第十三話 チュートリアル・ダンジョンⅠ
「カボチャー!!」
注意を逸らしていた七志が異変に気付いた時には、もう壁は閉じられている。
棘のない壁と、たゆんだ一本の太い鎖。片方の壁は二倍の厚さに変わっていた。
「危ないところでございました、さすがのわたくしめも、ぺしゃんこにされるかと。」
「無事だったか!」
神出鬼没の使い魔が七志の後ろで、胸を張るかのように頭を反らした。
「もちろんでございますとも!」
「て、穴開いてるぞ、」
「おおぅ!?」
カボチャの横っ面に大きな穴が穿たれていた。
「ここで立ち往生してる場合じゃない、けど、どうやってあの棘廊下を渡るか……、」
立ち尽くす七志の目の前で、廊下の壁はゆっくりと鎖に引かれて元に戻っていく。
仮に、今、棘のない側のこの廊下を駆けたとて、渡りきるまでに潰されてしまう可能性の方が高い。
棘のある側よりは引っかかる事がない分だけ、通るならこちらなのだろうが。
カチャリ、と小さな音を残して壁は元通りになる。
「まったく、失礼千万な連中ですな! いっちょ、驚かしてやりましょうぞ!」
言うが早いか、カボチャの姿が消える。
「ばぁ!!」
「ひぃ!!」
次に出現した先は、例の覗き穴の目の前だった。
驚いたのだろう、無人にも関わらず棘廊下が引っ張られる。
「……!!」
閃き。
閉じてゆく廊下に向かって、七志は走り出した。
棘の壁とは反対の側に、今まさに開きつつある、突破口。棘のない反対側の壁!
もし、この向こうがまた、棘の廊下であれば万事休す。間断なく続く棘の壁に刺し貫かれて息絶える。
南無三!! 七志は目を堅く閉ざし、スライディング。
壁は途中で一旦止まり、慌てた様子でそのまま塞がった。すぐさま元に戻る側の鎖が勢いよく引かれていく。七志が飛び出すとほぼ同時にガシンと閉じた。
静寂と思うのは錯覚か。心臓の音が痛いほど響く。通り抜けた後の、元に戻った棘廊下を見つめて、七志はごくりと唾液を飲み下した。
棘廊下は連続してはいなかった。少し狭いながら普通の廊下を間に挟んでいる。
仕掛けの為か、この廊下を含む建物自体の強度や建築法に関係でもあるのだろう。なんにせよ、続いてはいない、たぶん、この先も。
そして、壁は途中で一度、停止した。つまり。
途中で壁を戻すことは出来ない、ということだ。意思伝達の手段がないからなのか、理由は知らない。
しかし、これでこのトラップを攻略する方法が見えた。
「今の要領で、次行くぞ!」
「はい、七志様!」
恐れるに足らず。
カボチャが脅し、閉じる廊下の反対側を駆け抜ける七志。
確実に、棘の廊下攻略に成功していた。
「なかなかやりますわね、次の罠の準備をなさい。」
「ははっ、」
追いついていた王妃が、仕掛け廊下の始まりで眺めていた。
「ネズミ程度と侮ってはなりません、アレは、もう少し上等なようです。」
美しい顔が笑みを作る。
七志とカボチャはダンジョンの暗い廊下を突き進む。
薄暗く、仄かに明るいこの光源はいったい何処にあるのだろう、と七志はふと疑問を感じ、今はそれを気にしている余裕がない、と振り払う。
魔法は、すべての摂理を覆す。匙加減は神の心ひとつ。
本能的な危険を察知して、七志はふたたび足を止めた。
妙だ、なにかが引っかかる。
そうして気付いた。石造りの廊下、随分と見慣れてきたその風景が今までと違う。
まるで間違い探しをしているように、前方に広がる景色と、背後の景色を見比べる。
首を回しての確認が、数度のうちには身を返しての確認になる。
「どうなさいました? ご主人様?」
「……いや、なんか変なんだ。廊下が、こう、」
後ろの廊下。
うすぼんやりと、どこからの明かりかも知れないまま、遠い闇に繋がっている。
前方の廊下。
これもぼんやりと、ほの暗い闇が遠くで真の闇へと溶けている。
気付いた。
「あの先の廊下、なんで石畳の模様が無くなってるんだ?」
「はて? ……ああ! 解かりましてございますよ、七志様。アレはほれ、」
カボチャの言葉が続く間に、件の床が大きく盛り上がった。
「スライムでございますから。」
びゅるり、と壁へと移動し、続けて天井へと伸び上がる。
得物を待ち受ける態勢で、じっと、擬態を再開した。
「七志様! スライムは火が弱点でございます! 楽勝の相手でございますよ!」
