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4話 焦燥と怪物

 轟音がダンジョンを深く揺さぶり、瀬紀の身体は、鈍い光沢を放つ銀色のサイバーアーマーごと吹き飛ばされた。


 衝撃は、鈍器で内臓を直接殴られたかのような強烈さを体に与え、意識が一瞬白濁する。

 だが、研ぎ澄まされた反射神経が、彼を即座に戦闘態勢へと引き戻した。霞む視界の先に蠢くのは、巨大な複眼を持つ異形の蟲。それは、不気味な光沢を放つモスグリーンの体表を持ち、バッタのような節くれだった胴体と、頭部はまるで太った芋虫が無理やりくっつけられたような、グロテスクな姿をしていた。


 刹那の後、蟲は圧縮されたバネが解放されるかのように跳躍し、瀬紀に覆いかぶさる。


 無数の黒曜石のような鋭利な牙が並ぶ口は大きく開き、サイバーアーマーに守られた瀬紀の首筋へと迫る。金属に覆われているとはいえ、モンスターの牙の前では心もとない守りだ。


 だが瀬紀は右手に握り締めた短剣を盾にして、蟲の開かれた口を押しとどめた。最悪の事態は防げた。しかし、蟲の巨体は容赦なく瀬紀を押し潰し、粘液質の体液がサイバーアーマーの表面をヌルリと濡らす。


 このままでは、文字通り骨まで喰い尽くされるだろう。瀬紀は奥歯を噛み締め、切り札へと意識を集中させる。


 次の瞬間、瀬紀の左手甲から、漆黒の刃――デッドリー・ブリンガーが音もなく姿を現す。


 黒刃が蟲の分厚い腹部を深々と貫いた。そして電流の冷たい閃光が辺りを染め上げる。


「うぅああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああっ!」


 至近距離での高圧電流の放出は、瀬紀自身を巻き込みモンスターを内側から焼く。紫色の稲妻が、全身の神経を焼き焦がすような激痛を迸らせた。


 サイバーアーマーは、精密な電子部品が組み合わされた、いわばハイテクの結晶だ。本来ならば、電撃に対して極めて脆弱なはずだった。だが、デモンズ・ハートと一体化したそれは、一種の生命体とも呼べる存在へと変貌させる。外部からの衝撃や損傷は、生き物の傷が癒えるかのように、自己修復させることができる。


 だから瀬紀さえ生きていれば、サイバーアーマーは自己修復できる。だがダメージが深刻であれば、修復が完了するまでサイバーアーマーは大きく機能を低下させることとなる。


 己に覆いかぶさったモンスターの体を押しのけ、瀬紀はよろけながらも起き上がる。あまりもの電圧に表皮の一部が炭と化したモンスターの姿から察するに、瀬紀の体もまた近い状態になっているかもしれない。


 激しい痛みに、瀬紀の意識は暗闇へと引きずり込まれそうになるも、なんとか壁に近付く。そして崩れ落ちるように、冷たい岩壁にもたれかかった。


「くそ…………まだ足りない」


 岩肌に背を預けて回復に専念する。

 激しい雷撃の余韻が、無数の針で刺されているかのように全身に痺れを残していた。だが、その痛み以上に、自身の不甲斐なさが心をかき乱す。


 いつまでも、ここにいるわけにはいかない。モンスターの焼け焦げた臭いが、新たな怪物を呼びよせかねないからだ。


 瀬紀は強引に起き上がると歩きだす。

 痺れたままの足を引きずりながら、湿った洞窟を進む。だが移動を始めるのが遅すぎた。


 微かに感じた背後の気配。振り返る間もなく、鋭い痛みが彼の右肩を貫いた。


 硬質な牙がサイバーアーマーの装甲を食い破り、生身の肉に深く食い込む。


 視界の端に映ったのは、巨大なナメクジのような異形。見るだけで吐き気を催すような毒々しい紫色に染まった怪物だった。


「ぅ、ぁぁぁあああああああああっ!!!」


 デッドリー・ブリンガーの電撃の余韻で、痺れて思うように動かない右腕。それを無理やり捻り上げ、瀬紀は左手に握った短剣を、紫色のナメクジ型モンスターの頭部へと突き立てる。


