第二十五話 連環魔法アースクエイク発動
本陣は街道側の、これ見よがしに隣国からの眺め良い場所へ配置してあり、山を回り込むかたちで一ノ陣、さらに距離を置いて二ノ陣がある。七志はこのうちの一ノ陣で、時計の役を担っていた。
深夜1時。
合図を送ると先の二度とは違い、派手さを抑え口頭だけで伝えられていく。
「消灯ー! 消灯! 速やかに灯を消されたし! 次の作戦決行時まで、一切の灯火は控えられたし!」
篝火の鉄籠が下され、すばやく灰をかぶせて消火が行われた。
辺りが闇に包まれると遠くにあった二ノ陣でもこちらに倣うようにポツポツと灯が消されていく。
眠るためではない。夜に目を慣らすためだ。
2時の突撃に備えて、全軍が息を殺す。
本陣は動きを見せないまま、明りを消した二つの友軍の陣を確認し、王に報告した。
「手筈通りに進んでおります、現在時刻は1時にございまする。」
「うむ、敵軍の動きには注意せよ、微妙な駆け引きとなろう。」
御意、と斥候は王の前から下がり、居並ぶ陣容に一礼を返して退出した。
控えているのは王妹フィオーネ、軍師ライアス、そして連隊長レイン・J・クロウリー。クロウリーもハロルドと同じく庶民の出身だが、彼は貴族の娘と結婚をしてその末席に名を連ねている。
「時、ここに至り、敵が仕掛けてくるは間違いなく。恐らくは我ら騎士団が動いた後の背後を突くべく進軍を開始するでしょう。」
レインの言葉に一同も頷く。
もちろん、それも見越しての作戦だ。そのために、わざわざ囮となる傭兵部隊の人数を抑え、本隊の強化に当たらせたのだから。陽動部隊のおよそ3倍、正規兵の騎士たちは元からが通常の冒険者たちよりも臀力において優れる精鋭だ、数でゴブリンの群れを圧倒する。
そのように極端な部隊配置をされているとは敵も知らぬはず、十分に、取って返し隣国の兵を迎え撃つだけの算段が出来上がっていた。
「うむ。存分な働きを期待する。」
一礼を残し、連隊長と姫将軍は本陣を後にした。
「……巧く行くだろうか、ライアス将軍。」
「運を天に任せるのみ、だの。」
ほどなく、灯火が上がった。
突入の合図だ。
進軍は比較的静かに、速やかに行われた。
山へ侵入すると、見つけ次第手当たり次第と行き会う魔物を屠っていく。静かな波が打ち寄せるように、夜の静寂に殺戮の気配が広がっていく。
騒々しくはない、山全体は未だ静かな眠りの中にあり、麓からじわりと喧噪が滲み出しつつある。
七志の副官ではあるが、ジャックは各部隊の綱取りを引き受け、行き来が激しい。巧みに馬を操り、通常は不利な山中での騎馬行軍を可能にすべく奔走していた。
馬で踏み入れよ、とは、軍師ライアスからの厳命だ。軍馬はよくよく調練され、魔物の襲撃など多少のことでは怯みもしない。さりとて、慣れぬ山岳地帯を歩かせることは一見無謀にさえ思えた。魔導師たちの苦労はここにも見えている。軍師の示した無理難題を解決するため、彼らはこの数日間を不眠不休で研究に明け暮らしたとも聞いている。いったい、何を注文したかといえば、これだ。馬が険しい山岳地帯を歩めるように、補強する魔法を開発させた。
正確には応用編というべきで、従来、人間に使っていた魔法を軍馬用に改良しただけだが、短時間の注文は無理難題というに相応しいシロモノだった。
