願いのレシート
それは、いつものスーパーだった。
会社帰り、ネクタイを緩めながら俺は冷えた缶ビールと半額の弁当を買った。セルフレジで会計を済ませ、レシートを取ろうとした時――ふと、目に留まった。
レシートの最下部。数字の羅列の下に、小さな文字でこう印字されていた。
> 「あなたの願いは叶います」
なんだ、これ。占い? キャンペーン?
しかしそれ以外に何もない。
まあいいか、と思いながらレジ袋に缶ビールと弁当、そして無造作にレシートを作っ込み、帰路についた。
俺が暮らすのは1kのアパート。
築40年の古ぼけた安アパート。
カンカンと音を立てながら鉄製の階段を登り、部屋に入ると買い物袋を、その辺に置き、真っ先に風呂へ向かった。
シャワーを浴びると、一日の疲れが汚れとともに流れ落ちるような気がしたが、明日の会議のことを思い出して憂鬱になった。
シャワーを浴びたあと、ふとそのレシートのことを思い出した。
「願いが叶う、ね……」
そう言えば、そんなサービスが昔流行った覚えがる。レシートにメッセージを印字する機能を利用して、購買者にポジティブな言葉を送る。
満足度を上げるために行われたものだったが、流行らなかったことから考えるにウケが悪かったのだろう。
当然だ。
殆どの人はレシートなんて見ないで捨てる。
「くだらねぇ」
ビールを片手に呟く。
軽い気持ちだった。
なんの意味もないと思っていた。
ただの、冗談だった。
レシートはどこに行ったか。
レジ袋をひっくり返すと、あった。
広げると確かに「あなたの願いが叶います」とある。
「じゃあ、明日の会議、ぶっ壊れろ。どうせ社長の機嫌取りの茶番だしな」
そう言ってレシートをくしゃくしゃに丸めて、再びレジ袋の中に捨てた。
※
次の日。午前10時。
社長が倒れた。
会議は中止になり、社員たちはざわついた。
俺は震えた。喜びではない。恐怖だ。
偶然だろう。
ありえない。
あのレシートで?
あの言葉。
あり得ない。
気のせいだと打ち消すしたいが、反面、信じたい気持ちもあった。
本当に、願いが叶うレシートだというのなら。
別に、試したところで損はない。
そんなわけないかで終わる話なのだから
次の週。
俺はもう一度あのスーパーに行った。
適当に選んだ弁当と缶ビールを買い物かごに入れ、レジに向かう。
レジの店員は、多分アルバイトの大学生だ。
けだるそうに会計をこなし、レシートを俺に渡す。
レシートには、あの言葉が化書かれていた。
「このレシート、なんなんですか?」
若いバイトの女の子は首をかしげて答えた。
「え? ああ、それ、たまに印刷されちゃうんですよ。変なエラーらしくて。でもまぁ、別に変なこと書いてないので、そのままにしてます」
そうか、バグか。
そんなもんだろう。
当然だ。
きっと昔、そういう設定をした人がいて、何らかの理由で、起動してしまったのだ。
特定の買い物に反応するとか、可能性はいくらでもある。
俺は、レシートを見た。
> 「あなたの願いは叶います」
馬鹿らしい。
試してみようと思ってしまう自分にも呆れてしまうが、やるだけ無料。
「……じゃあ、明日、作草部春奈からラインが来ますように」
それは、高校の同級生。
数年前に偶然Facebookで繋がっただけの女。
別に連絡を取り合うことはなく、同窓会の予定について2〜3メッセージのやり取りをしたぐらいの関係だ。
それ以来連絡は途絶え、一切の関係を持っていない。
しかし、翌日。
「久しぶり。なんかFacebook見てたら見つけたからラインしてみた。元気にしてる?」
――その子から、本当に連絡がきた。
背中に汗が滲んだ。
にわかには信じがたい。
けれど、現実に起きている。
