第九話 熊と司祭とブラコン姫
風呂焚きを終えてダイニングへ戻った七志を、今度は件のジャックが出迎えた。
「よぉ、リリィと何を話し込んでたんだ?」
ニヤニヤと勘違いな笑みを浮かべるにやけ面をぶん殴ってやりたい衝動に駆られつつ、七志は答えた。
「鈍感男の凹ませ方についてだよ。」
大して興味があったわけでもないのだろう、その返答を聞いたジャックの反応は薄い。
軽く首をかしげただけで、おしまい。自身の事だとは気付かなかったようだ。
その後、さっさと話題を変えた。
「まっ、そんな事より今はこっちが大事だ。コレ、見たことあるか?」
そう言って取り出したのは、弓のような銃器のような、奇妙な道具だった。
怪訝そうな顔をしている七志に、ジャックがそれを押し付けるように掴ませる。
「クロスボゥだ。」
「ああ!」
名前だけは知っている。
見たのは初めてだ、細長い、弁当の箸箱のような形状の箱に、子供の玩具のような小さい弓が付いている。箸箱は七志の腕ほどの大きさではあるが。
同じものをもう一つ、ジャックは取り出した。テーブルの下に用意して待っていたらしい。
「こいつは足で装填するんだ。弦を引く時に、腕の力じゃなく、体重を掛けてな。そんだけ強力だって事だ。弓ってのは、しなる力がバネになって矢を撃ち出すわけだからな、そのバネが強力なほど殺傷力は高くなる。」
言いながら、ジャックは実際にクロスボゥの矢を装填してみせた。
構えながら、さらに続ける。
「簡単な鎧程度なら、ブチ抜いてしまう。殺傷力は弓の比じゃない。」
「すげぇ、」
興奮気味に、七志も自身に与えられた武器を眺めた。
「ただし、弱点もある。装填時に大きな隙が生まれるんでな、ソロでの戦いには向かない。だが、今回のような戦争での集団戦には威力を発揮するはずだ。
コイツは弓に比べて小型だから、取り回しも良い。制限の多い山間での戦いには圧倒的に有利だ。」
まぁ、その分、値は張るんだけどな。とジャックは言って、一呼吸置いた。
「コイツを、国王軍に売り込んでもらいたいんだ。」
本題を聞かせる。
真剣な顔つきに、七志にも緊張が伝わった。
「こっちも命が掛かってるからな、出し惜しんでる場合じゃないって事だ。
勝率は出来る限りは上げておいて損はない。今も知り合いに声を掛けちゃあ集めて回ってるが、国王が街の鍛冶屋連中に号令を掛けりゃ、期限内で全軍に必要な数は揃うはずだ。
説得してほしいんだ。お前にかかってる、頼むぜ、七志。」
来訪者である七志の知るところではないが、現状、弓とクロスボゥは同じくらいの比率で普及していた。
双方に利点と弱点があり、好みやコストパフォーマンスに合わせて使い分けられている。
国軍では弓の方が配備率は高い。やはり、値段の問題もあり、おいそれとは変更出来ないものだった。
「俺たち傭兵部隊の位置付けは予備兵だ、だから、俺たちが勝手に装備を整えて挑んだとしても、サイアク、現場で取り上げられちまうだろう。
全軍に配備、それしか俺たちが大手を振って装備出来る道はない。装備をケチッて勝てる見込みのある戦況でもない。軍部はあの山の現状を知らないんだ、舐めてかかってるとしか思えないからな。
お前が説得して、正規兵たちにも装備させるんだ、七志。」
こくりと頷いて七志は引き受ける。責任重大だが、断るわけにはいかないと判断した。
「わかった、掛け合ってみる。
俺やジャックの言葉っていうんじゃ説得出来ないだろうけど、先生がそう言ってたって言えば、国王兄妹にはイチコロだろうと思う。」
あの二人の心酔振りは半端なかったからな、と括った。
