第十二話 精霊界の複雑事情
「ええっと、君たちがオーク族なのか?」
仲間の騎士たちを軽く肩に担いで地底を進むイノシシたちの背に向かい、七志が尋ねた。
「んだぁ。おめぇ、オークさ見たことねぇか? 人間界にも居るけんど……、」
広く掘られた地下道は、さながら鉱山の坑道のようにも見えた。縦横に連なりあちこちから横道が延び、真っ暗な洞窟の先は見えない。
図鑑で見るような、材木の補強が為された坑道はしっかりとした造りをしている。暗い坑道のむき出しになった岩肌には、ところどころに小さな明りが灯されて奥にまで点々と続いていた。ほんの狭い範囲しか照らせないほどの小さな明り。松明ではなく、何か魔法の灯火のようだった。
すんすんと鼻を鳴らして七志の臭いを嗅いだ一匹のオークが、素っ頓狂な声をあげる。
「おめぇ、どこのモンだぁ? 今まで嗅いだことねぇ臭いがするだぁ、ヘンテコリンな臭いだど?」
すると、他のオークたちまでが周囲に集まり、一斉に鼻を鳴らし始めた。あまりに密着してくるものだから、息苦しいを通り越して、もみくちゃだ。
「おめ、来訪者だか? ヘンな病気持ってねぇべか? いきなり噛みついたりしねぇが?」
「精霊たちさ、何か吹き込んだんでねぇが? おら達の悪口聞いてきただか?」
殺さねぇでくんろ、おら達はひっそり生きてるだけだぁ、と急に彼らは憐れんだ声で口々に訴えはじめる。先程までの陽気さはもう見えなかった。
「おらたちは人間界のとは違うけぇ、攻撃しねぇでくんろ。」
「殺さねぇでくんろ。」
彼らの中心でもみくちゃにされる七志の方が、圧死しそうな勢いだった。
「君たちには仲間を助けてもらったんだ、そんな恩知らずな真似はしないって!」
むちゃくちゃに揉まれながら、やっとのひと声を上げる。とたん、オークたちは冷静さを取り戻した。宙吊りになって浮いた足も、ようやく地面に降りることが叶った。
「良かっただぁ、」
「いい来訪者も居たべや、」
ころりと態度が変わる。すぐに信用した彼らはどうなのかと思う。けれど嘘の様子にも見えず、どうにもこのオークたちの行動は理解に苦しむことが多かった。単純なのか、それともこちらが騙されているのか。
落ち着いた彼らは、どさくさで地面に放り出した騎士たちをまた抱えなおした。
彼らが言った言葉を反芻する。人間界に居るオークと彼らとは違う、というような事を言ったか。
「オークには他にも何種類か居るのか? 人間界とここでは種類が違う?」
今度は、七志の方を見る事なく一匹のオークが歩きながらで答えた。
「んだな、人間界にもオークって言われるのが居るけんど、あれはおら達とは違う連中だなや。」
「んだ、んだ。おら達は毛皮がふさふさだども、人間界のはつるっ禿げだなや。」
精霊界のオークは毛並みをとても重要視するのだろう。その声は自信に溢れている。
「あっちのは死肉しか食わねぇモンスターで、話しも何もあったもんじゃないけぇ、こっちに迷い込んできた時にゃあ大変だったんだぁ。」
「人間をもっとブサイクにしたみたいな白くてハゲた連中だぁ。」
「ブタにそっくりだぁ、おら達みたいにツヤツヤの毛皮じゃねんだ、ツルツルだぁ。」
彼ら流のジョークというやつだろう、大声で笑いだした。
「あいつ等はぜんぜん美味くねぇだ、だからきっと人間も不味いと思うだぁ。」
ヒヤリとする発言も時折飛び出した。
しかし、来訪者というだけでここまで敏感に怯えを見せた者は初めてだ。
よほどの事があったのだろうと予測した。
「俺、特別な力なんてないから、本当に……。」
そんなに怖がる必要もないと七志が言えば、オーク達は盛大に首を横に振る。
「おめぇさに文句なんかねぇだぁ。おら達が知ってる来訪者は、みんな、乱暴者だったって言ってるだけだぁ、おら達の話も聞いてはくれねかったけぇな。」
七志は改めて自身の能力を思い出した。かつてここへ来た者たちは、言葉が通じなかったのだろう。見た目だけで彼らを敵と認識することは大いに有り得そうな話だ。しかも来訪者たちは無双だ、いちなり蹴散らしてしまったとしても無理はない。
