第二十話 前哨戦
遠征軍の先頭が設営予定地に入った。だが後方の部隊はまだ進軍の途にある。大部隊の移動とは、えてしてそういうものだ。続々と設営が始まり、ホロを組み立てる部隊の横を、到着した後方の隊が通り過ぎていく。
七志の隊は途中で随行を許されたハロルド・バーグマン率いる連隊と行動を共にしていた。作戦上の事細かな配置の類はカッチリと定められているわけではなく、支障を来たさぬ程度の範囲で小隊規模の移動がしきりと行われ、軍は、行軍の途上でそれぞれの連帯を強化する配置へと変化していく。
現場ごとの指揮系統がこの間に整備され、軍全体の戦略とは別に、それぞれの隊での戦術が形を整えてゆくのだ。本陣の作戦立案は大枠に過ぎない。戦略面は多分に現場の指揮官たちに委ねられていた。
七志の腰には、武器を収納するホルダーの他に大きな袋がぶら下げられていた。
「七志殿、僭越ながらその、武器の横に収まる品はどういった用途のものですかな?」
ひとかどの人物は、また多分に目ざといものでもあるようで、部隊長のハロルドは武器には見えないその袋の中身にいたく興味を惹かれた様子だった。
「ああ、これですか。」
聞かれた七志は言い澱む。
昨夜のことであった。今はライアスの許へ送っている使い魔のカボチャに、七志はあるアイテムの作成を頼んだのだが。
この世界での下宿状態で居座っているカナリア亭、そこの二階には七志が割り当てられた部屋があり、翌日に迫った遠征の準備に日を潰した後の、カボチャと話ていた時のやりとりを思い出す。
遠征に向かうため、装備のチェックを行っていた七志の、これは思いつきの発言が元だった。
ふと思い出した『爆弾』という便利アイテムの存在。
一通りを説明した後に、カボチャの使い魔に作成を依頼してみた。七志からこういう頼み事をするのはこれが初めてのことだろうか。けれど、彼の使い魔は乗り気ではない様子なのだ。いや、乗り気でないというより、はなから相手にしていないとでも言うか、まるで取り合ってくれない。
「だから、ダイナマイトとかなら単純な造りだから大丈夫だろ?」
「単純ではございませんよ、七志様~。ダイナマイトは無理でございます、もちろん、鉄砲なんぞは夢のまた夢。マシンガンだなんて、ご無体もいいところでございますとも!」
そっくり返ってそんな返答を返すものだから、七志もつい不満を口にのぼせてしまう。ペロペロキャンディならば出せるけれど、ダイナマイトは無理だという、その理屈が無性に腹立たしく感じる。
言葉のあやというかで憎まれ口を叩いてしまった。
「なんだよ、何も出せないのと一緒じゃないか、役立たず!」
「最初に言っておりますでしょうに! 構造の複雑なものなどは、出せませんと申し上げましたっ!」
負けじとカボチャも大きな舌をベロンと出した。
ぎゃいの、ぎゃいの、と舌戦を交わしながら、少しばかり後悔もしている。考えが足りなかったのだ。役立たず、という言葉は自分にこそ相応しく、このカボチャには何度助けられたか解からない。だが、今さらで、謝る機も逸してしまった。
「あっ、これならば出せますよ、七志様!」
突然、カボチャが叫んで口喧嘩が途絶えた。
そうして出して貰ったのが、この袋の中身、である。
カボチャの口から、これまたキャンディの時と同じくで、溢れだし、床にばら撒かれた無数の球。
土団子のような、素朴な外見は子供の頃に見たままだ。
小さくて、カラフルな色付けがされた球体には導火線が付いている。七志のよく知っているアイテムだった。
子供の頃にこれでよくイタズラをして母親にこっぴどく叱られた事を思い出し、胸が切なくなる。もしかしたら、もうあの世界には帰れないのかも知れない、と浮かび上がった不安を無理やりに心の奥底へと沈めて、球体を手に持った。
「かんしゃく玉か。まぁ、何かに使えない事もないか。……無理言ってごめんな、サンキュ。」
もう少し、きちんとした謝り方があると思うのだが、なんとなく気恥ずかしくてこれが精一杯という気分になって、そっぽを向いた。
