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第一話 いきなりデスモード

「ここは何処だ。」

 まず彼が発した言葉は、あまりにも状況にマッチしなさすぎた。

 こざっぱりとした木々が見渡す限りに続いていて、どう考えを捻っても森の中としか結論は出ない。季節的には秋なのだろうか、木々の半分は丸ハゲで残る半分はかろうじて赤や黄色の葉がところどころにしがみついている。そのうち丸ハゲになるんだろうな、と思いつつ地面に積もった枯葉の上でじっとしていた。

 ヘタに動くと迷子になる、とかいう話をどこかで聞いた気がしたので動かないだけだが。

 気がついたら立っていただけだ、茂みになったこの場所に、音もなく。


 微かに首を捻る。

 彼の名は、舞名七志。大学受験を控える高校三年生。至って普通の18歳だ。今、何が起きてしまったのかも、理解の外にある。

 確かに、さっきまでは自宅の玄関に立っていたはずだ。上がり口に通学の鞄を置いて、履きなれた運動靴の靴ひもを締めなおして立ち上がったはず。

 鞄を取ろうと思った時には、玄関じゃなくなっていた。

 彼はまだ、事情が呑み込めていなかった。『日本』の、どこかだと漠然と考えていた。


 目の前には灰色と緑色を混ぜたような微妙な色の肌をした小人っぽい何かが居る。

 小人といって、背丈は七志の半分程度はゆうにありそうだったが。

 そして頭の形がヘンだ。後頭部が異常にでっぱっていて、それに対して体は細くてガリガリ。

 なんとも不格好な人間。いや、生き物。いや、やっぱり人間かも知れない。

 なんだろう、アレ。なんて呑気に目を細めて眺めていた。

 七志は少々目が悪いのだ。


 ソレは一匹だけでなにやらごそごそと動いている。立ったりしゃがんだり、しゃがんだ時には何かの作業をしているような、そんな風な動きをしていた。ススキのような枯れた草の中で、緑の生き物はよく目立つ。

 背中を向けているためか、七志には気付いていないようだ。

 なにげなしに、七志は近くへ寄ろうとして一歩足を踏み出した。

 ガサッ

 当然だが、派手に枯葉を踏む音が響いた。

「うわ、」

「ゴブッ!」

 振り向いたその顔を七志はたぶん一生くらいは忘れないだろう。顎まで裂けた口にはギザギザの牙が並び、目は白目も黒目もなく真っ赤、そしてなにより、手には血まみれの剣を握っていた。

 ついでで視界に入る、たぶんその剣の元々の持ち主。角度の問題か、さっきまで見えなかったものだ。

 なんで腹を裂いて中身をぶちまけてあるんだろう、と思った時には自動で回れ右をして全力疾走に移っていた。

「ギギー!!」

 なにかデカい声で叫んでいる、と思う間に灰緑色の化け物は三匹に増えていた。

「うわ、増えた!」

 右から回り込んでくる化け物の手には棘だらけの棍棒。

 振り上げたトゲ棍棒が、七志めがけて襲いかかってくる。

 目を瞑って軸足を左に進路を修正、よろめきながらもなんとか避わした。


 七志を追う化け物は三方から、彼を追い立てる。化け物の居ない方向を選んで走ることは、ある意味で彼らに誘導されているようなものだ。より障害物の少ない場所へ、より狩りやすい場所へ。

 七志に勝算があるとしたら、少しばかりこの化け物たちよりも足が速いことだけだ。

 普段ならとうにへたばってしまっている。命が掛かっていれば、人間はこんなにも粘り強く、我慢強くなる。

 過度のオーバーワークで心臓は張り裂けそうな痛みを訴えている。

 それでも走り続けていられた。



 手をついて方向転換に利用した立木の幹に、さきほどの剣が唸りをあげて突き立つ。血みどろの剣はあの化け物が投げたらしい。

「ひぃっ!」

 飛び散った血が七志の頬にべしゃりとかかった。

 余裕もない中で無理に振り返ると、三匹の化け物がなにやら喚きながらピョンピョンと飛び跳ねている姿が遠くに見えた。追いかけるのを諦めたらしい、そうは思ったが、ふらつく足はまだ歩みを止めようとはしてくれなかった。無意識の方が勝っていて、苦しくて立ち止まりたい思いよりもここから逃げたい思いの方が強いからだ。

