第12話 情報通
◆城内の食堂
「全く!イラリア様が去って以来、気の休まる時がないぞ」
ルーチェは同じ部門に属するジーラと共に遅めの昼食を取っていた。
「まあ、貴方はブドウ作りがメイン業務なわけだし、今が正念場よね。もう直ぐ私もそうなるのかと思うと気が気じゃないわ」
ジーラのメイン業務は、ブドウの果汁を発酵させることだ。つまり彼女の作業によって、ただのブドウジュースはワインへと姿を変えていく。ブドウ作り同様かなり神経を使う作業だ。
ジーラはルーチェに顔を近づけ、ひそひそと話しかけた。
「で、実際どうなのよ?クーラ様は」
「どうもこうもあるか。お前も知っての通り、本当にただの素人だ。業務とはいえ報告に行く時間が惜しいとすら思っているよ」
「はあー、じゃあ私が頑張らないとダメかぁ。イラリア様がいた時はあの人に頼ってばっかだったし」
ルーチェはその言葉が胸にチクリと刺さった。自分自身、イラリアが居なくなった今、どれだけ彼女に頼っていたかを実感していたからだ。
いつか彼女と肩を並べられるように研鑽を続けなければいけないと自分を奮い立たせた。それでも、どうしても考えてしまう。本当にあんな天才の背中に追いつける日が来るのだろうかと。
その時、自分達に近づく人影に気が付いた。
「よう、ご両人!久しぶり」
「なんだ、ジャン。お前か」
ジャンは人事部に所属しておりルーチェの同期でもある。城一番の情報通とも囁かれている存在だ。彼はトレードマークでもある、縁が銀色の眼鏡をクイっと中指で押し上げた。
「隣、失礼するよ」
ルーチェ達の許可を取ることもなく、そのテーブルに食事を置くと椅子に越し掛けた。
「そういえば、ジーラは連休に実家に里帰りしていたらしいね。城下はどうだった?」
ジャンはパスタをクルクルとフォークに巻き付けながら口を開く。
「よく知ってるわね。どうって言われても普通よ。年の離れた弟とデートしたくらい」
「ほほう、デートときたか。妬けちゃうね?」
ちらっと、ルーチェを一瞥するジャン。
「馬鹿かお前は。実の弟に嫉妬するわけ無かろう」
どうだろ?とお道化た表情を浮かべるジャンを小突くとルーチェは話を戻した。
「弟君と何処に行ったんだ?」
「そうねー、知っていると思うけど、どでかい図書館が併設されている大きな公園よ。名前は忘れたけど。国が運営しているらしいわね」
「ああ、俺も知っている。中々設備が充実していて子連れの母親に評判がいいらしいな」
「立派な施設を作って無料で開放するあたり、この国も気前がいいわよね。流石は国王陛下ね」
ああ、と。ジャンが思い出したように話しに加わった。
「あの公園ね。いや、あれを先導して作ったのはグリアム様だよ。もっと言えば図書館もね」
ウゲッ。と、息を漏らしジーラは複雑な表情浮かべた。
「本当にあのオヤジがそんなことする?どうやってあんな上役に就いたのかって、城内の若い女性職員同士の間では話題になっているわよ」
その言葉に、ジャンは苦笑いを浮かべると食べようとしていたパスタを一度皿に戻した。
「君ねぇ。直属の部下である僕の前でそれを云うかい。まあ、確かに今はあんな感じだけど功績は凄いよ。以前は国王の懐刀とまで言われていたし」
フンっと、ルーチェは鼻で笑った。
「まあ、どうせ幸運に恵まれでもしたのだろうよ。公園の件だって、支持率の増加とか政治的な思惑からだろう。だってそうだろ?真に優秀だというのならば、イラリア様を……」
あの天才を追放するわけがない。酒の神様に愛された方を。
俺は絶対にあの男を許さない、絶対にだ!ルーチェは心の中で強く誓った。
全く折角貴重な休憩時間だというのに鬱な気持ちになってしまったな。気持ちを切り替えようと決心したのも束の間。背後から部下に声を掛けられた。
「あ、ルーチェさん。ここにいたんですね。クーラ様が今すぐ執務室に来るようにとのことです」
どうやら、この鬱な気持ちは持ち越しのようだ。心の中で大きくため息を吐くと席を立つ。そうして、彼は歩き出した。
クーラに呼び出され執務室に向かう最中。
ルーチェは何かを蹴った感覚を覚えて足を止めるとそれを拾い上げた。
「これは?……片眼鏡か。危ないな、踏んでしまうところだった」
その眼鏡を観察すると、高そうな装飾品や凝った細工が施されている。そういった方面の知識が明るくないルーチェにも、これがかなりの逸品であることは容易に想像できた。
「ふむ。後でジャンにでも渡して落とし主を探してもらうか」
そんな事よりも、今からクーラと話をしなければならないことを考えると、そちらの方が問題だった。実のところ彼女から呼び出しをくらうのは初めてだ。
「一体、何を命令されるのやら」
想像するほど嫌な考えが膨らむ。彼はクーラの待つ執務室のドアを叩いた。
「失礼します、クーラ様。ルーチェで御座います」
クーラはブドウを数粒机の上に並べて、椅子にふんぞり返っていた。状況はよく分からないが、表情を察するに碌な事にはならないだろう。
だがこの時、彼は気が付いていなかった。
想像よりも事態が刻一刻と絶望的な方向へと進んでいた事に。