 狙ったのは、モンスターが噛みつく口の、僅かに上の部分。このグロテスクな生物の、脳に相当する脆弱な部位だ。


 短剣が肉を裂き、内部に到達すると、モンスターからは鈍く生臭い臭いのする、泥のように粘度の高い紫色の体液が噴き出した。


「GYuuuuuRRRRRUuuuu」


 モンスターは、痛みから狂ったように頭部を振り回す。

 対して瀬紀は、右肩の肉が完全に食い千切られ、白い骨が剥き出しになっていた。激痛と痺れが、意識を混濁させるが、このままというわけにはいかない。


 ──レスキューコード。アンチポイズン──


 己と一体化しているサイバーアーマーは、手によるパネル操作も、音声入力も必要ない。

 意図するだけで機能を発揮する。内蔵された高性能センサーが、視覚情報からモンスターを瞬時に特定し、適合する抗毒薬が体内で合成されていく。


 だが、効果が現れるまでには、まだ時間がかかる。早急に、この危険な場所から離れ、安全な場所へと移動しなければならない。


「くそがぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああっ!!!」


 瀬紀は、左手に持った短剣の切っ先を、紫色のモンスターに向けると、狂ったかのように突進した。


 そしてモンスターの体表に短剣を突き刺す。さらに即座に引き抜き、何かに取り憑かれたかのように、何度も──何度も──何度も──執拗なまでに短剣で突き刺し続けた。


 まさしく捨て身の攻撃だった。その姿に人間の知性など感じられず、狂気に塗れた人の形をした何かでしかなかった。


「はぁ……はぁ……」


 肩から侵入した毒液が、瀬紀の体を蝕んでいるのがわかる。抗毒薬の生成には成功したが、その効果は、まだ彼の全身を巡ってはいない。


 それに左肩には白い骨が見えるほどの怪我を負っている。驚異的な回復力を持つデモンズ・ハートとて、これは放置しておけば治る類のものではなかった。


 ──レスキューコード。ナノマシン──


 毒と怪我による激痛で、瀬紀の意識は朦朧とし始めている。だが、ここで意識を手放すわけにはいかない。震える足で立ち上がろうとするも、バランスを崩す。背中を冷たい岩壁に強く打ち付ける。だが彼は倒れなかった。


「ふ、はは。ちょうどいい」


 狂気の笑い声と共に、瀬紀は再び左腕のサイバーアーマーから、漆黒の刃――デッドリー・ブリンガーの黒い刀身を出現させる。その笑い声は、ダンジョンの奥深く、暗闇の先に向けられていた。


 無数の殺気が近付いてくる。これは、もはや逃れることは不可能だ。


 彼の運命は嫌らしく笑っていることだろう。『お前がオーダーした危険を届けてやったぞ』、と。


 やがて様子を窺っていたモンスター達が、警戒しながらではあったが徐々に姿を現し始めた。


「O,OOOAOOOoooooooooooooOO」


 その者達は、肌色の粘土を捏ね合わせたかのような歪な姿をしていた。マッドマンと呼ばれる、このダンジョンでは比較的遭遇頻度の高いモンスターだ。


 一体一体の力こそ、常人よりも遥かに強いが、思考能力も移動速度も、それほど高いわけではない。しかし数が30を超えるとなると話は別だ。おまけに毒と肩の大怪我というオマケ付きですらある。


 それに理力は自分と同格の存在だ。理力に阻まれ、攻撃の威力が弱まってしまう。それを短剣で一体ずつ確実に仕留めていくには、あまりにも手間がかかりすぎる。そんなことをしたら、自分の体力が先に尽きるのは明白だ。


 なら選択肢は一つしかない。


 瀬紀は敵との距離を一気に詰めると、デッドリー・ブリンガーを、マッドマンの心臓部分に躊躇なく突き刺した。


 人間でいう所の心臓部分。それが、こいつらの急所だ。


 そう。残された手段は一つしかない。独自の理力を持つデッドリー・ブリンガーの刃で30体全てを、それぞれ一回の攻撃で葬っていくこと。


 瀬紀は、研ぎ澄まされた刃先を、寸分の狂いもなく敵の急所に突き刺して始末していく。


 精密機械のように正確な動きで、一体、また一体と。


 相手が動くよりも早く刃を突き刺し、相手がこちらに反応しようとすればその動きより早く突き刺し、腕を振り上げれば攻撃されるよりも早く心臓を貫く。


 やがて瀬紀の足元には、大量のマッドマンの死骸が転がることとなる。いずれも死因は心臓を貫いた一撃る。それは芸術的であるとすら言える殺技によるものであった。


「はぁ、はぁ……これでもダメなのか…………これだけやっても、まだ足りないのかっ!!」


 未だにレガリアは沈黙を守ったままだ。一体、どこまで自分を追い詰めれば、その沈黙を破ってくれるというのか。


『どうして俺は、ここまで苦しまなければいけない』


 胸の奥底から、黒く淀んだ感情が無尽蔵に溢れ出してくるかのようだった。特性を持つ者たちへの羨望、一年先を心配しなくていい者達への嫉妬、そしてNoナンバーであることを嘲笑した者達への憎しみ。