 勝手に走り続けている。いや、もう走ることは出来ずに歩いている。


「あれって……まさか、ゴブリンとかいうモンスターか?」

 苦しい息のまま、歩みも止めないままで、七志が呟いた。肩で息をして、喉は貼り付いたような渇きを訴えている。唾液は出てこない。喉が乾きすぎると、痛いのだと知った。

 とにかく町か村を見つけて……いや、人を見つけて、いや、贅沢は言わない、水が欲しい。

「川、どっかに川くらいあってくれよぉ、水、」

 泣き事を、半ばヤケクソで呟いただけでも声は喉に絡んで上手く言葉にならなかった。

 ただ単に走っただけでコレでは、この先、どうなるんだろうか、とは考えないようにした。

 もっと恐ろしいこと、あのゴブリンが他にもうじゃうじゃ居るかも知れない、という考えは消すことさえ出来ないままだ。


 登ったり下ったり、山岳地帯なのだろうか、果てもなく続く枯葉の地面を踏んで、ひたすら枯れた木々の合間を縫うように歩いた。

 幸運なことに、その後は何者にも出くわさないままで、川のせせらぎを聞きつけた。

「やった、川だ、下流へ行けば森を出られるはず!」

 その頃には、さすがに喉の渇きも緊急を要するほどではなく、思考にも余裕が出来ていた。

 川があれば下流には平野がある、平野というのは大抵が田んぼや畑になって、人の住む集落が出来ているものだ、七志の知る常識で言えば。


 軽い傾斜は、すぐに険しい岩肌になり、そこが谷間に流れる渓流だという事を教えた。

 そしてなにより、今まで続いた幸運がここで尽きたことも教えてくれた。足元にあるのは、岩場を通り越して崖という形容のほうが似つかわしい。それより問題なのは谷底の河原に見える者たちだ。

「……なんだよ、アイツ等。」

 自分の声だというのに、絶望的な響きに聞こえた。

 灰緑色の肌、不格好なハゲ頭。真っ赤な目と裂けた口。

 けれど、大きさが違う。谷を見下ろすここから見ても解かる、巨体。

 血まみれになった人間の死体を見下ろしている。

 さっきと同じくらいの奴を二匹従えていた。


 見つからないように身を隠し、チラチラと様子を伺う。

 たぶん、ホブゴブリンとかいう奴だ、ゴブリンの上位モンスターでゲームではお馴染みの奴。

 序盤あたりに出てきて、すぐに経験値にもならなくなってしまうような奴。

 リアルで出会うことがこんなにも絶望的だなんて思いもしなかったが、こうなったらやる事は一つ。

「雑魚とか呼んでごめんなさい、謝るからさっさと行っちゃってくださいー、」

 神頼みしかなかった。


     ◆◆◆


 祈ろうが縋ろうが、魔物たちはその場を離れる気配がない。七志はじっと待ち続ける羽目に陥った。

 何時間かが過ぎた頃、観察するうちに気づいた事が幾つかある。ゴブリン達はひどく興奮しているように思えた。

 後から2匹増えたが、そいつ等は怪我をしていて七志が最初に見たヤツらとは違う。

 少なくとも10匹以上は居そうな気配だが、後から来た2匹は別の方向から来た。七志が見た、殺されていた人間にやられた傷ではないのかも知れない。

 あの時の死体にしてもそうだ、思い出せば、村人Aという感じではなかった。明らかに武装していたし、少なくとも戦闘態勢を整えてからこの場所へ来ていたように思う。

 増えすぎたゴブリン。

 それを、人間が殺しに来ているのだとしたら……。


 だとしたら、返り討ちにあってしまった人間を見たのはこれで二人目だ。

 よくよく目を凝らせば、血まみれの死体はこちらもやはり武装していたように見える。

 その武器をゴブリンたちは奪い取って振り回しているようだ。様々な種類の武器は、大抵が錆びたものだったり、折れたものだが。

 手入れされた武器を持つゴブリンが他にも居る。連中に武器の手入れなんて芸当は出来ないと仮定すれば、あの武器は人間から奪ったものだろう、さっき見たように。

 もしかしたら、他にも狩人が居るかも知れない。こんな化け物が居ることを、地元の住民が知らないわけがないから、きっと大勢の人間で一気に攻め込んだに違いない。討伐隊か何かを編成して。

 光明が見えた。

 討伐隊に合流しさえすれば、助かる。


 改めて彼は周囲を見回した。山中だ。それしか解からない。

 日本の亜熱帯気候の山々とは違うような気がして、気持ちが落ち着かない。そも、あんな化け物が多数生息しているなんて話は、このかたニュースでもネットでも聞いた事がない。どこか外国の土地に迷い込んだのか、自宅の玄関先がなぜいきなり山中なのか、今にもパニックを起こしそうでそわそわしていた。

