第五話 牛対馬
迷宮の造りはどれもこれもが、城の地下迷宮よりも大きい。組まれた石一つにしても、寸法自体にしても。小部屋と便宜上で呼び習わしても実質は大広間ほどの空間だ。天井も高く、出入り口も広く大きい。
ミノタウロスが尋常でないサイズなだけで、並みの人間である七志たちにとっては、ロングソードを振り上げたとしても、天井に掠ることさえなさそうだった。あの怪物が、それだけ巨体なのだ。
それ故に不味い事態に至っている。
出入り口の間口が広すぎて、敵を誘い込み分断するというセオリーが通じないのだ。
一匹二匹を部屋へ入れ、複数がかりで素早く屠るという作戦が使えない状況。だが、あの群れを捌く方法は他になさそうだった。
使い魔たちが居れば、また別の方法も取りうるのだろう。言ってみても仕方のない状況で、無駄な横道へと逸れる思考を無理に押し戻した。
出来る事柄は限られる。その中でも最上と思われる作戦を七志なりに精一杯に進めるだけだ。
籠手の先に伸びるミスリルの刃を、出口の壁に沿わせて念じる。本来の使用方法の、云わば応用というべき方法論で、尾を引くように細い糸が繰り出された。
石に貼り付いている希少金属の端が、果たしてどのような状態で融合しているのかは知らない。根を張るように石と接合し、細いワイヤーは透明な輝きでピンと張りつめ、空間に渡されている。首の位置、胴の位置、そして脛の位置にも糸を渡して、七志は息を吐き出した。
緊張して知らず、呼吸を止めての作業だった。
続いて縦に張ろうとして、上部には背が届かず、斜めに糸を張る。左右に二本ずつ、念を入れて横の糸よりも幾分太く設定した。これで、室内に入る魔物は一匹ずつに制限出来るはずだ。巧くいけば、何匹かは戦うことなく葬れる。
「よし、」
オーソドックスな手だ。この程度の罠では、ゴブリン以上に知恵のある魔物であれば、難なく見破るだろうか。
「ミスリルを生み出す宝具ですか、隊長。」
興奮を抑え気味にマーレンが尋ねる。よほど凄いことなのだろうという程度で七志は受け取り、軽く頷いた。七志の手許を覗きこむ彼の目は興味を隠しきれずに輝いている。
魔導の道具は多くが不可思議な力を持つ。これぞ、魔法の本懐ともいうべき品々。制御装置の役割であったり、ブースターであったりする。人工で手軽に作られ市場に溢れている物もあれば、誰の作かも知れず世界中でも限られた数しか存在しないレアな魔導具も存在する。
迷宮は、多くがそういうレアなアイテムを秘匿する為に作られているものと、この世界では認識されていた。
七志が得た籠手は、どうやら錬金術系列でのミスリル生成が可能なタイプらしい。……だからこそ、飛び道具として成り立つのだが。
急がねばならない。魔物の群れは刻一刻と近付いている。
ハリーとジェンダ、それにフロット・ベイツは支給のクロスボゥを所持していた。三名に命じて、少し奥から狙わせる。
マーレンとダルシアには出入り口の両脇に控えてもらった。自身のクロスボゥはダルシアに託す。そして七志は弩を構える後方三名の間に立つ。右腕の籠手を撫でた。闇の中、魔物たちの瞳が不気味な赤い点滅となって映る。影が浮き上がり、姿を見せた。
ミイラのように包帯まみれというわけでもないが、一様に両腕を前に突き出して、曲がらない足を引きずりながらゆっくりと歩んでいる。
例のミノタウロスだけが生気を帯びた姿で、他の魔物は乾涸びていた。
見えない糸に取りつく形で先頭の一匹が出入り口で止められる。次々に押し寄せる魔物の圧力で、最初の一匹はぶつ切りの肉塊になって押し出された。
一番後ろのミノタウロスが無造作に前方の魔物たちを押し込もうとしている様子だった。
さらに一匹が角切り肉に変化した後に、気の利いた一匹が鋭い爪で行く手を塞ぐ細い糸を断ち切る。頭を覗かせたその魔物は、顔を向けたところで待ち構えていたクロスボゥの矢を目玉に突き立てられて、倒れた。
