第二十六話 魔法、のち花火
山が、揺れている。
ライアスは本陣からじっと耳を澄ませ、五感を研ぎ澄ませて機会を読んでいる。
七志のもつ絶対言語能力。
彼の言わんとする言葉は、誰もが正確に受け取ることが出来る。七志自身が言い澱まぬ限りにおいて、その能力は絶対の威力を誇る。それゆえに、語り部には不適格だ。焦らすことも期待を抱かせることもミスリードの妙も、七志の言葉には不可能な術で、ゆえに王宮では王侯貴族たちを前に大恥を掻いた。
七志は口下手のせいだと思っていたが、そうではない。正確に、事実を述べることしか出来なかった所為だ。
ライアスが傭兵たちに陽動部隊を任せた意味もここにあった。
傭兵や冒険者は元々が変更の多い不規則行動に慣れた者たちだ、七志の言葉にピンときた者から順にすぐさま山を下り始め、齟齬が生じることはないと踏んでいた。
しかし、混乱は必至、犠牲の数も全軍で多数にのぼるだろうとは覚悟していた事だ。挟撃による大打撃だけは、なんとしてでも避けねばならない。
戦場の様相など、見るまでもない。目を閉じればまざまざと浮かんでくるほどだ。
地獄絵図。
沈痛な面持ちで、ライアスは自身の剣を手にした。出陣が近い。
後方からは魔物の群れが、前方からは隣国からの不意打ちが、混乱する自軍兵団へと迫りくる。
馬が足場をとられ転倒し、投げ出された者に魔物が襲いかかる。それを横薙ぎに味方の援護が食い止め、別の味方が落馬した兵を助け起こす。
誰も、死なせない。
誓いは早々に破られ、けれど決意はまだ崩れていない。
出来る限り、犠牲者を減らす。それだけが七志の頭にはこびりついている。
七志がゴブリンに向けて放り投げたアイテムは、この世界の魔物には効果覿面だった。
かんしゃく玉を見たことのない魔物たちは飛び上がるほどに驚くのだ。山火事を心配する必要は少なく、しかし、破裂音と火花でゴブリンの足止めには最高の武器となった。
手の中に三つ、まとめて導火線に火をつけ、続けてゴブリンの密集する地点へ投げ入れる。
派手な破裂音と火花に、驚いたゴブリンが飛び上がり、背を向けて茂みの中へ逃げ込む。だが、彼らが基本的に逃亡はしない、という事は知れていて、これはほんの時間稼ぎにしかならない。暫くもすると、怒り狂って茂みから飛び出すのだ。
「火ぃ、点けちゃったほうが早いんじゃない!?」
加勢に加わった妖精が、点火の後に疑問を寄越した。
「山火事になったら、もっと沢山の死傷者を出す!」
そのアイデアは、何日か前に自身で師匠にぶつけた問いだ。火気厳禁、得られた答えは一つ。
「…待てよ、それだ!!」
思わず反転しかけ、落馬しそうになる七志を器用に首を回した馬が口に咥えて掴みあげた。
ぶん投げられ、もとに戻る。まるで漫画のワン・シーンだ。
「カボチャー!」
「なんでございましょう!? 七志様!」
呼べば出てくるお約束のような扱いだ。普段は文句たらたらな使い魔もこの時ばかりは弁えた。
「上空から、逃げ損ねた兵の確認を頼む! 5秒!」
「お師匠に似て参りましたね!」
捨て台詞もそこそこに、カボチャは姿を消し、きっかり5秒で再び戻ってきた。
「西に孤立している騎士が5名! 七志様の部下の、新兵たちですぞ!」
「はぐれたのか、案内を頼む!」
先を行く使い魔の後を、七志の馬が追っていく。
カボチャは宙を滑りながら、他にも多数の孤立組があることを教えた。中でも、もっとも全滅の危険が高い場所へと現状で七志を導いている。そこにはホブゴブリンが3頭もいるらしい。
「カボチャ! 今、俺の頭の中にあるモノを出せるか!?」
出来るだけ懸命に、七志はかつて図鑑で見たあるモノを想像していた。具体的にその構造が、使い魔のカボチャにも伝わるように出来る限りで思い出そうと努めている。
「さすが博識な七志様、細かい部分は違いましょうが、なんとか再現致しましょうぞ!」
「ついでに耳栓も頼む!」
細部のデコルテは使い魔に任せ、具現化され始めたその大きな物体を七志は無造作に肩へ担いだ。