これはもう、ただの偶然とは思えなかった。
※
そこから、俺はレシートを集めるようになった。
俺は町中のコンビニやスーパーを巡り、不要のレシート入れに捨ててあるレシートをかき集めた。
ほとんどがハズレで、なんの変哲もないありふれたレシート。
しかし、数百枚を集めたあたりで、見つけた。
> 「あなたの願いは叶います」
あの言葉が記されたレシートは、どうやらあのスーパー以外からも出ているらしい。
俺は願った。
そしてここから、レシート集めに拍車がかかった。
就業後のコンビニ巡りは日課となった。
休みの日も時間があれば、スーパーを回った。
その結果、あたりのレシートら何枚も見つかった。
「風邪が治りますように」
「宝くじで当たりますように」
「部長のプレゼンが失敗しますように」
全部叶った。
規模の差はあれど、すべて実現した。
確信した。
願いの叶うレシートは存在する。
恐怖もあった。
超常的な現象に、何か大きなしっぺ返しがあるような気もした。
でも、やめられなかった。
願いが叶う。
その夢のような出来事に、俺は万能感を感じて依存していった。
何でもできる。
全て思い通りになる。
やがて俺は、願いの内容を変えていった。
他人の不幸を望むようになったのだ。
例えば車で移動する時、目の前に無理な割り込みをしてくる車。
ルールを守らず、追い越しを仕掛けてくる車。
「あいつの車、事故れ」
すると突然スリップし、単独事故を起こす。
ざまあみろ。
クレームを入れてレジで渋滞を引き起こすババア。
「あいつの家、火事になれ」
すると遠くで火の手があがる。
燃え盛る炎を前に呆然とするババア。
ざまあみろ。
「元カノ、後悔しろ」
俺をふった元カノが、幸せでいるのが許せない。
しばらくするとインスタに、今の彼氏に殴られたと投稿があった。
ざまあみろ。
言葉にするたびに、叶ってしまう。
ニュースで報じられ、SNSで炎上し、現実になっていく。
俺は、神になったような気分になった。
何でも思い通りになる。
でも、同時に、視線を感じていた。
風呂にいるとき。
会社にいるとき。
夜道を歩くとき。
何かが、俺を見ている気がした。
※
ある夜、家に戻ると、ポストに一通の封筒が入っていた。
中には、レシートが一枚。
> 「あなたの願い、叶えました。
そろそろ、あなたも“誰かの願い”になってください。」
どういう意味だ?
商品の欄には俺の名前が書かれていた。
俺はその紙を何度も読み返した。
> 「あなたの願い、叶えました。
そろそろ、あなたも“誰かの願い”になってください。」
意味がわからなかった。
これは誰が書いたのか。
いや、そもそも、これは、願いの叶うレシートの話か?
俺以外にも、知っている奴がいるのか?
てか、俺がレシートを利用しているのを、こいつは知っているってことか?
だが、表には確かに、自分のフルネームが書かれている。
ふざけた悪戯なんかじゃない――そう、確信してしまった。
その夜、俺は願いのレシートを使わなかった。
ビニール袋に何十枚もためこんでいたレシートを、テーブルに広げてじっくり見直す。
それぞれに小さなフォントで、あの一文が記されている。
> 「あなたの願いは叶います」
だが、一枚だけ、文字の色がわずかに違うレシートを見つけた。
グレーではなく、黒。
文字が、焦げ跡のように浮き出ている。
> 「明日で最後になります」
それは明らかに、俺へのメッセージだった。
明日とは、いつだ?
明日でいいのか?
願いのレシートは、まだまだたくさんある。
今日ならまだ、使えるのだろうか。
しかし俺は、怖くて願いを言えなくなった。
「最後」って、どういう意味だ?
願いを叶える権利がなくなるのか?
それとも……最後?
