ランカー
ディアンとアリスは海水で血を流した後、船に引き揚げられた。
皆が安堵の息を漏らす中、班長であるリョウは無力だった自分の情けなさに涙を堪え、頭を下げる。
「ごめんなさい。助けに行けなくて」
「仕方ないだろ。あんな状況、どうしようもない。それよりも逃げていなかった方が驚きだ」
「それはそうなんだけど、ディアン君を置いては行けないよ。ね、アリスちゃん」
「え!?」
自分に話が振られるとは思っても見なかったアリスは、何とも情けない声を上げる。
そもそも何でこちらに話を振ってきたのか。
船上での出来事を思い出すと、アリスは恥ずかしさで耳が赤くなる。
そんな様子を見てか、オウセイも話に混じってくる。
「凄かったんだぜ、アリスちゃんは。お前が海に引き摺り込まれると、真っ先に助けようとしてよ。俺達がここから離れようっつってもダメだって。なぁ?」
「お二人の友情に私、感激いたしました」
オウセイに続き、ナナミまでも追従してくる。
自身の行動を告げられ、顔まで真っ赤になっていくアリス。
穴があったら入りたい。だがここには逃げ場なんてない。
「そういえば」
リョウは意地悪い表情をアリスに見せて言葉を続ける。
「アリスちゃんのファーストキスってディアン君だったの?」
「……ッ!!??」
ディアンを助けたい一心でとった行動。
一段落ついて安堵した事で、頭の片隅に押しやられていた、重要過ぎる行為。
それが別の視点から見た時、何を意味するのか。
「えっ? いや……それは……その……。あっ……」
アリスの顔は耳だけでなく顔まで真っ赤になった。
茹でダコなんて非にならない程、真っ赤になった顔。分厚いステーキでさえこんがりと焼けてしまいそうだ。
しどろもどろしているアリスにリョウは追撃を仕掛ける。
「ヒュー、青春だね! ディアン君もこれは責任を取るしかないねぇ~」
リョウは「どうなんだい? ううん?」と言わんばかりの様子で後ろ手を組み、ディアンに歩み寄る。
だが恥ずかしさが臨界点に達しそうなアリスとは対照的にディアンは至って冷静。あっけらかんとしていた。
「いや、取らないが」
「え?」
予想だにしない返答にリョウは手を組んだまま固まる。
「小娘のお陰で助かったのは事実だ。だがこんなガキはオレ様の守備範囲外だ」
更に予想外の返答にリョウは思わず絶句する。
「い……いやいや、嘘だよね。女の子のファーストキスだよ? え、分かってない? この重大さが」
「オレ様には関係ない」
全員がこの時思った。
もう少し寄り添う姿勢を持ってもいいのではないかと。
それに加え、これは吸血鬼だからではなく、コイツ単体の原因だと。
そんなカス男ムーブにアリスの火照りもすっかり冷めてしまった。
「何だ?」
ムスッとした表情で近付いて来るアリス。
ディアンが疑問を投げ掛けると、これが答えだと言わんばかりの勢いでディアンの股下を蹴り上げる。
「!?!?!?!?」
油断した状態でのクリティカルヒット。
ディアンは脂汗を流して、その場に崩れ落ちる。
「おまっ……バカ野郎……」
クリティカルヒットした箇所を抑え、静かに悶え苦しむという、普段の冷静沈着なディアンとは異なる姿を見る事もなく、アリスは「死ねカス!」とだけ言い残して船室へと消えていった。
そして他の職員もディアンに一切手を貸す事なく散っていく。
柵にもたれリョウは呟く。
「まさか海にヨグドスがいるなんてね。でもこれで調査も終わりじゃない?」
リョウの言葉にディアンフラフラと立ち上がり、考え込む様な顔をする。
「いいや、どうだろうな。証言にあったヨグドスとは形状が違う」
そう。生還者からの報告では【巨大なカマキリに教われた】となっている。
ディアンが対峙したのは人魚型のヨグドス。
腕のヒレをカマと間違える事があったとしても、証言するなら【人魚に襲われた】であり、カマキリなんて単語が出てくる筈がない。
「嫌な予感がするな」
ディアンは島の様子確認の為、操舵室に移動する。
「島との連絡はどうだ?」
「今は誰もでない。急ぐぞ」
「頼む」
