5話 怪物と悪魔
ダンジョンの奥深く、湿気と瘴気が肌を刺すような空間。
瀬紀の背後には、無機質な灰色のサイバーアーマーを纏った八人の芳賀の仲間が嘲笑を浮かべて経っている。そして、正面には紫色のサイバーアーマーに身を包み、不敵な笑みを浮かべる刃嶋は拳銃を構えていた。
「刃嶋か」
瀬紀の声は、静かに、しかし確実に怒りを孕んでいた。紫色の鎧に見覚えがある。それは、以前レガリアを奪おうと襲撃してきた、下劣なチーマーのリーダーのものだった。
「覚えててくれて、ボクちん嬉ち~ぃ」
刃嶋は相変わらず、軽薄な笑みを浮かべている。まるで獲物を弄ぶようなその態度に、瀬紀の怒りは静かに、しかし確実に燃え上がっていく。
「お前らに襲撃を受けたのだが、それは殺しに来たと解釈していいのか?」
瀬紀は短剣を構え、刃嶋に問いかける。
「瀬紀ちゃんって、特性のないNoナンバーなんだって?かわいそーうに。だから、ここで楽にしてあげよ「そうか」」
刃嶋が言葉を終えるよりも早く、瀬紀は背後の刺客へと肉薄した。しかし、その動きは容易く見切られ、灰色のサイバーアーマーの奥で嘲笑が歪む。
『ダンジョンの影響で、コイツらの理力が高まっているか』
灰色のサイバーアーマーを纏った八人が、剣をもって襲いかかる。
剣術とは程遠い、ただ振り回せているだけの攻撃。しかし、デモンズ・ハートの膂力で振るわれる刃は、常人のそれを遥かに凌駕する速度と重さを持っていた。
特性を持たない瀬紀は、ダンジョン内で理力による強化は最小限しか受けられない。
しかし、刃嶋達は違う。武術とは程遠い無粋な動きであったが、身体能力は格段に上がっていた。
斬り結ぶ度に、衝撃がサイバーアーマー越しに伝わる。何度も攻撃を喰らっていると、やがて痺れるような痛みが走り始める。
一方、瀬紀の短剣は、目に見えない壁に阻まれているかのように、彼らの装甲を傷つけることすらできない。
ダンジョンの暗闇の中で、瀬紀の短剣と刃嶋達の剣とが衝突し、甲高い金属音を幾度となく響かせる。
技術では、圧倒的に瀬紀の方が上。しかし理力という一点において、圧倒されてしまっていた。
徐々に、瀬紀は劣勢に追い込まれていく。
やがて疲労から避けきれない攻撃が、ではじめた。鈍い音を立ててサイバーアーマーを叩き、内部に衝撃を響かせる。
だが、素人に毛が生えた程度の男達だ。
一瞬の隙をつく連携すら出来ずにいるおかげで、致命傷を受けることはなんとか防げていた。
それでも、やはり疲労が問題となる。
刃嶋達に襲われる前から、ずっと戦い続けていたのだ。そこに絶えまなく繰り返される、この男達の攻撃。
動きまわりながら囲まれるのを防いでいた瀬紀であったが、徐々に動きは遅くなり、やがて足を完全に止まる。
刃嶋達が手を休める事は無い。
背後から剣が振り下ろされ、それを短剣でいなす。左からの攻撃は、腕を短剣で叩き起動を逸らせ、正面からの攻撃は手甲を当てる事で防ぐ。
さらに攻撃は続く。
足を狙った剣は踏みつけて無効化し、頭部を狙われれば剣で逸らす。
かろうじて致命傷を避け続けた。しかし敵を倒すのには程遠い。それも瀬紀は一人で動くため体力を消耗し続け、敵は八人で交代で攻撃を続けるため体力の消耗は少ない。
その違いは、すぐに現れた。
「 ! 」
瀬紀の足が、動かなくなった。
そこへ、胴体を薙振るわれた剣が振るわれる。
短剣を盾にして直撃は免れるも、大きくバランスを崩した。そこへ蹴りが彼の腹を直撃し膝をつく
「瀬紀ちゃん。これ覚えている~?」
倒れかけた先、その目の前には紫色のサイバーアーマーを纏った刃嶋が立っていた。
