クロダイン公爵家の衰退
処分しようとしていた、ミズーレン伯爵家の隠密達の姿が消えた。
様々な後ろ暗い仕事をさせてきた彼らが、勝手に手元を離れるのは危険なことだった。
下手をすればミズーレン伯爵家とともに、クロダイン公爵家も今までの罪が暴露されるかもしれない。
「部下を手配し、やつらの行方を探せ。顔を知っている者は何人かいるだろう!」
「はい、仰せのままに」
フォカッチャーはミズーレン伯爵家に残っている隠密達にも、側近を通し命令を出した。
「お前達は共に暮らしていたのだから、行方の心当たりくらいあるだろう? 無くとも探すのだ。特に孤児あがりの者は、命がかかっていると思えよ。絶対に見つけるのだ!」
ミズーレン伯爵家に残る隠密はクロダイン公爵家縁者の者と、性格や気性に難があり残った孤児の隠密達だ。
同じ孤児でもガシェーラル国へ連れて行かれなかったのは、彼らが仲間内での暴力や裏切りへと身をやつしてきたからに他ならない。
逃げ延びた仲間達とレイアー達に、見切られたのである。
「あいつら、勝手なことをしやがって。ガッツリ殴ってやれば良かった」
「何を悠長なことを。見つけ出せなければ、どうなることか! 探すぞ!」
「ああぁ。どうなるんだよ、これから。あいつらをこき使っていた俺達だけじゃ、絶対見つからんぞ」
「見つかっても連帯責任を取らされるらしい。最悪だ」
「うわぁ、マジか。じゃあ早く取っ捕まえて、半殺しにしよう。女は見せしめに犯してやる。へへっ」
暢気な孤児の隠密達と、自分達の立場が砂上の楼閣だと知る縁者の隠密達は温度が違っていた。
「俺達は管理不足で、今後罰が下るだろう。命令だけを繰り返し、楽をしたツケだな」
「ですが、ディール。こんな場所は貴族のいるところではない。少しくらい楽をしたとて、今さら咎など酷い扱いではないか!」
「ああ。だが俺達は爵位を継げない者の集まり、給金だけは良くて、自らここに残ったのではないか」
「しかし、それは! 今さら平民のように、プライドを捨てられる訳がない。我らは貴族だ!」
「……爵位を継げぬ、嫡男のスペアにもなれぬ俺達は、平民と違いはない。いや長男が後を継げば、確実に平民へと落ちる。もう既にそんな奴らもここには何人かいるだろう。怠惰に過ごし、人員の管理さえしなかった我らの落ち度だ」
「………………」
「………………」
自らの将来に悲観しながら、渋々この仕事を受け入れていた、力ない貴族の三男以下の者達。クロダイン公爵家の縁者と言うだけの。
孤児の隠密と貴族の隠密。
フォカッチャーにとってはどちらも、ただの使い捨ての駒であることに違いなかった。
探しても見つからない逃げた隠密達。
彼らが懸命に探そうとサボろうと、結果は同じことだった。
孤児の隠密達は闇に葬られ、貴族出身の隠密達は左遷扱いで陸に殆ど戻れない、漁船や鉱山に送られることになった。
最初は馴れない漁船暮らしに、隠密の一人であるディールは疲弊していた。
船の酷い揺れで酔い、足場の悪さで海に落ち続けた。誰もが陸に帰りたいと泣いて願ったが、一度沖に出た船は半年は戻れない。
しかしそのうちに、嵐の海や照り付ける灼熱の太陽の下での労働を共に熟して行くことで、元々の従業員と彼らの隔たりはなくなっていく。
身分のことなど気にせず、助け合えるようになったのだ。
「俺も……元貴族の三男だった。最初は親の借金を返すのにこの船に乗せられたんだ。兄達は学校に行って家を継いで、風の噂では親も贅沢しているらしい。嫁が裕福な家から嫁いで来たそうだ。俺と弟は、危険と隣合わせで暮らしているのにな」
「そんな馬鹿な。借金分はもう返したのだろう? もう金はお前らが使うべきだ」
「今は給金の殆どが、親に送られる契約になっているらしい。俺は字も読めんし学がねえから、手続きの変更が出来ない。そんな親なんだよ……」
「じゃあ、俺が字も書き方も教えてやる。沖に戻ったら俺も一緒に、手続きに行ってやるから頑張れよ」
「陸って。一週間しかないのに、良いのか?」
「良い。寧ろやらせてくれ。これ以上家のことで振り回される奴を見るのは、俺が嫌なんだ。まあまだ、上陸は2か月も先だけどな」
「うっ、ありがたい。俺は良いが、弟には自由に生きて欲しかったんだ。それが叶うなら俺はここで働くことに悔いはないんだ。感謝するぞ」
「良いんだ。俺もお前に、船のことを教えて貰ったんだから」
「良い奴だな、お前……(ジーン)」
元隠密のディールは漁師になって変わった。多くの理不尽な話を耳にしたからだろう。
それでも未だに、愚痴ばかりの者やサボる者もいるが。
強面船長バルザックは、仕事振りで査定して給金を出す。
怠ける者は低賃金で、頑張った者には多くの賃金を渡していた。
バルザックも親に搾取される、可哀想な兄弟のことが気がかりだった。相談されるのを待っていたが、顔が怖すぎるせいか機会がなかったのだ。
幸い手続きは、ディールが行ってくれそうで安心した。あの兄弟の職場は、手続き後に変えることにしよう。
丁度上陸した時に知り合った、モロコシと言う男が使用人を探していた。貿易船の船員が欲しいと言うから、彼らの気分も一新するだろう。
その後、件の兄弟が手続きを終えた後。
手紙で情報を聞いたモロコシは、兄弟と話をする為に側近のベルグを向かわせた。合意を受けた後、彼らは貿易船の船員となった。
