第十七話 突撃日和
朝。天気は快晴、突撃日和である。
七志は陽が昇る前に目が覚めた。今日はタイラルマウンテンへの出征の日だ。昨晩は早くに就寝したものの、やはり眠りが浅くなったらしい。
ダイニングへ向かうと、すでに宿の者たちは全員が起き出していた。
「おはよう、七志。ずいぶん早いのね、ちゃんと寝た?」
朝からリリィはキッチンに立ち、夫人と共に朝食の用意に追われていた。
ジャックは装備の点検中だろうか、真剣な様子で七志に一瞥をくれただけだ。師匠も難しい顔をして、テーブルに広げた羊皮紙の地図を睨んでいて、近寄れる雰囲気でなかった。
師の邪魔をすることは避けて、七志はジャックに声をかけた。
「なにか手伝えることはないかな?」
「手入れの仕方を知らないだろ。いいから、自分の身体の調子を整えて来い。外を少し回るだけでも、身体能力はずいぶんと変わってくる。」
彼の声は少しばかり棘があるが、緊迫したこの空気ではそれも当たり前のことなのかも知れない。のほほんとした自身の状態が、彼を苛立たせたのだろう。七志は小さな礼を返してそっとダイニングを出た。
空気が読めなかった。ぴしゃり、と自身の両頬を両手で叩いて気合を入れる。そうだ、今日はこれから戦争をしに行くのだ、と。
朝の空気はことのほか冷たく、寒さに身体が震える。少しランニングでもするか、と走りかけたところで、街道の端に佇む人影を見つける。こっそりと、立木の陰に隠れるようにしてこちらを見ていたのは、王城の森で出会った少女、キッカだった。
彼女はあの時と同じ、占い師のような衣装と白いヴェールを被って七志を見ている。
「キッカ! もしかして、見送りに来てくれたとか?」
彼女の傍まで走っていくと、ようやく彼女もおずおずと木の陰から姿を見せて街道に出てくる。その表情はどこか強張って、心配の深さを予測させた。あまり眠っていないのかも知れない、目が腫れぼったいようにも見えた。なんだか彼女の方が心配になってきた七志だ。
「キッカ?」
「う、うん。今日が出征だって聞いたから。城のなかでも大変だったし、心配になっちゃって……、」
無理に笑顔を作るから、なんとなく、大丈夫かとは言い辛くなってしまった。
彼女はまた、例の虎目水晶を使って七志の様子を見ていたらしい。
あの情けない姿を見られた! 思わず天を仰いだ七志に、キッカは慌ててフォローの言葉を付け足した。
「き、気にすること、ないと思う! 王様も王妃様も、ものすごく強かったんだし逃げて当然よ!
だいたい、あの人たちって、どっかオカシイと思う! なんにもしてないのに、七志のことを追いかけ回して、悪者にして! わたしだったら……! あ、ご、ごめん。」
熱が籠っていたのだろう。我に返って、キッカはしょんぼりと下を向いた。
小動物のようなその顔が、またなんともいえず愛おしく思えてくる。
「心配してくれて有難うな。まぁ、なんだかんだと面倒に巻き込まれてばっかりだけど、今度もたぶん、なんとか生きて帰って来れるよ。あの国王、王妃に比べりゃ、ゴブリンなんて雑魚だしな、雑魚!