「すまねぇだな、おら達はイジメられてるで、来訪者だとかは本当に怖いんだぁ。」
気の毒なオーク族の一匹が、またぞろ申し訳なさそうな表情で七志に詫びた。
「ずいぶん前に来た奴は、さんざん暴れて手に負えなかったんだぁ。精霊王様が追い返してくれねば、おら達は全部殺されてただ。」
受難、というべきレベルだ。
七志は心底、彼らに同情した。
「もうじき森の下辺りに着くだぁ。妖精やら精霊には見つかんねぇように、出入り口は隠してあるけぇ、そーっと出てくだぁよ。」
「魔法を使うと見つかるだで、おら達の力はこの宝石ん中さ入れておいてやるだ。」
占いなどで使う水晶球の小さいものに見えた。材質がクリスタルなのかどうかは七志には判別出来ない。有難く受け取ると、「ありがとう、」と、今日何度目になるか、彼らにお礼を返す。
「ええだ、ええだ。おら達は見つかると殺されちまうだで、お仲間さんさ森の中に置いたら退散するだで、後は独りでなんとかしてくれろ。」
悪いだなぁ、と申し訳なさそうにオークの一匹が答えた。
「この宝石をお仲間の額さ当ててやるとええだ。今はダメだ、悪いけんど、ここの秘密をおめぇさ以外の人間に教えたくねぇんだ。人間もあんまり信用できねぇからな。」
申し訳なさそうに言う言葉の陰に、迫害を受け続けてきた彼らの疑心が見てとれた。
オークたちと妖精たち、どちらの言い分が正しいのか、部外者に過ぎない七志には解かりようもない。
誤解があるのだろうと、その誤解が早く解ける事を祈る。
◆◆◆
急勾配の坂道を、よじ登るようにして進んだ。
坑道はどのくらい深い所を通っていたのだろう、地上へと続く道はやけに長く、やけに険しい。
岩肌がどのような色をしていたのかが解かるくらいに外の日差しが差し込んで、洞窟が明るくなる。
露に濡れたこげ茶色の岩石は煌めいて見えた。
「着いただよ、」
先に到着した数匹の頭がぽっかりと開いた出口から覗き込み、洞窟に影を落としていた。
洞窟を抜けると、そこは木漏れ日の差し込む静かな森の一角だ。時折、小鳥のさえずりが何処からとなく響き、森は地面にまで日差しがまんべんなく届いて明るい。黄緑色の風景。
雨上がりなのか、殊更に景色は緑が萌えて輝いて見えた。
振り返った先、今しがた出てきた洞窟の入り口は、うっそうと生い茂る雑草のカーテンに隠されている。丈の高い草と、低木と、蔦植物とがミックスで絡まる。崖の斜面に穿たれた穴のようだ。
「ここの事は内緒にしてくれろ。この辺りの樹霊たちはおら達の味方だで、知らん顔して黙っていてくれるんだなや。」
色々と関係性も複雑なのだろう。精霊や妖精の中にも、もしかしたらオーク達に好意的な者も居るのかも知れない。人間社会と同じだ、多数の意見が正義になる。
「どうして精霊たちとこんなに拗れてるんだ?」
望むような回答はたぶん得られない、それと解かった上でも質問せずにはいられなかった。
案の定、彼らはいきなり怒気も露わに声を震わせた。
「あいつ等は性悪だぁ。いきなり襲ってくるような奴さ相手にして、悠長に話し合えだの、戦うのは嫌だとか、言えるんだべか? おめぇはあいつ等がどんだけ凶暴か、知らねぇべ?」
きっと、他にも七志のした質問を投げた来訪者なり人間なりが居たのだろう。話し合いで解決した方がいいだとか、戦いは無意味だ、だとか。
言葉の端々に憎悪が滲む。長い間いがみあってきたのだ、すぐに氷解する話ではない。
誤解があるのだろうとは思う。けれど、言っても仕方ないのかも知れないとも思う。
七志は自身の立場をよく解かっている。ふらりと現れたにすぎない通りすがりの誰かだ。そんな者に、彼らを説き伏せるほどの説得力などあるわけもない。
またしても、自身の無力を思い知らされる場面だった。
「心配してくれたんだなや。けど、大丈夫だぁ。もう慣れっこだで。」
「おめぇは優しい奴だべや。そん気持ちだけで嬉しいべ。」
