タルテとクルミナ
隠密組織の役割を終えたミズーレン伯爵家は、クロダイン公爵家にとって意味を持たない存在となった。
利用価値がなくなったことで、クロダイン公爵家からの支援金もなくなり、焦りをみせる後妻タルテ。
タルテは、クロダイン公爵の従兄である侯爵家の出戻り娘。
元夫に愛人がいることが許せず、お付きの従者に彼女を暴行させたことで、夫有責(夫の懇願)で離縁した過去がある。
彼女は夫になったクルルのことを下に見て馬鹿にし、継子のピスタテルを虐めていた。ただ自分の実子クルミナにも関心がなく、接触も最低限しかなかった。
家族に興味がないのである。
実際には、別れた夫のことを今でも愛していた。
離縁したくなかったが「彼女を傷付ける君とは暮らせない。いくら払っても良いから、別れてくれ。頼む!」と土下座され、この国に戻ったのである。
愛していたからこそ、愛人の顔を傷付け別れさせようとしたのだが逆効果だった。
結婚契約書には、愛人を作らない約束もしていたのに。
「商売女くらいなら許したわ。でもあの人は、愛人といる時の方が幸せそうだった。許せる訳ないでしょ!」
今でも思い出すと頭が沸騰しそうになる。愛人を殺してやりたいと思うが、父侯爵に「金で解決したのだから手を出すな」と釘を刺されており、それも出来ない。彼女にとっての父侯爵は絶対君主であり、逆らうことは出来ない。
この再婚も同様だった。
慰謝料や公爵家の支援金で贅沢に身を飾り、社交へと頻繁に繰り出す為、邸にいること自体が少ないタルテ。
家政や領地経営などに着手することはなく、クルルや家令に任せきりだった。クルミナが成長してからは、彼女にそれを任せていった。
クルミナのことは娘ではなく、使用人のように考えていたのかもしれない。
好きでもない男の子供には、自分の生んだ子であっても情が湧かなかった。
だからこそ支援金が減り、ミズーレン伯爵家に衰えが見えた時にタルテは思ったのだ。
「隠密組織が解体したのなら、もう女の当主はいらないわよね。実家から気の利く男の養子を貰えば良い。クルミナは嫁に出しましょう」
父侯爵とタルテは相談し、彼女を高く買ってくれそうな国へ嫁に出すことにしたのだ。
黒髪に赤い瞳の美しい娘。後2年で成人し伯爵家を継ぐ筈だった知性高き逸材。
ミズーレン伯爵家の方針が変わったことを周囲は驚くものの、クルミナの聡明さを知る者達からは釣書が多く届いた。
その中で結納金を高く積んだのが、カザンサススノーの王族であった。好色な王は彼女を側妃として迎え、政務をさせようとしていた。
クルルが結婚したのは40(歳)近かったが、カザンサススノーの国王はさらに上の50(歳)を越えており、王子も王女もいる状態である。
数年すれば王太子が王位を継ぎ、彼女の立場は不安定なものになることが決まっていた。
それでなくともネリネやカンラは、カザンサススノーから逃亡して来たのだ。扱いの酷さは折り紙付きである。
クルミナも政務を熟す立場であるから、そんなことは分かっていた。
彼女は2階にある自室から、月のない暗い夜空を眺め深い息を吐いていた。
「隠密を纏める仕事も荷が重いと思っていたけど、まさかあの国に嫁に行くなんてね。……私はそこまで母に憎まれていたのかしら?」
泣きそうな顔であるも涙は出ない。
幼い時に毎夜ベッドで泣いていたから、既に尽きてしまったのだろうか?