軽い、軽い!」
だから心配すんな。
多少の強気発言は、カラ元気と同類だ。とてもそんな心境ではなかったが、こんな場面で弱音を吐くような情けない男ではありたくない。そう思い、七志は虚勢を張った。
笑い飛ばしたつもりのその声は、少しばかり上ずっていたが。
カラ元気を見抜けないほど七志を見ていないわけはない、キッカはむくれたように頬を膨らませる。嘘をついて、自分を安心させようとする気持ちは嬉しいけれど、本当の気持ちを言ってくれないのは、嬉しくない。悔しい。
心配するキッカに、少しでもその不安を和らげようと七志は強気のフリを演じ続ける。フクザツな乙女心は、鈍感少年には解読不能だ。
「大丈夫だ、キッカは心配性だなぁ。今までも、俺は全部乗り越えて来ただろ? 今度もきっと大丈夫、俺はほら、運だけは強いんだから!」
「運だけだから心配なんじゃない、」
「う、」
カラ元気を見破って、キッカは七志を睨んだ。今までは運が良かった、けれど、今度も大丈夫だという保証にはならないではないか、と。ちょっとだけ、目が潤んで涙が溜まると、慌てて、ぎゅっと瞼を閉ざして誤魔化した。そうして、俯いたまま、ぽつりと問いかけ。
「ねぇ、七志。きっとまだ、馬にも乗れないんでしょ?」
「そ、それは……、」
散々練習したのだが、ロバはまだしも、馬で駆けつつ武器を繰ることなどは土台無理な話だった。一日二日でマスター出来るようなものではない。
返答に窮した七志に向かって、キッカは努めて明るいフリをして笑みを浮かべた。
「えへへ。そう思ってね、今日は七志にいいものをあげようと思って、連れてきたんだっ。」
ちょっと待っていて、と、キッカは生い茂る背の高い草を掻き分け林の向こうへ消えた。
しばらくの後に戻った時には、馬を一頭従えている。
「とっても賢い馬なのよ、きっと七志を助けてくれるから! この子になら、ぜんぜん乗馬をした事がない人間でも、楽に乗りこなすことも出来るんだから!」
無理やりに笑って、無理やりに元気一杯を装って声を出したけれど、心が勝手に悲しんでしまう。
「……だから、七志、絶対に帰ってきてね、」
つとめて明るく発声した言葉も、最後の一文は切ない願いで語尾が掠れた。
瞳を潤ませるキッカを、思わず抱きしめてしまう。
びくり、と少女の肩が震えた。
「ご、ごめん、」
衝動に自分でも驚き、狼狽えながら身を放し、けれど少女の細い肩を掴んだ手は放したくなくて、視線が泳ぐ。
行く先が、恐ろしい山だという事は、誰よりも七志が一番良く知っている。
軽々しい約束が死亡フラグにもなりかねないような、楽観視の危険な場所だ。けれど。
盛大に泳ぎまくっていた視線は、意を決した瞬間には一点に戻ってきた。少女のまっすぐな視線に合わせて、まっすぐに受け止める。
「大丈夫、絶対に生きて帰ってくるから。」
女の子を泣かせるのは、どんな理由でも嫌なものだ。
朝に王城を出立すれば、その日の夕暮には現地へ到着出来る。
首都の近辺には長距離移動の為の魔導機械が備えられており、大仰な装置が砦の中に隠されていた。システムの如何は、これを操作するごく一部の技術者にしか理解に及ばぬほど複雑だという。魔法を増幅する装置は幾つか存在するが、これほど大掛かりな物は他に類を見ない。
遠征軍は幾つかの隊に分かれてこれを使い、一瞬のうちに目的地近辺の中堅都市へと送られる。
魔法の規模、動力源の確保、また、戦略的要塞を兼ねるため、建設される場所は限られた。その一つがゴブリン山にほど近い中堅都市だ。そこには七志たちがホームを構える冒険者の宿がある。あの都市からなら、半日で目的地へと到着出来るのだ。
予定では、宿営の後、いきなり夜半に奇襲を仕掛ける手筈となっていた。ゴブリンたちは夜行性ではないため、侵入に気付かれる前の初日のうちにもっとも大きな痛手を与えようという事だ。
行軍はすみやかに、かつ、静寂をもって為されねばならない。山を囲み、三方に分かれて麓に陣を設営、そこから夜襲という作戦だ。
人間相手ならば、こんなチャチな立案などしないが、と、ライアスは苦笑を浮かべたものだ。
ゴブリンには人間ほどの知能がない。なわばりの外である麓に押し寄せた大群の兵に気付いた個体が居たとして、その目的も理解せぬし、そも反撃の策を練る者などいない、という見立てだった。
