第二十三話 妖精と契約しました
魔導師という職の者はすべてがそうなのか、リーフラインは大きな鍔付きの帽子で、顔を隠すように目深に被っている。そのうえに、身は濃紺のローブで服装や装備を完全に隠していて、胡散臭いことこの上ない。
このローブの下から何が出てくるのか、予測もつかなかった。
「えっと、あの、なんて呼べばいいのか。……魔導師リーフライン。」
「なんだい、七志。普通にリーフラインと呼び捨てで構わないよ。別に導師のような偉い立場じゃないんだから。」
気さくに魔導師は答え、七志は頭を掻きながら頷く。どうやら通訳能力のせいで、彼の立場を正確に理解出来ないようだった。冠詞の単語が違っても七志には誰もかれもが魔導師の一括りに聞こえてしまう。魔導師は階級制を取っており、一般的な魔導師の上にはマスターという、魔法を教える立場の者があり、彼らは導師と呼ばれるらしい。説明を受けると、聞こえてくる言葉にもバリエーションが増えた。
七志にとって、彼らの内情はこの際どうでも良かった。話を戻して質問を投げた。
「あの、さっき言ってた『経路』というものがないと、魔法はまったく使えないものですか?」
「そうだね、まず使えない。それがどうかしたかい?」
目に見える落胆の様子に、リーフラインが逆に質問を返した。
「その……、ちょっとした火の魔法を教えてもらおうと思ってたもんで……、」
腰に括り付けた布袋を手でもてあそびながら、七志はつい先ほどまで持っていた思惑を聞かせた。
かんしゃく玉を貰ったはいいが、点火するための種火がない。そこで、魔法で火を付けるという方法を考え付いたのだが、まさか自身がまったく魔法を使えない人種だとは思わなかったのだ。
「火を点けるだけでいいのかい?」
「ええ、いちおうは。」
「じゃあ、これを手なずけるといいよ。」
ごそごそとローブの下に突っ込んだ手を動かしたかと思う間に、次に腕を抜き出した時にはその手に小さなガラス瓶を掴んでいる。蓋にはべったりと呪文の書かれた札が貼られて、封印がされている様子だ。
瓶の中に、なにか光る生き物が動いていた。
「これ……、」
「妖精だよ。初めて見る?」
仄かな輝きはオレンジ色で、なんだか弱っているようにも見えた。
「契約して、使役するんだよ。君が持ってる召喚獣と同じようなものだ。名前を聞き出して、その名を呼べば、人間のいう事を聞く。」
「あの、すごく弱ってるような感じですけど?」
指さす七志の視線の先に、ずい、と瓶を突き出したリーフラインはそのまま小瓶を押し付けて、手渡した。
中の妖精はじっとうずくまったままで、体育座りの格好で顔を伏せていた。
「一か月以上何も与えていないからね、死にかけているんだ。契約儀式でのオーソドックスな方法だけど……知らないとか?」
魔導師は怪訝そうに目を細め、七志の表情を観察していた。
どうして自身に向けられる視線が、非難めいているのかが理解出来なかったのだ。
「それが……この世界じゃ、普通なんですか?」
「そうだよ。いや、普通はここまで強情なこともないから、1~2週間で契約成立になるんだけどね。
あんまり懐かないから、逃がそうかと思ってたところだ。」
国王のことも、かつては人でなしだと思ったことがあった。あの高い城壁から弓矢で射落とされた時のことを思い出して、七志は口を噤む。
別に非道ということでもないのだろう。自分の居た世界、いや、自分の周囲が恵まれていて、そういう場面にお目にかからなかっただけだ。元の世界だって場所を変えればとんでもない土地柄の悪行も話に聞く。この世界が殊更に酷い世界だというわけではない、そうは思ってもなかなか生まれてきた嫌悪感を鎮めることが出来なかった。
詳しい契約儀式の内容など知らない。けれど、この瓶の中身が如実にその実態を教えているような気がして、ますます気分が悪くなった。
甘いだけだ。自身の生まれ育った環境が、ぬるま湯だっただけだ、と無理遣り抑えねばならなかった。
「じゃあ、貰っていきます、これ。」
「ああ。契約自体は一度やってるだろうし、知ってるよね。」
作戦開始前。この時間帯の魔導師は忙しいらしく、別の兵士に魔法を掛けてやりながらの、素っ気ない返事が聞こえた。七志からの応答が聞こえなくても、気にもならないらしい。
「もし生きて帰れたとしても、一度でいいから研究室へ来てくれ。どうしても君の身体を調べたいから!」
不機嫌に歩み去る七志の背中に、リーフラインの声だけが追って行った。
兵士の食事を担う厨房はホロの一つを占拠して、そこも既に人でごった返している。
もうじき作戦決行時刻。正確な時間を兵士たちに教えることも、実は七志の仕事である。腕時計は、かつての激しい戦闘でも壊れていない。
父に高校入学祝いで買ってもらった、Gショックだ。高価な時計で、水中でも、戦闘時の激しい衝撃でも傷一つ付いていない。正確に時を刻むこのアイテムのお蔭で、自軍陣地は三分されていても、同時行動が可能だった。
「9時か、」
時々気をつけて見ていた文字盤を覗く。合図を送ると、遠くから七志の動向を観察していた気象観測兵が、合図を送り返した。
魔法の正しい使い方、と師であるライアスから教わったことがある。頻繁に時刻は知らせない。代わりに、節目の9時、12時、そして突撃の合図、2時の三度だけ、火が中空に灯る予定だ。
