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水に溶ける

 幸か不幸か、何も起こる事はなく夜は明けた。

 しかし日は拝めず、雨が肌に打ち付ける。

 だがそんな中でも休む事は許されない。

 動きを制限する危険性もある為、職員は雨合羽を着る事も出来ず、雨に濡れながらヨグドスの捜索をする事となる。

 そんなコンディション最悪の中、さらなる問題が降りかかる。

 捜索出発の為の準備をしている最中、突如として無線機が電波を受信する。


「助け……船が…………れる……けて…………」


 雑音混じりで殆ど聞き取れない。

 だが無線機を通して悲痛な叫びが響いてくる。

 聞こえた言葉から察するに難破したのだろう。

 ナガレはすぐさま指揮をる。


天音あまね、難破船の救助を頼む。お前が俺の班を指揮して救助に向かえ。アリスとディアンも連れてな」

「お二人を連れてですか?」

「アリスを一人ここに置いておく訳にもいかん。ディアンは空を飛べるからな。救助も楽に出来るだろ」

「篠崎隊長がそうおっしゃるなら」


 リョウは指示を受け入れると班員を指揮して船を出す。


「ソウジロウ君、お願いね」

「面倒な事押し付けやがって」


 ナガレ班改めリョウ班はソウジロウの運転の元、難破船救助へ向かうのだった。

 雨は降っているが海はそこまで荒れておらず、運航には問題ない。

 甲板で難破船を探す最中、アリスは自分の立ち位置に不安を感じていた。


「ねぇ、私こっちにいる意味あるのかな?」

「あるだろ」

「そうかな」

「島にいる方が邪魔になる」

「……そうだよね」


 うつむく視線にディアンは気が付かない。

 アリスも悟られまいとしたのか、すぐに顔を上げて捜索を再開するのだった。

 そして捜索から数十分。

 短時間で難破船は見つかった。


「あったぞ!」


 オウセイの声が響き渡る。

 視界の先には小型船が漂流している。


「ソウジロウ君、お願い!」

「分かっているが、この荒れ具合だとギリギリまでは無理だ」

「大丈夫。ディアン君がいるから」


 ソウジロウが船をある程度近くまで持っていくとリョウはディアンに指示を出す。


「お願いディアン君。難破船を見て来てほしいの」

「分かった。小娘、一応吸血させてもらう」

「はいはい」


 万一に備え、ディアンはアリスの血を吸うと、翼を広げて難破船へと降り立つ。


「助けに来たぞ」


 しかし、そこには誰一人として船員は存在しなかった。

 ディアンはくまなく調べるが、船が壊れている様子もない。


「落ちたのか……?」


 落ちてしまう程海は荒れていない。

 それにも関わらず全員が船から落ちる。そんな事があるのだろうか。

 疑問を抱いたまま操舵室に行くと、ディアンはそこで不可解な光景を目にする。

 異様なまでの水浸し。雨が降っているのだから当たり前だろうと考えられるが、ディアンは何かが引っ掛かった。

 そしてその疑問は疑念となり、確信へと至る。

 その場にしゃがみこみ、水を確認したディアンは大急ぎで操舵室から飛び出る。


「全員逃げろ! これはヨグドスの仕業だ!」


 だが時既に遅し。

 声がアリス達に届くと同時に、巨大な波が小型船ごとディアンを呑み込んだ。

 アリス達のディアンを呼ぶ声が空に響く。

 しかしその声は雨音と海面にへだたれ届く事はない。


『何が起きた!?』


 荒れる波に揉まれる中、ディアンは何とか平静を保っていた。

 慌てればそれだけ適切な対処が出来なくなる。

 貴重な酸素を無駄にしない為にディアンは心の中で深呼吸をして、状況を理解する為に辺りを見渡す。

 すると目の前からやって来る何かが見えた。

 水に溶け込み美しく揺れる青の長髪。水中にいても光が当たると存在感を示す琥珀色の目。そして何よりも特徴的なのは女性の上半身に光を反射する大きな鱗が目立つ魚の下半身を持つ風貌。