後方三名のクロスボゥが一斉に撃ち放たれる。狙ったのは次に侵入した一匹だが、三本の矢を刺したままで平然と歩みを続ける。
七志が腕を水平に上げて、クロスボゥを繰るように籠手に左手を添えた。
射出。
ミスリルの刃が弓矢のように飛び出し、魔物の顔面を襲う。刃に刺し貫かれた頭部は、その勢いのまま魔物の身体ごと吹き飛んだ。
装填は最初の時と同じ、腕を軽く振るだけ。すぐさま新しいミスリルの薄い刃が生える。
構えて、撃ち出す。繰り返しでミスリル弾を撃ち出し、侵入しようとする魔物を三匹、倒した。
マーレンは糸の合間から伸ばされてくる魔物の腕を剣で叩いていた。
「くそ! 隊長、斬れません!」
腕に続き、糸で堰き止められた頭部にも剣を振り下ろすのだが、無情に弾かれる。
鉄製の剣やクロスボゥでの攻撃はほとんど効いていないようだった。
七志の武器一つでは防ぎきれず、魔物は続々と室内に入り込み、騎士に襲い掛かる。そちらを優先して倒さねばならず、すぐに最初の陣形は崩されてしまった。
「仕方ない、退いてくれ! 撤退!」
反対側の出口に駆け寄って、七志が全員に合図を送るように腕を上げて振り回した。
ダルシアの髪を掴んだ乾涸びた腕をミスリルの刃が切断。
「くっ、気持ちの悪いやつ!」
慌てながらも彼女は魔物の腕を振りほどいて、床に投げつけた。
のそりと、少し背を屈めてミノタウロスの巨体が室内へと侵入を果たす。同時に、七志たちは小部屋を抜けて廊下へと逃れ出ている。
罠の意味を為さないほど太いミスリル糸を生成、素早く出口の石壁に貼り付ける。
魔物が殺到し、堰き止められると、一番最後の者をミノタウロスが掴み、我がの後方へと投げ捨てた。
彼の前には立ち塞がる乾涸びた肉壁。
ぎゅうぎゅうにもつれる邪魔者たちを、彼は黙々と引き剥がして後ろへ投げる。振り向きもせずに作業を終えると、現れた輝くミスリルの紐をまた無造作に掴んで引っ張った。
紐のように太いミスリルが千切れるよりも先に、ごっそりと岩壁がえぐれた。
前方を見据えるが、彼が追っていた者たちはもう居ない。七志たちは先へと進んでいた。
◆◆◆
障害物が除かれたことで魔物たちは再び出口へ向けて動き出す。
突っ立ったままで、ミノタウロスは何事か思案している様子で腕を組んでいた。明らかに、この魔物は人間に近い思考を持っているという証だ。
背中に当たる衝撃でミノタウロスはゆっくりと振り返った。何かが背中にぶつかった。ぶつかってきた物を確認する為、視線を床へと投げる。
倒れた魔物がもぞもぞと這っていた。恐らく、ぶつかったのはこれだろう、と見当を付けて、ミノタウロスはさらに視線を巡らせる。己の後方へ。
身体を完全に反転させ、逃げた者たちとは逆方向へ向かう。自分たちが入ってきた入り口、そこに、新たな侵入者の姿があった。
止まっている他の魔物に視線を向ける。
一喝に、魔物たちはまた動き出す。出口へ向かった。
向かい合わせの鏡のような光景に、使い魔二匹は双方の魔物を見比べるように交互に見ていた。
片や、頭部が牛の怪物、ミノタウロス。
片や、頭部が馬の怪物、ハヤグリーヴァ、あるいは馬頭観音という方が馴染みが深い。
互いを見とめると、互いが躊躇もなく歩み寄っていった。
「いきなり一触即発! 見たところの実力は五分!」
調子のいいアナウンスでカボチャが実況中継を開始した時、二頭の怪物は部屋の中央でがっぷりと組み合った。
「やっちゃえー! 馬、負けんな!」
「馬ではありませんぞ、彼は紅の疾風号ですぞ。」
ぎりぎりと両者の腕が互いを押し切ろうと力を込める。馬が頭突きを食らわせた。組み合った両手が弾かれるように離れ、後退した牛はたたらを踏む。前哨戦というべきで、両者に余裕が伺える。ミノタウロスはぶるりと首を振ってから、ついでのように肩を鳴らした。
