第3話 国王陛下
俺は襟を正しある御方を待っていた。到着予定の5分前、その方は3名の近衛兵と共にやってこられた。
「国王陛下。ご無沙汰しております」
そう言って深々と頭を下げる。
普段は全身を最高級品と呼ばれる衣服にて覆われているが、この見学に際しては我々と同じく作業着に身を包まれる。お召し物を汚したくないという理由ではなく、我々と同じ目線に立って見学をされたいという粋な計らいからだ。
……というのは対外的な理由付け。それが優しさからくるわけではないことを、ルーチェは理解していた。こういった庶民の格好をすることで、下の者にも寄り沿う事の出来る国王だと周りに思わせる事が目的だろう。まさに政治の一環である。
「うん、ルーチェよ。久しいな。元気でやっておるか」
「はい、お陰様で。陛下も変わらずご健勝のようで何よりでございます」
スオーロ王国・第9代国王。兼スプレンドーレ城・城主、スオーロ王。
この国を一から作り上げた一族。その地位を脈々と継ぐ御方だ。御年72歳を迎えられたが、彼の才覚は今尚多岐に渡る。
中でも最も優れていることは何かと問われれば恐らく、城内の人間の殆どが【味覚】と答えるだろう。この才覚は我々にとっては非常に心強いものだった。
なにせ、陛下が売れると判断したら、まず間違いなく国内外を問わず広く受け入れられるのだ。逆に陛下が売れないと判断すれば、それら一切は市場ではなく養豚場の餌場へと運ばれた。
こうする事で、我が国の食品は全て完璧と他国へとアピールしていたのだ。しかし、あまりの判断基準の厳しさから、自信を無くし自らこの地を去った食部門関係の責任者は後を絶たなかった。我々の属するワイン部門に至っても例外ではない。
実際、今でこそ国の財源と重宝される存在となったが、10年前までは半数近くが市場に出回ることなく、兵士の晩酌か料理酒行きとなる。
そんな状況を一変させたのが、当時まだ10代のイラリア様だ。当初は平民出身の小娘の意見など誰が聞くかと相手にもされていない。しかし、彼女は提案を続けた。
その提案の一つに、熟成させる樽の大きさを変える、というアイディアが当時のワイン部門責任者の目に留まり採用された。コスト的にも比較的安価に変更が出来るし、何かしら改善を図らなければ上から嫌味を言われる。そんな事情からくる決定だったのだろう。
実際そんなことで何が変わるものかと思われていた。しかし、完成されたワインを飲んだ時、その場にいた全員が自らの舌を疑ったのだ。
『美味い!……それも圧倒的に』
今までの雑味はなりを潜め、代わりに口いっぱいに旨味が広がっていく。国王からのお墨付きも出たことでイラリア様の意見は多く採用れるようになっていった。
『何故、これ程までに美味くなったのか?』
そう問われたイラリア様は、ご自身の研究成果である分厚い紙の束を我々の前に持ってこられたのだ。その資料を読んだ者たちは一様に驚愕した。
理解できなかったのだ。中には貴族の系譜で上等教育を学んできたものもいたが、彼らをもってしても、その紙に書いてある理論式が何を示しているのかすら理解できない。
我々が理解できない事を悟るや否や、言葉をかみ砕いて説明をしてくれた。そこでようやく我々は理解を得ることが出来たのだ……この人こそが天才であるということを。
そして、俺は思わず神に願った。
(どうか、一生この方の御側でワインを作らせて下さい)
◆品質審査
「そういえば、小耳に挟んだのだがイラリアの奴ここを去ったらしいな?」
「はい。我々に取っても晴天の霹靂でした」
「そうか。それ自体は構わないが大丈夫なのだろうな、ワイン作りは?お前さんなら分かっていると思うが、この国の大きな財源だ。失敗など決して許されぬぞ」
お年を召されても流石一国の王。圧が洒落になってない……失敗した未来の自分は、一体どうなるというのであろうか。
「え、ええ。心得ております。今年も昨年同様以上の品質をお作り出来るかと思います」
思います、か。この状況ではこう言う他ない。本当ならばお約束します。と、言い切りたかった。
しかし、先ほどのクーラとのやり取りでその望みは薄いと感じずにはいられなかった。クソっ!こんな時にイラリア様がいらっしゃればと、どうしても頭を過ぎってしまう。
「ならばよい。では、畑へと向かうかの」
「お、お待ちください!陛下。直ぐに統括責任者であるクーラ様がお見えになります故」
じろっと、ルーチェを見据える国王。
「お前さんは儂が今、何故ここに来たのか分かっとらんのか?」
その眼圧にルーチェは思わずたじろぐ。
「食べに来たんじゃよ、ブドウをな。それを食せば、ワインになった時のおおよその味の検討は付く。分かったかなら行くぞ」
先に進まれた国王の後をルーチェは追う。そして、味の薄いものから濃い物へと順に紹介していく。最後のブドウを食べ終えた時、終始無言だった国王は口を開いた。
「良いじゃろ、合格だ。今後もこれまでの様に管理に勤しめよ」
「ありがとう御座います」
そうはいっても悩みは尽きない。イラリア様が去ってからまだ3日だ。あれから今日まで、運よく同じような天気が続いたから管理が容易だっただけだ。これから、どんな天候が襲ってくるかなど予想できるはずもないのだ。
おまけにワインは生き物だ。ブドウが良ければ確実に美味しいものが作れるという保証はない。
これでもし次回の国王の審査で不合格を言い渡されでもすればどうなるというのか。不安は尽きなかった。
「時にルーチェよ。昨日緊急で決まったことなのだが、儂は4日後に城を発つことになった」
「はあ、左様でございますか」
「帰りは来年の、恐らくは春頃になるじゃろう」
「ッッ!そ、それでは次回のご見学はどうなされるのですか?」
「無理に決まっておろう。今日が今年最後の審査だ。恐らく帰ってくる頃にはワインも完成されているだろう。だから……絶対に儂を失望させるなよ」
ここ一番で見せられた凄味にルーチェは後退する。
嘘だろ?工程の途中ならば修正が効くかもしれない。しかし、完成までとなれば話は別だ。国王が完成品を呑まれた瞬間、もしも不評だったらどうなる……背中には大量の冷たい汗が滲み始めた。
「どうした?顔色が悪いな。まあ、そういう訳だ。後は任せたぞ」
立ち去る国王の背中が、死へのカウントダウンに感じられルーチェは戦慄した。
「国王陛下!お探し致しましたわ。どうぞこちらへ。直ぐにご案内致しますわ」
声の主はクーラだった。その姿は紫色を基調とした妖艶なドレス姿にハイヒール。
ルーチェは思わず頭を抱えた。もうどうにでもなれ!クーラが不敬罪に問われようがこの場で何をされようが、もう知ったことではない。
しかし、クーラを見た国王の反応は、予想と大分異なるものだった。
「誰じゃ?お前さん」
そんな言葉を放り投げ、止まることなく歩き続ける国王。その言葉を投げつけられたクーラは、顔面蒼白となりその場に立ち尽くすことしか出来なかった。