心の準備
孤児院で読み聞かせをしていたミカヌレの元に、レイアーが訪れた。
「伯爵がお見えになりました、奥様」
「そう……。痺れを切らして冷静でない今なら、早く話が済みそうだわ。参りましょう」
「はい。了解致しました」
奥様呼びはあまり好きではないと、普段は名前で呼んで貰うことにしていた彼女。結婚当初は重責から逃げたくて、コロネが生まれてからはいつでも消える覚悟が持てるように。
公爵家の人間だと認められたら縋ってしまい、その場所から逃げられない気がして。
でも今は、家族を守る為に公爵夫人と生きることを選んでいる。以前のクリムのような付け入る隙を起こす者が生まれぬように。
普段ならみんなが呼び慣れた名前で良いが、今日ばかりはそれを封印し、使用人一同は奥様呼びで統一することになっている。事前に決めた作戦通りに。
もうクルルに従う、奴隷ではないと言う証明の為に。
◇◇◇
彼女がまず向かうのは洋品店。コロネの経営する平民服の専門店だ。
競合せぬように平民服を表看板にしているが、
従業員の腕は一級品。寄付される生地が多いことで、布の調達にそれほど資金がかからず安く販売できている。
従業員も平民が多く、給金もそこまで高額ではないが、身分を気にせず働くことができるので評判は良い。そこでは都合の良い時間で働けるよう、子を抱えての離縁や未亡人女性などの宿泊スペースを2階に持ち、訳あり女性の支援も行っている。
ミカヌレはそこで、ドレープと刺繍がふんだんにあしらわれた素晴らしい絹のドレスを仕上げて貰っていた。
装飾品は勿論ガンテツと弟子のケルアン、シャイン、マイケルが作成に取り組み、そのモチーフは伝統的な花形を中心にしていた。
宝石を中央に嵌め込み、台座を真鍮の花びらや葉で模した、まるで本物の花のような精巧な仕上げの豪勢に飾られたカチューシャの髪飾り。そしてスライストの瞳のドレス全体には、装飾された真珠が蔓薔薇の刺繍と共に200個近く輝いていた。
王族よりも華やかな装いは、財力が感じられ大切にされている証しと見なされるだろう。
今回の顔見せを終えれば、宝石も真鍮も再利用にまわされる予定だ。勿論ドレスも。
一度限りの贅沢な逸品。
過去との闘いに望む彼女には、みんなの力が込められた衣装が用意されていたのだ。
レイアーはミカヌレがドレスに身を包んでいる際に『エクラ』でスイーツを購入しており、お土産の準備も万端である。
「なんて素敵なの? 本当にこれを私が着ても良いの? みんな、ありがとうございますね」
ミカヌレの満足そうな表情に、作製者達は満足げに頷いた。みんなも笑顔で声をかけていく。
「頑張ってね、ミカヌレ様」
「詳しい事情は分からないけど、とにかく格の違いを見せつけてあげて」
「暴言だらけのクソハゲ爺なんて、やつけてやんなさい!」
「俺達の今できる最高傑作です。これからもどんどん上達しますよ」
「ミカヌレ様の美しさと、僕達の作品を見せつけて下さいね」
「絶対勝って。勝利を祈ってますから」
事情を知らないみんなだが、今日は大切な日であることだけは伝わっていた。
そして全てを知るガンテツは言う。
「形あるモノは壊れることもあるが、金継ぎや鍛造なんて風に、直したり生まれ変わることもできる。人間だってそうだ。何度でも立ち上がり、前に進むことで変化を繰り返す。今のあんたは磨かれた一級品だ。怯える必要なんか、1ミリもないからな」
「ありがとう、ございます。そうよね、私が恐怖する必要は確かにないわ。負けるもんですか!」
「その粋だ。行ってこい!」
「はい。みんな、私頑張って来るよ! こんなに素敵にしてくれてありがとうね」
見送る者達に感謝を伝えたミカヌレは、涙を堪えて馬車に乗り込む。
協力した者達は思った。人の痛みを知る彼女は、きっと誰よりも痛みを知っているのだろうと。だからこそ勝利を信じて祈りを捧げるのだ。
『怯えずに行動できますように。貴女の望む結果を得られるように』と心から。
勝負服に身を包み、ワッサンモフ公爵邸へ進むミカヌレとレイアー。
幼い心を恐怖で縛り付けたクルルは、ミカヌレにとって忘れることのできない怪物のような存在だ。けれど一人じゃないと思えること、応援されていることで勇気をたくさん貰えたのだ。
そして…………。
何も知らされず、暢気に食堂で料理を作るコロネ。
コロネに内緒なのは、明確な理由があるのだった。