牛の周囲に赤い闘気が揺らめく。呼応するように馬の瞳が青白い炎を放った。たてがみも同じ青い炎に変化する。片手だけで組み合った。残る片手で互いが牽制しあい、腰を落として相手の隙を伺いあう。
小競り合いを続ける両者の間で、レフェリーは宙に浮き地味な戦いに文句を垂れる。
「レスリングが悪いとは申しませんがー。怪物同士、ファンタジー世界でレスリングって…おおぅ!」
もつれた巨体二つが、カボチャの居た方向へと倒れ込んだ。
牛の首をがっちりと固めて、石壁に向けて突進する。ヘッドロックのまま壁へ叩きつけると、ミノタウロスの角が突き刺さった壁一面に一気に亀裂が走り、崩壊する。牛を埋めて壁が崩れ落ちると、外野二人の歓声があがった。
油断なく身構えて待つハヤグリーヴァ。否、デッド・クリムゾン。
崩れて山となった瓦礫が爆発するように弾け飛んだ。角を前へ突進してくるミノタウロスを両手で受け止めるのだが、こちらも並みのパワーではない。そのまま反対側の壁にまで押し込まれる。背中から激突し、円形の窪みが壁に刻まれたと思う間に、崩れた壁が、瓦礫が、クリムゾンを生き埋めにした。
石が崩れた後の壁はむき出しの黒い土だ。
ミノタウロスの視線が残る使い魔二匹へと向けられた。
何の前触れもなく、牛の目前に馬が現れる。両の拳を組み合わせ、大きく振り上げた状態。咄嗟にミノタウロスは全身の筋肉を緊張させ、来る衝撃に身構える。
ゴッ、と鈍い音響。
頭部に落とされた拳の破壊力は凄まじく、牛の頭がその真下の床へと突き刺さり、石畳を砕いた。
伸びあがるように、両腕の力で身体を倒立へ。ミノタウロスの逆向きの両足が鋭い蹴りを放つ。クリムゾンの分厚い胸板の皮一枚ほどを切り裂いて、大量の血飛沫を上げさせた。
「あ、アニキー!!」
緊張感溢れる空気を切り裂いて、場違いな声が掛けられる。どこまでも余裕たっぷりなのは、むしろこの小さなカボチャの魔物だけかも知れない。
完全なる肉弾戦。身の丈3mはあろう二頭の怪物が城の大広間ほどもある空間を派手に破砕しながら、ぶつかり合う。
回転をつけて、ミノタウロスは地に降り立った。そこへクリムゾンの蹴り。重量の乗った丸太ほどの足を、これも棍棒のように太い両腕でミノタウロスが防ぐ。
掴んだ足を力任せに引きずり、半回転で壁へ向けて投げた。
まただ。
ふぃ、と馬の姿が激突寸前で消えた。瞬く間に、後方から飛んでくる。
今度はミノタウロスの反応が遅れ、後頭部へと、クロスさせた馬の両腕でのアタックをまともに受ける。
のけぞってから、吹っ飛んだ。
「ジャンピン・クロス・チョォーップ!! 決まりましたー! 続けてハイジャンプからのぉー……エルボー!!」
肘打ちが倒れ込んだ牛の背骨に突き刺さる、寸前、くるりと反転した牛に避けられて床石を叩き割った。
「ああーっと、これは巧く躱されましたー! まだまだ元気、まったく疲れた様子を見せません、牛!」
「わくわくですねー、」
呑気に構えた外野に一瞥をくれてから、ミノタウロスはおもむろに上体を起こした。
肘を強打したのか、クリムゾンは片手で自らの肘をさすり、大仰に首を振って失敗アピールを観客に寄越す。こちらもまだまだ余裕の状態だ。
ミノタウロス、余裕綽々に座った姿勢から後転倒立で起き上がる。なかなかに身体が柔らかい。
目前で右腕を伸ばし、カモンとばかりに挑発するクリムゾンの手をはたき落した。
「両者、一歩も譲りません! ここは一旦退きます、仕切り直しか!?」
互いに背を向け、ゆっくりと距離を置く両者に、実況中継のカボチャが交互を見遣って叫んでいた。
ゴングを待つレスラーの如くに、牛と馬の怪物が互いを睨みつつ軽くボディランゲージで相手を挑発する。
……エンタメ色が強くなった。