かんしゃく玉が作れるのだ、これも、似たようなものと踏んだが大当たりだ。
ほぼ同時刻、本陣。
「境界ラインか、さすがはハロルド。わたしが見込んだだけはある。」
報告を受けた姫将軍の、第一声がこれだった。冷静、あるいは冷酷なほどに落ち着いている。
賛美の後には声高く号令、「よし、作戦開始だ! 続け!!」先頭を切って、馬に鞭を入れた。
電光石火、まさしくスピードが命ともなる作戦だ。
一気に駆け下りる傭兵部隊、雪崩れを打って降りてくるゴブリンの群れ。その魔物を目がけて突撃、馬と剣戟により蹂躙し尽くした後に、再び馬首を巡らせ隣国兵団へ向かう、それがベストのプランだった。
足止めは都より引き連れた魔導師たち。伏兵として、平原に構えている。
しかし、これは敵に読まれていた。
平原では今まさに、魔導師対魔導師の不毛な戦闘が繰り広げられている。
「姫将軍が出たか……! まずい、こちらの状況は伝わらなかったか。」
恐らく、知らせを走らせたが途中で狩られたのだろう。苦りきった顔でリーフラインはそれでも戦線を維持する。遠隔魔法に対抗する為の遠隔魔法。いつか七志に教えたように、打ち消し合いに終始し、敵の進軍を止めるだけの力はない。だが、迎撃を止めれば魔法の矢が上空から騎士団を襲うことになる。
魔導師の攻撃は互いに相殺。恐らくは兵士に掛けられた補助魔法もほぼ同じであり、両軍に差はない。先手を取った方の勝ちと見えた。
スピードにおいて上回り、敵の本隊に、取って返した騎士団が襲いかかる、そのタイミングが合うことを祈るばかりだ。
戦闘は始まった。だが、まだ序盤だ。
「索敵魔法!」
夜空に煌めく星々、それが突然様相を変える。サーチ魔法発動直後からは、飛び交う両軍の魔法の軌跡が空を埋め尽くす様が如実に姿を現した。互いの破壊攻撃の弾道が縦横に尾を引いている。
空で交差しようとする弾道を睨み、リーフラインは片手を高く掲げた。
キラキラと輝く軌跡を描き、魔法が夜空を駆ける。通常では見えない魔力の軌道と種類を、同じ魔法で看破する。飛んでくるのは火の魔法、こちらも応対の為に用意された中から、水系の魔法を展開させた。
巨大な魔法陣が、水面の輝きで敵攻撃の着地点に現れる。次々と飛来する火炎弾を、面となった水の膜がことごとくと飲み込んだ。
魔導師たちは次々と、あらかじめ仕掛けてあった魔法攻撃と防御の術を解き放ってゆき、同時に次々と先手を読んで新たな攻撃と防御の魔法を組んでゆく。
火でくれば水で返し、雷を送る。防がれれば、風を送り、土を仕掛け、水を防ぐ。手の読み合い。
兵士たちは頭上に展開する巨大な魔法陣には目もくれず、怒涛の進撃を続ける。行軍する人々の上に次々と花開くように、各種の魔法陣が展開し、巨大な火の玉を打ち出すかと思えば、水面が空に広がり、暗黒が渦巻き、そこへ敵陣からの巨大な魔法が飛び込んで四散する。
この魔法陣一つ一つが、魔導師一人一人の手による魔導の発露である。恐ろしい光景だ。
しかし、ことごとくの魔法は、切り込む兵士から見ればどれもこれも不発に終わっているという事であり、彼らは無傷だ。無傷の敵兵が土煙をあげて、国境を目指して雪崩れてくる。
リーフラインの額に玉の汗が滲んだ。
本陣を後方に控える平原。ここへ今の時点で攻め込まれれば、留守を預かる魔導師たちには一たまりもない危険な状況だった。
「本陣より伝達! 合流、のち防御に専念せよとのことです!」
きたか。リーフラインが引きつり気味の笑みを浮かべた。
◆◆◆
「七志様! 敵軍の攻撃が開始されましたぞ!」
上空から、使い魔が知らせた。
魔法が矢のように行き来しているのは知っていた。ほんの少し前に魔法の応酬が始まったと聞かされたばかりだったが、もう敵軍が突撃してきたという。
「魔導師たちは!?」
脳裏に浮かんだのは、あの調子の良い男、リーフラインだ。
「本体に合流して応戦中の様子です、七志様!」
