第7話 イラリア先生
◆テイスティング
夕刻を迎え、ルカさんの一日の仕事が終わりました。その間、私はルカさんに今後知って欲しいワインに関する知識をまとめていたのです。
「それでは授業を始めましょうか」
机の上には2脚のワイングラスのみ。取り立てて特徴のない有り触れたデザインのものです。
自前の眼鏡を掛けると、クイっと中指で上に押し上げてみせました。理由はありませんが格好良い気がします。眼鏡に度は入っていないので気分です。
この眼鏡は、城下町の方々に講義をした時に、威厳が無いと言われたのがショックで購入したものです。ただ、掛けたら掛けたで子供の背伸びみたい、と云われてしまいました。
それ以来捨てることも出来ずに封印していたのですが、こうして使える機会が巡ってきたのは嬉しいですね。
「は、はい。宜しくお願いします」
緊張した面持ちのルカさん。この眼鏡で少しでも笑って貰えればと思ったのですが、失敗の様です。
「授業といってもそんなに堅苦しいものではありませんよ。それにお料理が得意なルカさんなら、きっと直ぐに覚えられることが沢山あります」
「そ、そうですかね?」
「はい、では第一回目という事で、私のワインを一緒に飲みましょう」
私はお城から持ってきた、私の作ったワインを抜栓します。机の上のグラスに赤ワインをトクトクと注ぎました。
「最初の授業ですが、ワインを飲んで感想を言ってもらうというものです」
ルカさんは、少し動揺した表情を見せました。
「む、無理ですよ。つまり、テイスティングしてみろってことですよね?僕はワインに関しては本当に初心者なんですよ」
「大丈夫ですよ。必要なのは知識だけではありません。感じたままにお話しください……さあ、どうぞ」
グラスを落とさないように、ルカさんの手に自分の手を添えてお渡しします。
ルカさんは、じっとグラスを見つめています。
そして、そのルビー色の雫を口にしました。
「……何て云うか凄く豊かな香りです。父のワインの様にパワフルでは有りませんが……こう、果樹園にいて、色々な果実を少しずつ齧っていたら、それが口の中で合わさって……そうだ!花です。果樹園の中には赤い花も咲いていて、その香りも後から合わさってどんどん重なりあっていくような、そんな感じです」
ルカさんは、申し訳なそうに私を一瞥します。
「すいません、自分でも何を言っているのか分からなくなってきました」
パチパチパチ。と、私は彼に拍手を送りました。
「凄いです!ルカさん。私の想像の、何倍も素晴らしいテイスティングコメントです」
「本当ですか?」
少々、訝し気な表情を浮かべています。
「本当です!このワインの特徴をしっかりと捉えています」
私は注いだワインボトルを彼の目の前に掲げました。
「ここにも書いているように、このワインは作ってからまだ2年程度しか経っていない若いものです。また、ブドウ自体も軽い味わいが特徴の品種です。ルカさんの言う果樹園とは新鮮な果実を指しています。そして、貴方は果樹園の中に花と云いました。これは、果実に比べて花を思わせる香りの方が控えめという事です。何より、僅かな花のニュアンスを見事に捉える事が出来ました」
私は興奮して思わず手をぶんぶんと上下させます。
「他にも良い表現がいくつもありました。『齧る』なんて表現は見事です。新鮮な果実を食べている臨場感がありました」
ルカさんの顔が、みるみる緩んでいきます。
「まあ、実は結構いい線いっているんじゃないかな?と思っていたんですよ。ハハハ!」
あらあら、先程までは疑わしい。という表情をしていたのに。この方は乗せればいくらでも頑張るタイプだと先生は思いましたよ。ただ、本当にテイスティングの才能はお有りの様ですね。
ですが、彼の持つ本当の才能を私は直ぐに思い知ることになるのです。