虐げられ、辛い目にあっている彼らのはずが、なぜこんなにも明るく振る舞えるのか。
逆に七志の方が泣きそうな顔で、彼らに優しく頭を撫でられていた。
「おら達はもう行くけんど、くれぐれも気をつけるだぁよ。」
「ぜってーに、食い物さ食うでねぇし、水の一滴も飲んではいけねぇど?」
何度も念を押され、苦笑いで頷く七志。仲間たちは草の上に横たえられ、今も昏睡状態にある。例の洞窟から少しばかり距離を置いた場所まで運んだのは、やはりあの秘密の抜け道を発見されることを恐れたのだろう。
彼らを見送った後に、貰った宝玉で魔力を注入して目覚めさせるつもりだ。
別れを惜しみ、茂みの向こうへと去っていく一団を見送る。
そこへ。
同じく茂みの反対方向から、別の一団が現れた。
七志の視界の端と端。片方にオーク、もう片方に現れた人々。
「あっ!」
「オークだ!」
精霊というものを七志は初めて見た。以前、ゴブリン山で手を貸してくれたのも精霊だったが、あの時は姿が見えなかった。そういうものだとパールに聞いている。
今は、くっきりと姿が解かる。人間とほぼ同じ、ただ、人間よりも恐ろしく容姿が整っている。人間離れした容姿が、嫌でも彼らを精霊だと教えている。
一団は男が二人に女が三人の混成だった。いきなり指先に魔力を集め始めたのが解かった。
オーク達はといえば、一目散に逃げている。ただし、洞窟とはまるで別の方向へと。恐らくは洞窟を知られないために、見当違いの方向を目指したのだ。わざと、逃げ切れない方向を向いた。
「やめろ!!」
威嚇のつもりで、ミスリル弾を撃ち放った。半透明の薄い刃が精霊の目の前をかすめ、木の幹に当たって粉々に砕けた。ヒヤリと胆を冷やす。危険を考慮したつもりが、あまりに薄くし過ぎて砕けたのだ。
驚いた様子で精霊は七志の方へと振り返る。だが、それはたった一人だった。
他の四人は七志には目もくれず、オーク達を追いかけた。
七志も走る。オークを追っていった四人を追った。
「なぜ人間が我らの邪魔をする!?」
先ほど足止めした女の精霊が、先を行く一団を追う七志の後から付いてきた。
「あれはモンスターだぞ!!」
「うるさい!!」
反射的に怒鳴り返し、さらに速度を上げる。躊躇はすでになく、ミスリル弾を撃った。あくまで威嚇だ。だが、効果は薄く、先の集団は視線を寄越す程度だった。
足止めした精霊がいきなり剣を抜いて斬りかかってくる。こちらも威嚇なのだろう、殺気がないのだが、七志は足を止めざるを得なくなった。
美しい顔をした女が、その美貌を怒りに歪めている。
「邪魔をするな! 奴らが現れるたびに、トレントが増えるのだ!」
またしても、知らない情報が増える。そんな話は聞いていない。混乱しかけた七志の頬を、精霊の持つ剣の柄頭がしたたかに殴った。
先を行った一団、彼らの居るであろう辺りから、悲鳴とも怒号ともつかぬ騒ぎが聞こえたのは、それからすぐ後だ。
「黒騎士か……!?」
七志を殴り倒した精霊の表情が青ざめる。
後退してきたらしい四人が合流した。一様に動揺し、緊張の面持ち。彼らの意識には七志など問題にしてもいない様子が見えた。
黒騎士、と、ふいに聞かされた単語を心の内で反芻する。
その本人が茂みの向こうから悠々と現れた。
背の高い人物だ。
漆黒の鎧に身を包み、頭部は隠していない。銀色の……いや、白髪だろう。真っ白に染まった髪に精悍な顔立ち。だが、なんというべきか、生気のない顔色をしている。
幽鬼のように見えた。
抜き身の剣は大振りで、騎士たちが持つものよりもさらに一回りは大きい。臀力の差か。名のある騎士と一目で解かる。
「くそ、またしても黒騎士か。」
「退くぞ! エミリア様に報告申し上げる!」
一人の精霊が口惜しげな呻きを溢すと、別な精霊が鋭い声を上げた。
去り際に、七志にはキツい視線を投げる。これから彼らの住む都へ出向かねばならないのに、迂闊な事をしたかも知れない。七志は首を竦めて彼らをやり過ごした。