「そういう事なら、わしが一筆書いてやろう。」
ダイニングの戸口から声が掛けられた。
「先生!」
「じぃさん、来てたのか、」
振り返った先、入り口付近にライアスが立っていて、二人の様子を眺めていた。
話に熱が入って、近付いていた足音に気づかなかった、とジャックが答える。
「七志、書簡が書き終えるまでに食事を済ませておけ。早馬で王宮へ届けてもらうからな。」
「は、はい、先生。」
すでにリリィが炊事場に立っていた。七志のためにトレイに食事を揃え、さっと出してくる。この辺りのコンビネーションが、冒険者たる由縁だろう。阿吽の呼吸。
七志は内面の緊張を隠して、急いで食事を済ませた。急激に事態が展開してゆく。肌で感じる。
同時に不安も頭をもたげた。……馬に、乗れるだろうか。
「ジャック、俺、馬に乗ったことがないんだけど……、」
口の中の肉をごくりと飲み込んだ後に、七志は切り出した。
瞬時に見せたジャックの表情が辛い。痛い、という顔をしてから、すぐに平静に戻る。
もしや、馬に乗るのは自転車に乗るほどに当たり前の話なのだろうか。またしても心臓が疼きだした。
七志の内心の不安とはうらはらに、ジャックの口調はあくまで軽いものだ。
「ああ、そうか。お前は異界の人間だし、そういう事もあるか。
しかし、困ったな。俺は職人の手配やらで忙しいし、リリィはさすがに動かせないし……、仕方ない、ナリア嬢ちゃんに頼むか。」
ナリア、と聞いて七志が首を捻る。この宿の冒険者はリリィとジャックと……昼間の会話を思い出す。
ばいばい、と手を振った女児。
「あの子!? てか、あんな小さい子でも馬に乗るの!?」
驚きはひとしおだ。
「そうね、小さい子でも馬には乗るわね。てか、必需品だし。」
「お前も練習しておかなきゃな。まぁ、当たり前って感じだからさ。」
リリィとジャックが二人して、なんとも言えない顔をしてトドメを刺した。
気の毒がられているのが丸解かりな視線、とでも言おうか。
ここは異世界なのだ。
七志の居た世界の過去、中世ヨーロッパにおいてはどうだったか、それは七志も調べたわけではないから知ってはいない。けれど、常識で考えて、年端もいかない少女が乗馬を嗜むのが当然などという感覚は普通だなどとは思えなかった。
だが、ここではそれが普通なのだ。
普通に怪我は魔法で治癒し、冒険者という職業があり、魔物が跋扈する。
「……馬に乗れないのって……恥ずかしい?」
七志が恐る恐るで訊ねたセリフに、ジャックとリリィと師匠のライアス、三人が揃って頷いた。
「じゃあねぇ、お兄ちゃん。教えてあげるから、よぉく聞いてね。」
「うん、ごめんね、お手柔らかにね。」
トホホな気分で七志は幼女に手ほどきを受ける。王宮に出入りが許されるのは、冒険者の中でも、現状で七志ただ一人だ。当然、今回の使者にも七志が立つことになる。
つまり、馬に乗れない七志は、幼女の背に掴まって乗せてもらうことになる。
それ、何の拷問ですか? と聞きたいほどに情けない気分だった。市中引き回し。
お姉さん気分に浸っているナリアは得意満面だ。厩から引き出してきた一頭のロバを前に、七志に説明を始めた。ロバは馬よりも小さい。初めて見る七志にとってはロバですら、想像よりもとても大きく思えたものだったが。
ナリアが得意げに説明を始める。
「これは、ロバさんです。
初めての時は、ロバさんから始めます。いきなりお馬さんは、無理だからです。お馬さんは大きいので、怪我をしないように、最初はロバさんから始めます。いいですか?」
「はい、いいです。て、ナリアちゃん、ごめん。俺、今日はそんな時間ないんだけど。」