そうか、と呟き、七志は意識を前方へ向けた。師匠のことは気掛かりだが、今、自分の為すべきは、取り残された兵たちへの救援だろう、と判断してさらに馬を急がせた。
駆け付けた七志が見たのは、三匹の大きな魔物に襲われ岩場の隅に追い込まれた自身の部下たちだった。行軍の時に親しく口をきいたあの連中だ。
肩に担いだ新兵器よりも早いと踏んで、七志はかんしゃく玉を放り投げた。
息のあったコンビネーションで、指示がなくとも妖精は火薬玉に火を点ける。狙い通りにホブゴブリンの足元で派手に炸裂した。
魔物の錯乱振りは滑稽なほどだ。一匹は飛び上がった後に尻もちをつき、一匹は足をもつれさせて転倒、残る一匹はわき目も振らずに逃げた。
転倒した一匹に、劣勢だった騎士5人が一斉に躍りかかって仕留める。尻もちをついた一匹は威嚇のように吠え、逃げた一匹もすぐさま戻ってくる。そこへ七志が合流した。
二頭のホブゴブリン、かつてたった一匹にすら苦戦を強いられた七志だが、今回は秘策がある。
耳栓と目を保護するゴーグル完備。素早くゴーグルをおろし、身構えた。
「点火!」
妖精が、七志の構える大筒の後方に回り、火を点ける。
木製の筒だ、荒縄をぐるぐる巻きにしてあり、脇に抱えるように捧げ持つのだ。
ほとばしる火花の滝に顔面から突っ込んで、ホブゴブリンが悲鳴をあげてのけぞった。顔が焼けただれ、目も恐らくは潰れたのだろう。
七志が使ったのは、手筒花火だ。凄まじい量の火花が派手に吹き上がっている。ゴブリンも逃げ出す、大迫力のアイテム。使う七志自身も放り捨てて逃げたいほどの恐怖と戦いつつ構えている。
「今のうちに……! 下山!」
恐れおののく魔物たちの背後から一刀を浴びせ、騎士たちは瞬く間に危機を脱した。
そして、七志の背を守るように展開。
「いいえ、お供します!」
驚いた顔の七志に向けて、余裕の戻った様子で笑みを返した。
花火で威嚇しながら闇雲に走る。
とにかく、この密集地帯から逃れることが先決で、位置の把握は二の次でいい。
ようやく魔物の少ない沢へ降りることが出来た。
勢いの弱まった花火を、筒ごと川の中へ放り込んで消火し、カボチャに筒を消去してもらう。
一息、落ち着いて一同を見回した。
「馬はどうしたんだ、みんな。」
見れば全員が徒歩であり、数人は配布されたはずのクロスボゥさえ失くしている。やはり新兵、今回の作戦は厳し過ぎたのだろう。七志はまだ知らないが、戦死した者の多くも新兵や成りたての冒険者だ。
沢は、以前の経験から逃走には向かないと知っていたが、こちらには火の妖精と、無限に出せる火器がある。火を使うなら、むしろこちらの方が好都合ということで、あえて沢へ降りた。
「申し訳ありません、隊長。未熟ゆえに、途中、落馬致しました。」
背筋を伸ばし、はっきりと告げる。歯を食いしばったのは、恐らく、本来ならここで上官が殴るなりの制裁を加える流れなのだろう。七志は呆れたように息を吐いただけだが。
馬と強力な武器を失くして、よく生きていられたものだ、と感心した。
「まぁいいや。俺と同じでよほど幸運なんだろうさ。それより、手伝ってくれ、大掛かりなことをしたいんだ。」
未だ歯を食いしばって目を閉じているその騎士の肩を、ぽんと叩いて行動を促した。
馬が呑気に川の水を飲んでいるところを見ると、この一帯に残っている魔物はほぼ居ないのだろう、と踏んで、七志は部下たちに相談を始めた。
使い魔に調べてもらったところでは、現在も麓付近の山間では魔物との乱戦が続いている。隣国の兵も近付いており、本陣に到達するのは時間の問題だ。
現在地は本陣、合流地点のちょうど反対側であり、今から行っても間に合うはずもない。それより、現状で多くの兵が山中に取り残され、孤軍奮闘中だという方が危ない。
「でだ、俺はちょっとズルをしようと思ってる。これだけかんしゃく玉でビビる連中なんだから、きっと効果覿面だ。みんなは灯火魔法が使えるだろうから、このちっさいのと一緒に点火に回ってくれ。」
