第十六話 魔女と幽鬼と偽りと
ゴブリン山の攻防。それとは別に、エフロードヴァルツでは、新たな動きが起きている。
この国では北に魔女の脅威を抱え、折に触れて、その排除を狙って兵を進めていた。今回、この任に就いているのが、エフロードヴァルツ一の名将、ドメルだった。現状で、国境付近には隣国の兵団が展開しており、ここに魔女が呼応する事を恐れたのだ。
魔女をことさら刺激せず、また、万が一には取って返して首都の防衛にも備えねばならず、一介の将軍では務まらぬ役目を、ドメルは負っていた。
副官に対し、彼が言った言葉がある。
「……これは勘にすぎぬが。かの魔女めは、隣国に現れたという来訪者と手を結ぼうとしておるのやも知れぬ。」
これに答えて副官が、怖れながらと反論している。
「いえ、閣下。今までに、そのような事例はあった試しが御座いません。」
「過去になかったものが、未来にも無いとは限らぬ。」
隣国の名将とは違い、この将は厳しい表情をほとんど崩すことがない武骨な人物だった。
この国を悩ませる魔女は、不気味に沈黙し、今は何を考えるのか計り知れない。ただ、情報網に掛かってくるこの魔女の行動は、不審な事柄が最近は特に多い。
魔女の城にスパイを放つことが出来れば話は早いのだが、隣国の王妃が甘いと思えるほどに、この魔女の敷く防御の陣は崩す隙さえ見当たらない。人間というだけでスパイと断定できる者たちを相手にしては、為す術がなかった。広大な城壁の奥に隠れた魔女の姿一つでさえが、ベールに包まれ、誰にも知られていない。年齢も、顔かたちも、僅かな特徴すら、知ることは叶わなかった。すべて魔物で構成される国というものが、これほどに厄介であるとは。随一の将軍でさえ手をこまねいている。
今回の作戦は比較的簡単なものだ。とりあえず、魔女の軍勢を出さぬことさえ叶えばよい。ゴブリン山への、事実上の援護作戦の一環だった。
「魔女は、時々城を抜け出ているのではないかと思われる。確証はないが。」
なにより、魔女を除いたうちではもっとも厄介とされてきた、ある魔物の姿がここのところ見えなかった。
「うえーん! もうじき七志が帰ってくるかも知れないのにっ、会いに行けないよぉっ!!」
テーブルに突っ伏して泣いている麻衣菜に、背後に立つ少女は肩を竦めて容赦ない言葉を浴びせる。
「しょーがないでしょ、自業自得。あんた、散々暴れまくっといて、今さらノコノコと、平民でございってな顔でこの国を歩けるわけないでしょ。」
「だって、しょーがないじゃないよ! 皆、わたしの事目の敵にしてんだもんっ!」
「ドメルのじじいもさー、あんたの正体掴もうと躍起になってるし、今は下手に動いたら顔バレするよ? いいの? せっかく顔だけは隠し通してきたんだから、このまま大人しく城の中に篭もってなさいって。」
心配しなくても一か月もすりゃ飽きて帰るんだからー。呆れたという声で少女が答える。
腰に手をあて、したり顔でお説教している少女は、麻衣菜と同年代に見えた。いや、麻衣菜が寂しさから作り出した魔物の少女だ。麻衣菜の世界の知識を持ち、麻衣菜の世界の尺度で物事を見ることが出来る。そういう設定を与えられた、本来はメイドの役割の少女。実際にはお姉さんといった位置付けだが。
名前は蘭花。
現状、麻衣菜の居城はエフロードヴァルツの軍勢に取り囲まれていた。いや、正確には城塞都市として機能する麻衣菜の国が包囲されている。攻め手がなく、包囲以上の行動がとれずに敵は焦れている様子だった。麻衣菜の能力で作られた鉄壁の城塞は、この世界のいかなる魔法や武器による攻撃も退けている。最強の来訪者の名は、伊達ではなかった。