ライアスは遠い目をして、むしろ、それ以外の事柄で考えあぐねているように見えた。
ついに、王城の前方にひろがる広場には、騎兵3000、傭兵1600、幕僚120の軍が整列した。
先頭には騎馬に跨る国王の勇士。平常時とは違う重装備の鎧は黒色であり、金の象嵌が施された華美なものながらも、どこか異様に攻撃的なデザインであった。
兜を装着すれば、何処からどう見ても魔界騎士だ。そして、隣に騎馬を並べるのは魔界騎士の女バージョンとしか見えない姫将軍。凶悪な絵面だ。続く騎士たちも錚々たる軍備で事に臨む。
彼らの装備は見る者にもはっきりと解かるほどに、その体躯とはマッチしていない。少々大きなサイズの鎧を全員が着込んでおり、国王兄妹とすぐ後ろに控える親衛隊100名余りにおいては更に顕著である。
彼らは煉気武装、王一族においては闘牙武装を行うために、装備の鎧には余裕を持たせているのだ。
肉体がブラッシュアップする余裕を。
左翼の一角に、七志の姿が見える。王家より下賜された軽装の装備で、おぼつかないながらも騎馬に跨って控えていた。彼の後ろには配下の50騎が続く。
ライアスの作戦立案により、殿の任を一時的に解かれて本隊へ編入された。重要な役となる殿軍指揮を代わりに引き受けたのは師であるライアスだ。これにより、ライアスは幕僚付きと同義の配置となった。
もし、戦闘が不利に運び、全軍撤退の憂き目を見たとするなら、殿の働きは途端に重要度を増す。戦争に不慣れな新兵の七志に務まる類のものではなかった。恐らくは最初から、こうなる事を見越して命を下したものだろうと、七志はライアスに教えられた。
◆◆◆
行軍の開始からしばらく経った頃だろうか。
七志の隣に騎馬を寄せて、ジャックが話しかけてきた。極力、声を落としているのは、周囲に聞かれては拙い内容であるからか。
「七志、陣容は頭に入れてあるか?」
「ああ。大まかな部分だけになったけど、なんとか。」
頷いて、ジャックはちらりと後方へ視線を送った。
「お前の配下にあたった五十騎だがな。……半分は新兵だ。」
「え?」
言われて、七志も後方へ顔を向けた。
誰も彼もが歴戦の強者と見えていたが、言われてみればその半数は紅潮した顔の年若い騎士だった。
「お前の動き方次第で、あの連中が死ぬのは確実だ。はっきり言って、この陣容の中では、お前の率いる部隊が一番弱いと思ったほうがいい。熟練兵たちの顔を見てみろ、どいつもこいつもこの世の終わりみてぇな面してるだろうが。」
それだけ、七志の指揮能力に疑問を持たれているということだ。
それはむしろ当然と言うべきだった。何の実績もない、どこの馬の骨とも知れない来訪者を信じて命を預けられる者が居たとしたら、そいつは馬鹿だ。
近代的な軍隊ならばまだしも、この異世界の軍は指揮者の能力が軍の強さを左右すると言って良いほど、個人の連携に勝敗の行方が掛かっていた。
だが、手練ればかりの部隊編成では、それこそ七志では統率が取れないことなど目に見える。それぞれが勝手に動いて、部隊としての機動力は著しく低下する。それで済めば安いだろうが、下手をすれば全滅に繋がる公算が高い。ドミノ倒しに全軍崩壊、という最悪のシナリオもありえるのだ。
それを計算に入れて、まだ御しやすいと思われる新兵を半分入れたのだろう。
いわば、苦肉の策。ライアスが今回の作戦立案で、真実頭を抱えていたのは、この点だったのだろう。
イレギュラーとさえ言える、七志の存在。これをどうするかが最大のネックだったに違いない。
にわかに申し訳ない気持ちで一杯になる。
同時に、なんとしても、一兵も欠けさせることなく、帰還させたいという念が強まった。
「ジャック。俺は、どう動くのが最適だと思う?」
七志の疑問に答えて、ジャックは口の端を上げてニヤリと笑ってみせた。
「それを今言おうと思ってたところだ。」
七志の部隊が所属するのは右翼の一群。その中で、もっとも用兵に優れていると見られる部隊長の名を、ジャックは告げた。
ハロルド・バーグマン部隊長。平民の出ながら、若いうちから隊長に抜擢された男だ。
「とにかく、ヤツの指示を仰げ。この行軍中、そして兵営の間に、出来るだけヤツとヤツの部隊の者に取り入るんだ。幸いなことに、ヤツもライアスの熱烈な信奉者だ。巧い事立ち回れ。」
不安げな七志の肩を軽く叩いて、ジャックは締め括りにこう言った。