ディアンの考えを理解しているのか、ソウジロウは必要最低限の会話のみで船の速度を上げる。
「何もないといいが……」
ディアンは危惧するように呟く。
それは言霊か。ディアンの呟きは、残念な事に的中してしまう。
島内にいるナガレ達はヨグドスと対峙していた。
※※※
リョウ班が出発後、ナガレ達は雨に打たれる中、探索を開始した。
ぬかるむ地面に草木を通じて滴り続ける水。
億劫になる状況だが、人類の安全の為、休んでいる暇はない。
一人残ったナガレはコトネのいるジェリノ班に入り、捜索を行う。
そして昨日と同じく班ごとに別れて森を捜索していると、ナガレの持つ小型の無線機から黒土班の声が響く。
「……グドスです! 証言にあ……カマキ……」
同時に信号弾も打ち上げられる。
この作戦において無線は緊急時以外に使用はせず、信号弾での連絡を推奨している。
それは一目で状況を理解出来るから。
赤色の信号弾はヨグドス発見の合図。同時に戦闘を開始した合図でもある。
それに加えて無線での連絡。
考えたくはないが状況はよくない可能性が高い。
「全員警戒態勢! 今から合流に向かう。気を抜くなよ」
「どうか無事でいてくれ」ナガレは急いで向かう中で、そう願う事しか出来なかった。
そして草木を掻き分け辿り着くと、そこには言葉を失う光景が広がっていた。
海岸沿いの砂浜。そこに染み込む鮮血達。
あったのは血にまみれ砂に埋もれる黒土班の姿だった。
「藍川! 生存確認急げ! 残りは襲撃に備えろ!」
藍川と呼ばれた女は黒土班の生存確認の為に走り、他のメンバーは神経を張り巡らす。
ヨグドスの姿は見当たらない。
だが森を抜けて来た自分達と鉢合う事もなく、姿を消した。
逃げた足跡が見当たらない事から空に逃げた可能性もある。
「あいつら、このタイミングを狙っていたのか……?」
今日の天気は曇り。分厚い雲が太陽光を通さない。
そうなればヨグドスは日中でも少しなら動く事が出来る。
人間サイドが特に警戒を強めるのは、ヨグドスの活動時間である夜だ。
そこで精神を磨り減らさせてからの奇襲。
そこまで考えられていたとすれば、相当厄介な敵になる。
今も何処かから狙っているのかもしれない。
緊迫した時間が流れる。
瞬間、森の草木が揺れた。
「待て!」
なの制止の声よりも、誰よりも速く、コトネが武器を構えて突っ込んで行く。
武器を振り下ろすコトネ。だがそこにいたのはヨグドスではなかった。
「ま、待ってくれ! 俺だ。車田だ!」
現れたのは駆け付けた車田班。
班長である車田は両手を挙げ、敵ではない事をアピールする。
ギリギリの所だった。
首元に触れるか触れないかの所で止めた刀をコトネは下げる。
そして何を言う訳でもなく踵を返した。
それについて車田班のメンバーも森から出てくる。
「隊長。ヨグドスが現れたと……」
車田は状況を確認しようとナガレに声をかけるが、途中言葉を失う。
ナガレの背後に倒れる、黒土班のメンバー。
その隣で静かに涙を流す藍川の姿に全てを察する。
そして静かに言葉を漏らす。
「黒土班は……」
その答えを持っている藍川は涙を拭うとナガレの元まで来て報告をする。
「全員死亡しています」
「そうか」
淡々とした返事だ。だがそこには確かに悲しみが含まれている。
しかしそれを表している暇はない。
死んだ者達を想うのなら、今やるべき事は喪に服すのではなく、これ以上犠牲を出さずにヨグドスを討伐する事だ。
その為にも一刻も早くヨグドスを見つけなければならない。
ふとナガレの中に違和感が生まれる。
「どうしたのですか!?」
藍川の言葉を背に、黒土班の遺体の元へ行くと、ナガレはその体に付いた傷を確認する。
「まさか……」
下半身に集中している傷。きめ細やかな砂に凹凸の目立つ砂浜。
森の中で見つけた死体とは異なる殺害状況。
確信はない。だが雷に打たれた様な衝撃が全身を駆け巡る。
「足元警戒! コトネ! 地面を揺らせ!」
「震嵬伝播!」
コトネが刀を地面に突き立てると、発した言葉に共鳴する様に刀が震え出す。
まるで悲鳴の様な甲高い音を発し、震動は広がる。