「……もう、暴れないって誓ったのに。」
かつて、迫害の末に自棄になり、かの国で破壊活動に勤しんだことは事実であり、いくら反省したと言っても容易くは信じてもらえないことも自覚している。
「向こうの王城半分ぶっとばして、召喚したスケルトン軍団で国民を追っ払って街を占拠してー、……それから後はなにやったんだっけ?」
「蘭花のばかっ、いじわるっ、」
せめて敵意がない徴にと、スケルトンたちには城壁の上で踊ってもらう事にしたのだが、これがまたいけなかった。挑発と見なした敵将ドメルを激怒させたのだ。
「あの時、余計なことしなけりゃあのじじいが自ら前線に出てくる事もなくってだよ? そしたら、あたしが代わってあげて、あんたは城を抜け出ることだって出来たかも知れないのにさー。」
じじいがガン飛ばしてる限り、抜け出たら絶対にバレるね、と蘭花は胸をそびやかす。
「七志。七志が帰ってくるのに。」
くすん、鼻を鳴らして麻衣菜はテーブルにのの字を書いた。
「麻衣菜、悪い事は言わないからさ、しばらく七志に会うのはよした方がいいよ。あんた、連中のことナメてるけどさ、ドメル将軍は薄々感付いてるよ? あんたと七志が繋がってるの。
……きっと、七志の傍にスパイを付けて見張ってるよ。あの国はそういう小細工が得意だって、あんたは嫌ってほど知ってるでしょ? ……それともまた、国民ぜんぶの記憶を奪うの?」
過去の嫌な記憶を抉る言葉に、麻衣菜の細い肩がびくりと震えた。ふぅ、と息を吐く蘭花。
「まぁ、いざとなったら、あたしが……、」
「なに? なんか良い作戦ある?」
麻衣菜の目が懲りずにキラキラと輝く。
「……ないっ、」
目が座った蘭花に睨まれて、麻衣菜が小さく身を縮めた。
「もうっ、しょーがないわね。またあたしが身代わりやってあげるから、なんとか抜け出す方法を考えましょ。」
「蘭花っ! ありがとー! やっぱ、蘭花は友達だねっ、ううん、わたしの唯一の味方だよねっ!」
勢いよく抱き着いた麻衣菜の頭をよしよしと撫でて、蘭花は得意げに言い放った。
「とーぜんでしょ。まったく、世話の焼けるご主人様なんだからっ。」
◆◆◆
「ありがとうごぜーましただ、ここまで来たらもう大丈夫ですだぁ。」
七志を助けたオーク達は、無事に自分たちの集落へ戻ることが出来た。強力な助っ人のおかげだ。
「いっつも、いっつも、助けてもらって申し訳ねぇだ。おかげで村さ、帰れるだ。」
オークが礼を述べる先にいるのは、あの黒騎士だ。相変わらず幽鬼の如き存在感でどこか幻想じみたかつての英雄。こくりと頷き、そのまま去ってゆこうとした。
「七志さぁは無事に帰れたべかな?」
「徴を持ってただから、神様の特別な加護があるだぁよ、心配はいらねぇだ。」
交わされる会話の中に、この王の求めるキーワードが含まれていた。
「徴、だと?」
ゆっくりと振り返る。
「七志というのは、あの時の少年か?」
「んだ、タナトスの宝具さ持ってただ。右腕に付いてた籠手がそれだぁ、形が変わってただから気付かねがったけんど、あの紋章はタナトスだぁ。」
七志の腕に装着された籠手を、じっくりと見たわけではない黒騎士だが、確かに、あの籠手はそうそう容易く入手が叶う物ではないと思えた。腕を組んで思案に耽ったルードヴィヒに、オークが次々と情報をもたらす。
「最初の鍵が腕輪だべ。次の鍵はオークキングの墓にあるって言われてるだ。」
「んだども、墓に入るにゃ特別な仕掛けが必要だぁ。原罪の、七つの塔を攻略出来た者にしか、扉は開かれねぇ。」
オークの言葉に、ルードヴィヒは頷いた。
「知っている。」
七つの塔、隠されたそのダンジョンの起動方法が見つからないだけだ。
