2話 レガリアと契約
重い鉛を乗せたような瞼を押し上げると、目に飛び込んできたのは、やけに豪奢な模様が織り込まれた白い天井だった。
『ここは……レガリアはどこだ』
目を覚ますと同時に、焦燥に駆られて周囲を見回した。だが幸いな事に、すぐさま枕元に銀色の本が置かれているのを見つけることができた
金属でな鈍い光を放つ銀色の本。それが瀬紀の手に入れたレガリアだった。
改めて周囲に目を走らせ、情報を集める。
天井には繊細な装飾が施され、壁には見事な絵画が掛けられている。足元には厚い絨毯が敷き詰められ、周囲には見慣れない調度品の数々。ここが、自分の日常とはかけ離れた場所であることはすぐに理解できた。
窓の外に視線を移す。高層ビル群の中に、特徴的な尖塔を持つ建物が見える。
それが探索者協会のビルであると見当をつけた。と、いうことは、ここは探索者協会からそう遠くない場所で、あの角度から見えるのは――あのホテルか。瀬紀は瞬時に場所の候補を頭に思い浮かべた。
しかし、奇妙な感覚が拭えなかい。
この部屋がこれほどまでに豪奢なのは、レガリアを盗まれないようにセキュリティの高い場所を選んだ結果だと想像できる。だが、肝心のレガリアは無防備にも枕元に置かれていた。あまりにも、ちぐはぐな印象を受ける。もっとも、レガリアを盗まれないための配慮でこの場所に瀬紀を運び込んだという前提が崩れれば、この違和感自体が見当外れということになるが。
いずれにせよ、この場所に留まっている理由はない。瀬紀は部屋を出て更なる情報を集めることにした。
豪華作りの廊下を歩きながら、自分が場違いな場所にいることを改めて感じる。
やはりレガリアを手に入れた者を悪意から守るための措置なのか。それとも、これから始まるであろう交渉を有利に進めるための巧妙な罠なのか。どちらか分からないが、警戒心するに越したことはない。
ホテル内の案内板を見つけると、受付カウンターの場所を探しそこへ向かうことにする。
「少し、お尋ねしたいのですが」
「はい。何かございましたでしょうか」
柔らかな笑みを浮かべる受付嬢は、洗練された立ち居振る舞いで丁寧に応じた。
「気を失って目が覚めたら、このホテルにいまして……どちら様が私を運んでくださったのか、教えていただけますか?」
「橘 瀬紀様でございますね。少々お待ちくださいませ」
彼女は内線電話を取り、受話器の向こうの人物と数度言葉を交わすと、確認した内容を瀬紀に伝えた。
「探索者協会のスタッフ様がお運びいたしました。そして、瀬紀様がお目覚めになるのを心待ちにしていらっしゃるとのことです。ご都合はいかがでしょうか?」
警戒をする必要はある。だがレガリアとの契約を自分が行えるのは探索者協会以外には思い付かない。なら──。
「大丈夫です。今からでもお伺いするとお伝え下さい」
そして案内されたのは、先ほどの豪華な部屋とは対照的な、機能的で落ち着いた雰囲気の部屋だった。重厚な木製デスクの奥には男が立っている。彼が探索者協会のスタッフなのだろう。だが、その小太りな体型と愛想の良い笑顔は、探索者協会が持つ無骨な印象とはかけ離れていた。
「おお、これはこれは。目が覚められましたか。私は黒崎と申します」
男――黒崎が親しげに話しかけてきたのは、警戒心を抱かせないためだろう。
「まずは、座ってゆっくりお話しましょう」
にこやかに勧められた椅子に腰を下ろすも、瀬紀は警戒心を解く事はない。
「瀬紀様、この度はレガリア獲得、誠におめでとうございます。しかしながら、レガリアの力は、個人の手に余るものです。つきましては、探索者協会にそのレガリアを譲渡していただきたいのです」
黒崎は、やはりというべきか、レガリアの譲渡を求めてきた。その言葉に瀬紀が返す言葉は決まっている──が、それを口にする事は無かった。黒崎が予想外の言葉を続けたからだ。