「なぁに、心配するな。お前は人に好かれやすい性質だ。いいか、人に好かれるってのはな、最大、最高の武器なんだぜ。お前はただ、いつも通り、真正面からぶち当たればいい。」
真剣な表情で頷く七志。ふと、その騎乗する馬を見たジャックが訝しんだ。
「七志。お前、その馬はどうしたんだ? よく見りゃ、宿に居たのとは違うみたいだが。」
「ああ、これは……借してもらった馬だよ、話せば長くなるんだけど。」
構わない、と頷きで合図するジャックに、七志はキッカのことを話した。
「街の占い師ねぇ……? そんな凄い能力の者は聞いたことはないんだが。」
「あれって、そんなにすごい事なのか?」
キッカの言う、水晶に映しだして見ていたという一事に関しては、七志もよく解からないことだった。なにせ、この世界自体が不慣れなもので、どこまでが常識として通じるのかすら解かっていない。
「そりゃそうだ、ここからゴブリン山までどのくらいの距離があると思う? しかも、一部始終を見ていたっていうんだろ? そんな人並み外れた能力があるなんてのは……、て。まさか、」
「まさか?」
「いや、そんな事はないな。お前以外の能力者なんてのは、ほぼ居ないはずだからな。どんなに多くても二人以上にはならない。三人になれば、誰かが消える。」
ジャックの言葉は、七志に不安を与えた。
やはり、当事者である来訪者以外の、この世界の者たちは何かを知っているのだ。
「あぁ、すまん、脅かすつもりはないんだ。消えるってのも、俺たちから見てそう見えるってだけで、実際は元の世界へ戻されるだけかも知れねぇしな。」
悪びれた様子で言葉を濁したジャックに、七志も追及することは控えた。正直、今はそれどころではない状況だ。自分のことよりも、まずは軍全体の事を考えるべきだと思った。
「この馬はいい馬だぜ、七志。そのキッカって娘には感謝しろよ。」
「ああ、もちろんそのつもりだよ。」
何度となく助けられた。遠征から帰ったら、改めて礼をしなければいけない。
キッカの姿が思い出されると、胸がほのかに熱くなった。
そういえば、と七志は思い出すことがある。
「なぁ、ジャック。お前のほうはどうなんだよ?」
「なにがだ?」
とぼけている風ではない。本気で気付いていないのかも知れない。
死ね、と胸中で毒付きながら、遠回しな言葉を紡いだ。
「だから……、リリィのこととか……、色々とさ、」
「あー、あのジャジャ馬な。今朝まで付いて行くだの何だの言ってゴネてたぜ。」
まるで気のない返事を返すジャック。
七志はため息を吐いた。周囲がやきもきしても始まらないのは解かっている。なにせ、リリィ本人がそういう素振りをジャックの前では絶対に見せないのだから、始まるわけがない。
代わりに想いを伝えてやろうかと手を回しかけて、リリィに首を絞められたりもした七志だ。師のライアスなどは、「放っとけ、放っとけ。」と取り合わなかった。あれが正しい態度なのかも知れない。
「ゴブリン山との戦争も、この先延々と続いてくのかねぇ……。まったく、厄介なことだぜ。」
「今回の遠征が初めてってわけじゃないのか?」
あの山の悲惨な状況は、実際にその目で見て知っているつもりの七志だが、国の状況は知らない。
「ああ。延々と続いてるぜ。先代の王の時からずーっとな。かれこれ十回は遠征してるんじゃないか?
国力も疲弊するし、隣国とはキナ臭いしで、少ーしずつジリ貧に陥ってってるよ。まぁ、隣国も教皇領の要請には頷かないわけにいかないからな、お互いが消耗戦って感じだな。」
ゴブリン討伐は、これが初めてではないのだろうか。しかも、隣国や教皇庁も噛んでいるという言い方に、興味をもった。
ジャックが言うところでは、ゴブリン山には度々遠征隊が討伐に向かっているらしい。しかも、教皇庁からの要請と、隣国独自で繰り出した遠征軍と、この国との三重でのものだ。
ほぼ、全方面からの包囲網を敷いているようなものだったが、一向に魔物の数は減らないという。
「本来なら、人間の住む地域と魔物の領域との境界にはエルフや獣人が集落を作ってるもんなんだけどな。あの山にはそういう中間の連中が居ないんだよ。」
「なんで?」
「元々はエルフ族が棲み付いて山を管理してたんだが、怒らせた馬鹿が居てな。……出てっちまった。」
吐き捨てるような一言を最後に、ジャックはそれ以上は立ち入るなとばかりに馬の距離を離した。