咆哮する大地・第二話、刻印と氷の刃
「……ガ、アァッ!」
唸り声を上げたのは、筋骨隆々の「鬣を持つ肉食獣人」だった。
「(獣人っ?!なんでこんなところに?!)」
視線を移すと、その足元には、真っ白な毛を泥に汚した小さな子供――見たこともない、長い耳を持つ獣人の子が、耳を伏せて震えている。
その瞬間、獣人の爪が振り上げられた。狙いは、その子供の細い首筋だ。
「やめろッ!!!」
考えるより先に、アッシュの体が動いた。
腰の古剣を引き抜き、正面から割って入る。硬い爪と、刃こぼれした鉄がぶつかり合い、火花が散った。
「ガァ……!!」
獣人の腕力に、アッシュの膝が折れそうになる。
(くっ━━━。)
元々村を守るための警護団の剣術では、身体的に能力が違いすぎて獣人の身体能力には遠く及ばない。
視界が火花でちかちかと明滅する━━━そのとき視界の端で、石碑に寄りかかっていた黒髪の少女が、静かに唇を動かした。
『――目覚めて。』
短く、しかし抗えない響き。
瞬間、アッシュの視界が黄金色に染まった。
古剣の錆びた刀身が、太陽の輝きを凝縮したような熱を帯び始める。
心臓の鼓動が、遺跡の石床と共鳴し、熱いエネルギーが右腕に流れ込んだ。
「う、おおおおお!」
アッシュが叫びと共に剣を振り抜くと、眩い光の衝撃波が獣人の巨体を弾き飛ばした。
ドォオオオオン━━━、
爆音と共に土煙が舞い、肉食獣人は壁に叩きつけられ、逃げるように闇へと消えていく。
「はぁ、はぁ……今のは、なんだ……?」
光は消え、手元には再びボロボロの古剣が残った。
自分の意志ではない、何かに突き動かされたような感覚。
アッシュは困惑しながらも、震えている子供の方へ手を伸ばす。
「おい、大丈夫か。怪我はないか?」
泥だらけの小さな手。子供が縋るように、アッシュの指をぎゅっと握りしめた。
その瞬間、二人を中心として「光の鎖」が走りパチンとはじけた。
「熱っ……!?」
アッシュは思わず手を離した。
右手の甲に、焼けるような激痛が走る。
「……くっ、がぁぁ……っ!」
皮膚の下で何かが蠢き、見たこともない複雑な文様みたいなものが、赤黒く浮かび上がっている。
「なん……だよ、これ……。おい、君、これは一体……」
目の前の子供は安心したのか、気を失っているようだ。
気づくと、傍らにいたはずの黒髪の少女は、陽炎のように霞み、すでにその姿はどこにもなかった。
彼の右手の赤黒い幾何学模様は、まるで心臓がもう一つ増えたかのように、ドクンドクンと熱い拍動を繰り返している。
助けたはずなのに、得体の知れない呪いをかけられたような感覚。
アッシュが湧き上がる不安を抑え込もうとした、その時だった。
━━遺跡の入り口から、音もなく冷気が流れ込んできた。
先刻までの土煙が白く凍りつき、地面に霜が降りる。
カラン、と乾いた硬質な足音が、静寂を切り裂いた。
「……うすぎたない人間が、聖域を汚したか」
低く、どこか静謐な声。
逆光の中に立っていたのは、銀髪をなびかせた一人の青年だった。
人間に似た体躯だが、その頭上には鋭い狼の耳があり、腰からはしなやかな尾が伸びている。
(また獣人?!……。本物か!?)
この辺境の町では、商隊に混じった獣人を数年に一度見かける程度だ。だが、目の前の青年から放たれる威圧感は、町で見かける連中とは比較にならないほど鋭く、研ぎ澄まされていた。それはただの種族の違いとは簡単には言えず、━━━戦うために鍛え上げられた「戦士」が放つ、確かな殺気が放たれていた。
「待ってくれ、俺は別に汚すつもりなんて――」
油断なく見つめる青年の瞳が、アッシュの右手……今なお赤く脈打つ「紋章」を捉えた瞬間━━━、
青年の眼光が冷たい刃のような鋭さに変わる。
「……貴様っ?!その痣をどこで手に入れた。なぜ、その子が貴様に『繋がって』いる」
「知らないよ! 俺だってわけが分からないんだ。この子の手を握ったら、腕に変な模様と痣が――」
「黙れ、泥棒猫め」
そういって手のひらを伸ばし、青年が急に空中を掴む動作をする。
すると、大気中の水分が凝集し透き通るような氷の双剣がまたたくまに形成された。
「へっ?!………」
「死ね」
一歩。彼が踏み出した瞬間、アッシュの視界からその姿が消える。
キィィィン━━━
「速――ッ!?」
咄嗟に古剣を構えるが、衝撃は予想もしない方向から来た。
ガギィィン!
「くっ………」
金属音ではなく、凍てつく風がぶつかる衝撃音。
青年の剣筋はあまりにも鋭く、アッシュの頬に薄い切り傷を作り、そこから一気に凍結が広がっていく。
「痛っ……! なんだよ、この冷たさは!」
「我ら氷狼族の理だ。その子を返せ。人間が触れていいものではない」
青年――スレインは、無感情な瞳でアッシュを見据える。
本来、彼はこの遺跡を調査する人間たちの「お目付け役」として同行していたに過ぎない。だが、獣人族にとって神聖な契約の証を、あろうことか「下等な人間」が盗み出した。その光景は、規律を重んじるスレインの逆鱗に触れるには十分だった。
アッシュは後退りしながら、足元で気を失っている子供を庇うように剣を構え直す。
右手は今も、焼け付くように熱い。
言葉は通じる。だが、話は通じない。
ただ、この銀髪の獣人を止めなければ、自分も、そしてこの小さな子供も「凍らされる」ことだけは理解できた。
「……返せって言われても、俺にも外れないんだよ、これ!」
アッシュの叫びに応じるように、右手の紋章が再び黄金の輝きを放ち始める。
氷の冷気と、未知の熱。
二つの異なる力が、崩れかけの遺跡の中で激しくぶつかり合おうとしていた。
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