地震の如く揺れる大地。
刀一つで起こされたその揺れは砂を内部から押し上げる。
波の様に揺れる砂は間欠泉の如く砂を巻き上げる。
そしてその中には15体のヨグドスが潜んでいた。
「見つけたっ……!」
何が起きたのかと慌てふためくヨグドス。
コトネは刀を構えると、ヨグドスが状況を理解する前に斬り込みにかかる。
中型犬程の大きさでモグラに似た容姿。スコップ状の爪は柔らかい砂地ならば容易く潜る事が出来たのだろう。
地面からの奇襲。
それで黒土班は殺られた可能性が高い。
だが今はそのアドバンテージはない。
逆に空中という翼もないモグラ型ヨグドスにとっては最悪の状況。
コトネは5体程固まっている箇所に突撃すると、ヨグドスが気付く間もない程の斬速で全て斬り伏せた。
「あのバカ」
打ち上げた瞬間、全員で発砲すれば安全に対処出来たかもしれない。
だが、そんな事は関係ないコトネの行動によって、動きが変わってしまう。
「コトネが打ち漏らした奴を対処しろ!」
流石は訓練された職員。
全員慌てる事なく自分のやるべき事を理解する。
そんな中、ナガレだけは別の動きをする。
両腕に付いた籠手の武器を作動させる。
するとコトネの足元に透明な盾が現れる。
ヨグドスを斬り伏せたコトネもまた空中での身動きが取れなくなっていた。
だが、ナガレが生み出した盾により足場が出来た。
一撃では終わらない。コトネは盾を蹴り、他のヨグドスも斬り捨てる。
その刃の斬れ味は凄まじく、モグラ型ヨグドスの爪のガードを粘土でも斬るかの様に容易く両断する。
コトネの動きに合わせて次々と設置される盾。
ナガレを信用してるのかコトネは迷う事なく突き進んでいく。
「やっぱすげぇ」
職員の一人が感嘆の声をこぼす。
たった一人でヨグドスを殲滅していく。
取りこぼし等なく、一瞬にして残り一体までヨグドスは数を減らした。
これで最後。
コトネは全力で刀を振るった。
しかし、その刃は火花を散らし、もう一つの刃に受け止められた。
それまで眉一つ動かなかったコトネの顔に力が入る。
「カカカ! 雑魚共は殺せても俺様は殺せねぇよお!」
他のヨグドスとは違う。カマキリの様な腕に蛇と似た胴体。そして絶え間無く動く複眼。
知性あるヨグドスは人間に近い形になり強敵である確率が高くなるが、目の前のヨグドスに人の面影はない。
だがそれは容易に倒せる相手である訳ではない。
知性があろうとなかろうと強敵はいる。
そして今目の前にいるのは知性を持ったヨグドスだ。
人形でなくとも強敵である事は確定。
そしてコイツが生存者の証言にあったヨグドスだ。
「殺す」
「やってみろよ!」
互いの刃が交じり合う。
残像と共に火花が舞い散る。
二刀流vs一刀流。手数で言えばヨグドス側が有利だ。
しかし一撃の威力はコトネの方が上。その勢いは凄まじく、ヨグドスは攻撃を受け止める度に体勢を立て直す必要がある。
故に互角。互いに一歩も引く事なく攻撃し続けながら落ちていく。
そして地面に激突する瞬間、互いに弾き合い、距離をとって着地した。
「カカカカカ。そこらの兵士とは違うらしい。だがその程度じゃ俺様には勝てねぇよお!」
空中ではただ打ち合うだけだったが、地面での戦闘はそうはいかない。
蛇の様な体躯は砂を滑る様に移動する。
人間の体とは違い、動作の起こりが見えない。
突発的な動きは人の目を翻弄する。
そして低姿勢の移動は必然的に戦闘範囲を狭めさせ、戦いにおける優位性を確保させる。
圧倒的なまでにコトネに不利な状況。
現にコトネは下方への攻撃を捌くのみで、攻撃に転じる事が出来ずにいた。
「隊長! 発砲許可を!」
「ダメだ。今撃てばコトネに被弾する」
「し、しかし」
コトネの身を案じ助けに入ろうとする男性職員。
だがナガレは許可をせず見守っていた。
下手に助けに入ればコトネに危険が及ぶ。
だが万が一にはナガレも手助けをするつもりでいた。
「お前達は周囲を警戒していろ。コトネは俺がどうにかする。安心しろ。アイツは強い」
「……分かりました」
