1話 悪魔とレガリア
世界の技術は、生贄を糧に進化を続けている。
生贄の名は、デモンズ・ハート。
死から蘇る際、心臓に禍々しい紋様が刻まれた者達。
彼らに与えられた寿命は三年。
だが、ダンジョンの深淵に近付くほど、残された時は微かに延伸する。
故に、彼らはダンジョンの奥底を目指す。
しかし、ダンジョンに挑むのはデモンズ・ハートだけではない。
彼らが持ち帰る未知の資源は、技術の深化を脅威的な速度にまで押し上げる触媒となる。
そのため、世界もまた彼らがダンジョンの深層を目指すことを渇望していた。
※
湿気が肌にまとわりつく、ダンジョンの奥深く。闇に紛れて、一人の男が獲物を待ち構えていた。
光源のない、この空間であったが、男には真昼よりも鮮明に周囲が見えている。
全身を覆う、鈍い光沢を放つ銀色のサイバーアーマーの機能だ。この科学の鎧に供えられたセンサーが、闇の奥底まで男に覗かせていた。
獲物はレガリアを所有するモンスター。
だが相手は、来るか分からない獲物。それも圧倒的に自分よりも格上ときている。それでも、残りの命を全てを賭けてでも成し遂げなければならない。そうしなければ──。
張り詰めた静寂の中、遠くから微かな足音が近づいてくる。ここで獲物を逃がすわけにはいかない。己の呼吸と心音を伏せ、時が来るのを待つ。
湿り気のある地面を踏みしめる音と、鎧が擦れ合う軋みが混ざり合う僅かな音ですら、今は気を配らねばならない。男は気付かれぬよう、己の動きを最小限に止め、獲物の足音に意識を向け続ける。
そして、視線の先に赤い影を捉えた。
全身を真紅の鎧で覆った人影。
血染めの鉄塊を連想する真紅の鎧。各パーツは鋭利なエッジを持ち、所々に刻まれた禍々しい紋様が、赤黒く光を放っている。頭部は深くフードで覆われ、覗き見える隙間からは紅蓮の炎が漏れ出ていた。
『ようやく……』
男の口元を歪ませると、手にしたボタンを強く押した。
轟音と共に、足元の地面を激しく揺さぶる。爆風と共に舞い上がった土煙が視界を奪う。やがて、それが晴れたとき、崩れ落ちた岩が赤い鎧の行く手を塞いでいた。
このとき、すでに男の姿は元の場所には無かった。
彼は身を翻し、背後の岩陰へと移動していたのだ。
赤い鎧は、爆発でできた行く手を瓦礫に阻まれ、どう動けばいいのか判断に迷っている──狙い通りだ。
男が再びボタンを押す、
赤い鎧の足元で鋭い金属音が響く。無数のワイヤーが地中から飛び出し、獲物の足に絡みついた。
それは”スパイダー・スレッド”と呼ばれる特殊合金製の極細ワイヤー。ナノレベルで編み込まれた繊維は、鋼鉄すら容易に切断できない強度を持ち、表面には微細な棘が無数に仕込まれている。一度絡みつけば、獲物の動きを封じ、逃れることは困難を極める。
赤い鎧の動きが止まる。
男は追撃の手を緩めない。再びトラップを作動させる。
「最終認証──スローカウント、イグニッション」
彼がサイバーアーマーに指示を出すと、最終局面に向けてのカウントが始まった。
──3──
赤い鎧の頭上からネットが落下する。それは動きを封じる二重の罠。
特殊な高分子繊維で編まれたそれは、赤い鎧を完全に覆い隠す。
男はさらに距離を取り、次なるトラップを作動させる。
──2──
床の一部が陥没する。赤い鎧はネットに覆われたまま、深さ数メートルの穴へと落下していった。
着地の衝撃は大きいだろう。
しかし、倒せないのは分かっている。特別な力で止めを刺さない限り、やつらは殺せないのだから。
それでも、これで逃げ場をなくすことはできた。
男が再びボタンを押すと、赤い鎧に向けて無数の小型爆弾が射出される。
着弾と共に、穴の中に濛々とした紫色の煙が立ち込め、赤い鎧の視界を完全に奪った。