山間、馬での戦闘など普通では考えない。走れない、小回りも効かないような地に、馬を乗り入れるだけの理由がなかったからだ。
今度こそ、七志はキッカに感謝していた。
付け焼刃の乗馬技術では、到底このような険しい土地で馬を進めることなど出来はしなかったに違いない。また、キッカに貸してもらったこの馬はよくよくの名馬らしく、自身で歩きやすいルートを判断して歩いてくれる。七志の部下たちはその後に従うだけで良かった。
と、突然、馬が急停止した。いななき、前片足を激しく地に蹴りつける。
何事か知らせようという動きに、七志も慌てて行軍を中止した。
「どうしたんだ、紅疾風号。」
なんとも厨二くさい名前だが、彼女に借り受けた時からその名なのだから仕方ない。呼んでいるうちにもう慣れてしまったことだし、だ。『紅の疾風とかいてデッドクリムゾン!』と、嬉々として、にこやかに紹介されてしまったのだから、仕方がない。キッカのネーミングセンスは脱力ものだと知った七志だ。
名前の由来はさて置いても、この馬が類い稀な名馬であることに違いはない。
クリムゾンは、まるで首を回して差し示すように木々の合間の空間を指した。そこからは、麓の様子が一望出来る。位置関係から見て、見えているのは隣国側の裾野だ。
「…おい!」
誰かの放った鋭い一声。一同に緊張が走る。
木々の合間に見えたのは、隣国の領地に展開する騎兵部隊の大規模な進軍。それは、こちらの予定よりも随分と早い。ゴブリンどもを叩いた後に、取って返して反撃するという作戦の裏を掻かれているかのように。
さらに不味い事実。敵兵の主力は大弓だ。こちらの騎士部隊が合流した時を見計らって攻撃を仕掛けられれば、ひとたまりもない。前方の魔物と後方の敵兵で挟み撃ちに遭うだろう、想定外の山中にて。
傭兵たちが騒ぎ出した。
「まずいぞ! ジャック!!」
合流していた別部隊の者の声が浴びせられる。
どうするか、これを知らせれば、最悪、見殺しにされるかも知れない。作戦はすでに開始され、あちこちで散発的な戦闘も始まっている。先発隊の傭兵たちはもう引き返せない。
「知らせを走らせないと!」
「バカ野郎、そんな事をしたら本隊の援軍が来なくなる! 見殺しにされるぞ!?」
間髪入れずで怒鳴り返した別の声。傭兵たちの内には正規軍への不信がことさら強いのだ。ジャックは厳しい目で七志を見やった。ライアスの予感が的中した、悪い方向で。
不審、混乱、焦燥、一気に友軍の空気が混沌を極めた。
恐れていた事が事実になった。
内心の焦りをおくびにも出さず、冷静にハロルドは敵陣を見守る。
「どうしますか、隊長!?」
誰かの声が指示を仰いだ。
ハロルドは、隣に騎馬を寄せていた七志に振り返った。
「七志、各隊へ連絡を頼む! 敵軍に動きあり、一撃後、即離脱されたし、と!」
指令を受けた七志が大きく頷く姿を確認してから、彼は後方の部下たちへ鋭い叱責を飛ばした。
「落ち着け! こちらの作戦に穴はない! 当初の予定は変更、アースクエイクが発動される、ゴブリンどもが纏めて叩き起こされてくる筈だ!」
ライアスが用意した二の段が破られた。頼みの綱は、残り一つ、三の段。
「七志! 使い魔を呼び寄せて本陣へ連絡を! これより下山、至急、合流の軍を向かわせられたし!
