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第十話 黄金都市リスティアーナ

 カボチャの言うとおり、トレントは急な勾配を上ることは出来ないらしい。

 一行の後を追っていた魔物は、人のように身体の重心を傾けることを知らない。ぐらりと揺れて、後ろへ倒れてしまった。大地に張るはずの根も、地面を這ううちに用を為さなくなったものか。

 追っては来れないことを確認して、七志はほっと息を吐いた。

「……昔は、みんなが仲良く暮らしていたんだって。大長老様が仰ってたわ。」

 七志の掌の上で小さくかがんだまま、妖精はぽつりと話した。傷は深く、まだ痛むのか時折苦痛に顔を歪める。木の化け物に注意を向けていた騎士たちも、彼女の言葉に耳を傾ける。

「いつの間にかオークなんていう魔物が棲みついて。美しい清流は澱んだ毒に満たされて。樹霊たちはあんな醜い姿に変えられてしまって。」

 泣き顔を見られたくないのだろう、膝を抱えてうつ伏したパールの肩が小刻みに震えた。

「あんな姿にされて、わけも解からず攻撃してるだけなの。ほんとは優しいの、皆、本当は優しくって、いつも平和に歌を歌っていたのよ? だから、傷つけないでよ。あんた達でも許さないんだからね、あたしが……っ、」

 嗚咽交じりの訴えは途中で本気の泣き声に変わった。


 騎士たちは、命令があるでもなしに、一人ずつその手の武器を収めていった。

 じたばたと、倒れたままで暴れていたトレントはそのうち静かになった。落ち着いたのか、器用に根と枝を使い、ゆっくり立ち上がるとまるで何もなかったかのようにその場を立ち去った。

 七志の掌の上で泣きじゃくっていた妖精もその頃には落ち着きを取り戻したようで、しきりに赤くなった目じりを気にした様子で、小さな手でこすったりして誤魔化そうとしている。

「落ち着いた?」

 へたに声をかけることも出来ず、じっと見守っていた七志がそろりと言葉をかけた。

「ん。……やなトコ見せちゃったわ。べろべろ泣いちゃって、みっともない。」

 いつものパールに戻った。

 小生意気で、横柄で、高飛車な口調だが、この時ばかりはなんだか心地よく感じる。やはり、女の子に泣かれるのは苦手だ、と思う。涙を浮かべて心配してくれたキッカの事をふいに思い出した。

 憤っていたマーレンも、なんだかバツが悪いという顔で頭を掻いている。

「この世界のことを教えてくれよパール。なんせ俺たちは誰もここへ来たヤツの話なんぞ、聞いたこともないんだからさ。」

 ジャックが話を向けた。


「あたし、本当はこの世界が元々はどんな世界だったのか知らないの。あたしが生まれた時には、もう樹霊たちの多くはあの姿だったし、草も生えない赤茶色の地面と毒の沼だらけだったし。

 けど、とっても綺麗な世界だったって。狂ってない年寄りの精霊とか、妖精の長老たちが話してくれた昔の精霊界の姿を信じてるの。」

 中には、年寄りが妄想でそう言っているだけだと笑う者もいるのだ。ずいぶんと長い間、この世界はこの姿だった為に。

「年寄りの精霊たちも、よく歌を歌っているのよ。樹霊たちも、最初からああじゃなくって、精霊たちと一緒に歌ってたりするのよ?

 それが……突然、狂ってしまうの。緑の葉も、綺麗に咲いてた花も、みんないっぺんに無くなって。あの醜い姿に変貌して、歌も忘れてしまうの。……どうしてなんだろう。」

 仲の良かった友達の樹霊を思い出して、彼女はまたさめざめと涙した。

 ハンカチの一枚でも差し出してやれば気が利いているのだろうが、あいにくそんな物は持ち合わせていない。手の平サイズの女の子を前に、ただ狼狽えるだけだ。

 女の子の泣き顔は、本当に苦手だというのに。

「精霊王様の力はだんだん衰えて、聖都を包む結界もどんどん狭まっているの。結界の中だけは安全で、森は穏やかよ。だけど、やっぱりある日突然、樹霊たちは狂ってしまう者が出てくるの。……解からないの、何が起きてるのか、ぜんぜん解からないから皆怖がってる。」


「精霊界にあると言われている黄金都市リスティアーナか。確か、精霊王の名を取ってその名称が付いたと聞くが。」

 普段、武道に関する事柄以外には触れることのない騎士たちは、興味深げにジャックの話す言葉を聞いている。あの王様のことだから、鍛練以外に興味のない脳筋兵士を量産していたのだろうと思わされる光景だ。