気が急いている七志が、やんわりとナリアに抗議した。
急いで王宮へ向かい、書簡を渡してこなければならないのに。
「黙って聞いてください! ……ロバさんを馬鹿にしてはいけません。思いっきり走ったら、お馬さんの方が早いけども、そうでもない時は、ロバさんとお馬さんの速さはあんまり変わりません。」
それから、とナリア。
「わたしは、まだお馬さんに乗って走るのはヘタクソです。」
二人を乗せての乗馬には自信がない、それがロバを選んだ最大の理由だった。
ロバは二人を乗せてテクテクと急ぐ。
大の男が幼い少女に乗せてもらっている奇妙な図。
道行く人がみな、微妙な顔をして見送っているような気がして、七志は目を瞑っていた。
なんでこんな目に逢うんだろう、と。
◆◆◆
王宮に辿り着くと、まずは門番との掛け合い漫才が始まる。
「……で、あるからして。なぜここを通りたいのか申せ。」
「だから、重要な書簡を預かっているので、王様にお目通りを願いたいんですって。」
「うむ。あい解かった。で、貴様は何者か。」
「俺はカナリア亭という宿に寄宿している冒険者で、七志と言います。……て、さっきも言いましたよね!?」
「そうであったか? で、王宮へは何用で参るのか。」
「……、」
落ち着け、ここで癇癪を起したら駄目だ、我慢だ、我慢。
深呼吸と共に、じっくりと数字を10ほど数えて、七志は繰り返した。
「重要な書簡を預かっているので。王様にお取次ぎ願います。」
「うむ。あい解かった。で、貴様は何者か。」
駄目だ、これは。七志は内心で頭を抱えた。
押し問答が続く間に、何人かの訪問客が、七志とは違って呼び止められもせずにすんなりと城門を通っていく。それはいずれも立派な馬車で、王宮は民に開かれている、と見せかけて、その実はこんな具合に訪問者を制限している事を教えた。
民衆は月に一度か二度、国王諸侯に暇が出来た時にだけ、ある程度の数で謁見が許されるだけだ。
また一台、立派な馬車が問答をしている七志の横を通り、今度は門の前、七志の傍で止まった。
「これ、門番、開けて差し上げよ。その方は来訪者、末には勇者となりこの国を救うお方ぞ。
無礼を働くでない。」
馬車の中から声がかかった。
「こ、これは司祭様。ご到着は明日と伺っておりましたが?」
「予定が繰り上がったのだ、本日、フィオーネ様はいらっしゃるだろう? いつも留守であられるが。」
小さな採光窓のカーテンが上がり、ぎょろりと人の目がこちらを向いた。
「道を開けよ、我らと共に、勇者さまもお通しするのだ。」
「ははっ、」
開け放たれた城門で、七志の行く手を塞いでいた肉の門が、この一言でさっと開いた。
問答をしていた門番が横へどいた。
「さぁ、来訪者殿。奥へ進まれよ。まっすぐに行けば、王の控えおられる謁見の間ですぞ。」
目だけの人物は、そう言って、ふたたびカーテンを閉ざした。
御者が鞭を入れ、馬車馬がいななき、車輪が回り出す。ガラガラと堀に掛かる城門の橋げたを渡っていった。
一歩を踏み出し、七志は門番を振り返る。
「あれって、誰ですか?」
「あれは司祭さまだ。明日、という話だったのに……フィオーネ様への縁談話をなんとしてでも進めたいらしい、小僧、すまんがフィオーネ様に事の次第を伝えてきてもらえんか。」
今の今まで意地の悪い仕打ちをしていた事も忘れたかのように、門番は七志の手を取った。
「馬車を降りて支度を整えるまでには間がある、フィオーネ様は兵舎におられるから、急いで知らせれば逃げ出すにも十分な時間が取れる。