ちゃんと謝っておけば良かった、と、今さらでまた後悔が戻ってくる。
結局、朝、出立した後にもきちんとした謝罪は出来ていないままで、ここまで来てしまっている。ライアスの許へ行くようにと頼んだついでで、謝ってしまうべきだった、と過ぎた後悔がずっと頭にこびりついている。
「これですか?」
興味津々のハロルドの視線を受けて、七志は袋からかんしゃく玉を一掴みほど取り出して、見せた。
ようやく設営予定地へ到着し、馬首を並べた部隊長の質問に、七志は少し間を開けて返答を返す。
「魔法の球です、火を付けて投げればとても大きな音を出すんです。威嚇くらいにはなるかと思って。」
実際には魔法でもなんでもない。しかし、実際に七志が火薬を捏ねて作ったわけでもなく、使い魔のカボチャの口からポロポロとこぼれ出てきた時点で、魔法で作ってもらった、という言葉に嘘はない。
今度カボチャが連絡に来たら、もう少し素直に謝って、これを出して貰ったことを感謝しよう、と思いながら、七志は部隊長ハロルドにかんしゃく玉というアイテムの説明を始めた。
朝、王城を出た遠征軍は予定通りにその日の夕刻、現地へ到着し、三方に分かれて設営を開始したかに見えた。山を囲むように展開する三つの宿営地。だが。
上空に一つ、ふよふよと漂う物体がある。
七志の使い魔、カボチャのジャックである。彼の目は、展開する三方のうち、二つの地点から慌てて抜け出し馬を駆る、二人の怪しい人影を追っている。
彼らは、すなわちライアスの読みの正しさと、敵国の抜け目無さの証明であり、これから捕縛すべき対象でもある。つまり、隣国の放ったスパイ。
「さすがはお師匠。今朝、言われた通りになりましたな~。ネズミが二匹、数までぴったり。」
いつもの笑い顔が、この時ばかりは嫌な具合に歪んで見えた。
予定では、山を囲んで三方に分かれ、夜半に奇襲を掛ける手筈のはずであった。だが、彼らは慌てて陣を抜け出し、逃亡を図っている。
それぞれの設営地に三分割で、兵力は分散されているはずだった。
だが、実際は違っていたからだ。
「うわ!」
二頭の馬が縦列で街道を飛ばしていた、その時。
先を走る馬に騎乗する兵士の頭が突然カボチャになった。
◆◆◆
こげ茶のボディに赤に近いたてがみを持つ、他より少々大柄な騎馬が七志の持ち馬だった。キッカに借りたこの馬は、とても利口で大人しく、まるで七志の話す言葉が解かるかのように振る舞う。
轡を引いて指示を出す必要がない程に、この馬は七志の意思をくみ取ってくれた。
設営地到着を知り、七志が後方の部下たちへと指示を寄越す。
「やっと到着か…。よし、少しゆっくり行こう。俺たちの部隊はもっと奥の配置だからな。」
言うや否やで、馬のスピードが落ち、小走りだった足並みが歩く程度に変わる。七志の部下たちは皆、七志の手綱捌きが上手いのだろうと思っていたが、実際は何もしていないのだ。
そんな風で、この馬は自動運転に近い様子で七志を運んでくれた。
到着した設営地はすでに喧噪の中で、兵士たちの鋭い怒号が響いている。何事も予定通りに運ばねばならず、ホロを組む時間も限られているからだ。皆が急いているようにも見えた。
ゆっくりと馬を進めながら、七志は周辺をなにとはなしに観察している。あちこちで人が忙しく立ち働き、険しい顔でなにやら言葉を交わしている。
ふと、違和感を覚えた。
作戦では、確か全軍を三分割した兵数がここに集っているはずなのだが、明らかに数が少ない。作られている寝食用のホロは多数あるのだが、動き回っている人間の数が圧倒的に少ないように感じた。
「あれ……? あの、バーグマン隊長殿。これは、」
「ああ、済まない。作戦に一部変更があったのだ。」
疑問を最後まで言わせず、彼は七志の言葉を遮り説明を始めた。
「作戦上で三分割されるはずだった軍は、実際には陛下のおわす本陣に主力の騎士団全軍を、残り二つの設営地には、傭兵団を二分したものに伝達所要人数の僅かな騎兵を加えた数が配備されているのだ。