「大切なマキナなんだから、落としちゃダメだよ~瀬・紀・ちゃん」
刃嶋は嘲笑を浮かべながら、黒刃を瀬紀へと突きつけようとした。しかし、その刃が目標に届くことはない。まるで、時が止まったかのように、刃嶋の動きが静止する。
瀬紀の左手が、信じられない速度で黒刃を掴み取っていた。
『着脱コード起動』
瀬紀の冷たい声が響くと同時に、刃嶋の手甲が悲鳴を上げ、宙を舞う。そして、瀬紀は流れるような動きで刃嶋を蹴り飛ばし、デッドリー・ブリンガーを奪い取った。
「な、なんで……」
刃嶋は、まるで理解が追い付かないといった表情で呟く。
「着脱コード。自分のマキナが奪われて敵に使われた場合に、そのマキナを相手から外すためのコードだ。お前がバカで助かったよ。おかげで……」
瀬紀は、背後から襲い掛かる刺客達へと向き直り、奪い取ったデッドリー・ブリンガーを構える。その目は、獲物を狩る獣のように冷酷だ。
「……お前達を殺せる」
黒刃が閃き、刺客の一人が絶命して倒れる。その光景は、まるでスローモーションを見ているかのように、他の刺客達の目に焼き付き動揺が走る。
だが動揺したのは、彼らだけではなかった。瀬紀もまた、己に生じた変化に心を大きく揺り動かした。
「ク、クク……この期に及んで、ようやく報われるなんてな」
いくど死に瀕した事か、どれほど絶望を味わったことか、なんど運命を呪ったことか。それでも足掻き続け、ようやくレガリアが応えてくれた。
瀬紀は固く目を閉じ、再び開く。
彼の目に映ったのは時が凍りついた世界。景色は油絵のように滲む、サイバーアーマーを纏う際に幾度となく目にした、見慣れた空間だった。
しかし、いつもと違うものが一つだけある。
それは瀬紀の目の前に浮かぶ、銀色の本。
『我が名は無垢の書。汝、数多の同族の血をもって、我を完成させる意思はあるか』
外部の影響を一切断つはずの空間に女の声が響く。それは、探索者協会で行った契約とは明らかに異なる、深淵からの誘い。
なぜ、この状況でレガリアが応えたのか?答えなど一つしかない。本契約の条件は同族の血を捧げること。そして更なる力を得るには、より多くの同族の血を捧げなければならない。すなわち目の前の本は、同族殺しのレガリアなのだ。
本契約をすれば、間違いなくより濃い血塗りの道を歩くことになるだろう。
だが答えなど決まっている。己の人生を狂わせた悪魔との取り引きに、新しい項目が一つ増えるだけでしかないのだから。
「今さら、退けるか…………お前の力を寄こせっ!!」
『ここに契約は成った。汝の血塗られた物語を、我に刻み続けよ。その身が凶刃に貫かれ、蛆湧く屍となる、その日まで』
本のページが開き、そこに赤い文字が刻まれると共に、瀬紀の身にも変化が生じる。
銀色のサイバーアーマーの背に、悪夢から生まれた蝙蝠を思わせる黒い片翼が背に現れる。それだけであれば、これまで瀬紀がサイバーアーマーを纏う際の変化であった。
だが、今は違う。
これまで彼の背に、孤独を象徴するかのように存在していた片翼の黒翼。その隣に、呼応するかのように、金属で出来た銀翼が蒼い輝きを放ちながら伸びている。
左には夜の闇を切り裂く黒翼、右には月光のような蒼い銀翼。
それは、特性を持たぬデモンズ・ハートの証だった片翼に、レガリアが新たな力を与え、完全なる存在へと近づいたことを告げている。