 まさしく人魚。

 その美しい容姿に見惚れてしまっても不思議はないが、ディアンに限ってはそんな事はあり得なかった。


「ふふ、まさかそんなに落ち着かれるとは思わなかったわ。だって他の人間はとっても愉快だったんだもの」


 目の前にいるのは人間でもなければ人魚でもない。ヨグドスだからだ。


「いいわよ、何も言わなくて。あなた達は水中じゃ喋れないものね。だから全部答えてあげる。私が船にいた人間を消した犯人。そしてあなたをここに招いた犯人よ」


 しっかりと言葉を話し、やり取りが成立する。

 高知能な個体。即ち強敵だ。

 人魚のヨグドスはディアン周りをすいすいと移動する。

 自身のテリトリーに招き入れた事で完全に舐めている。

 先手必勝。ディアンは歯で指を切ると棘を飛ばそうとする。

 だがしかし―――


『操作が……ッ!』

「あはは! 無理に決まってるじゃん。ここは水中。血なんて水に溶けてくんだから。あなたはもうクモの巣に引っ掛かった蝶と同じなのよ」


 流れ出る血は瞬時に水に溶けて薄まっていく。

 それを見透かしていたヨグドスは高笑いしながら、スピードを上げて腕に付いたヒレで斬りかかる。

 防ぐ手段もない。水中では逃げる事もままならない。

 ディアンは咄嗟に体を丸め、防御体勢をとる。

 しかしヨグドスは正確に防御の隙間を縫って、ディアンの右脇腹を裂いていく。


「ガッ……!」


 痛みと衝撃で空気が漏れる。

 そんな様子をヨグドスは嘲笑う様に見ている。


「情けないものね! どれだけ強かったとしても水中(ここ)じゃ何も出来ないんだもの。ほら、まだまだ行くわよ!」


 ヨグドスは両腕のヒレを立てて、もうスピードで斬りかかって来る。

 防御したところで相手は360度何処からでも攻撃出来る。

 仮に防御出来たとしても、姿勢制御も出来ない水中では二撃目は防げない。甚振いたぶられて終わりだ。

 ならばやらなければならない事。それは反撃だ。

 相手の攻撃に合わせてこちらの攻撃を当てる。

 だが操血は出来ない。

 ヨグドスに対抗出来る武器。それは―――

 ディアンは腰に手を伸ばす。


「遅い!」


 ヨグドスの斬撃がディアンに直撃する。

 胸元への一撃。

 鋭利なヨグドスのヒレなら体は真っ二つだろう。

 だが、真っ二つになったのはディアンではなく、ヨグドスのヒレの方だった。


「お前、何を!」


 傷を付けられた事に怒りを表すヨグドス。

 血は使えない筈だった。それなら何故、こちらがダメージを受けているのか。

 その答えは見えていた。


「何だ……それは!」


 ディアンが手に持っているのは銀色に煌めくナイフ。

 ヨグドスには知るよしもない人間が造り出したヨグドスを滅する為の武器だ。


『万一に備え持たされて良かった。こんな形で役に立つとは』


 無理矢理持たせられた聖銀のナイフ。

 水中というディアンの力が封じられた場においては、最も頼りになる存在だ。

