クルルの誤算
まるで悪役のように余裕の笑みで自分を見下してくるミカヌレに、言葉をなくすクルル。
「お、お前とて、隠密達の恐ろしさを忘れた訳ではあるまい。大事なモノを一つずつ壊されても良いのか?」
「本気で言ってますの? ワッサンモフ公爵家に対して、それが出来るとお思いかしら?」
淑女の笑みを崩さず、けれど目を細めて冷たさを迸りながら真っ直ぐ目を合わせてくる彼女に、クルルは思わず息を飲んだ。
国宝級の衣装で武装した美しい公爵夫人。
その唇から紡がれる言葉には、軽くない圧がかけられていた。
夫以外には軽んじられて、粗雑に扱われていると(隠密の情報から)思っていたミカヌレは、紛う方なくこの邸の女主人に見えた。
「伯爵もご存じだと思うのですが、この公爵邸にも隠密はおります。とても優秀で優しい方達が」
「な、なんだと! お前はその存在を知らされていると言うのか? まさか…………」
夫の寵愛だけを受けるほぼお飾りの妻ならば、影の守りである彼らのことを知らされることはない筈だ。
ミカヌレが邸を探って調べれば、存在くらいは分かるかもしれない。けれどもし秘密にされていたならば、優しい方達などと言えるだろうか?
壁側で控えている侍女には聞こえない声で会話をしているが、絶対に聞こえないとは言えない。もし彼女が優秀な隠密であれば、この会話も筒抜けであると言えよう。
(お飾りの女主人なら、ただの来客に存在を隠すべき隠密を付けるだろうか? 少なくとも我が家ならば、邸内では妻の来客くらいで隠密は付けない。精々が優秀な侍女くらいだろう)
元々ミズーレン伯爵家の隠密は、クロダイン公爵家の為の私兵のようなもの。多くの優秀な者はクロダイン公爵の為の任務に就いている。
ミズーレン伯爵と同様にクロダイン公爵の周囲を固めるのは、あくまでも忠臣と言える信頼する貴族達だ。
隠密達は他家に潜入させたり、外部での不正取り引きや暗殺仕事を主にさせる、使い潰しの駒と考えており、寝首をかかれる可能性のある彼らと共に、邸内で過ごす考えはなかった。
(壁にいるのはただの使用人? それともミカヌレを守る隠密だとでも言うのか?)
ワッサンモフ公爵家とミズーレン伯爵家とは、隠密の成り立ちが違う。だがクルルはそれに気付くことが出来ない。隠密は下位の存在だと信じて疑わないからだ。
混乱するクルルに追い討ちをかけるように、ミカヌレは信じられない言葉を発した。
「先程、家令から連絡がありました。伯爵をお待たせしている間に、旦那様が早めに帰宅するとのこと。私達の縁を繋いで下さった恩ある伯爵に、是非ご挨拶したいとのことです」
「な、なんだと。スライストが来るだと! 何故この時間に戻る。王宮で勤務中の筈ではないのか?」
クルルはわざと、スライストが不在の時間を狙って訪れていた。だがワッサンモフ公爵家の隠密達の連携があれば、クルルの動きを察して動くこと等容易いことなのだ。
今回の訪問も予測の範囲内だった。
ミカヌレを侮るクルルならば、計略を立てることなく突発的に訪れるくらいのことは。
「コン、コン」とノックの音が響いた。
メロアンがミカヌレの方を見れば、頷きで対応の許可が出された。
レイアーが礼をして入室し、ミカヌレの近くに寄り用件を伝える。
「まあ、何と言うタイミングかしら。伯爵様、旦那様がご挨拶したいそうです。お会いして頂けますか?」
にんまりをした淑女らしくない笑みを浮かべるミカヌレの問いかけに、断ることは出来ない。何故なら公爵家の方が爵位が上である為、クルルが断ることは不敬に当たるからだ。
「ああ、勿論だ。当主にそう言われるなんて、恐縮に値しますな」
「承りました。歓談中に失礼致しました」
僅か強張った表情でクルルが答えると、レイアーは礼をして部屋を後にした。
「久々の訪問ですから、旦那様もいろいろお話したいことがあるのでしょう」
「お、お前が仕組んだのか?」
「何のことですか? ですが……ブルーベルのことを相談する良い機会にはなりますね。先程のように、『大事なモノを壊されたくないなら、起訴を取り消せ』とか。優しい旦那様なら、叶えて下さるかもしれませんわ」
「っ……黙れ」
クルルはもう、取り繕うことを忘れていた。この部屋にはミカヌレの他にも、メロアンもいると言うのに。
思惑が外れた彼は、冷静さを失っていた。