合流地点は、山間を抜けた麓の境界ライン、と!」
「はい! カボチャ、お前の出番だぞ!」
「アイアイサー!」
七志は馬首を巡らせ、前傾姿勢を取る。これだけで、意思が通じる。カボチャは一路ライアスの許へ。
来訪者の背を見送るハロルドは祈っていた。七志の馬は名馬という枠さえ超えた逸物だ、およそ魔物と見紛うごとくの……。
そして、彼に賭けた。七志の卓越した言語能力は、たった一言でこの緊急事態を聞かせる者に理解させる。その能力の絶対性が、全軍の窮地を救うだろう。
◆◆◆
頼んだぞ、七志。祈るように背中を見送るジャックとハロルド。
先もって軍師ライアスから授けられていた最後の秘策、それはこの七志が居て初めて成り立つものだった。かつて老将軍が呟いた言葉、『敵は七志を知らぬ』この言葉の真意が今、明かされようとしている。
馬は七志を乗せ、足場の悪い山間を駆けていた。
単騎だからなのか、先刻よりもずいぶん早い。賢い馬だから、他の軍馬に合わせて力をセーブしていた事が窺えた。しかし平地の行軍に比べてずいぶんと揺れが激しい。七志は振り落とされないように、初めて馬の首にしがみつく格好で必死に手綱を繰っていた。
不規則に続く木々の列。右へ左へと回避しながら、時に足場を危うくし、なんとか馬はバランスを取り、走る。
四方八方に視線を配る馬などという不自然な状況に、七志はまだ気付いていなかったが。
それよりも、気がかりなのはこの緑の小鬼だ。ゴブリンの数が異様に多い。視線を巡らせるだけで、あちこちに煤けた緑色の魔物の姿を捉えることが出来る。
目の前に飛び出す緑の障害物をも、七志の馬は難なく蹴散らしてゆくのだが。
見えた。最初となる友軍への連絡。
「アースクエイクが発動! 一撃を加えた後は速やかに後退してください! 合流地点はゴブリン山境界ラインです!」
必死に声を張り、七志が叫んだ。
これを聞いた友軍兵士は皆、弾かれたように顔を上げる。なぜ、この簡単な説明ですべてが理解されるのかは誰にも解からない。だが、確実な要点を突いて、振動魔法でゴブリンを炙り出すことにおける注意と作戦変更に伴う諸般の留意点が頭に浮かぶ事に疑念を挿む者はなかった。
前もって、傭兵の間に連絡網を構築していた七志の副官ジャックに聞かされていたからだ。七志が来た時は緊急事態だ、と。急変したその内容が驚くほど正確に伝わる事も、ここにきて気にかける者はない。余計な詮索を挿む余地がない。七志が神に与えられた力だと知っている。彼の伝える言葉は正確無比。
即座に行動へ移る。
皆が無言で馬首をめぐらせ、山を下り始めた。
アースクエイクは魔導師が複数人にて行う中級範囲魔法だ。大型で操作の厳しい魔法は高級の域となり、その際には10人以上の人数で行われるが、今回は一つの山に限定されるため、三人の魔導師が召喚式の準備を始めていた。本陣、ゴブリン山を見据えて、三人が輪を作る。
地震は、大地の秘めたエネルギーに干渉して引き起こす高度な技術だ。魔法陣が描かれ、術式が正確に詠唱され、地の奥深くに眠る地震の運動エネルギーのみを切り取って地域限定で召喚する。
この山だけを揺らし魔物どもを叩き起こす程度に、震度も調整された。
連環魔法は個人で扱う魔法とはまるで性質が違う。ほとんど同じ練度と魔力を備えた者だけで行わねばならず、頭数が揃えば良いというわけには行かないからだ。レベルの違う者でこれを行えば、力の弱い者へ負担が集中し、最悪の場合、魔力の逆流が起きる。暴発すれば際限ない力の潮流が生まれ、付近一帯は吹き飛ぶだろう。正確なコントロールが要求され、詠唱破棄などしようものなら魔力の針路がどのように捻じ曲がるかも知れない、危険極まりない魔術だ。よって、連環を必須とする大規模攻撃魔法の類は、甚大なリスクゆえに戦場で用いられるケースはほとんどない。