「虹色に輝くクリスタルと、白銀に輝くプラチナで出来た王宮があるという話だ。

 精霊王は昼には男性に、夜には女性に変化すると聞いた。太陽の王、月の女王。緑生い茂る深い森の中央には黄金の都市が栄え、美しい精霊たちが闊歩するという。どこからとなく歌が響いて、その都市は音に溢れているそうだ。

 幼い頃に聞かされた童話の中でもお気に入りの物語だったな。……いつかその黄金を手に入れたいと願ったもんだ。」

 盗賊紛いのこの男らしい幼少期だ、と七志は笑いを漏らした。

「なに笑ってやがる、俺に童話ってのがそんなにおかしいかよ、」

 別の意味に取り違えて、ジャックは不機嫌な顔だ。

「いや、……ごめん。」

 説明すればさらに気を悪くしそうだと、七志は言いかけた言葉を呑みこんだ。


「この世界に人間は居続けることが出来ないというのは? 最初に聞いたあたりの事情をもっと詳しく聞かせてくれないか。」

 ハリーが問いかけた。

 パールがどさくさの中で言った台詞は、彼の中ではとうてい聞き流せる内容ではなかったのだ。もちろん、七志以下、場の人間たちは誰しもが同じ比重で捉えている。

「この世界はあんた達が住んでる世界とは違うものなのは知ってるわよね。七志が居た世界と同じで、別の世界なの。だけど、同調率が高くてほぼ二つの世界は重なり合うようにシンクロしているそうよ。

 ……難しい理屈はわかんないわ、あたしも長老様や先輩妖精から聞いただけだから。シンクロしてるだの重なってるだの言われても、見たことないんだもん。そうでしょ?」

 パールの説明は、どこか言い訳がましいような響きを持っている。本人もよく解かっていない事情を巧く説明するのは困難で、時折、助けを求めるように七志に視線を投げた。

「あたし達妖精族は自在に二つの世界を行き来するけど、人間は出来ないらしいの。それも理由はよく解かんない。で、こっちに来た人間が、ある程度の時間が過ぎれば木になってしまうってことも、実際に木になった人間が大勢居るから解かったんじゃないの?

 あたしは見たことないけど、注意はされてたわ。人間を呼び込んではいけないって。木になってしまうから、連れてきてはいけないって。」


     ◆◆◆


 暗く落ち込んだ場の雰囲気に、妖精は慌てて言葉を継ぎたした。

「あっ、けど、今回のことは心配しないで! むやみに連れてくるなとは言われてるけど、もし、連れてきてしまった場合の対処ってのも、ちゃんとあるから!」

 対応策があるらしいと知り、少しだけ沈み込んだ一同の顔つきが明るくなる。

「で、その対処とは?」

「あたし達妖精の手では無理よ。だけど、精霊王様のお力を借りれば、あんた達を元の世界に戻せるわ。実を言うと、人間世界からこっちへは簡単に入ることが出来るんだけど、こっちからあっちへは、都市のゲートを使わないと行くことは出来ないのよ。一方通行なのね。」

 奇妙な理屈を話しだしたパールに、一同が怪訝そうな目を向けた。

「そんな顔するけど、ほんとなんだって! わりと多くの人間がこっちへ迷い込んで来るの! でなきゃ、さっき言ってたみたいな童話があんた達の世界に広まってるわけないでしょ!」

 確かにその通り。頷く一同に、パールが畳み掛けるように言葉を繋ぐ。

「オークがこの世界に棲みついて、この世界が美しい世界じゃなくなった時に、女王様は結界を張り巡らされたの。あの凶暴な魔物が人間世界に出ていったら大変なことになるからって。

 人間世界は美しい森も、綺麗な河川もたくさん残ってる。あたし達妖精や精霊たちにとっては、最後の逃げ場だから、オークの侵攻から守ってくださったのよ。」

「だから妖精は魔導師に捕まることも覚悟で人間界へ渡ってくるのか。」

 合点がいった。ぽん、と手を打ち、七志が答えた。

「そうよ。魔導師は恐ろしいわ。こっちがこんなじゃなきゃ、誰が好き好んであんな怖い連中の居る世界になんて行くもんですか。……けど、こっちではもう安心して子供を産むことも出来ないんだもん……。」

