プロローグ『アレルギー①〈出会い〉』
『ファミグル(本編)』に繋がる前日譚短編小説
その日は足元が覚束ず、頭も重心を忘れていた。
街も鼾を掻いている今、僕は今を必死に生きている。
胃が重たい。喉が痞え、気を逸らせばまた吐いてしまいそう。
チェイサー代わりに持っている氷結をぐびっと行く。
閑散とした駅前、まだ始発は通っておらず徐々に夜が明ける感覚が込み上げてくる。
「もう直ぐ帰れる。」
年確されずにお酒を買えた優越感と、もうすぐ横になれるという多幸感に浸り何にでもできる気分になっていた。
誰もいないはずの駅前、清楚めな服を身に纏うお淑やかな女性が目に入る。
「ちょっと声かけてみようかな。」
深夜テンションも相まって、誰かと話したい気分だった。
女性はなにか気付き、付けていたイヤホンを外す。
待ち合わせなのかと辺りを見渡すも誰もいない。
すると女性は僕の目を見てお辞儀をする。
「遅いよ、ケンジくん!」
お酒と緊張、ついていけない状況に混乱し、鼓動が伝わり頭がガンガンする。
「ケンジ....くん?」
僕は確かに聞こえたその名前を吐いて、横たわった。
少しだけ夢を見ているような感覚に襲われ、エコーのかかった歌声が耳に入ってくる。
暈けた視界が少しずつ現実味を帯びてくる。
「おはよ、大丈夫?」
先ほどの女性が歌うのをやめ、演奏停止ボタンを押す。
「おは...よ?」
目を擦り少しずつ状況を理解する。
「え、えーっと....」
「あ、水飲まなくて大丈夫?」
会話を遮るようにコップに入った水を差し出す。
「だ、大丈夫です。」
女性は少し不思議そうに僕の顔を覗く。
「ケンジくんもなんか歌いなよ。」
女性は僕にデンモクを渡した。
「・・・ケンジくん?」
「私しか歌ってなかったから...。」
少しずつ鼓動が戻ってくる。
自分は何をしてるんだ?と状況を巡らせた。
「・・・そ、そうだよね。まだ起きたばっかだしゆっくりしよっか。」
女性は固まった僕に気を使ってくれたのか、僕からデンモクを取り、机に置いた。
「それなに入れてるの?」
女性は僕の胸ポケットに手を突っ込み、小さなノートを取り出した。
「あ、それは。」
「見てもいい?」
「い、いいですよ。」
女性の馴れ馴れしさにも不信感を覚え、余計に今の状況が全くわからなかった。
だんだん小さい頃の知り合いだとかメイクで見違えた高校の友達かとか考えたが、
そもそも自分にそこまで親しい女友達もおらず、「ケンジくん」というのがひっかかった。
「これなに?」
女性は僕のノートを指差しながら聞いた。
「あぁ、それは...」
少し言葉を選んだり、何か共感を得られそうな趣味など考えたが諦めた。
「小説のネタ帳です。」
「え、小説書いてるの?!」
「趣味程度ですけど...」
「えー!見せて!」
「人に見せたことがないので...。」
「えー!じゃ私が第一人者だ!」
「まだネタ帳の寄せ集めみたいなもので形にしたこともなくて....」
「私、人の話聞くの好きだから今度見せてよー!」
「え、今度?」
「うん!ダメ?」
「そんなに...見たいんですか。」
「私は常に本気だよ」
「わ、わかりました。」
「あ、これ落書きしていい?」
「え、?...まぁいいですけど。」
女性は猫背で腕を曲げこそこそと何かを書いている。
僕もつい気になって覗こうとするも
「ダメ!おうちで見て!」
「は、はい....」
怒られてしまった。
「私、こう見えて絵描くの上手いんだよ。」
「そうなんですか?」
「ふふ、ツッコまないんだね。」
「え?」
「ありがとう、優しいんだね。」
ノートとペンを返し、
「じゃ、そろそろ行こっか。」
と伝票を持って荷物を肩に背負ってマイクやデンモクを片付け始めた。
「え、もう行くんですか?」