 ここは一体、何処なのか? 当面の問題は、沢に群れているゴブリンたちの方だったが。


 一匹のゴブリンが、鼻をひくひくとさせ始めた。

「ゴッ!」

 こちらを指差した途端、一斉にその場の化け物たちが七志の方を見た。

「やめてっ!」

 思わず叫んだ言葉に意味はない。だが、慌てて逃げようとして足を滑らせた。

 岩場を転げ落ちて、かすり傷のみで済んだのは不幸中の幸い。けれど。

 神様はきっと俺をいたぶっている、視界の端に映るのは駆けてくるゴブリンの群れ。

 いつの間にか谷間のゴブリン全てが七志に向かっていた。


 ヤケクソでその場にあった大き目の石を両手で持ち上げる。

 先頭の一匹にめがけ、投げつけた。

「グガ!」

 喉元で受け止めながらひっくり返ったそいつは、ぐしゃりという音とともに動かなくなった。

 緑色の液体が岩だらけの川べりに広がる。

 他のゴブリンが動きを止めて、潰れたゴブリンを遠巻きに囲む。

 そういえば、ゴブリンってそんなに頭良くないって設定だっけ、と思いながら、七志はその隙に岩場を移動した。ゴブリンたちは思った通り、七志のことを忘れているようだ。

 振り向いて連中を確認する。

 勇気ある一匹が近づき、石をどけていた。一瞬確認しただけで、すぐに七志は前を向き必死に岩を這う。走ることは無理だ、巨岩が連なり、走れる場所ではない。

 遠方で怒りに満ちた咆哮が幾重に響いた。


 あまりにも不利な場所に来てしまった。

 向こうはぴょんぴょんと飛び跳ねていて、足場の悪さをものともしない。

 こちらは、走るどころか立って移動することさえままならない。

 あれほどに空いていた距離がみるみると縮まっていく。もちろん、あの巨体も一緒だ。

「ちくしょう!」

 きっと神様は俺に死ねと言ってる、湧き上がる理不尽への怒りで七志が叫んだ。


 閃いたのは一瞬のこと。すぐさま水に飛び込む。

 この辺りは淵になっていて、渓流は溜まり深い緑色の水を湛えている。

 どうせ追ってくるのは解っているが、連中の持つ武器だけは何とか出来るはずだと踏んだのだ。きっと、先ほどのように後先も考えずに投げつけてくるはずだ、と。

 けれど、季節は冬に近い晩秋。飛び込んだ水は身を切るように冷たかった。ヘタをすれば心臓麻痺でお陀仏だ、短絡な思考を今度は瞬時に反省した。


 心臓麻痺でポックリ、は免れたようで七志は潜水状態。

 飛び込んだ勢いのまま、水中を進み距離を取る。あまり近すぎると当たった時に痛い。水面に顔を出して振り返ると、化け物たちは呆然とこの様子を見ていたらしく、七志と目があうと一斉に怒り出した。

 七志の読みは当たり、ゴブリンたちは水中の的に向かって、手にした武器を投げ始める。

 大きく息を吸う。

『潜水してしまえば、勢いを殺された武器で深手を負わされることなんてない!』

 幾つもの凶悪な武器が、血の赤い帯を引きながら水底へと沈んでいった。


「ぷはっ!」

 浮き上がり、確認。ぜんぶ素手になっている。

 的が再び出てくるのを待つ、という程の知恵はない。それはさっき確認済みだ。

 次々と水に飛び込んでくるゴブリンたちを見る。

 セオリーではこういうモンスターは泳げないものだが、リアルは違うらしい。一匹だけ、例の巨体がどうしようかと迷っている風でおろおろしていたが、小さいのは全部が即追ってきた。

 向こう岸へむけて泳ぐ。

 幸い、ゴブリンは泳ぎの名手というわけでもないようで、不格好ななりでもたもたと水中を移動している。犬かきのようだが、犬の方が上手に泳ぐだろう。これならまた少し時間が稼げそうだ。

 一匹、渦に巻かれて流されていった。残るは8匹。


 泳ぎきったところで、手を掴まれた。

 心臓が止まるかという衝撃で、顔を上げる。そこに居たのは人間で、今度は急激に力が抜けた。

「なにやってんの! 早くあがりなさいよ!」

 突然重くなった腕に驚いたようで、その子は大声で七志を叱咤した。

 ブロンドの髪の女の子。いや、女性。いや、たぶんやっぱり女の子だろう、うん。

 緊張感が一気に抜けてしまって、妙な笑いを貼り付けながら、七志は独りつぶやいていた。

 後方で、派手な水音がして振り返る。

 あのホブゴブリンが意を決して、飛び込んだようだった。

 さすがに七志も緊張が戻ってきて、慌てて少女の手を借りて岩を這い上る。


 二人になって余裕が出来たということもあるだろうか、そのまま逃げだすところを、踏み止まる。

 少女の助けを借りたおかげでやりやすくなった。

 ついでなので、そこらにある手ごろな石を持ち上げ、迫るゴブリンへと投げ落とす。岩を這い上ろうとする所へぶつけるだけなのだから、簡単すぎるくらいだ。2匹が七志の投げた石と共に水中へ沈んだ。

 こんな場所なら鈍器で殴って気絶させるだけで勝ちだ。

「やるじゃん。でも深追いは禁物、逃げるわよ!」

「あ、ああ、」

 なんだかよく解らないが、この少女についてゆけば本隊に合流出来るのだろうと七志は思い、後を追った。

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