第七話、 契約の正体と小さな名
崩壊する遺跡をなんとか脱出したその夜、
パチパチという焚き火の音が、夜の静寂に響く。
アッシュは右手の紋章を見つめていた。
あの岩犀の古王との戦いを経て、その幾何学模様はより複雑に、黄金の輝きを秘めた模様に変化していた。
「……あ、の……」
そのときアッシュの隣で、借り物の毛布に包まっていた子供が、消え入りそうな声を出した。
彼女はアッシュの顔をまっすぐに見つめ、深々と頭を下げる。
「助けてくれて、ありがとうございました。……わたしの名前は、ククルっていいます。
……兎獣人族の、ククルです……」
「ククル、か。………俺はアッシュだ」
アッシュが不器用に笑うと、ククルは少しだけ安心したように耳を揺らした。だが、アッシュの右手をみた途端、ふたたび緊張が走った。
「お兄ちゃん、その痣……その証は『ハンスーンの契り』という、とても大切な約束なんです。
私の魂と、お兄ちゃんの魂が繋がっちゃった証拠なの。
……普通は人間がこれを持つなんて、お母様の話でも聞いたことなんてないから………」
「繋がった……? それ、外せないのか?」
「無理ね。今のところは」
それまで静観していたリネットが端末のホログラムを空中に展開しながら、会話に割り込んできた。
画面には、アッシュの肉体構造と紋章から流れ出るエネルギーの図解が複雑に絡み合っている。
「いい、アッシュ。ククルの言う通り、これは魂の繋がり(バイパス)よ。解析の結果、あなたには『第一段階:土龍』の耐性が完全に定着してるわ」
「第一段階の能力……? 具体的にどう変わったんだ」
「あなたの肉体は今、『大地の慣性』と同期してる」
リネットは地面を指差した。
「単純に言うと重力に対する抵抗力が増しているの。
どんなに足場の悪い場所でも、磁石みたいに地面に吸い付いて立っていられるわ。
あらゆる衝撃を大地に受け流す不動の頑丈さ、それも普通の人間じゃ、ありえないレベルまで上がってる。」
「……まじかよ………。」
アッシュは自分の掌を握りしめながら、感触を確かめる。
………昔、じいちゃんに教わった頃の…………大地そのものが味方をしているような全能感。━━━それを確かに感じられた。
「だが、それは始まりに過ぎん」
それまで黙って剣を磨いていたスレインが、冷たい声で言葉を継いだ。
「………いいか、よく聞け。貴様がその手に宿したのは、呪いではない。我が獣人族の最古にして最強の秘儀――【ハンスーンの契り】だ」
スレインは氷の双剣を傍らに置き、焚き火の爆ぜる音に声を重ねる。
「この契りには、血に刻まれた『特別な試練』がある。大陸各地の秘境に鎮座する『遺跡』……その奥には、かつてこの大地を統治した歴代の長たちが、意志を持つエネルギーとして今も眠っているのだ」
「………試練は全部で六段階ある。一段階を突破するごとに、貴様は術者として『昇格』し、代々の長から直接その属性の恩恵と独自の『秘技』を授けられることになる。
貴様は今、土龍の恩恵により『大地の耐性』を得た。それは、人間が獣人の歴史に足を踏み入れたという証だ……」
パチパチパチ………
焚き火の爆ぜる音が、アッシュの胸の鼓動と奇妙に共鳴していた。
右手の黄金の紋章は、静かな光を放っている。
リネットの解析、ククルの言葉、そしてスレインの厳格な警告。それらすべてが、アッシュのこれまでの常識を塗り替えていく。
「六段階の試練、か……」
アッシュは独りごちた。
かつて「魔力を持たない落ちこぼれ」として蔑まれた自分が、いまや世界を形作る「属性」
━━そのものを継承する器になろうとしている。
皮肉な運命だと、おもわず笑みが漏れた。
「おい、スレイン。一つ聞かせてくれ」
アッシュは、冷徹な眼差しでこちらを見つめる剣士に向き直った。
「あんたはこれが『呪い』じゃないと言ったな。だが、もし俺が次の試練に耐えきれなかったらどうなる。その『魂のバイパス』とやらは、どうなるんだ」
スレインは磨き終えた剣を鞘に収めると、淡々と答えた。
「器が割れれば、中身は霧散する。……貴様の魂は属性の奔流に飲み込まれ、自我は消滅し、ただの魔力の残滓となって大気に溶けるだけだ。そして『契り』の連鎖もそこで断絶する。当然、獣人族のその子もろともな」
「…………」
━━━━その瞬間、隣でかすかに震える気配を感じた……
「………随分と重い責任だな。借りた覚えのない毛布の代金にしては、高すぎる」
「嫌なら、今ここでその右腕を切り落とすか? 命だけは助かるかもしれんぞ」
スレインの冗談とも本気ともつかない挑発に、アッシュは右手を強く握り込んだ。掌から伝わるのは、感じたことのない、揺るぎない大地の重厚感。逃げ出したいという恐怖よりも先に、腹の底から湧き上がる「高揚感」があった。
「……断る。せっかく手に入れた力だ。土龍の古王とやらにも悪いしな」
その言葉を聞いた瞬間、隣で怯えていたククルの耳がぴょこりと跳ねた。
「お兄ちゃん……頑張るの……?」
「ああ。どうせ元から失うものなんて何もないんだ。……リネット、次の目的地は出てるか?」
リネットは端末のホログラムを操作し、広域地図を投影した。北西の山脈、雲に隠れた未踏の領域に、黄金の紋章と呼応する光点が一つ、点滅している。
「土龍の次は、猛る嵐の領域――『第二段階:風雅』の遺跡よ。………覚悟しなさいよね、アッシュ。」
その時ふと、ククルが今にも泣き出しそうな顔でアッシュの服を掴んできた。
「お兄ちゃん……。わたしと繋がったせいで、怖い思いをさせてごめんなさい」
アッシュはその小さな頭を、大きな手で不器用に撫でた。
「いいんだ、ククル。………これのおかげでお前を守れたんだ。だったら、悪いことばかりじゃないさ」
アッシュの言葉にククルは、ぱぁっと表情を明るくし、スレインは僅かに鼻を鳴らした。リネットだけが、
「……甘いわねぇ、お兄ちゃんは」
そういうと肩をすくめ、ゴーグルの数値を切り替える。
「その痣が、あなたの命をどれだけ削る毒になるかも分からないのに。
……でも、まぁいいわ。その『甘さ』がどこまで通用するか、私が最後まで見届けてあげる」
リネットの言葉が夜の静寂に溶けていく中、アッシュはズキズキと疼く右手を、左手でそっとなでた。
この痣がもたらすのが希望か、それともリネットの言う通り命を蝕む毒なのか、その答えはまだ誰も知らない。
けど、自分の服をぎゅっと掴むククルの手の温もりだけは、今の彼にとって何よりも確かな真実だった。
「……ああ。せいぜい退屈させないようにするよ」
アッシュは短く答えると、錆びた古剣を鞘に納めた。
カチリ、という乾いた金属音が、平穏だった日常との決別の合図のように響く。
見上げれば、くすんだ煙に汚れながらも、その先には1200年前から変わらぬ星々が瞬いていた。
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アッシュ達の旅の始まりです。
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