ちっさいの、と呼ばれてパールは頬を膨らませて拗ねる。
指示は出した。
カボチャの具現化するアイテムを次々とバトンリレーで定位置へ運び、石を使って固定する。数十基の発射台が準備完了するのに、さほどの時間も取られなかった。人数が多かったことが幸いした。
「よし、初段点火!」
妖精パールと、七志の部下5人が、次々と目の前の台座に火を放つ。
耳を塞ぎ目を固く閉じた一同を、一拍遅れて腹の底へと響く重低音と硝煙のキツい匂いが包み込む。数人の騎士は尻もちをついた。目を白黒させている。
上空へと延びてゆく光の帯……どぉん、と一際大きな音が周囲の空気を揺らした。
手筒花火がOKなら、きっとこちらも巧くいく。今度出させたアイテムは本格的な打ち上げ花火だ。
連続して響く、この腹の底を揺さぶる音階はきっと山の隅々にまで鳴り響き、居合わせた魔物たちを怯えさせることだろう、と。
「よぉし! 景気よくいこうぜ!!」
存外明るい七志の声。気を取り直し、騎士たちも次の弾を打ち上げるべく行動を開始した。
少しだけ、時を巻き戻す。
七志たちが準備に追われている間に、麓に近い境界ラインではリーゼンヴァイツとエフロードヴァルツの両軍がまさに激突しようとしている。
勝った……!
ベルンストは凶悪な笑みをその顔面に刻んでいた。
まだ相当な距離があるとはいえ、完全にリーゼンヴァイツの背後を捕らえている。エルフの師が告げた読みは当たっており、敵軍が山から誘い出した魔物を叩いた後に反転、一気に攻勢に出るだろうという推測の通りに、前方の軍は動いている。
その背後を取るように、視界に収めたエフロードヴァルツの軍勢。
「大弓隊、用意!!」
背後を取ったまま距離を詰め、彼らが合流する山中に射かけるつもりだった。
「ベルンスト、兵の進撃速度を上げなさい!」
エルフの鋭い指示が下る。
気付いたのはその時だ、山中で合流すると見られた陽動部隊が緑の雪崩れを引き連れて駆け下りてくる。
まずい、この距離では射程圏に入る前に合流を果たし、切り返してくる。
彼らの狙いがいつの間にやら、ゴブリンを含めた自軍と敵軍、三つ巴の混戦にシフトされていた事を、ここへきてようやく将軍は悟った。
「チッ、全軍スピードを上げろ! 突撃!」
悠長に狙い撃ちを仕掛けている余裕はなくなった。
「大弓隊の速度を落として後方へ下げなさい、効率は悪いが敵だけを射かけさせれば使えなくもありません!」
「なるほど、あえて乱戦に踏み切りますか!?」
「臨機応変に!」
師の言葉に従い、将軍は主力の大弓隊から右翼半分だけを下がらせ、残りの兵には武器チェンジを指示した。
「不細工な戦況です! まったくもって無様としか言いようがない!」
美しいエルフの口から、そのような罵声が飛んだ。若き将軍に対してではなく、まさしく自身に向けて発せられた叱責だった。
魔物を交えての乱戦など、こちらの利はほとんどない。しかし、突撃を仕掛けた今、迂闊に軍を下げることもまた難しく、思考を切り替えた頭で引き際の計算を開始していた。
ゴブリンには両国の兵を見分ける意味も理由もない。等しく両軍に襲い掛かり、両軍もまた混戦の中で魔物と敵軍の区別なく切りかかることになろう。
不意打ちは完全に失敗。撤退のタイミングを計る。
作戦立案に枷を加えられたライアスに考えうる、これがギリギリ最上の策だ。
敵国も本気で戦いを仕掛けるつもりはなく、出来れば無傷でこちらにだけ痛手を与えたいはずなのだ。ならば、自軍にも犠牲を強いられる混戦という状況ではさっさと引くに違いなかった。
本来の目的は、こちらの弱体化狙いなのだから、自軍までが傷を負うのでは本末転倒だ。
あとは、敵の聡い将が、愚に気付いて退却を命じてくれることを祈るのみ。
どちらの軍にも得はないのだから。
もつれながら駆け下るゴブリンとリーゼンヴァイツの軍。
突撃するエフロードヴァルツの軍。
腹の底へと鈍く響く重低音がすべての生物の動きを押し止めたのは激突の一瞬前、だった。