人生が終わるとか、そういう話じゃないよな。
俺は、願い力に対する代償を考えた。
今までなんのリスクも払わずに願いを叶えてきた。
その報いを受けなければならないのか。
不安でしばらく眠れなかったが、いつの間にか眠りについて、その夜、夢を見た。
スーパーのレジの奥、店員たちが誰もいない、閉店後の売り場で――俺自身が、無言出そこにいた。
その俺は、白いレシートを何枚も手に持ち、それを天井へ向けて差し出していた。
まるで、祈るように。あるいは、神に託すように。
※
翌日。恐る恐るスーパーに足を運ぶ。
いつものレジに立っていた女性店員の顔が、どこか違って見えた。
目の奥が、黒い。
口はニンマリと口角をあげ、三日月のようなあり得ない弧を描いていた。
何より恐ろしいのは、他に客がいて、レジを打ち込んでいるというのに、定員がずっと、店の外にいる時からじっと、俺を見つめていることだ。
「いらっしゃいませ」
店に入っても、定員は俺を凝視する。
袋麺と水だけを買う。
会計を終えると、機械から一枚のレシートが印刷されて出てきた。
震える手でそれを受け取る。
> 「今日のあなたの願いは、最後になります」
「願いを、お決めください」
願い。
願って、良いのだろうか。
願わないという選択肢はあるのだろうか。
俺は一度、深く息を吸った。
そして――こう呟いた。
「このレシートの力を持っている“誰か”に、会わせてください」
※
その夜、インターホンが鳴った。
午後11時47分。こんな時間に来客などありえない。
覗き穴を覗くと、黒いスーツの男が一人、玄関の前に立っていた。
顔は見えない。
だが、手に持っているものだけはハッキリ見えた。
無数のレシートの束。
ドアが、勝手に開いた。
「こんばんは。あなたの願い、叶えにきました」
男の声はやけに穏やかで、しかし有無を言わさぬ圧力があった。
「俺の願い?」
「あなた昼間に願いましたよね? 私に会いたいって。酔狂なお方だ。せっかくの最後の願いを」
「別に、あんたに会いたいわけじゃない。聞きたいんだ。どういうことなのか」
「なるほどなるほど。それが最後の願いの全貌ですか」
男は一枚のレシートを差し出してきた。
そこには見覚えのある筆跡で、こう書かれていた。
「あいつが全部の報いを受けますように」
そしてレジ打ちの担当には、元カノの名前。
俺の胸が一気に冷たくなる。
「どういう意味だ……願いが叶うだけじゃなかったのか!」
男は微笑んだ。まるで、小学生に理科の法則を教える教師のように。
「願いは、現実を捻じ曲げる行為です。その分だけ、世界はひずみ、傷つく者が出る。あなたは、無償で奇跡が起きると信じていましたか?」
俺は何も答えられなかった。
「歪みは歪みで埋めなければ、崩壊します。ゆえに、しきい値を超えた方に関しては、その歪みを修正すべく、願いの対象になった相手に、誰のせいかをお伝えするのです」
「は……?」
「そう。あなたは、たくさんの方々の不幸を願われました。自ら進んで、他者に不幸を届けた。その代償は、あなたのせいで不幸になったと、彼らに伝えるのとなのです!」
男は背を向ける。
手にはまた一枚、願いのレシートがある。
「このあとあなた、どうなるんでしょうね? 部長さん、随分と怒ってますよ? 元カノさんも、今ナイフを握りしめてます。火事にあったおばあ様なんか、マッチをもってそちらに来てますよ?」
俺は膝が震えだした。
俺の願った不幸が、相手に知られた?
そんなの、仕返しされるに決まっている。
俺は恐怖で、全身の力が抜けるような感覚に陥った。
動機が激しくなる。
殺される殺される殺される。
コンコンと、ドアをノックする音が聞こえた。
「ひっ!」
俺は恐怖のあまり、尻もちをついた。
その様子をみた男が、手を差し伸べて。
「一つだけ、救われる方法があります」
男が俺の耳元で、囁いた。
それはさながら、悪魔の囁き。
「あなたの願いを叶えたのですから、代わりにあなたが、誰かの願いを叶えるのです」
「俺が、願いを叶える……?」
「ええ、そうして歪みを整え、少しずつ伸ばしていく。布にアイロンをかけるように、あなた自身が他者の願いを叶えながら、歪みを整えていくのです」
「そ、それで救われるなら、何でもやる! やらせてくれ!」
その代償は?
その時の俺には、そんなことまで頭が回らなかった。
「契約、完了です」
ぐしゃりとレシートが音を立てた瞬間、俺の身体が動かなくなった。
意識はある。目も開いている。
でも何も言えない。何もできない。
気づけば、俺はスーパーのレジ奥の壁に、小さな紙の束として並べられていた。
新しい誰かがレシートを受け取るたび、俺は「願い」を感じる。
叶えたくない。叶えたくない。
だが、手は勝手に動く。
今日もまた、誰かの願いが、俺を通じて現実になる。
そして俺は、握りつぶされ、また新たな願いのレシートとして、使われる。
「宝くじが当たりますように」
「誰かが失恋しますように」
「明日、俺が目立ちますように」