「と、まあ、これで上への義理は果たしました。ですが、申し訳ございませんが、あと少しだけ茶番にお付き合い頂けませんか?上に報告をしなければならないので。その代わり、レガリアの契約を今日中に済ませられるように手配をいたしますので」
「どういうことでしょうか?」
黒崎は、先ほどまでのニコヤカな顔から一転し、申し訳なさそうな表情を見せていた。
「実はお恥ずかしい話ですが、私の上司が、少々頭の残念な方でしてね。デモンズ・ハートにとって、レガリアは延命の鍵となるものだというのに、圧力をかけてでも手放させろとか……困ったものですよ。そこで瀬紀様にお願いがあるのですが……」
「お願い、ですか?」
これも計算の内だろうか?と警戒をしつつも、話を聞かない方が厄介な事になるのでは?という予感がしていた。
「ええ。瀬紀様は、斬鬼という二つ名を継承なされていると伺っております。申し訳ないのですが、斬鬼の名前を使って茶番に付き合って頂けませんか?あの上司のことですから、権力を使って瀬紀様に嫌がらせをするのは目に見えていますから。それを防ぎたいのです」
実際に嫌がらせがあるかは別にしても、レガリアの契約を今日中に行えるのはありがたかった。契約をしなければ、盗まれる可能性もあるためだ。
「分かりました。私自身のためにも協力させて頂きます」
「ありがとうございます。では、私が強引にレガリアの譲渡を迫ったあと、私が懐に入れているICレコーダーに気付いて下さい。その事に怒った瀬紀様が斬鬼の名前で正式に探索者協会に抗議をすると仰って下さい」
数分後、黒崎の演技指導のもと、二人は先ほどの会話をなぞるようにやり取りを始めた。そして瀬紀が最後に「これがお前らのやり方か!斬鬼として、探索者協会に対し正式に抗議させてもらう!!」と怒鳴ると、黒崎は泣くような声で謝罪の言葉を並べた。
茶番は終わりだ。
ここまでの会話を録音した彼のICレコーダーが、上司の指示を守った証拠にもなるのだろう──もっとも、上司の不都合なセリフが入っていたら、別の使い道も出来るのだが、それは瀬紀が気にすることではない。
黒崎は電話を取と、手際よくレガリアの契約手続きを進めていく。
契約のための装置は、黒崎が所属する部署とは別の部署が管理しているらしい。だが、本来特例であるはずのレガリアの契約が、あまりにもスムーズに進みすぎている。これでは、事前にそちらと話がついていたと考えるのが自然だろう。ひょっとすると、自分は探索者協会の厄介事に巻き込まれたのかもしれない。そう思いながらも、それを瀬紀が口に出すことはなかった。
また、セキュリティの高い高級ホテルに運び込まれたにもかかわらず、肝心のレガリアは瀬紀の枕元に放置されていた。これは例の上司が部下に命じて盗むのを避けるためだったのでは?とも考えたが、やはりこれも口に出すことはなかった。
「では探索者協会の方に移動しましょう。到着するまでには、準備が終わっているとのことです」
黒崎の案内で、瀬紀は再び探索教会へと足を踏み入れる。そして、これまで入った事のない建物の奥へと案内された。
そこにあったのは、異様な装置だった。
巨大なコンピューターと、その手前には黒曜石のような光沢を放つ金属製の台座が設置されている。この台座の中央には不可思議な模様が刻まれた妖しい球体が嵌められていた。
「これが、レガリアとの契約装置です。デモンズ・ハートの心臓に刻まれた文字を解読し、応用したものでしてね。本来なら数日はかかる契約を、瞬時に終わらせることができます。さあ、こちらへどうぞ」
黒崎に促され、瀬紀は台座の前に立つ。
「では、レガリアを台座の上に置いてください。その球体の近くがいいですね」
瀬紀が銀色の金属でできた本――レガリアを、指示された場所に置くと、次の指示が出される。
「あとは、この黒い部分に触れたまま、しばらくお待ちください」
言われた通り、瀬紀が黒い板に触れる。すると光が手をなぞるように走ったが、すぐに消えてしまった。