見届けて、七志は厨房で食事のトレーを受け取る。先に食べていたので、これは二度目だ。そういう細かいことは誰も気に留めない様子だ。
つづけて封印の札を剥ぎ取って、ガラス瓶の蓋を開けた。出てくる気配がない。
「あれ? おーい、出てきていいんだぞ? 寝てんのか?」
瓶を揺さぶってみると、妖精がぐにゃぐにゃと身体を動かして、倒れる。
「ちょ、おい!」
ひっくり返してテーブルの上に出すと、べたりと伸びてしまった。
死んでしまったのか、と胆を冷やす七志の視線の先で、妖精はやがてむくりと上体を起こした。
自分と同年代の少女を手の平サイズに縮めると、こんな風になるだろうか、と七志が考えた瞬間に、鼻先に熱い痛みが走った。
「いてぇ!」
「ばーか! 人間、大嫌い! ばーか!!」
鼻をさするだけでも痛みがある。小さな火の球を投げつけられたらしかった。
逃げようとしているのだろうが、どうやら既に羽を動かして飛ぶだけの元気もないらしい。這いずって多少の移動をするのが精いっぱいのようだ。
「バカとかはいいけど……、とりあえず飯食ったら?」
七志の提案は無視して、妖精少女は目を見開き驚愕の表情で彼を見た。
◆◆◆
「う、わ、え、ぐ…!?」
奇妙な声が七志の口から零れる。
突然、妖精の身体の発光が収まり、あられもない姿が目に飛び込んだからだ。
「あなた、あたしの言葉が解かるの!?」
慌てて目を逸らし、ついで固く瞼を閉ざした七志を指差して、少女は叫んだ。人間と妖精の体格差では距離が有りすぎて、普通に話していたのでは聞こえないのだろう。
「変なヤツだわ! 妖精の言葉は妖精にしか解からないのに、変だわ!」
「変と言われても……。」ふいと思い出す。「ああ、俺の能力が『通訳』だからだろ。」
言葉尻を蹴っ飛ばして、妖精がまた叫んだ。
「あなた、来訪者なのね!?」
妖精はよほどに腹を空かしていたようで、疑問もそこそこに、すぐさま勧められた食事に貼りついた。
まさしく貼りつくという表現が的確な、全身で皿に飛び込んで泳ぐような状態。デミグラスソースにまみれて、必死の形相でミンチ肉を頬張る。時間が遅く、冷めていたハンバーグだ。これが熱いスープだったらどうするのだろう、という心配が浮かぶくらいに、目の前の食べ物に夢中になっていた。
オレンジ色の長い髪も、色白の長い手足も、もちろんボディに至るまでがソースまみれ。裸でいた事が逆に幸いに思える。服の類を着ていたら、洗濯が大変そうだ。
士官と兵卒では食事の内容に差があった。同じミンチ肉でも士官はソース付きのハンバーグで、兵卒や傭兵はミンチボールの入ったシチューだ。
がっついている小さな少女はそのままにして、七志はボウルに湯を張った。その隣にタオル。
食事が済んで満足げに腹をさする小さな少女の頭から、ボウルの湯を半量、流しかける。つづけて皿の中から掬い上げ、ボウルの湯へと落とした。
「なにすんのよぅ!」
出来るだけ見ないようにしたせいか、多少扱いが雑になったようだ。妖精は文句を言った。
「七志殿、少しでも休んでおかれますようにと隊長からの言伝です。」
急ぎ足の下級士官が離れた場所から七志に声を掛ける。喧噪の最中を避けて、明りも届きにくいような隅のテーブルに陣取っていたのだが、いきなりの声掛けに飛び上がるほど驚いた。ハロルドの指示だろう、さすがに細やかなところにまで目が届く人だ、感心しつつも跳ねる心臓を懸命に抑える。
大きく首を上下して、必死に七志は答えにした。この光景を見咎められたら、またややこしい話になりそうだ。
うんうんと頷く七志の態度を確認して、彼は敬礼を残して去った。
通り過ぎていく士官を見送ってから、七志は改めて妖精入りのボウルに振り返った。
どさくさで逃げていても不思議ではないが、図太い神経なのだろう、妖精の少女は優雅なバスタイムを満喫している様子だ。人の目など気にもしていない。やがて、髪についた汚れを湯で落とし、身綺麗になった身体をタオルで拭いて、ポイと捨てた。
「その、服とか着てくれないかな、」
目のやり場がない。
「服? 服を着ていることが文化的だなんて勘違いもいいところだわ。あんたたち人間が体温調節の術を持たないだけで、服を着ることを偉いことだなんて思わないでよね!」
やたらと刺々しい言葉を返されて、七志は肩を竦める。
大きいのも小さいのも老若男女も関係なく、どうもこの世界は人の話を聞かない奴が多い。
それならそれで、郷に入れば郷に従えと言う。
「かぼちゃー、おい、居ないかー!?」
さすがに本陣の使い魔を呼び出すことは不可能かと思いつつ、七志はダメ元で呼んでみる。
「なんでございますか、七志さま?」
間髪入れずにカボチャ頭が姿を見せた。
「こいつに服着せて。」
「アイアイサー。」
問答無用。最近の七志はだいぶこの世界のルールに慣れた。どうせ押し問答の末にはそうなる、話すだけ無駄、馬耳東風。幾つかの格言が脳内に走り、自身を納得させる。
きゃーだのばかーだのの暴言が乱れ飛び、カボチャにむりやり服を着せられる妖精が暴れている気配。レディの着替えを覗くのは良くない、と七志は固く目を閉じていた。
終了と同時に開口一番の台詞。
「やだ、なによコレ!? なに勝手に窮屈なモン着せてんのよぅ!!」
「ワタクシの趣味でございますっ、」
ふんぞり返って言うカボチャの先に、小さいバニーガールが出現していた。
「嫌なら後で脱いでくれていいよ。ただ、飯と自由にしてやった借りの分だけ、手助けしてくれないか?