 特性を持たない自分は、他の者よりも多くの苦労を強いられる。他の連中ならば、こんな場所など容易く突破していくというのに。自分は、こんな場所で死にかけている。


 これほど無様な姿を晒し、必死にレガリアに縋り付き、それでも──本当にその時は来るのか?


 悪魔の囁きが聞こえた気がした。

 いっそのこと楽になってしまいたい。レガリアが最後まで応えなければ、無意味に苦しんだだけではないか。もしそうなれば、自分は他の連中がNoナンバーに期待する通り、無様な姿を晒しただけの──道化。


Purge Code(パージコード) |Deadly Bringerデッドリー・ブリンガー


 瀬紀は、殴りつけるかのように左腕を振ると、金属の岩とぶつかり合う音がダンジョンに響く。それは装着を解除した手甲を、叩きつけた音であった。手甲と共にデッドリー・ブリンガーは失われた。


「は…………は、は、はは」


 瀬紀は、乾いた笑い声を上げる。彼は無数の暗い色を持った感情を、笑って無理やり飲み込んだのだ。


 立ち止まるという選択肢はあった。そして地上に戻って、残りの人生を穏やかに生きればいい。レガリアを売り払えば、残された短い時間をそれなりに贅沢をして生きられるはずだ。


 だが、ここまで地獄を歩いて来た自分が、別の道を選べるのか?無理だ。もう瀬紀の心は引き返せない所まで進んでしまっていた。


 ダンジョンの更に深い暗闇に向かう瀬紀。彼はデッドリー・ブリンガーを外した左腕を軽く感じていた。しかし、その軽さが心に重さを感じさせていた。



 右手に握った短剣を構える瀬紀は、再び姿を現したモンスターと対峙していた。ナノマシンによる応急処置的な治療により、左肩の肉も大分元に戻ってきた。それに、毒も抜けている。だが彼の切り札であるデッドリー・ブリンガーは、もう存在しない。


 鈍い銀色だったサイバーアーマーは、今や深紅の返り血で染まり切っていた。

 デッドリー・ブリンガーを捨てて、彼の戦い方が変わったからだ。


 倒れ息も絶えかけているモンスターに、幾度となく短剣を突き立てて仕留める。それが今の彼の戦い方。


 攻撃がまともに通らない相手に対し、執拗に同じ場所を傷を与え続けて脆くすると、次はそこに短剣を突き立てる。そうやって深い傷を与えて、生命力を弱らせれば理力もまた弱まる。最後は一刻も早く殺すために、執拗なまでに短剣を突き刺し続ける。それが今の彼の戦い方だった。


 この日、何体目かのモンスターを仕留めた瀬紀は、乾ききった喉を潤そうと、サイバーアーマーが生成する水を口に含む。しかし食料がは尽きていた。モンスターは基本的に可食部が存在しないため、このまま水だけでダンジョンを彷徨い続けるか、一度地上に戻るかを選ばなければならない。


 瀬紀は、止むを得ずダンジョンの10階層へと向かった。ダンジョンには、五階層ごとに外界へと繋がるゲートが存在する。それは、ダンジョンの入り口と同様に、金色に輝く枠で形作られているが、その大きさは入り口のものと比べると、遥かに小さい。


 瀬紀は地上へと還ってきた。


 外は夕焼けの色に染まっていた。だが、瀬紀の身体は、その夕焼け以上に赤く染まり、周囲に異様な威圧感を放っている。荒事に慣れているはずの他のデモンズ・ハートたちですら、その異様な姿に言葉を失い、誰も近付こうとすらしなかった。


