第8話 忘却の彼方
「はーい、今戻ったよー!!」
ここはカラオケボックス。ごちゃごちゃした髪形に、日焼した肌の派手な女子高生が一室に戻った。部屋には4人の女子高生がおり、男のような体格の黒人ハーフにわかめのように髪の長い子、白熊のようなごつい体格に、銀髪で鷲鼻の肥満児などさまざまだった。
黒人ハーフはぴちぴちのスカートを履いておりパンツが丸見えだ。彼女はすべてにおいてファックユーを歌っていた。他の三人はタンバリンをもって、はしゃいでいる。一見女子高生というより女子レスラーが打ち上げをしているように思えた。
彼女たちは楽しんでいたが、部屋に入ってきた娘を見てきょとんとしていた。
女子高生は空気の違いに戸惑っていた。
「あんただれだよ?」
黒人ハーフが冷たくそう言った。まるで汚物を見るような眼だ。女子高生は驚く。
「はぁ、何言ってんの? あたしはりあじゃない!!」
彼女は必死に訴えた。しかし他の面々は彼女をにらみつける。
「りあ? 知らないなぁ」
「なんで勝手に入ってきたんだよ」
「早く消えろよ」
彼女を見る目は冷たく、まるで野良犬を見るような目つきであった。
りあはショックを受け、頭を掻きむしり、大口を開けて、奇声を上げて走り出した。
彼女らはそんな後姿を見ても黙ってみるだけであった。
彼女はいつの間にか夜の崖の上に立っていた。空には満月が上がっており、それ以外に光は見えない。近くに林はあるが、暗くて何も見えないのだ。
りあの他にもサラリーマンや女子高生など、老若男女が崖の上に立っている。誰も自分たちのことは聞かない。別に誰かが指示したわけではないが、彼らは一斉に崖から飛び降りたのであった。
その後が血が噴水のように吹き上がり、骸骨の標本が崖の下から飛んできた。飛び降りた連中の骨である。そして飛び降りた場所にくたくたと骸骨が崩れ落ちた。
そして茂みからコートを着た男が出てきた。男は右手を差し出すと崖の下から紫の霧が出てきて、それを吸い取るのだった。
☆
ここは喫茶店シュバリエ。入り口には準備中の看板が下げられている。
店内には店主の坊屋利英に、大安喜頓、ウェイトレスの川田美晴と、山茶花玖子がカウンター席に座っていた。
「まさか、あなたが天使だったとはね。気づかなかったわ」
美晴はやれやれと両手を振った。
「悪魔のあんたでも気づかないんだね」
利英が言った。悪魔ならなんでもできると思っていたのだ。もっとも彼女は悪魔や天使のことに詳しくないので、何とも言えないが。
「悪魔はなんでもできるわけじゃないんですよ。憑依していない天使なら見えるけど、それ以外はまったくわからないんです」
美晴が説明した。玖子は首を縦に振った。
「その通りです。私も悪魔の正体は見抜けませんね。そもそも私たちは敵対しているので、普段は知らんふりしてます」
「でも玖子さんは今回積極的に関わったじゃないか。何か事情があるんじゃないかな」
黙っていた喜頓が口を挟んだ。彼は正直者ではあるが、馬鹿ではない。
「はい。私は天使長という立場です。今回騒動を起こしたのは革新派の天使ですね。私は彼らを処罰するするためにここに来たのです」
「それは悪魔の仕事じゃないのか?」
「悪魔とは協力体制ですね。天使もリバスにすることが可能です。悪魔には死んだ天使の頭蓋骨を渡しておくのですよ」
美晴が渡した髑髏のペンは死んだ天使の躯を使ったものなのだ。天使が悪魔に与えたのである。
「まったく悪魔と天使は裏では手を組んでいるのかい。なぁなぁで過ごすのは感心しないねぇ」
「さすがにあからさまには協力しませんよ。今回は問題のある天使ルシファーの抹殺が目的なのです」
利英が苦言を呈していると、玖子が説明した。
それを聞いた美晴の顔が蒼くなった。
「あのルシファーが地上に降りたの!! 人類の救済を望むあの男が!!」
「はい。あの男は人間たちを生きる苦しみから解放させるために動いています。天使の中には人類という種が無駄に苦しんで生きていることを嘆いている者もいます。腐った魂をドラッグのように楽しむ連中とは一味違いますね」
利英にはさっぱりだが、玖子や美晴の話ではルシファーというのはよほど厄介な相手のようだ。
「けど俺はなんとかするぜ!! それがリバスの仕事なんだろ!!」
喜頓は胸を叩いて言った。彼はあまり深く考えていないのかもしれない。
しかし彼の笑顔を見ると、本当になんとかできる気がする。
喜頓はそういう魅力があるのだと、美晴と玖子は思った。
そこに入り口のドアが開いた。営業時間ではないが、勝手に入ってくる客もいるのだ。