 対抗は出来る。だがそれでも不利な状況に変わりはない。


『水上に出なければ』


 敵の攻撃を捌きつつ水上に行かなければ、いずれ息が続かなくなる。

 最優先は倒す事ではなく、攻撃をいなしながら水面へと向かう事だ。

 ディアンは水面への移動を開始する。

 だが水中は人魚のヨグドスのテリトリー。

 簡単に逃げられる筈もない。

 そう思ったのだが、ヨグドスが追って来る気配はない。


『何をしている。何故追って来ない』


 ヨグドスの行動は理解出来ない。

 だが考えたところで答えが出る訳もなく、構っている余裕も時間もない。

 ディアンはそのまま浮上する。かに思えたが、突如として水流がディアンを翻弄し、海底へと引き摺り込む。


『何だ!? 何が起きている!?』


 上下左右が分からない程の激流。

 その中で一瞬見えたヨグドスの不敵な笑み。

 行く手を阻むこの水流を引き起こしているのがヨグドスである事は確定だ。


『船を呑み込んだのは、こいつが水を操ったからか……ッ!』


 水流から弾き出されたディアンは追撃に備え武器を構える。

 しかしヨグドスは依然として、その場でディアンの様子を伺う様に見ている。

 だがもうその行動に疑問はない。

 水を操る能力。そして人間や吸血鬼(ヴァンパイア)を本能的に殺さずにはいられないにも関わらず甚振いたぶり、遊ぶという知性を持った行動。

 ヨグドスの中でも上位種に入る存在である事は確定している。

 人魚のヨグドスの行動は強者の余裕というものだ。


『コイツのテリトリーに引き摺り込まれた時点で詰みだったって事だな。だが諦める訳にはいかない』


 道を切り開く手段はただ一つ。倒すしかない。


『だがどうする。アイツはオレ様に近付く必要なんてない』


 ただ溺死するのを待てば良いだけ。

 それで決着はついてしまう。

 先程の激流で更に空気がなくなった。急がなければ後がなくなる。


『一か八か。やるしかない』


 このままいた所で結果は見えている。

 ならば当たって砕ける覚悟でやるしかない。

 ディアンはヨグドスに向けて泳ぎ始める。

 だが水中に特化した体には追い付ける筈もなく、弄ぶ様にヨグドスは距離を取る。


「あはは! 私が近付いて来ないからって、こっちに来ようとしたの? 無理無理! 出来る訳ないじゃん! それに見たでしょ? 私の力」


 ディアンの周辺の水がドリルの様に渦巻く。


『こんな事まで……!?』


 そして渦巻く無数の水はディアンを襲う。

 まるで子どもが人形を引き裂き遊ぶ様に。ディアンは為す術もなく全身を抉られる。

 頼みの綱だった聖銀のナイフでは手も足も出ない。

 攻撃の手が止んだ時、そこには血に染まった海水の中で力なく浮かぶディアンがいるのみだった。


「あはははは! 滑稽ね! ご自慢の能力は使えず死を待つ気分はどう? 答えられる訳ないわよね! 安心しなさい。あなたが死んだら、次は上にいる人間共を順番に殺してやるわ。楽しみね!」