 瀬紀は、サイバーアーマーを着脱すると、覚束ない足取りで歩き始める。

 全身から発せられる異様なオーラが、誰も近付かせない。その姿は、死に取り憑かれたかのようですらあった。


 2日後。


 動きを阻害しない範囲で十分な食料を用意すると、再び13階層へと向かった。


 それから何日間、彷徨い続けたのだろうか。

 彼の銀色だったサイバーアーマーは、自分とモンスターの血が表面に付着し続け、赤黒い鉄塊と化していた。


 彼の足元には、異様な殺され方をしている狼型魔物の死骸が転がっている。

 血で濡れた毛皮。抉られた無数の傷口から覗くのは黒ずんだ肉片。俺た鋭利だった爪と牙。かつて獰猛であった姿は、もはや存在しない。


 特性を持たぬが故の戦い方は凄惨だった。

 何度も何度も、杭を打ち込むように短剣を突き刺し、ようやく一体の魔物を仕留めることができる。


 だが、そのような強引な戦い方を続ければ、瀬紀自身もまた無傷でいられるはずがない。


 普通の人間であれば、その後の人生を狂わせるほどの傷を、彼は何度も負っている。それでも立ち上がる理由は、彼が死から蘇ったデモンズ・ハートであることだけではない。狂気に憑りつかれているからこそ、四肢が砕けるような激しい痛みすら気にすることなく起き上がることができた。


 どれだけ殺したか分からないが、足りないのなら殺し続けるだけだ。


 地面に転がるモンスターの死体から、瀬紀が離れたときであった。


 背後に乾いた音が響いた。それが銃声であると判断すると、鉛玉を僅かな動きでかわす。


 デモンズ・ハートにとって、そのような旧時代の遺物は意味をなさない。特性を持たないとはいえ、それは、あくまで一定の階層よりも先のモンスターを仕留められないという問題に過ぎないのだ。


 彼は状況を整理する。ダンジョン内で普通の銃を殺生目的で使うバカはいない。なら、目的は銃声による牽制。もしくは──。


 直後、ダンジョン内に、鋭い金属が響く。


 瀬紀が、短剣で剣を受け止めたのだ。


 しかし、攻撃はそれだけに留まらなかった。何人もの襲撃者が、次々に剣を振り下ろす。


 ダンジョン内を走り、剣を避ける。回避が間に合わなければ、短剣で受け止める。短剣が間に合わなければ、サイバーアーマーの装甲を使う。


『この攻撃の速さは、身体強化の特性か』


 身体強化。

 それは、デモンズ・ハートに与えられる特性の中でも、最もシンプルだとされる能力の一つ。身体能力の上昇割合は、それほど大きくはない。それでも特性を持たないNoナンバーである瀬紀よりも遥かにマシだ。


 だが、この能力は疲弊した瀬紀にとって厄介極まりない物だった。

 身体強化は、短期決戦よりも持久戦に向いている。強化された肉体は、体を動かした際の消耗を軽減させられるからだ。


 休む間もなく、背後から足音が迫ってくる。

 誰もがサイバーアーマーを着ており、その顔を確認することはできない。だが、一つ確かなことがある。それは──。


「素人がぁぁぁぁぁぁぁぁぁああっ!!」


 振り下ろされた剣を短剣で滑らせて、軌跡を変える。ただ、それだけで相手は大きな隙を晒した。そして殺して下さいと言わんばかりに無防備な腹に、瀬紀は内臓を破裂させる程の蹴りを入れる。


 だが、理力に阻まれて、殺す事は出来なかった。


 ダンジョンは厄介だ。外の世界であれば、理力の影響は小さい。だがダンジョン内であれば、理力は大きな影響を発揮する。モンスターも、デモンズ・ハートも。


 瀬紀の反撃に、襲撃者達が動きを止める。

 やはり素人だ。自分達の数が多い状況で、手負いの相手に休む時間を与えるなど。それに奇襲をしておきながら姿を晒したまま手を休めれば、相手に情報を与えることになるというのに。


『灰色の鎧を纏った襲撃者は8人と、紫色の鎧を着たリーダー格が1人。8人はいずれも剣が獲物。リーダー格は拳銃を持っているが、本命は別の武器だろう。だが疲労した状態で、囲まれたのは厄介だな』

 

 遠慮なく、情報を集めさせてもらう。

 素人過ぎて罠を疑いたくなるが、実際に素人なのだろうとあたりをつけたところで、周囲に男の声が響いた。


「瀬紀ちゃ~ん。レガリア、もらいにきたよ~」


 紫色のサイバーアーマーを身につけたリーダー格の男の口調は軽薄その物だ。

 聞き覚えのある声だ。それに素人集団という点も、不本意ながら知り合いになってしまった連中と一致する。


刃嶋(はしま)か」


 その特徴的な口調と耳障りな声は、瀬紀のレガリアを強奪しようと企てて失敗した男の物であった。


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