【短編044】 キーボード:ハルの重みだけを頼りに、書いていた。
深夜に書いて、深夜に投稿した話です。
読んでくださって、ありがとうございます。
深夜一時、奈央は画面を見つめていた。
投稿して、三週間が経っていた。
最初の一週間は確認しなかった。確認の仕方がわからなかった、というのが表向きの理由で、本当のことを言えば、わかろうとしなかった。ゼロだったとき、自分がどうなるか、少し怖かった。ゼロでも平気でいられるほど、奈央はまだ、自分のことを信用していなかった。
第二週目の火曜日、ハルがキーボードの上に乗った拍子に管理画面のタブが開いた。一瞬だけ数字が見えた。反射的に閉じた。心臓が、変な感じになった。
第三週目の夜。残業帰り、シャワーだけ浴びてソファに倒れた。ハルが胸に乗ってきた。どかす気にもなれなかった。三十分そのままでいて、それからパソコンを開いた。画面の白い光が、暗い部屋に広がった。
*
書き始めたのは、去年の冬だった。
別に書きたいものがあったわけじゃない。夜が余っていた。仕事が終わり、飯食って、風呂入ると、あとは眠るだけだった。眠れない日は、ただ暗い部屋で天井を見た。テレビの音が嫌で、かといって静かすぎると息が詰まった。
最初の一文を打つのに三十分かかった。何かを書こうとしたというより、何かをしている状態でいたかった。指が動いていれば、それだけは生きている感じがした。
ハルがずっと膝にいた。
キーボードを打つたびに、ハルがわずかに揺れた。それに気づいたのは、二万字を超えたあとだった。
年が明けて、職場の同僚に「最近何してるの」と聞かれたことがあった。「別に」と答えた。嘘じゃなかった。説明できる言葉が、まだなかった。その夜、家に帰ってハルを膝に乗せて、続きを書いた。
毎晩少しずつ、知らない誰かに向けて積み上げていた。
*
数字が表示された。
奈央は、息を止めた。
ゼロじゃなかった。
それだけ確認して、指先が、少し冷たくなった。息が、どこかへ抜けた。泣くのかと思った。泣かなかった。視界が一瞬だけ滲んで、それだけだった。
誰かが読んだ。
この三週間、奈央が一人で打っていたものを、誰かが開いて読んだ。どこかの部屋で。電車の中で。あるいは眠れない夜に。
それだけのことが、体の重心に近い場所に、静かに落ちていった。
胸でも腹でもない。もっと低い、どこか。
*
ハルが膝に乗ってきた。
さっきより重い気がした。気のせいだとわかっていた。
数字を何度も確認した。変わらなかった。それでも確認した。コメントはなかった。評価もなかった。
誰かが開いて、閉じた。最後まで読んだかもしれないし、最初の一行だけかもしれない。わからない。永遠にわからない。
奈央はしばらく、その数字を見たままでいた。
コーヒーが冷めていた。ハルがあくびをして、目を閉じた。一時半を過ぎていた。
奈央は管理画面を閉じた。
暗くなった。一瞬だけ。
それから新しいファイルを開いた。白い光が、また部屋に満ちた。
あの冬から書いていた。誰にも言えないまま積み上げて、それでも。ハルの重みだけを頼りに、白い光の中で。今夜、その光の中に、知らない誰かの夜が混ざった。
奈央は、キーボードに指を置いた。
しばらく、そのままでいた。
それから、打った。
ハルが膝の上で眠り続けた。打つたびに、揺れた。今度は、知っていた。
窓の外は、静かな夜だった。
最後まで読んでくださって、ありがとうございます。
書くことと、届くことのあいだにある、あの感覚を書きたかった。
うまく書けていたら、嬉しいです。