瀬紀の全身を覆うサイバーアーマーが再構築され、流線形のフォルムを形成していく。鈍い光沢を放っていた鎧は、滑らかな曲線を描き出し、より生物的で洗練されたシルエットへと姿を変える。頭部を覆っていたヘルメットもまた、有機的なラインを描き、瀬紀の輪郭に吸い付くように変化していた。デッドリー・ブリンガーを収納するため左右非対称となっていた手工もまた、左右対称の洗練されたフォームへと変化している。
手足の装甲には、力強い輝きを宿した異世界の文字が浮かび上がり、怪しい光を放つ。サイバーアーマーの各所からは、科学の粋を集めた証である青い電光が、エネルギーラインとして青く発光している。そしてヘルメットの後頭部からは、深緑色の放熱光が、長く伸びた髪のように揺らめいていた。
この変貌した姿は、まさに彼がこれまでもがき、苦しみ、そして決して諦めずに足掻き続けてきた嘆きの結晶。
ようやく、瀬紀にも救いの手が差し伸べられたのだ。
それは、天使のような都合の良い存在の手ではない。むしろ、残酷な運命を嘲弄する悪魔が、ほんの僅かな哀れみから差し出したものなのかもしれない。
だが、差し伸べられた手の主が天使であろうと、悪魔であろうと、瀬紀は迷わずそれを掴んだはずだ。なぜなら、そのような執念を持つ者だからこそ、修羅と化してまで、絶望の淵から這い上がれたのだから。
凍り付いた時間が再び動き出す。
刃嶋とその仲間たちは、目の前で起こった信じがたい光景に、言葉を失い、ただただ立ち尽くしている。
彼らの様子など気にも留めず、瀬紀はレガリアの力を行使する。手に握られたままの短剣の刃に指を置くと、力ある言葉を紡ぎながら、峰から切っ先へとその指を滑らせた。
「鬼に代わりて血を啜れ、偽刀・斬鬼っ!」
その言葉にレガリアが応える。指が触れた箇所から、短剣の表面に赤く輝く文字が浮かび上がり、剣の形状をなぞる。やがて文字が完全に剣を覆い尽くした瞬間、短剣は眩い白刃の日本刀へと変貌を遂げた。
「何年ぶりだろうな……剣を持つのは」
瀬紀は、その白銀の刀を静かに見つめ小さく呟いく。
師にすら剣の扱いは、化け物扱いされる程であった。
だが理力の問題で、剣ではモンスターを倒せない。その事実に対抗するため、デッドリー・ブリンガーを主軸にした戦い方に変えた。刀よりも攻撃を繋ぎやすい短剣へと得物を変えた。それから何年もの時が過ぎた今、再び剣を握っている。
「瀬紀ちゃ~ん。こけおどしをしちゃダメだよー。僕ちんのお友達が驚いちゃったじゃな~い。お・詫・び・に、死んで」
刃嶋の軽薄な言葉を合図に、残る七人の仲間たちが雄叫びを上げながら襲いかかってきた。それが最悪の判断であると気付くこともなく。
彼らは、気付くべきだった。
瀬紀の気配が周囲に溶け込み、蜃気楼のように朧気な物になっていることに。
だが、それも無理はない。
殺気を隠すだけでなく、己の存在そのものを周囲に溶け込ませるような、化け物と対峙する機会など誰にもないのだから。
瀬紀は白刃の剣を体の軸とし、重心を深く落とす。それは、獲物を狙う蛇が身を屈めるような、全身の筋肉と骨格が連動した無駄のない動き。相変わらず気配は変わらない。蜃気楼の様に朧気なままだ。
しかし瀬紀が動きを止めたとき、七人は何かに呑み込まれた錯覚を覚えた。
刹那。白刃が銀閃を残して敵の間を奔った。
あまりにも速く、あまりにも洗練された動き。襲いかかった刃嶋の仲間たちの脳は、何が起こったのか理解するよりも先に、生命を断ち切られた。
絶命の一閃が正確に人体急所を断ち、生温かい血潮が己のサイバーアーマーを紅に染め上げた。
「は……?」
刃嶋の喉から絞り出されたのは、乾ききった音だった。つい数秒前まで、確かにそこにいたはずの仲間たちの姿が、今や物言わぬ肉塊と化して鮮血に沈んでいる。