もう少し疑問を解消したかった気持ちとやっと帰れるという安心感が同時に襲い、やや変な顔で聞いていたと思う。
「君はぐっすりだったからね。」
「そっか....。」
「トイレ大丈夫?」
「ちょい限界...です。」
「だよね〜私もトイレ行きたいから1Fフロントで合流しよ。」
「わかりました...」
「男子トイレは上の階だったはず。」
「ありがとうございます。」
「タメ語でいいんだよ。」
「・・・ありがとう。」
「じゃまたあとでね。」
僕はトイレに向かったあと、もう一度自分の部屋を確認し忘れ物がないかを見渡す。
「忘れ物は...ないか。」
伝票がないことに気付きエレベーターに乗り、1Fに向かった。
そこには会計を済ませた女性がカラオケ館の入り口で待っていた。
「あ!やっときた!大丈夫?」
「あの、会計....」
「ううん、いいよ。このお金、彼氏に全部使うって決めてたから。」
カバンから封筒を取り出す。
「ごめんなさい。」
女性は首を傾げる
「僕、その酔った勢いで話しかけちゃって人違いしてると思うんd....」
「ごめんなさい。」
女性も深く頭を下げて謝った。
「私、ネットで知り合って交際したケンジくんって彼氏がいるの。今日初めて会おうってことになったけど顔知らなくて。」
「そうだったんですね....。」
「待ち合わせから結構経って君が声かけてくれたから、最初は彼氏かなって思ってた。」
「すみません」
「ううん、カラオケ入る前から薄々気づいてた。けど、信じたくなくて。」
「なるほど....」
「ねぇ、君彼女いるの?」
「いえ、いませんけど。」
「今度こそ小説、見せてよ。」
「あれ本気だったんですか!」
「だから言ってるじゃん、私は常に本気だよ。」
「...わかりました。」
「やったー!LINE交換しよー!」
「彼氏さんいるんじゃないんですか?」
「あはは、もうどうでもいいよあんなやつ。」
お互いスマホを取り出し、LINEを交換した。
「じゃ、今度はシラフで会おうね。」
「・・・はい。」
「あー!名前聞いてなかった、名前は?」
「矢代です、矢代優星。」
「やしろくんね。」
「あなたは?」
「うーん、小夜でいいよ。」
「小夜さん。」
「矢代くん、またね。」
「はい、小夜さん。」
お互い手を振って反対方向の道を歩く。
矢代は家に着き膝から崩れるように溶けた。
「疲れた」
スマホの時計を確認し、
「まだ8時なんだ....」
とぶつぶつ呟き、胸ポケットのノートが横になるのに邪魔で取り出した。
そして、小夜が何か書いていたことを思い出しノートを開く。
「なんだ....?」
TwitterのIDが書かれていた。
矢代はTwitterを入れていないため、
Apple Storeからダウンロードしている内に眠ってしまった。
Twitterが入ったスマホ画面、時刻は17:23を指している。
「もうこんな時間か」
目を擦って体を起こし改めてスマホを見るとLINEの通知が来ていた。
『改めてこれからよろしくね!矢代くん!』
新しい出会いに胸を躍らせながら、夢じゃないことを自覚し少し焦った。
もう2度と会わないだろうなと思いながら返信をする。
『こちらこそありがとうございます』
そう送ると直ぐに既読が付き
『明日、日の入りの海見に行かない?』
と送られてきた。
「...え、明日?」
突然のスケジュールに驚きながらも二つ返事だった。
『どこで集合しますか!』
予定のない長すぎる春休みに辟易としていたここ数ヶ月。
立て続けに新しい冒険に出向くのはハードルも高く体力が続かない。
普段は面倒臭がりな僕が小夜の一声に直ぐ流されるのは、
小夜に興味を持っているからだろう。それもいろんな意味で。
それは高鳴る胸の鼓動が教えてくれた。
次回、小夜の真実。