「俺は魔法なんて使えねぇんだよ。」
「…………万事休すっ!!」
カボチャが天を仰いだ。
「お前の能力でアイツを操るとかは無理?」
「無理ですなぁ、なんせ頭がありませんから。スライムというのはですねぇ、あれで厄介な魔物でして、弱点である火の攻撃以外ではまったく歯が立たないのですよ。近接攻撃など自殺行為でございますし。
触れたが最後、絡め取られて飲み込まれてしまいます。
他のあらゆる魔法攻撃は吸収してしまいますし。しかも、吸収することで、際限なく膨張してゆくのですから、本当に始末が悪いのです。」
やれやれ、と首を振る動作でカボチャが説明を終えた。
「救いは、自分からは動かない、ってことだけか。」
門番のように、ダンジョンの天井に貼り付く怪物を睨みつけながら、七志が呟いた。
「なぁ、カボチャ。」
「わたくしはぁ、」
訂正しようとする使い魔の言葉を遮って、七志は言葉を続けた。
「普通のスライムってのも、こんなんなの?」
「は? どういった意味でございましょうか?」
カボチャはその言葉の意図が測りきれない。
七志は首を捻っていた。色々とゲームをやり込んできて、ゲームごとにこのスライムというモンスターとも対峙してきたつもりである。
しかし、今まで見たスライムというエネミーは、こんな風に受動的な存在ではなかった気がする。
もともとが雑魚中の雑魚エネミーとは云え、もっと活発に動くものばかりだった事が気になる。
今まで不本意ながら対峙してきたモンスター……ゴブリンにせよ、カトブレパスにせよ。
七志の思い描くゲームデータの魔物たちとは、さしたる違いもなかった気がするのだ。この、スライムほどには。
「あれってさ、本当にこの世界の標準的なスライム?」
「……そう言われましたら、確かに。」
「さっきの棘廊下のさ、中の人たちとかさ、真っ先に食われてんじゃないか? 普通はさ。」
鋭い指摘にカボチャが黙り込んだ。
「飼い慣らされている、と?」
「そうかも知れない。……だからって、ぜんぜん打開策にはなってないけどな。」
ふたたび、前方を見据えた。
◆◆◆
「申し訳ございません、エリーゼ様。」
「構いません。
いずれ、あの方法しか抜け出る道はありませんもの。ああいう手で来る事は先刻承知であったはず。
けれど、想定と事実の間には大きな隔たりがありました。お前たちとて、あのような化け物が目の前にいきなり現われ出ては、驚きもするでしょう。
……今後は、平常心を養うよう手配なさい。」
「ははっ、」
王妃の後ろに控える影が、掻き消えた。
「いずれスライムの切り抜け方にも気付きますわね、本当に油断のならない子供ですこと。」
剣呑な光が、双眸に湛えられている。
想定内のはずであった。
棘を避けて、棘の壁が通った後の裏の通路を抜けようとする、そんな事は解りきった話だった。
だからこそ、壁の幅は絶妙な長さが取られている。武器を抱えた人間の走る速度と距離を計算に入れての長さだ。ギリギリで、通り抜けるには間に合わないように設計されていた。
本来は、通り抜け可能なはずではなかった。それを、七志は通り抜けてみせた。偶然ではない、後に続く同様の罠をすべて彼は通り抜けてみせたのだから。
軽装備の上に軽量の武器、それに、あの奇妙な靴にも秘密がありそうだと王妃は見ていた。
石畳は適度な湿り気とぬかりなく踏み固められた結果に、非常に滑りやすいはずなのだ。
まさか、七志の靴の底がラバーゴムで出来ており、とても高機能な滑り止めの効果があるとは知らない。
凍った床でも用意しない限り、彼の速度を落とす事は出来なかった。
輝く鎖にも仕掛けがある。
もし、鎖を断ち切っていたとしても……迫る壁は止まることがないのだ。
魔法の、見えない力で動いているものが、鎖の有無など関係のあるはずもない。七志はこのフェイクにはまったく興味を示さず、完全に無視していたように王妃には感じられた。
罠と気付いていての行動か、はたまた単なる偶然か。
判断に迷っていた。
「……あの子供は、普通の来訪者とはどこかが違うような気がしますわね。
今までにも何名かの来訪者をここで迎え撃ってきたけれど……。他の者たちとは、何かが違う。愚かなようで、時に驚くほど聡く、また、日和見に過ぎるかと思えば、思わぬ決断を見せる。