その大規模攻撃魔法の一つが、今回使われたアースクエイクだった。三者連環。ギリギリの選択だ。
各地で振動攻撃、山が激震、地鳴りはやがて魔物の咆哮の多重奏へと変わる。
馬首をめぐらせ、各馬が一斉に方向転換、怒涛のごとくに山を駆け下りていく。追いすがるゴブリンの大群。……まさしく、大群の魔物が山に巣食っていた事実を突きつけていた。
数を増す、緑の群れ。群れ。どこからとなく湧きだし、枯れた山を埋め尽くすほどに溢れた。
散発的な戦闘も、激しさを増す。
乱戦状態で山を下る騎馬に、ゴブリンたちが襲いかかった。馬の脚が緑の生き物を踏みつぶす、騎士の剣が馬上から魔物を切り伏せ、頭上に落ちてきたゴブリンに引きずり倒された兵を別の兵が救出する。
振り切って走ろうとする者は、あるいは馬ごともんどりうって倒れ、あるいは手綱を取られて落馬したところへ魔物が飛び掛かった。
酷い乱戦状態。
七志は、腰にした武器をここへきて初めて手に構えた。
馬は器用に立ち回り、威嚇と回避を同時にこなしてゴブリンの群れをいなしていた。数人の傭兵が取り残されたところへ、七志が駆け込んだかたちだ。
鎖を目一杯に伸ばし、棘マラカスを大きく輪を描くように回している。モーニングスターはこれだけでかなりの威力を示した。迂闊に飛び込もうとした魔物が、横殴りに棘棍棒にぶち当たって、弾き飛ばされる。
「次の矢の装填を! 急げ!」
七志の指示に従い、一斉にクロスボゥの矢を装填、足で仕掛けるために出来る大きな隙は七志の武器が辛くも防いだ。
「撃て!!」
軌道を妨げないよう、棘鉄球が地に落ちた瞬間の号令。
正確に狙って放たれた矢は、無数のゴブリンを刺し貫いた。
「よし! 血路が開かれた、反転、下山しろ!!」
本来、この部隊の隊長格が鋭く叫び、同時にクロスボゥを七志に向け、後ろに迫ったホブゴブリンの頭を撃ち抜いた。
「す、すいません!」
「なにを、…逃げるぞ!」
感謝するのはこちらの方だ、などと悠長に言葉を交わす余裕はなかった。
一方でジャックとハロルドも苦戦を強いられている。
「くそっ! 援軍はまだか!?」
まさか、また、傭兵部隊を見殺しにするつもりなのか、と疑念が浮かぶ。幾度となく、騙し討ちの手法で駆り出され、斥候として山に送られ、仲間が殺されてきた。
信じろと言う方がどだい、無理だ。
ゴブリンたちともつれ、乱戦状態で山を雪崩れ降りてくる陽動部隊。徐々に脱落者と戦死者を増やしている。七志の配って歩いたかんしゃく玉が、想像以上の効果を発揮したことは救いか。
ゴブリンの目に、小さな火薬玉は見咎められず、足元で鳴る突然の破裂音は効果覿面だった。馬で乗り入れさせた理由も解かった、速度を削がれるとはいえ、それでもゴブリンと重装備の人間では勝負にならない。馬でようやく振り切れるか否か。
けれど、それでも時間の問題だ。
嫌な予感もある、まさかに騎士団がこのまま動かぬとしたら……。
隣国兵団と睨み合った末に動かず、麓の平地で決戦を決められたなら、陽動部隊は大打撃を受ける。
「動いてくれ、騎士団! ライアス!」
振り払うように、ジャックは叫んでいた。
怒涛のように押し寄せるゴブリンの群。とてつもない数。その生態は知られていない、だからこその盲点で、ゴブリンの繁殖力の凄まじさは、予想をはるかに上回っていた。
何度遠征軍を組織し、この魔物を討伐してきたか、もう数えきれない。
叩いても、叩いても、減らない。
その事実の指す本当の意味を、誰しもが目を背けていた。このまま彼らを放置すれば、いずれ、その爆発的な繁殖力をもって、人間の住むエリアも浸食され尽くすだろう、その悪夢を。