと言えば、それで通じるお手軽さもあったのだ。
それらがまったく通じないという。
「国が興味あんのは、お前さんの強さなんかじゃなく、お前さんがどれだけ稼ぐかって事だけだ。
そんで、国だけでなく、街中のほとんどの人間にとっても、お前さんへの興味は『金持ってるか?』だけだよ。」
「……世知辛いな、なんか。」
「そんなもんだ、お前の世界でもそうじゃないのか?
依頼人にとって大事なのは、強いかどうかじゃない、仕事が出来るかどうか、だ。モンスター退治の依頼にしたって、散々暴れて破壊しまくるヤツより、サクッと退治だけして何も壊さないヤツの方がありがたいもんなんだ。解るだろ?」
「そりゃまぁ、そうだけど。」
「強いってのが、どういう意味の強さを言ってんのか知らねぇが、名声ってことなら有名になれば向こうで勝手に二つ名を付けて呼んでくれるようになるさ。宿の名が知れるようになれば、依頼も増える。」
そうなりゃ俺たち同宿の者も万々歳だから、頑張ってくれ、とジャックは茶化しながら笑う。
冒険者の宿は、そのままで一つの共同体であり、ブランド名でもある。
依頼者はみな、個人の名前より宿の名前を憶えていて、有名な冒険者を多く抱えている宿に依頼を出そうと考える。宿の方でも信用に関わるために、お抱えにする冒険者は選りすぐっていた。
「俺たちの宿は、最近ギルドに加入したばかりなんだ。冒険者といっても、数えるほどしか居なかったのが、今回ので半分殺られちまって……。残るのは、俺とリリィとライアスだけだ。
誘っておいてなんだが、正直、来たところで旨い目なんてのは期待出来はしない。お前ならもっと上等な宿に行けるだろうから、自分で探した方がいいんだが。
それでも俺たちの宿へ来てくれるっていうなら、嬉しい。……どうする?」
「どう、って、こんなところで放り出されても困る。俺、何も解らないんだし、どうするもなにも、何も解らない状態で決めろってのもないだろ。」
今さら、と七志は語気を強くしてジャックに答えた。
「そうか。じゃあ、改めて頼む。
俺たちの宿へ来てくれ。立て直すために力を貸してほしい。」
出された右手を取る。握手したジャックの手は硬く現代人七志の細い手よりも逞しかった。
改めて、書類に記載を済ませ、窓口へ。
「はい、記入漏れは……ないですね、はい、結構ですよ。」
窓口には可愛い女性職員が座っていて、受付を行っていた。
奥には男性職員も見えたが、三つある窓口に座っているのはいずれも女性だ。こういうところ、なかなかあざとい。女性を置いたほうがトラブルになる率は低いという事だろう。それも、美人を。
「あっ、あなたは来訪者ですね、失礼しました。こちらの書類にもサインと記入のほうをお願いいたします。」
新たに渡された紙には、幾つかの質問事項が記されていた。
「元の世界で自分の居た国家の名称? 政治形態? 宗派? 国家に対しての希望? パン一個の値段……て、そんな事まで書くのか。」
順番に設問を埋めていく七志の手元を、職員の女性が興味深げに眺めている。
これらの意味するところを七志は理解していなかった。国の名前や住んでいた土地の名などはフェイクで、役人たちが関心を持っている事柄はそれ以降にある。
政治形態や宗派によって専制君主に敵対する者であるかどうかを見極めることが目的だ。
馬鹿正直に民主主義のなんたるかなど書き殴れば、危険人物のレッテルを速攻で貼られるだろう。そうなればもはや、冒険者だのの問題ではない。
それでなくとも異世界からの来訪者というだけで、特別視されやすい傾向にあり、またカリスマ性も持ち合わせている。国がこれを警戒しないはずなどなかった。
七志は運だけで数々の危険をかいくぐってきた。
今回も同じく。
「国家は、『日本』。政治形態は、民主主義……いや、『議会制政治』の事聞いてんだろう、うん。宗派はなんだっけ? 『真言宗』? 適当でいいか。本当は無神論者だったけど。」
神サマ居たもんなー、と、ブツブツと呟きながら書き綴る文字を、横合いから興味津々でジャックも見守っている。
「国への希望ねぇ、うーん……『仕事ください』。
パンて、菓子パンかな? 『メロンパン120円』てトコか?」
全ての欄を埋め、職員に渡したところで更に質問がきた。
「議会制政治とは、詳しくはどういったものでしたか?」
「え? えーと。日本という国はですね、天皇陛下が居て、衆議院と参議院があって、選挙があってですね、法律とかは議会で決めることになってました。で、宮内庁が発表して、……して? だっけ?」
「あ、はい、結構ですよ。解りましたので。ありがとうございました。
では、あちらの窓口へお回りください、市民等級が決定されましたら、あちらでお知らせ致します。」
しどろもどろの説明をぴしゃりと締め切り、にこやかな笑顔で職員女性は七志を強制的に追い立てた。
隣でジャックがくつくつと笑っていた。