帝王が尋ねた。
「半分は解明されているのだがな。地の扉は、魔風穴のことで間違いはないのだな?」
「んだ、本当はあの森自体がタナトスの祭壇があった場所だで、間違いねぇべ。」
封印された太古の神の、とても古い時代の、巨石で出来た祭壇があったのだとオークは話した。
「色んな試練が降りかかるって聞いてるだ、あん時もきっと試練ってヤツだったんだべや。」
初めて七志と出会ったあの状況を指して、オークは回想する。
突如として吹き荒れた魔の風。倒れ伏した彼の仲間たちと、必死に助け起こそうとしている来訪者の姿を初めて見たあの時の光景を思い出していた。
「黒騎士さまぁ、お願げぇだぁ、七志さぁを守ってやってくんろ。」
「精霊たちはきっと、七志さぁをあの穴ん中さ放り込むつもりだぁ、そん為に騙して連れてきたんだぁ。」
「だーれも入れねぇ、魔力がある者は近付くことも出来ねぇ。あんな中に放り込まれたら、七志さぁではすぐ死んじまう。」
「お願げぇだ、七志さぁを守ってくれろ。無事に返してやってくれろ。」
オークたちは必死だ。精霊たちは七志を何とかしてあの恐ろしい魔風穴へと向かわせる。それが解決策だと解かっていても、七志自身はこの世界とは何の関係もない人間だから、忍びないのだ。死ぬかも知れない場所だと知っていたから。
このまま人間界へ還してやりたい、と。
取り囲んで訴える魔物たちに、帝王は軽く頷きを返す。だが、心中では別の考えが膨れ上がっていた。
「確認しておきたい事柄が幾つかあるのだが。」
黒騎士が改めてオーク達に尋ねた。
「あの魔風穴の中はどうなっている? いや、かつて在ったという、その祭壇はどのような物だったかを詳しく話せ。どのような危険が考えられるかも。」
オークたちは顔を見合わせた。
「え、えーと、でっかい石があったんだべ。家さ作るみてぇに、4つくれぇのデカい石が積まれてただ。」
「そんで、中はなんもねぇべ。むかーしはあったかも知れねぇだども、オラたちが聞いて知ってるのは、なんもねぇただの石組みだぁ。」
「絵が描いてあったんだと。けんど、消えちまって今は何もねぇだ。そんで、土ん中に埋まってたんだと。」
そんくらいだ、と言いかけて、危険についても聞かれた事を思い出してまた相談にかかる。
「毒のきのこがいっぱい生えてたそうだべ。」
「んだ、んだ。」
「……そんくれぇだなや?」
頷きあって確認を取り合うオークたちに、黒騎士は最後の質問をぶつけた。
「それは、つまり、お前たちの先祖のうちには、『あの場所へ行った者が居た』という話で良いか?」
「んだな? たぶん、居たと思うだぁよ?」
首を捻って答えたオークに、黒騎士は気付かれぬようにほくそ笑む。
七志はエミリアの話を聞き、王宮へ向かうために来た道を引き返していた。
朝にならねば精霊王は目覚めない。月の女王は眠りについたままで、目覚める様子がない。
そして、夜明けを待っている隣国の兵団の動きを、七志はまったく知りえなかった。
王都の門が開かれた。
騎乗する黒騎士が大門を潜る。胸に一物を秘めたこの王は、来訪の目的を告げぬままで都の大路をゆっくりと進む。精霊たちは彼に道を譲った。亡霊のような青い炎を纏う黒駒が彼の愛馬であり、とうの昔に骨となった存在だと、誰もが知っている。
「ルードヴィヒ……、」
エミリアは複雑な表情で出迎えた。七志はこれで二度目の対面だ。
黙して何も告げることなく、幽鬼のような帝王は静かに乗馬を来訪者の傍へと寄せた。
「鍵を手にして、なぜ動かぬ。」
「え?」
問い返した答えは戻ってこなかった。
代わりに、七志は襟首を掴まれ、そのまま天空高くに運ばれていた。