第5話 クーラの焦燥
(クソ!国王は私の事なんて知らないってか!?)
クーラは憤りを隠せずにいた。国王が見学に来たあの日。遅れずに行ったにも関わらず、そこには誰も居なかった。
それでも何とか探し出して、今から自分を売り込もうと思った矢先に言われた一言。
「誰じゃ?お前さん」
叱責や嘲笑でもなく無関心。というより本当に知らなかったのだろう。この私の事を……!!
絶対に許さない。あの出来事は、数日経った今でも心に昏いものを残し続けていた。
コンコンコンと、ノックの音が聞こえてくる。
きっとあの男だ。クーラはうんざりとした表情を浮かべる。ちょっとした事でも、直ぐに報告を入れてくるルーチェの存在が煩わしくなっていた。
(勝手にやって成果だけを私に残せばいいのに)
「クーラ様。失礼致します。そろそろ時期が近づいてきましたので、ご判断を頂戴したく参りました。ブドウの収穫ですが、それぞれの収穫日の予定はどうなさいますか?勿論、ぎりぎりになるまで状況は掴めないので先ずは仮決定という形で結構です」
クーラには、この男の言っている意味が理解できなかった。そんなものは例年通りにやっておけば問題ないだろうにと悪態をついた。
「一々うるさいわね。ブドウの収穫については貴方に一任するわ」
「それでは困ります。確かに栽培時期についての見識はあります。しかし、本日の猛暑の影響でブドウの熟成が一気に早まるかと考えられます。ブドウの種類も全部で9品種もあるのですよ。それぞれのご意見をいただかない事には動きかねます」
興奮冷めやらぬまま、ルーチェは言葉を続ける。
「それと、昨年の受賞し引き続き期待されている【奇跡のワイン】用のブドウですが、我々の知識では菌の散布量が分かりません。ご指示願えるでしょうか?」
「菌を散布?何のことを言っているのよ」
ルーチェは目を見開くと、嘘だろ?と小さく声を漏らす。
「ブドウに特殊な菌を付着させることで、芳香成分を分泌させるというものですよ。まさか、ご存じ無いなんてこと無いですよね」
クーラは昨年、自分の手元に回ってきた資料の中の一つにそんな文言があることをぼんやりと思い出した。
「も、勿論分かっているわよ!本日も昨日と同量を撒いておきなさい」
「承知しました。確認ですが……本当に宜しいんですね?」
「良いと言っているでしょう!収穫予定日については、明日にでも伝えるから待っていなさい」
「かしこまりました。それでは此方の書類にサインをお願い致します。散布量指示を頂いたという証明書です」
「これで、いいかしら」
「はい、結構です。それでは失礼致します」
書類を受け取ったルーチェは部屋を後にした。
「本当に使えない奴ね。仕方ない、少しは仕事をしてやるか」
この部屋は、以前まではあの田舎者が使っていたのだしデータもこの部屋に全てあるでしょう。イラリアからのメモ書きで、引継ぎの資料を置いてある、と書かれていた引き出しを開けてみる……これね。
『引継ぎ資料』と書かれているファイリングの中からそれらしいものを見つけた。
ページを捲ると最初に目についたのは、何年にも渡り毎日付けられている畑のデータ。それ自体は気温や湿度、天候といった基本的なものばかりだったが項目の多さが異常だ。一体何に使うのか?と思いつつも、文字で真っ黒に染め上げられた紙面が気味悪くなり、ドンドン飛ばしていく。
「菌に関するデータ……ここね」
しかし、クーラはこれを開いたことを後悔することになった。
状況別の複雑な実験データの数々に加えて、見慣れない化学式の羅列。何についての記述なのかを忘れそうになる。それでも、分かりそうなことは無いかと読み進める。
そして、恐ろしい文章を見つけた。
『この菌は元々、過去世界的に多くの苗を死滅させて恐れられた【ボルキ菌】を元にして独自に培養したものである。散布量を誤り必要以上に多く使用した場合、苗は勿論、果実も完全に腐敗する。菌を完全に取り除くためには、土壌を3m以上掘り起こした上で、全て入れ替え耕す必要あり。新しい土をワイン作りの土壌に調整するのには、最低でも3年以上は見込まれるため、細心の管理が必要である。当然、散布量が少なすぎれば芳香成分の分泌も不十分となり平凡なものと代り映えしなくなるため、限界値の見定めについては今後も検討を続ける』
ぶわっと、汗が全身から噴き出す。
ちょっと待って。という事は菌の散布量を多く誤ったら、今年はおろか当分畑が使えなくなる?
クーラにはその被害額を図る術は無かったが、損害がかなりのものになることは理解できた。
「う、嘘でしょ?もしそうなったら、私の立場どうなるのよ」
ガタッ!と、勢い良く椅子から立ち上がるとクーラは畑に走りだしていた。
今すぐにでも止めなければ!畑が駄目になるという最悪の事態。それだけは食い止めなくてはならない。もしそうなったらお役御免だけでは済まなくなるはずだ。
「クソ!部下に命令するだけの簡単な仕事だと思ったのに。なんでこうなるのよ!」
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