相手は榎本健美であった。黒髪に褐色肌で、黒服を着たキャリアウーマンに見える。警視庁の巡査部長だ。
「おはようございます。朝早く、押し掛けてすみません」
「いえ、気になさらずに。榎本さんは何か用事があってきたのでしょう?」
健美は利英に挨拶すると、店内にあるテレビをつけた。ちょうどニュース番組が流れている。
ニュースではとある地方で集団自殺の話をしていた。老若男女が一斉に飛び降り自殺をしたらしい。総勢13名だという。
「この事件、天使が関与していると判断されたわ」
「そうなんですか!! さすがは健美さん、頭いいな!!」
「頭の良さは関係ないわ。調査した結果よ」
喜頓は褒めるが健美は否定する。彼女は自殺した女子高生、鳥丸りあの調査をしていた。
彼女は学友とともにカラオケボックスで遊んでいたという。その時4名の女子高生たちが証言をしてくれた。これは黒人ハーフの中野の言葉である。
ああ、りあね。なんか様子がおかしかったな。あいつがトイレから帰って来た時、「よう、長かったな。うんこか?」って言ったのさ。そしたら「何言ってんの? あたしはりあじゃない」と返したんだよ。
うちらも「りあ、何言ってんだ?」とか、「なんでわけのわからないこと言ってんだよ」」とか、「早く入れよ」とか言ってたら、奇声を上げて走り去ったのさ。まったくわけがわからないよ。
友達なのに心配じゃないのかって? あいつとは友達じゃないよ。家が金持ちで親がPTA会長だから従っているのさ。あいつに逆らってリンチにされた挙句自殺した奴は数知れないよ。
俺たちは珍しい外国人のハーフだから、アクセサリー感覚で付き合っているだけだな。カラオケもあいつの分は俺らが払っているしね。
「他の被害者も同じなんです。なぜか被害者は自分が忘れられたと錯覚しているようです。そんな異常なことは天使以外に考えられませんからね」
しかも被害者は周囲に忌み嫌われている性質の持ち主だという。天使にとって格好の餌というわけだ。
「なるほど、なら相手は天使ワスレルの仕業ですね」
玖子が口を挟んだ。そういえば見ない顔だと健美は思い出した。
「ああ、私の名は山茶花玖子です。中身は天使長ミカエルと申します。ああ、他の天使と違って人殺しはしませんのでご安心を」
それを聞いた健美は目が丸くなった。利英は立ち上がり健美の右肩をぽんと叩く。
「きとんと説明しますね」
そして利英は今までの話をした。すると健美は立ち眩みした。さすがにあんまりな話なのでよろけてしまった。
「……話が急展開すぎてわけがわからないわ」
「それはそうですね。あとワスレルの特徴ですが、彼女は目標の相手に幻を見せます。そして自分が他人から忘れられたように錯覚させるのです」
「人間の記憶を自由に操れないのですか?」
健美が訊いた。天使なら何でもありだと思っているからだ。だが玖子は首を横に振って否定する。
「天使でも記憶操作は難しいですね。集団だと単語ヒトツを消すくらいが関の山です。例えは喜頓さんを忘れさせても、本人が目の前にいればすぐ思い出してしまいますね。」
「そうか俺がみんなから忘れられたと思ったら、それは幻なんだな」
「それはそうですが、人から忘れられたときの衝撃はひどいですよ。特に傲慢な人は錯乱してもおかしくないです」
喜頓の言葉に玖子が説明する。悪魔でも人の記憶は自由に削除できないそうだ。精々個人に幻を見せる程度である。
「んで、天使ワスレルってどんなやつよ? 人を殺して楽しむ外道かしらん?」
美晴が訊くと、玖子は首を横に振った。
「ワスレルはルシファーの部下です。腐った魂の持ち主を殺すのは、それらの魂を回収し、腐魂弾を作るためです。腐魂弾は悪魔を殺す力を持っています。悪魔がいなくなれば浮遊する魂は消えることなく漂い、人間たちに害します。天使も魂を喰うのに限界があるので、いずれ滅ぶという寸法ですね」
「ああ、革新派でも真面目に世界崩壊を考えるタイプか。喜頓くん、これからの天使は手ごわいよ。今までの天使と違って人殺しが趣味じゃないから」
美晴は真剣だ。今までの天使は人間を一方的に殺して楽しむタイプだが、ルシファーの配下はそうではないらしい。
「関係ないぜ!! どんな天使が来ても負けないぜ!! 俺たちの戦いはこれからだ!!」
喜頓は右手を天高く上げた。まるで少年雑誌の打ち切り展開だ。
鳥丸りあ:りか。リバスのオープニング主題歌を歌った歌手。ごてごてのギャルファッションで、ごまかすことを条件に出演した。
りあの友達。すべてにおいてファックユー。エンディング主題歌を担当している。
中野・マーガレット・愛衣。
河合美菜子。
末吉聡美。
佐和田・フリーダ・陽子。