 死ねない。死ぬ訳にはいかない。

 ここで死ねばアリスも死んでしまう。


『打開策を探せディアン』


 空気も尽きかけている。

 もう長くは持たない。

 真っ赤に染まった海の中で、それでもディアンの戦意は消えない。

 深紅のまなこは赤く染まった海でも一際濃くヨグドスを睨み付ける。

 そしてその眼力はヨグドスの元まで届く。


「何よその目は! あなたに勝ち目はないのよ! さっさと諦めなさいよ!」


 体に走る電撃の様な衝撃。

 それは焦りか怒りか。それとも恐怖か。

 絶対強者として生きてきた人魚のヨグドスにとって知る事のない感覚だった。

 そしてそれをかき消すかの如く、ヨグドスはディアンに水の刃をぶつけ続ける。

 水に溶ける血飛沫。

 波に流され、気が付くと辺り一帯は文字通り血の海となっていた。

 そんな中でディアンは手を伸ばす。

 防御のしようもなく全身はズタボロ。空気も尽きた。ナイフも手放してしまった。

 そんな満身創痍の状態でもディアンは諦めない。

 握り潰す勢いで手を閉じる。

 その光景を目の当たりにしてヨグドスに再度電撃の様な衝撃が走る。

 だがしかし、何も起こる事はなかった。


「は、はは。何よ、最後の悪足掻き? 残念だったわね」


 血の波を全身に浴びながら、ヨグドスは沈み始めたディアンに悪態をつく。

 だがその言葉はもうディアンには届かない。


『すまないアリス……。オレの力がもっと強ければ、こんな所で死ぬ事もなかった。オレが弱いばっかりに……』


 視界が濁っていく。意識が暗闇に溶けていく。

 初めての死は苦しくはない。何も感じない。

 願わくば、アリスにも同様の死が訪れん事を。苦しみのない死を。

 だがどうしてか、その願いが聞き入れられる事はなかった。

 突如として視界は晴れ、意識は暗闇から引き上げられた。


『何が……』


 肺に空気が送り込まれてくる。

 それに加えて、唇に触れる柔らかい感覚。

 何が起きたのか。覚醒した脳は一瞬で理解した。

 そして同時に、ディアンは自身を復活させた原因を咄嗟に引き離す。

「何をしている。自殺行為だ」と怒鳴りたかった。

 だがそれを言える立場でもないし、言う理由もない。

 代わりにディアンは頭を引き寄せ、額を触れ合わせる。


『礼を言う』


 伝わったのかは分からない。

 だがアリスの顔は微笑んでいた。

 危険を冒して繋いでくれた、この命。無駄には出来ない。

 ディアンはヨグドスに向き直ると、アリスの行動に呆気にとられているのかヨグドスは固まっていた。

 だがそんな隙もすぐに消える。


「びっくりさせないでよ。何しに来たの? わざわざ来るとかバカでしょ」


 そもそも隙があったとしても、こちらは何も出来ない。―――これまでなら。

 アリスはディアンに腕を差し出す。

 既に吸血はしてある。追加で行っても本来変化はない。

 だがしかし極限状態故か、はたまた二人の信頼関係が造り出した結果なのか。

 それは新たな領域へと踏み入る。


「今更、何かしたって手遅れなのよ! もういい! 二人まとめて死ね!」


 ヨグドスは二人を串刺しにする為、水を操作する。

 だが何故なのか。操作範囲にある筈の水がピクリとも動かない。


「何で!? どういう事よ!?」


 焦るヨグドスを横目に、ディアンは手にアリスの足を乗せて放り投げる様に浮上させる。

 逃げて行くアリスを水を操作し殺そうとするヨグドス。

 だが一向に操作出来る気配がない。

 こんな事になったのは少女が来てからだ。

 しかし、少女が何かした様子はなかった。

 となると、原因は必然的に一つに絞られる。


「お前か! お前のせいか! お前がやったのか!」


 叫び散らかすヨグドスに、ディアンは返事として右手を突き出す。


『そうだ。オレ様の血が溶けた範囲の水は固定した。もうお前が動かす事は出来ない』

「ふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるな! 私は(この世界)の王だぞ!」


 怒り狂うヨグドス。

 だが、ディアンの刺し殺す様な冷たい視線が冷静さを取り戻させる。

 するとヨグドスは背を向け逃げ始めた。


『そうだ。あいつの血がない範囲に出れば水は操れる。そうすればあんな奴瞬殺だ』


 全速力で逃げていくヨグドス。

 そのスピードは凄まじく、ディアンでは到底追い付く事は叶わないだろう。

 だがしかし、ディアンは至って冷静だった。


「あはは! ざまぁみろ! ちょっと芸が上手くなったくらいで調子に乗りやがって! お前は簡単には死なせない! 仲間の人間共の死を見せつけてから殺してやる!」


 これがヨグドスの最後の言葉だった。


血の棘(ブランデッド・エピヌ)


 ディアンが心の中で呟くと、ヨグドスの周りにある海に溶けた血が無数の巨大な棘と化す。

 そして開いている右手を勢い良く閉じると、一斉にヨグドスへと突き刺さる。

 防ぐ手段もないヨグドスは一瞬にして穴だらけになり、見るも無惨な姿で海底へと沈んで行った。


『キサマのお陰で、この力の先を知る事が出来た』


 沈み行くヨグドスを一瞥すると、ディアンは海面へと泳いで行った。

 そして顔を出すとそこにはアリスがいた。


「良かった……。良かったよぉ!」


 水中にも関わらず遠慮なく抱きついてくるアリスにバランスを崩したディアンは再度沈みかける。

 だが何とか持ち直すと優しくアリスの頭を撫でる。


「心配かけたな」

「ホントよ。バカ……」


 ディアンの言葉に、アリスはより一層力強く抱き締めるのだった。



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