 七志にとっては、最後の一言の方が不可思議な響きに感じられる。妖精が子育て。いや、彼女らも生物であるからには子供も産むだろうし、繁殖も……心のどこかが盛大に否定していた。

 ファンタジー世界で、それは触れてはいけない下種の勘繰りではなかろうか。

 そうか。妖精にだってオスとメスが居るに決まってるよな。どこか投げた感覚で考えている。

「聞いてんの、七志!?」

 明後日の方角へ飛んでいこうとする思考を、鋭い言葉に引き戻された。


「つまり、人間界から精霊界へは自由に来れるのね? 時には人間が迷い込むこともある。」

 ダルシアが要点を纏めにかかる。

「ただし、人間が己の意思で来ることは出来ないらしい?」

 ハリーが付け足し。

「逆に精霊界から人間界へは、都市にあるというゲートを使わない限りは、何者も出ていくことは出来ないってことか。現状では。」

 かつてはそれも自在だったが、精霊界の事情により、不可能になったという。

「オークを出さない為に、か。」

 言ったきり、ハリーは腕を組んで思案に耽る。全員が同じ違和感を感じていた。

 理屈は通っているのだが、なにか、しっくりと納得がいかなかった。もちろん、七志も。

「七志様ー、」

 そこへ偵察に向かっていたカボチャが上空から声を掛けた。


「あちら、ずいぶんと距離はありますが、とても大きな遺跡がございますですよ。その周辺には、確かにオークどもの暮らすらしき集落が存在いたしました。遺跡とこの地点のちょうど中間くらいでありましょうか、これまた大きな窪地がございまして、毒の沼を確認いたしました。

 その窪地には特に例の魔物……トレントでございますか、アレが、それはもううじゃうじゃと溜まっておりましたー。」

 坂を上れないことが幸いし、連中が窪地に閉じ込められる事で被害の拡大が防がれているらしい。動き回っているうちに、窪んだ地形に入り込み、身動きが出来なくなったものだろうか。

「で、オークでございますが、姿はそうでございますね、七志さまと同じ程度かそれより少し大きいようでございます。しかしながら、肉付きはどいつも重量級でございまして、口の端にのぞく二本の牙を器用に使いまして、こーんな大木をですね、メキメキバキバキとへし折ってしましまして御座います。」

 その姿はむしろ豚ではなく、猪に近いものだとカボチャは告げた。

 しかも、ゴブリンよりもはるかに知能が高いらしく、衣装を着て、自身に合わせて作った防具や武器を用いていたという。

「あいつ等は言葉が通じないわ。お互い、見かけたら先制攻撃だもん。遅れを取ったら、こっちが殺される。けど安心して。リスティアーナはあいつ等の棲家とは反対方向にあるから、かち合うこともないはずよ。」

 針路が違うと聞き、ひとまずは安心する一同。

「あいつ等は雑食なの。なんでも食うのよ。妖精も殺したら食べるし、樹霊の宿る木もへし折って根っこからバリバリと食べてしまう。あんたも見たんでしょ、奴らの食事風景。」

「はぁ、まぁ。」

 それは凄まじい食欲だったのだろう、普段饒舌なカボチャの言葉の濁し方、表情に伺えた。

 続いた妖精の言葉に、七志はさらに違和感を覚えたのだが、他の者は感じなかったようだった。

「死に瀕した樹霊が、息も絶え絶えにようやく立っているのに、あいつ等は情け容赦なくその根っこをほじくり出して、へし折って……トドメを刺さなくったって、いずれ死ぬような年老いた樹霊なのよ?

 ううん、それが死んだ樹だとしたって、酷い連中だわ!」


 七志は周辺をぐるりと見回した。

「どうかしたの?」

「いや、この世界の植物はみんな樹霊なのかな、て。」

 七志の意図が見えず、妖精は首を傾げて言った。「当たり前でしょ、」

「普段、この世界の住民たちは何を食べているんだ?」

 オークたちとて生きているのだから、食べ物がなければ四の五のとは言っていられないんじゃないだろうか、そう感じての質問。

「木の実や花の蜜よ。緑が豊かだって言ったでしょ? 食べるものなら豊富にあるから、あんた達も安心していいわよ。」

 言われて一同が、それぞれに自身の腹を抑えた。そう言われてみれば、あのダンジョンから先……いや、作戦決行から先、何も口にしていない。

 いきなり、喉の渇きと空腹を思い出した。

 人間、極限に措かれると、そういった辺りの感覚は都合よく忘れていられるらしい。

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