第二章・第十一話、風雅の遺跡1.空中回廊の再会
天穿の連峰、その山頂付近。
一行の目の前に現れたのは、雲海を裂くようにして架けられた巨大な石造りの橋――「空中回廊」だった。
それは、文明の及ばぬ高高度に浮かぶ、神話の残滓。
手すりなど存在しない、幅わずか数メートルの石の道が、霧の向こうへと果てしなく続いている。眼下には乳白色の雲が猛スピードで流れ、その切れ間から見えるのは、吸い込まれるような虚空と、針のように鋭い峰々だけだった。
一行は、風が吹きすさぶ中、
「……お兄ちゃん、風が強くて飛んでいっちゃいそうだよぉ!」
ククルが必死にアッシュの服を掴み、その背中に顔を埋める。
アッシュは『土龍』の耐性によって岩のように足を固定していたが、それでも肺から空気を奪い去るような風には、思わず歯を食いしばった。
「リネット、まだ着かないのか!」
「……計算上はこの回廊の先よ! でも、気圧が低すぎて演算が追いつかないわ!」
リネットがゴーグルを抑えながら絶叫した、その時だった。
回廊を塞ぐように、天井から巨大な翼を持った十数体もの影が音もなく舞い降りた。
「……やはり来たか、スレイン」
中心に立つのは、翠色の装束を優雅に纏った女傑――フィオナ・ガートラント。
彼女の背中に生えた美しい翠色の翼は、この猛烈な風を呼吸するかのようにしなやかに羽ばたいている。
その瞳は、かつての同胞であり、そして幼き日に憧れた「冷酷な規律の象徴」であったスレインを、激しい憎しみと、それ以上の情念で射抜いていた。
「フィオナか。……ここを通らせてもらう」
スレインの淡々とした言葉が、フィオナの逆鱗に触れた。
「通らせてもらう……? よくもそんな口が叩けるものね! 規律を重んじ、最強の氏族と謳われた氷狼族の精鋭が……! こんな人間や下位種のガキ、そしてあろうことか正体不明の汚らわしい『影』まで連れ歩くなんて!」
フィオナの視線が、アッシュの背後、気配を完全に消して立ち尽くすシオンに注がれる。シオンは何も答えず、ただ無機質な瞳でフィオナの動きを観測していた。
「スレイン、貴方は変わってしまっ
た。私の知る貴方は、もっと冷たく、美しく、種族の掟そのものだったはずよ! それをこんな……こんな軟弱な男の影に甘んじるなんて!」
「……俺は変わっていない。……何もな…」
「嘘よ!! だったら、その男を今すぐ殺して見せなさい! できないなら、私が殺してあげる……その痣ごと、切り刻んでね!!!」
フィオナが右手を一閃させると、突風が圧縮され、真空の刃となってアッシュの首元を襲った。
「――っ?!」
アッシュが『土龍』の踏み込みで回避しようとするより早く、最後尾にいたシオンが風よりも速く跳んだ。
キンッ! という乾いた金属音。
シオンの手にしたクナイが、目に見えない真空の刃を正確に叩き落としていた。
「……やらせない」
シオンの温度のない声。その背中は、空腹で行き倒れていた少女とは別人の、暗殺者としての使命を帯びていた。
「ふんっ、面白いじゃない……。その生意気な首、この風雅の空に散らしてあげるわ!」
フィオナの号令と共に、翠鷹族の戦士たちが一斉に空へ舞い上がり、回廊を取り囲んだ。
足場のない空中戦。アッシュたちは、吹き荒れる嵐の中で絶体絶命の包囲網に立たされる。
「――くっ、すごい風だっ……!」
アッシュは歯を食いしばり、右手の紋章を輝かせた。耐性によって足元を石床に固定し、吹き飛ばされるのだけは防いでいる。
だが、空中から雨あられと降り注ぐフィオナたちの攻撃に、防戦に回るのが精一杯だった。
「お兄ちゃん、危ない!」
クルルの叫びと同時に、フィオナが風そのものと化して肉薄する。
キィィィィィン!
アッシュの古剣と、フィオナの翠色の短剣が火花を散らす。
『土龍』の加護で身体能力は上がっているはずなのに、風の加速を乗せた一撃は、まるで巨大な金槌で叩かれたような衝撃をアッシュに強いる。
「ぐっ……」
「どうしたの! その程度で『土龍』の名を語るなんて片腹痛いわ!」
フィオナは翼を羽ばたかせ、物理法則を無視した角度で再加速する。アッシュは必死に剣を振るうが、彼女の残像すら捉えられない。
一方、スレインもまた彼女の同胞たちの包囲網に苦戦していた。
「……ッ、翠鷹の旋回性能が、これほどとはな」
スレインの氷の礫も、風を操る彼らにとっては止まっているも同然だ。逆に、四方八方から放たれる風の刃が、少しずつスレインの肌を削り、リネットの防護障壁を摩耗させていく。
「あぁもう! 計算が追いつかないわ! 空中は三次元移動、地上は二次元移動……圧倒的に不利よ!」
リネットがエンジニアコートの中から、ガジェットを乱射して牽制するが、状況は悪化する一方だった。
アッシュの身体には無数の切り傷が増え、出血が体力を少しずつ奪っていく。属性魔力の安定感も、常に足場そのものを切り刻まれては維持できない。
「……まだ、だ……っ!」
アッシュが膝をつきかけたその時、背後で震えていたクルルが、こつ然と顔を上げ、アッシュの背中に小さな掌を置いた。
(……お願い。お兄ちゃんを、助けて……!)
その瞬間、猛烈な突風が吹く戦場にありえないはずの「雨」が降り注ぐ。
いや、それは雨ではない。
淡く、白銀に輝く光の粒子。
━━━【月詠:慈雨の光】━━━
「これは…………!?」
アッシュの全身を包んだ光の雫が、傷口に触れた瞬間に吸い込まれていく。
激痛が消え、失われた活力が濁流のように身体へ戻ってくる。それだけではない。
アッシュの視界が冴え渡り、先ほどまで「音」でしか捉えられなかったフィオナの軌道が、光の尾を引くようにスローモーションで見え始めた。
「これなら……見える!」
カシャン……
相棒の古剣を魔導転写鞘へ素早く納刀した瞬間、
アッシュは『土龍』の踏み込みで石床を粉砕し、弾丸のように跳躍した。
クルルの放った慈雨は、仲間には『癒やし』を、そして敵には『停滞』の重圧を与える。
「なっ、動きが……!? 」
空中で硬直したフィオナ。その懐へ、アッシュの黄金の剣が肉薄する。
土龍の重圧と、日輪の熱。二つの力を強引に束ねたアッシュの全力の一撃が、翠鷹の絶対的な優位を、その風ごと叩き斬ろうとしていた。
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