「ううっ、お嬢様。なんてお痛わしい。このモルニは何処までも付いて参ります」
乳母のその言葉を聞き、クルミナは悲しげに微笑みながら囁いた。
「あんな場所に貴女は連れて行けないわ。モルニは長生きして頂戴。私からのお願いよ」
「そんな……。この老いぼれでは役に立ちませぬか? せめてお側にお置き下さいませ」
泣きながら縋るモルニを、クルミナは優しく抱きしめた。
「違うわ。大事だからよ。ずっと育ててくれてありがとう。傍にいてくれて心強かったわ」
「うっ、うっ。どうしてお嬢様ばかりこんなことに。努力を重ね、立派な淑女になられたのに。うっ」
明かりも付けない静かな部屋で、乳母のすすり泣きだけが響いていた。
「本当だよ。こんな嫌な家なんて、捨ててやれば良い。あんた達、別のとこで暮らさない?」
潜んでいたのに思わず姿を現したタバサと、彼女に付いてきていたブルーベル。
「ひっ! 何者です、お前達は! お嬢様には近付けませんよ!」
クルミナの前に出て、腕を広げて彼女を庇うモルニ。
それを優しく見つめ「大丈夫よモルニ。何かする気ならこんな風にせず、無言で事を起こした筈よ」と窘めたのだ。
「お嬢様……。分かりました」
モルニはクルミナの横に下がり、それでも警戒を続けていた。
「貴女達は隠密ですね。何処の手の者ですか? 聞いても無駄かもしれないですが、聞かせて欲しいのです」
震えもなく毅然とした態度を取る彼女に、タバサは感心して「適任ね」と呟く。
そして徐に素性を明かしたのだ。
「私達はワッサンモフ公爵家の隠密だ。以前にここから逃げた隠密達もこちらで保護している。貴女には彼らの纏め役になって欲しいと考えている」
「ミズーレン伯爵家の隠密達は無事なのですね。良かった。既にこの世にいないのかと、案じておりました。感謝します」
素直に頭を下げる姿に、タバサとブルーベルは困惑した。次期伯爵となる教育を受けてきた者が、こんなにあっさりと感謝するなんて思わなかったのだ。
「うん、まあ。それは良いんだ。そんなことよりあんたは2年後、無理やりカザンサススノーに行かされるんだろ? もし隠密達を纏めて貰えるなら、こっちも助かるしあんたにも都合が良いと思うんだけど、少し話を聞いてくれないかな?」
クルミナとモルニは、顔を見合わせ頷いた。
「是非お願いします。聞かせて下さい」
「お嬢様に力添えしてくれるのなら、私にできることなら何でもします。ですから、どうか助けて下さい」
タバサは真剣な顔で「こちらこそ、協力を願いたい」と話をしていくのだった。ブルーベルは静かにその状況を書き留めていく。
隠密達は特殊な環境で生きてきた。
その隠密達は今、ウンディーネのいるガシェーラル国にいるが、今後は彼らを統括する人材が必要である。
彼らの経歴を知り、尚且つ外部との連絡が付きづらい場所で暮らしてくれる人材。その人物としてクルミナに白羽の矢が立った訳だ。
「そこはこれから開拓する場所だし、立派な建物もない。今は平民の使うような家を建てている状態だ。実はあんたが来てくれる予定で、大きめの家の建築を着工している。
幸いにしてあんたは隠密達に嫌われてないし、生い立ちに同情している奴らも多い。
空間転移でしか行き来できない場所だから、故郷に戻りたくてもなかなか戻れない不便もある。
けれど逃亡するなら、そこ以上の場所はないな。どうする?」
クルミナとモルニは顔を見合わせて、うんうんと頷いた。
「是非、お手伝いさせて下さい。臨時でも何でも良いので、そこに住ませて欲しいです。私はこの家に居場所はありませんから。きっと母は何とも思いませんわ。……結婚で入ってくるお金がなくなって悔しがるくらいでしょう」
言いきるクルミナに、ブルーベルは複雑な思いを浮かべた。
(親に振り回される子供がここにも……。私はまだ、マシな方なのかしら。少なくとも愛していると抱きしめて貰えたもの。いなくなったら、きっと少しくらい悲しむと思うわ……。彼女にはそれさえないと思う母親なのね)
「お願いします、私もお連れ下さい。不肖ながら、お嬢様のサポートは私が適任だと思っております。どうか身の回りのお世話やお仕事のこと、私めにお任せ下さいませ」
勢い良く頭を深く下げて熱く懇願するモルニに、さすがのタバサもタジタジだ。
「ありがとう。依頼を受けてくれるってことで良いんだよな。後日また話しに来るから」
「はい、よろしくお願いします」
「どうか、よろしくお願いします」
「こちらこそだ」
固い握手を交わす、クルミナとタバサ。
クルミナとモルニの表情は、話す前より明るくなっている気がした。
タバサとブルーベルはその場を去り、隠密がいなくなった伯爵家から悠々と姿を消す。ミズーレン伯爵家のセキュリティーレベルは今、かなり低い状態だった。
タバサに救われたブルーベルは、クルミナもそうなれば良いなと微笑んだ。
近くの森で待機していたメロアンと合流し、2頭の馬でワッサンモフ公爵家を目指し駆けて行く。
まだ一人で馬に乗れないブルーベルは、今後乗馬の訓練を頑張ると宣言した。
「馬に乗って視界が高くなるのは、まだ少し怖いわ。でも一人で大地を駆けれてこそ、一人前だものね。頑張るわ!」
それを聞くタバサとメロアンは、目を細めて頬を緩めるのだった。