お役に立てば、国王様の覚えも目出度くなろうから、損にはならんぞ。」
急げ、急げ、と急かされて、訳も分からず七志は奥へ進んで、そのまま兵舎へと向かった。
以前来た時に案内されていたから、人に聞くまでもなく兵舎へと辿り着き、探す人物を見つける。
預かってきた書簡は、国王かその妹の姫将軍に渡せば目的は果たされるのだから、これはむしろ渡りに船といったところか。
「フィオーネ将軍、」
「おお、七志ではないか、どうした?」
書簡が先か、司祭が先か、一瞬だけ迷った後に司祭の件を話す。逃げるというなら、一緒に付いて回ればいいことだ、と。
「ふむ、司祭がまた来たのか。しつこい事よ、その上、わたしを出し抜こうなどと……賢しいな。」
トゲのある言い回しで、フィオーネは嫌悪を示した。
「付いてこい、七志。秘かに城を抜ける。」
やっぱりね、と七志は一人納得し、駆けだしたフィオーネの後を追う。
書簡は出来れば国王に渡したいところだが、実質の軍務ならこのフィオーネでも問題はないだろう。なによりここで否を唱えればこのお姫様のことだから、どんなイチャモンを吹っかけられるかも解からない。
兵舎の敷地を抜け、練兵場を横切って囲いを抜けると、森へ入る。
フィオーネは慣れているようで、さっさと森の中を進んでいった。
「あ奴は好きになれん。どうして隣国との縁談を纏めようとするのか、さっぱり理解に苦しむ。」
森の中には小川が流れ、花が咲き乱れ、元々のどかだと思っていたこの国の景色の中でも、殊更に平和で牧歌じみた光景だと思わせる。
その景色の中を主従のように連れ添って歩きながら、七志は前を行くフィオーネの言葉を聞いていた。
「隣国の王子。見たことはあるまいが、どうしようもないブ男だ。普段から兄上を見慣れているわたしにとって、あんな男を婿にするなどまさしく地獄。
兄上と並べると見劣りするなどというレベルではない、天と地ほども差が開く。そんな男と夜には褥を共にするのだぞ、……ぞっ、とする。」
熊のようにずんぐりとした大男、熊に劣らぬ体毛がシャツの胸元からもじゃもじゃと、その上剃り跡が青くなるからと伸ばした髭が顔中を埋めている、と、姫の好みに合わぬらしい隣国の王子はヒドい言われようだった。
「それに比べて兄上は……、」
「姫将軍はブラコンなんだ。」
つい、口が滑った。
凄まじい勢いで睨まれた。
「だっ、黙れ……、わ、わたしが兄上に、だと、そ、そのような、いや、兄上は尊敬に値するではないか、きさま、何を言い出すかと思えば、そのような、!」
真っ赤になって言い訳を探すフィオーネが、やけに可愛く見えた。
「あ、いや、ごめん。気に障った? なんか、そうなのかなって思っただけで……、」
フォローしようと言葉を継いだ七志だが、ますます姫君の羞恥に火を付けてしまったらしい。
髪を振り乱してフィオーネは否定する。
「ち、ちがう! いや、違わん! あの男が熊のようだから! 兄上と似ていたら少しくらいは、いや、違う!」
「落ち着いて、」
「だまれ、だまれ! 兄上は最高の兄上なのだから、当然だー!!」
しまいには喚きだし、七志を放置して走り去っていった。
「え!? ちょっと、待って! こんなトコに置いていくのかよ!?」
慌てて七志も後を追うのだが、フィオーネの足の速さは尋常ではない。
そんな鎧着込んでその速度とか、絶対チートだろ!! 見る見る遠ざかる後ろ姿に七志が心の中で叫んでいた。
「ちきしょー! 余計なこと言わずに手紙渡しときゃよかった!!」
ここまで来て迷子。
森の木々の向こうに城の威容がそびえているのが垣間見えた。