「あっけなかったでしょう?これで契約は完了です。試しに、レガリアの名前を呼んでみてください。それはサイバーグリモワールと呼ばれるはずです」
サイバーグリモワール。
口に出すのは、いささか気恥ずかしい響きだ。なにしろ26歳なのだ。厨二病扱いはキツすぎる。
しかし装置に細工がされていないか、確認しないわけにはいかない。
「サイバーグリモワール」
その瞬間、台座の上に置かれていた銀色の本が、瞬時に瀬紀の目の前に姿を現した。
「あとは、実際に使ってみる必要がありますが、使い方までは私には分かりかねます。契約者がレガリアを呼び出した状態で瞑想し、意識を集中することで、その力の本質を理解できるとされています。そこまで行えて初めて、レガリアとの本契約をした状態になります」
黒崎の言葉に頷きながら、瀬紀は一度、自分の部屋に戻ることにした。
サイバーグリモワールの力を、自分が引き出せるのだろうかという不安を抱えたまま──。
探索者協会から出て、しばらく歩く。
背後から忍び寄る気配に、瀬紀はすぐに察知した。
『レガリアを人前で出したのは、やはり軽率だったか……』
思い出すのは、レガリアを所有する赤い鎧の魔物を倒して、探索協会に戻った時のこと。あのときは、今にも倒れそうだったため、後の展開にまで気を配る余裕はなかったから、仕方がないとも言えるが。
そのまま警戒を続けながら路地をいくつか曲がった、その時であった──。
「やあ、瀬紀ちゃーん。レガリア、ちょうだい♪」
軽い調子で声をかけてきたのは、初めて顔を合わせる人物であった。
だが、関わったら面倒事を運んでくるタイプであるのは、簡単に予想できる風貌でもある。
けばけばしい金髪を逆立たせ、耳にある無数のピアスが光を反射している。安っぽいサングラスの奥では、他人を見下しているのがハッキリとわかる。
刃嶋――最近この街に来たばかりのチーマーのリーダーだったはずだ。確か隠密系の特性を持つ、デモンズ・ハートだと聞いた記憶がある。ここまで気配を悟らせなかった事を考えれば、その情報は正しかったのだろう。
「お断りだ」
瀬紀の言葉を聞くも、刃嶋ニヤついたままだ。
「残念でした。瀬紀ちゃんに、拒否権なんてあ・り・ま・せ・ん・よ」
その言葉とほぼ同時に、瀬紀は体を捻り、迫りくる金属バットを紙一重でかわした。だが、それだけでは終わらない。瀬紀は相手足を払うと、体勢を崩れたのを見計らい背中に強烈な一撃を見舞う。
そうして地面に叩きつけた瞬間、さらに瀬紀は腹を蹴り飛ばした。
「素人か」
この街で、この程度の腕でケンカを吹っかければ、翌日にはドブ川に浮かぶことになる。運が良ければ、実力差があり過ぎて、手足の骨が折られる程度で済むかもしれないが。
「うっそ…………おい、全員でやれっ!」
呆然とする刃嶋だったが、即座に次の指示を出すあたり、ただの雑魚ではないのだろう。
指示と共に、取り巻き達の振るう金属バットや鎖が、雨のように瀬紀へ襲いかかる。
彼らは常軌を逸した速度で動いていた。常人であれば、よくて身を守る程度しかできない――そんな速度で。これがデモンズ・ハートの動き。彼らが、その力を行使する時、白目は黒く染まり、瞳孔が紅く輝く。今、目の前で戦っている彼らのように。
だが、瀬紀はいずれの攻撃も容易く見切り、無駄のない動きで回避していく。
力を行使しようとも、力を扱う技量には隔絶した差が存在する。人の攻撃とは比べ物にならないほど鋭く重い刃嶋達の攻撃。しかし瀬紀は涼しい顔で、迫り来る攻撃をいなし転倒させ、地面に転がる彼らの腹についでとばかりに蹴りを叩き込んでいく。
あまりにも一方的な展開に、刃嶋達は退くタイミングを失っていた。だから、遠くから聞こえたけたたましいサイレン音で救われたのが彼らだったのは確かだ。
「帰っていいぞ。警察沙汰は面倒だからな」
そう言い残すと、未だに敵が転がっているにも拘らず、瀬紀は背中を向けてその場を後にした。