バルザックは余計なことを話さないので、兄弟を探せない彼らの両親は何も奪えなくなった。
さらに数年後。
上陸直前の海に落ちて亡くなったことにして、ディールも兄弟の船に乗せることになった。
「ディール。お前はここでなくても生きていける。世界を見て来い」
「バルザックさん……ありがとう。貴方は、俺の親より親のような人だった。離れるのは寂しいよ」
収穫した魚と乗組員を降ろし、最後の別れを惜しむ二人。
泣くのを我慢し抱きしめ合って、こっそり彼を船から逃がす。
その後定年になるまで、イニシャル入りの手紙と贈り物がバルザックに届き続けた。
「元気にしてるんだな。良かったなぁ、あいつは幸せになったようだ」
彼もまた罪を背負い、この船に乗っていた。時々改心した者達を外部に逃がし、彼らの未来を夢見ながら。
最後に船を降りた時、ディールはバルザックを迎えに来ていた。あの時の兄弟も一緒だった。
「お疲れさまでした。バルザックさん」
「おお、お前達は。すっかり大人になったな。でも良い顔つきになった。幸せなんだな。うっ」
「貴方のお陰です。ありがとうございました」
「ありがとうございました」
「バルザックさん。いや父さん、お帰りなさい。一緒に暮らそう。俺と俺の嫁さんと子供達と一緒に。恩返しさせて下さい」
「そんなこと…………」
「貴方がいなければ、俺の幸せはなかった。嫁さんも俺の過去を知ってる。勿論バルザックさんのことも。だから大丈夫だよ。みんな待ってる」
「うっ、うっ、あり、が、とう。ありがとうな、ふっ、うっ」
ディールとバルザックは、同じ家へと帰って行った。きっと穏やかに過ごせることだろう。
バルザックも元ミズーレン伯爵家の隠密だった。彼は証拠隠滅の為に殺す筈だった家族の、子供を一人逃がした。生まれて半年の子供を懐に入れ、近くの孤児院にコッソリと置いて来たのだ。
後から子供の死体が見つからないことが発覚し、けれど証人にもならないからと捨て置かれた。
だが隠密の纏め役だった彼は、その地位を狙う者に再度その汚点を突かれて失脚。罰として漁船に乗ることになった。
多くの命を奪う仕事をした彼だが、子供だけは手にかけなかった。仕事の出来る男だからさりげなく逃がしたり、時に同行した隠密を金で買収し、子供の意識を薬で奪い気絶させていた。
現場を見ていなければ問題ないとされるから、寝ていたと誤魔化す為に。
彼程の力があれば、漁船からの逃走は可能だった。
けど逃げなかった。
まるで、今まで殺めた者への禊のように。
海は魔物だ。
何度も何度も死にそうになった。
氷の海に落ちて駄目だと思うこともあった。
けれど生き残った。
たぶんバルザックが生き残っているとは、誰も思っていなかった。
ここに送り込まれた者は、死ぬと見なされて送り込まれていたから。
事実として、ディールと一緒に来た者は全員亡くなった。海を舐めて何とかなると思って。安全装置(船と腰に括る紐)を付けず、凍った甲板から滑って海に落ちて。引き上げた時は心臓が止まっていた。
いつもは滑っても船上から落ちないから、今度も平気だと思ったのだろう。彼らは紐を結ぶことが格好悪いと言って付けなかった。下らないことで命を危険に晒し、死んでしまった。
それ以外の船員も嵐に巻き込まれたり、豪雨で溜まった甲板の廃水をする為に落ちたり、鯨が船にぶつかった衝撃で体を強く船体にぶつけ、亡くなったりしていた。
だからディールとバルザックが再会できたのは、奇跡だと言っても良いことなのだ。バルザックの年齢は、肉体が衰える50歳に達していた。
漁船はもう、クロダイン公爵家からもミズーレン伯爵家からも監視は外れている。存在自体忘れられているかもしれない。
それ以前に隠密組織が解体したことで、情報収集能力が落ち秘密工作もできない為、あらゆることに遅れを取り、もはや挽回できないところまで落ちていた。
孤児や平民を育てると言っていたフォカッチャーの幹部の立てた計画も、人員が集まらず計画は頓挫していた。
コロネやモロコシが孤児院の『チェルシーハニー』を独立した商業商品の一つとして登録し、お菓子作りの収益があがっていた。
他にも洋品店からの収入も寄付金の一部として入ってくるので、貴族からの個人的援助は重要ではない。
昔のように援助と引き換えに、子供が引き取られることはなくなったのだ。
勿論ワッサンモフ公爵家からの寄付は、今まで通り継続されている。
平民にも働ける場所が増え、困窮する世帯も殆どない為、子供を売るような誘いに乗ることもない。
さらに解体前に貴族令息達が漁船や鉱山に左遷させられたことで、隠密に送り出す貴族はいなくなった。
お金と引き換えに送り出したい家もあるにはあるが、他家を見れば躊躇せざるを得ない。集まる者が僅かで再開は断念された。
◇◇◇
評判の悪いクロダイン公爵家より、福祉に力を入れるワッサンモフ公爵家に民意は動き、王太子ストビーテと懇意にしていることも広く認知されている。
その為、この国でワッサンモフ公爵家は文句なしで筆頭になった。同一の実力者であったクロダイン公爵家は、転落したことになる。
ワッサンモフ公爵家の隠密達は健在であることで、ますます差は開くことになるだろう。