使い魔になれだとか、そんな事は言わない。この戦いのあいだだけ、」
七志の言葉を遮って、妖精が吠えた。
「バカじゃない、あんた! あたしは人間に捕まって酷い目に逢わされてたのよ!? あんたと同じ人間に!! なんでそのあたしが、人間のあんたに力を貸してやんなくちゃいけないのよ!!」
もっともな理屈だ。助けたと言っても、恩に着せられるほどの事はしていない。だが、七志もここで引き下がるわけにはいかない理由がある。
やり方を変えて、もう一度交渉した。
「じゃあ、お礼はするから、今回だけ協力してくれないか?」
「まず、この趣味の悪い服をなんとかしなさいよ! 窮屈でたまんないわ!」
よほどに不服なようで、苛立った声が被さった。
七志の視線に応えてカボチャが出した次の服は超ミニ丈のセーラー服。ひらりと舞い落ちた衣装を前に、いきなり脱ぎはじめた妖精に、七志はまた慌てて目を閉じねばならなかった。
「……まぁ、こんなモンね。あ、胸元の紐は可愛くない! リボンがいいわ!」
文句が多い。
「来訪者の多くがこういう服を着て迷い込んできますゆえ、人気が高いのでございますよ、七志様。」
口に出す前に、カボチャが疑問に答えてくれた。だから知っていたのだ、と納得する。どうして裸で過ごすのが当たり前と宣言する妖精が、七志の世界のファッション事情に詳しいのかと疑問に感じたのだ。
最終的に、七志の世界でも可愛い制服と人気の、有名な女子高のセーラー服に落ち着いた。世界が違っても、女の子の服のセンスは大差ないということかも知れない。
「その服で、今回の契約には足りるか?」
「なに言ってんのよ、これは詫び料でしょ!」
ツン、とそっぽを向いて口を尖らせる妖精。
「……七志様。殴って宜しゅうございますか?」
まぁまぁ、と使い魔をなだめ、七志は苦笑する。リーフラインが言っていた通り、かなり聞かん気の強い妖精だ。けれど、どうしても彼女の手助けが要る。もう一度、説得を試みることにした。
「頼むよ、力を貸してくれ。今回の分は貸しってことにして、俺に出来ることなら何でもして返すから。」
死にかける程の目に逢された妖精に、この要望は虫が良すぎる、それは重々承知で、七志は食い下がらねばならなかった。せっかくカボチャが出してくれたあのアイテムが、そうでなければ無駄になってしまうのだ。
妖精は、しばらくの間、考えに耽った。
そうしておもむろに、「いいわ、今回のは貸してあげる、」と言った。
「あたしの名前はパールよ。」
「え? 名前、教えてしまっていいのか?」
リーフラインの話だと、教えずにいたために死にかける程に追い詰められていたように思うのだが。
「アイツらは呪詛を使うから、名前を使った契約をされると不履行禁止の厳しいものになるのよ。一切、主人には逆らえないっていう酷い契約なんだからね!
契約の枷っていう光の首輪がはまって、逆らったら締まるのよ!? 酷い連中よ!」
憎々しげに小さな少女は吐き捨てる。どうやら、そうとうに人間は嫌われているようだ。
「契約には互いの命を賭けて従わせるという形式が多いのでございますよ、七志様。もちろん、その輪は術者の首にもかかり、契約の際に出された条件を破れば、術者の命を奪います。」
死ぬような命令を下さぬことなどと契約条件が為されれば、例え事故でも、被契約者が死ねば主人も死んでしまう。魔術による契約はかようにリスキーなものだ。大抵、術者は卑怯な手段で自分に有利な契約を結ぶものだが。
七志が結んだ二つの契約は、したがって、正確には契約と呼べるものではなかった。