その煙の中には、微細な金属片――チャフが混入しており、センサー類を狂わせる効果がある。魔物の中には、センサーのような感覚を持つ者もいる。赤い鎧が、その類であった場合を考慮した対策だった。
──1──
数秒後、紫色の煙がゆっくりと晴れていく。
やがて完全に視界が戻ったとき、男は既に穴の奥──赤い鎧の背後に立っていた。そして左手の甲から伸びた漆黒の刃は、赤い鎧の左脇腹を深々と貫いている。
刃の名は、デッドリー・ブリンガー。デモンズ・ハートが持つ切り札である、マキナと呼ばれる兵器の1つ。
全ての罠は、この瞬間に繋げるための複線。Noナンバーである彼には、小細工を重ねる事でしか、この瞬間に辿り着く事は抱きなかった。
そして最後の瞬間は、無機質な電子音共に訪れる。
──0──
男がバネ仕掛けのように勢いよく後方へ跳躍した。
手甲と黒刃を繋ぐワイヤーは、宙に放りだした蛇のようにその身を躍らせる。
直後、手甲に内蔵されたバッテリーから高圧電流が流れた。
ワイヤーを伝わり刃へと──それは赤い鎧の内部を焼き焦がし、断末魔の叫びをあげる間も与えない。放電の閃光が、ダンジョンの奥深くを蒼白く照らし出した。
だが、その瞬間は、男が最も無防備になる時でもあった。
彼を認識すると共に、赤い鎧は脅威的な脚力で迫り、鋼鉄の腕を振り上げ──。
※
デモンズ・ハート――それは、死の淵から蘇った者たち。
彼らはダンジョンに潜り、命を繋ぎ止める代わりに、明日をも知れぬ危険と常に隣り合わせだ。
しかし、死から蘇った代償として、彼らにはいくつかの特殊な力が与えられる。その一つが特性。
ある物は業火を操り、別の者は稲妻をその身に宿す。中には常識を覆す速度で疾走する者がおり、中には強大な魔物を従える者がいる。
その特性は、肉体強化を得意とするならば「1」、魔法のような遠距離攻撃に特化しているならば「2」。そして、いずれにも該当しない特殊な能力は「3」と区分されている。
しかし、ごく稀に、神、もしくは悪魔に見放されたかのように、特性を一切与えられずにデモンズ・ハートとなる者が存在する。能力を持たないが故に、彼らには特性を示す数字も存在しない。故に――No.Noと呼ばれた。
鈍い銀色のサイバーアーマーを身に纏った男――瀬紀は、重い鎖を引きずるように、尖鋭的なデザインの施設へと足を踏み入れる。満身創痍の彼に、一人の屈強な男が駆け寄った。
「おいっ、瀬紀っ!一体何があった!」
「……悪い」
瀬紀は掠れた声で続ける。
「今にも気を失いそうなんだ。説明は、後でさせてくれ」
喉は渇き、声を発するのも辛い。
デモンズ・ハート特有の驚異的な回復力によって出血は既に止まっているが、傷が彼の肉体に与えた負荷は計り知れない。本来であれば着用禁止のサイバーアーマーを脱がないのは、そのサポート機能なしには一歩も歩けないほど消耗しているからだった。
「チッ、おいっ!そこの連中、道を空けてやれっ!!」
駆け寄った男の低い咆哮と共に、他のデモンズ・ハートたちが露骨に嫌な顔をしながらも道を譲る。
だが、誰も彼に肩を貸そうとはしない。これは親切心にかこつけて近付き、憎悪の対象を討つという事態を防ぐための、彼らなりのルールだった。
「……すまない」
瀬紀は、小さく謝罪の言葉を呟きながら、よろめく足取りでカウンターへと向かう。
「流阿さん……ご用件を」
カウンターの奥に立つ受付嬢は、事務的な口調で用件を促した。瀬紀は尋常ではない様子だったが、限界が近い事を感じていたからだ。これ程の自体で、この場に来るのだから、急がない理由があるのだと察していた。
「レガリアだ。所有者登録と契約を頼む」
カウンターに金属製の本を差し出すと同時に、彼の意識は絶えて、その場に崩れ落ちた。