この機を狙って必ずエフロードヴァイツの軍は動く。それに対する備えの為にな。
万全を期して、隊長格以外には内密にしてあった今回の作戦における変更点だ。貴殿も本来ならば聞いていて然るべき立場なのだが、傭兵団に近い立場のため、遠慮願った。申し訳ない。」
「はぁ……、」
それはつまり、師匠のライアスも承知という事なのだろうが、あの茶目っ気たっぷりないつもの笑みを思い浮かべると、なぜか憤る気も失せた。師匠のことだから、本当に悪戯気分なのだろう。自分だけが蚊帳の外、という状況など今に始まったことでもない。他の人間はどうであれ、あの師匠に悪意があるとも思えないから、七志は密かにため息を吐くだけで済ませた。
聞いていたところで自分には何をするべきという事もなく、無為に時間を潰すだけだろう。
それよりは、と、今聞いた作戦の変更点をもう一度頭の中で繰り返し、おさらいを始めた。
作戦では三分割されているはずのそれぞれの設営地で、正規兵の騎馬隊はホロを組んだ後、順次、速やかに移動を果たして現在は国王の控える本陣へと集結しているという。
つまり、ここにある設営ホロの半数はダミーだ。
その事実は、傭兵隊はむろん正規兵たちも知らぬ者が多く、隊長クラスだけが知らされている。傭兵たちに教えなかったのは、彼らのうちに居る国家に対する忠誠の低い者への対策の為だろう。傭兵たち個々の素性から見ても、敵に通じ情報を流す者が出ないとは言い切れない。
敵が襲ってくるルートは、ゴブリン山の存在ゆえに街道ただ一つと目され、標的を絞って本陣は街道に近い平原に展開している。現状、そこにほぼ全軍の八割が置かれており、残る設営地にはそれぞれ数百の傭兵が出撃を待っている。各、傭兵部隊800、そこへ騎兵100を合わせた数が。
これが夜半、一気に山を駆け上り、ゴブリンどもの寝込みを襲う算段だ。七志の部隊はハロルド隊と共に、この奇襲作戦の軍に編入されている。
本陣に居るライアスとの連絡係という役目を負い、また先制攻撃を請け負う役目も担っている。
責任重大だ。
「問題があるとするならば、敵に突撃時刻を悟られることかの。」
中天に浮かぶ見事な満月を眺めつつ、ライアスがぽつりと漏らす。
「それを防ぐ為に義姉上からお借りした影たちです。かの部隊を傭兵たちに紛れ込ませ、最後の憂いである内部密通を未然に防ぎ……、」
「明け透けなこの布陣を見れば、気付く者は気付くものなのだよ。敵本国ご自慢の円卓会議とやらは、わしの見立てでは多分に腐っておる。その読みが当たれば、此度の任に就くのは大した将ではない。それであれば、何らの懸念もありはせぬ。」
言葉を遮ってライアスが早口に捲し立てる。珍しいことだ。
「だが、あちらの陣営に少しばかり切れる者がおれば、そこそこには使える将を寄越すであろう。むしろ、そうなった場合に備えるべき布陣の方が肝心なのだ。策略、戦略というべきものは、十重二十重に策を巡らせるが上策と云う。それさえ、かの将が使える者であるならば、承知の上であろうよ。
さて、敵将の器量はいか程のものであろうかな。」
知略とは互いの手の読み合いである、と、何かの書で読んだと、ほくそ笑むライアスの横顔を見つめながらにフィオーネは思い出す。
戦略は、破られた先の先、常に十手先を見つめているものだ、と。
「幸いなことに、あちらはこのわしを警戒する事は知っておるようだが、七志を知らぬ。それが致命傷を招くことになるのじゃよ。」
またしても、この老人独特の、茶目っ気たっぷりの余裕の笑み。
今朝、全軍集結の時になっていきなりの作戦変更が、この遠征の胆だというのか。ただ一つ、あの来訪者の部隊の配置を変えただけにしか見えなかったが……。
七志。あの無能の来訪者がキーマンとなると言われても、納得のいかない姫将軍は密かに眉を顰めるのみだ。今まで見たどの来訪者よりも弱く、何の取り柄もない、文字通り平凡な、無力な少年。
唯一使える力は、何の役にも立たぬ『通訳』の能力のみ。
最弱の来訪者。……そうとしか見えなかったが。