信頼を置いた発言に男性職員は形だけの納得を示すと、周囲の警戒に移る。
そんな男性職員に一人の女性職員が近付いて来て耳打ちする。
「新人君、この前説明受けたでしょ。コトネさんは【ランカー】だから心配しなくても大丈夫」
「でも……」
「ランカーは私達とはレベルが違う。アイツくらい余裕で倒すわ」
不安がる新人とは異なりは女性職員はコトネの勝利を確信している様な態度をとる。
それは裏付けられた実力故であり、この場でコトネの心配をしているのは、新人の男性職員一人だけしかいなかった。
そうこうしている間も戦闘は続いている。
尚も防戦一方のコトネ。
そこにナガレは声をかける。
「手貸してやろうか?」
「うるさい」
「大丈夫そうだな」
足元ばかり守る戦いは通常の戦闘ではあり得ず、通常の戦闘よりも神経と体力を磨り減らす。
だが返事をする余裕がある。それはつまり手助けはいらないという意思表示に他ならない。
「鬱陶しい」
足元をチョロチョロとするヨグドスに苛立ちを覚えるコトネは不満を口にする。
しかし、言葉にしたところで戦況は変わらない。
コトネは斬り付けるヨグドスの刃を刀で受け止めると、その勢いを利用して大きく後ろに飛んだ。
そして地面に足が触れた瞬間、砂煙が舞い上がる程の勢いで地面を蹴る。
敵の攻撃も姿勢も関係ない。
相手が動く前に叩き斬ればいい。
「震刀共羅」
コトネの言葉に呼応して震え出す刀。
目にも止まらぬ速度で距離を詰めるとコトネは全身全霊の勢いで刀を振り下ろす。
その威力は凄まじく、爆発したかの様に砂が舞う。
「ウギャァァァァーーーーー!!!!」
砂煙の中から響く悲鳴。
それはヨグドスのものであり、同時に生存を確定させるものだ。
砂煙を突き破りヨグドスが姿を現す。
右腕が肩から消し飛んだ。
受け止めた筈だった。それなのに、敵の刃はまるで熱したナイフでバターを切るが如く、易々《やすやす》とこちらの刃ごと斬り裂いた。
直前で身を翻さなければ胴体ごと斬られて死んでいた。
「何なんだよ! おかしいだろ!」
それまでは打ち合っていたのに。なのに何故。
考えたところで答えなど出ない。
分かっているのは勝てる相手ではなかったという事だけ。
戦略なんて圧倒的な力の前には無力だと突き付けられた。
ヨグドスは脱兎の如き勢いで森へ向かって逃げる。
血が道標の様に跡を付けるが、森に入ってしまえば関係ない。
まずは回復に努め、復讐の機会を伺う。
だがしかし、そんな事を人間サイドが許す筈もなかった。
突如としてヨグドスは黄色い透明な球体に閉じ込められる。
「な、何だよこれ!」
無から現れた壁は叩こうが斬ろうが傷一つ付かず、びくともしない。
暴れるヨグドスの前に壁を挟んでナガレが現れる。
壁を叩き喚き散らすヨグドス。
だがその声は球体の外には届かない。
「余計な事しないで」
コトネは文句を言いながら
「そう言うなよ。逃がす訳にはいかないだろ」
「逃がす気はなかった」
「そうかい」
外からの声も聞こえない為、ヨグドスには二人のやり取りが自分をバカにしているとしか感じられず、さらに荒ぶり、中で暴れる。
そんな状況でも二人は至って冷静。それどころかヨグドスを気にする様子すらない。
「コトネ、構えろ。開けるぞ」
「命令しないで」
文句を言いつつもコトネは武器を構える。
それまでの刺々しいオーラは沈み、水面の如く静かなオーラが顔を出す。
空気が変わったのを察したのか、ヨグドスも冷静さを取り戻し、そして覚悟を決める。
「クソが……やってやる。俺様は最強! シーザー様だ!」
残っている左の刃を構えるシーザー。
壁が消える。互いに刃を振るう。
初撃を外せばそこで終わり。
シーザーはコトネの首元目掛けて刃を振るった。
避ける素振りはない。
「勝った」シーザーは確信した。
だが、次の瞬間にはシーザーの腕は宙を舞っていた。
「ふ、ふざけ―――ッ」
そして頭も空を舞う。
視界が360度回転し続ける。
意識と共に視界が霞んでいく。
『こんな……ところで……』
地に落ちた複眼は静かに光を失っていった。