確かに、面白い子供ですわ。陛下。」
年齢的に、王妃と七志の差は少ないように見えたが、まるきり子ども扱いされてしまう程には、七志の精神はこの世界の平均的な者よりも幼く見られていた。
王妃は、七志を同年代とは思ってもいないのだ。見た目だけならば、いっそ、七志の方が年上にさえ見えるというのに。
「エリーゼ様、国王陛下にはどのようにご報告申し上げれば宜しいでしょうか?」
再び、影が王妃の背後に佇む。
「もうしばらくお貸し願います、とだけご報告なさい。」
ご心配なさらずとも本日中にはお返し致しますのに。さも愉快だと云わんばかりの上機嫌さで、王妃は声を立てて笑い、答えた。
王が、自身にはひどく甘いのだと承知した上で、時折は我儘を言って主の気分を逆撫でる。それが国王アレイスタにとってはちょうど良い刺激になる事さえも、充分に把握していた。
「少しくらいは勘気を呼び起こして頂く方が良いのです。周囲の者たちは陛下の寛大さを身に染みて感じ入ることでしょう。」
王妃が暴走すればするほど、王宮内部の不穏分子は身動きが取れなくなる。この地底の迷宮を司る、冷血の女帝。そう思っていてくれる方が都合良い。
国王は寛大にも、この王妃を掌で遊ばせている、と。
自身への恐怖と、王への畏怖。二つは強力な軸となって、王政を不動のものとするギアとなる。
「もっとも。あのスライムをどうにかするのは並大抵ではないかも知れませんわね。
もし掴まってしまったら、残念ですけれど、骨の欠片も陛下の前にはお出し出来なくなりますもの。それについてのご報告は、巧く取り仕切ってちょうだい。」
「は……、ははっ、」
困惑の混じる承諾の声。影はきっと国王の前で寿命を縮めるほどの怒気に当てられるに違いなかった。
想像を巡らせ、くすりと笑みを零す。
王を苛立たせることは殊更に楽しいと思えた。
「スライムの弱点は『火』……そんな程度で切り抜けられると思って頂いては困りますわよ。」
通常、どこにでも居るような魔物を、わざわざ王宮のダンジョンに配置するはずなどない。
王妃の用意したスライムは、属性における弱点を持たない希少種と呼ばれる魔物だった。
物理攻撃、魔法攻撃、共に通用しない。
唯一の欠陥は、存在していたが。見破ることが出来るとは到底思われない。
熟達のアサシンでさえ、このトラップを抜け出た者は一人もない。
およそ来訪者のチート能力でもなければ、ここを突破する事は不可能と思われた。
一つ目の罠をクリアした七志は、その奥の通路でまたしても進路を塞がれている。
スライムはじっと天井に貼り付いたままで動く気配を見せない。
それを眺める距離で、二人、いや、一人と一匹は立ち往生で戸惑っていた。
「火、……出せないよなぁ、出せるならそう言ってるよなぁ。」
「もちろんでございますとも、ご主人様!」
胸を張ってカボチャが即答。七志は頭を抱えている。
どちらかが火の魔法を使えたなら、事は楽勝で運んだのだと七志は思っている。
「ダッシュ……しか、ないんだよな。」
「僭越ながらご主人様。スライムの速度を侮ってはなりません、あれで非常に素早い生物ですぞ。」
「そんなもん、さっきの動き見ればすぐに解かるって。
普通に俺が走った程度なら、あっという間に追いつかれるさ。そんなの、解かってる。」
解かってはいても、他に方法など有りはしない。
ここは国王の前で見せた、チート能力を使う以外に手はなさそうだった。
「お前に操られた状態の俺なら、限界突破で突っ切れるんじゃないかと思うんだ。
スライムの速度を超えるスピード……。アイツが、飼い慣らされているとしたら、持ち場を遠く離れてまで俺たちを追うことはしない。」
「むむ、それは厳しい賭けですぞ、七志様。ヤツのスピードが上回った場合、もしくは七志様の体力の限界をも超えて追い続けられた場合には、覚悟が必要となりますぞ!」
「解かってる、でも、それしか方法はないんだ。」
七志は宙に浮く自らのシモベに向けて腕を伸ばした。
おとなしく掴まれるままに身を預けたカボチャの使い魔をその頭部へと装備する。
学校の、体育の時間を思い出して、石畳に両手をついた。クラウチング・スタートの姿勢。
「いくぞ、カボチャ! 限界まで、突っ走れ!!」