そして状況を理解すると共に、悪夢のような既視感が彼を襲った。
このありえない状況に、刃嶋の脳は混乱した思考の海を彷徨い、酒場の片隅で気化されたカバカしい都市伝説へと辿り着く。
「ない……ただのバカ話だ」
曰く――デモンズ・ハートでさえ、決して手を出そうとしない、文字通りの”怪物”がこの街には存在する。
「……ありえない」
曰く――その”怪物”を敵に回したデモンズ・ハート達が、一時間と掛らずに死体の山となった。
「あんなの……新人をビビらせる作り話、だろ?」
曰く――その存在を恐れるあまり、怪物が誰なのかを知るデモンズ・ハート達は、ソレに関わろうとすらしない。
「ひっ……!」
喉が詰まり、呼吸すらままならない。心臓が激しく脈打ち、全身の血液が凍り付くような感覚に襲われる。
酔っ払いが、街にやって来たばかりの新人をビビらせるための都市伝説。そんな馬鹿話に出てくるような化け物など、いるはずがない。そんな途方もない怪物が――斬鬼など。
「寂しがる事はない。すぐに仲間たちと再会できるのだからな」
瀬紀のサイバーアーマーの青い両眼が獲物を捉える。
「最終認証──ファーストカウント、イグニッション」
機械的な音声が、刃嶋の耳に死の宣告のように響く。徐々に近付く死神の足音に、刃嶋の理性が音もなく崩れ落ちる。
「いや…………来るな……来るなぁっ!!」
──3──
逃げられない。
肌が粟立ち、全身の細胞が悲鳴を上げている。本能が諦めろと告げているのに、死への抗いがたい恐怖が、喉を引き裂くような叫びを強いる。
「|デッドリー・ブリンガー《相棒》が、ここまで連れて来てくれた礼を言いたいそうだ。聞いてやってくれ」
──2──
恐怖に囚われた刃嶋の瞳は、瀬紀の姿を必死に捉えようとするも、その姿は蜃気楼のように揺らめいたかと思うと、次の瞬間にはたち消えていた。
どこに消えたのか?その答えは、背中に走る鋭い痛みが教えていた。
振り返れば、漆黒の刃が自身の背を貫いているのが見えたハズだ。
しかし、刃嶋は背後に立つ、青い光を纏う影への恐怖が体を委縮させて、動くことが出来なかった。
「……ぅぐぅぅっ」
──1──
背後に静かに佇んでいた瀬紀は、獲物を狙う猛禽のように獲物の頭上を跳躍した。
その動きに合わせて、閃光のような速さでワイヤーを刃嶋の首に巻き付ける。さらに獲物の肩に足を置くと、一気にワイヤーを引き、首を守るサイバーアーマーの装甲を、圧倒的な膂力で圧潰させた。
「ぅぐ、ぅ……ぅぅぅっ」
気道を締め上げた刃嶋は、苦悶の表情で首のワイヤーに手を伸ばす。だが、レガリアによって強化された特性を持つ武装が、その程度の力に屈することはない。レガリアと対話する前の瀬紀の攻撃が、刃嶋たちに全く通用しなかったように──。
地面に音もなく着地すると同時に、瀬紀はワイヤーを容赦なく更に引き絞る。首を守るサイバーアーマーの装甲は金属片と見間違えるほどに潰され、刃嶋の顔はみるみるうちに紫色に染まった。
「ぅ、うう……ぁ、ぅぅ、ぅ」
──0──
カウントダウンの終わりと共に、瀬紀の手甲から高圧電流が放たれる。ワイヤーから黒刃へと伝わり、紫色のサイバーアーマーの内側から命を焼き払った。
もはや炭と化した刃嶋の体から、デッドリー・ブリンガーの黒刃が抜ける。それはワイヤーと共に本来あるべき、左腕の手甲へと戻った。
「お前が地獄で相棒達と会えることを祈っておいてやるよ」
そのように告げながら左腕の手甲を軽く撫でると、瀬紀はダンジョンの暗闇へと再び姿を消した。