第7話 いったい どうなってやがるんだ?
夜の公園、大安喜頓と山茶花玖子は歩いていた。
喫茶店の仕事が終わり、川田美晴を見送った後、彼女と出会ったのである。
病院の仕事が終わったので、一緒に帰ることになった。
周りには人の気配もなく、外套の光に虫がまとわりついていた。
湿度も高く、どこか蒸し暑い感じがする。喜頓はTシャツにジーンズだが、玖子は首にスカーフを巻いたままだ。汗一つかいてない。
「大安さんのご両親はどうしたのでしょうか?」
「交通事故だよ。正確には道路に子供が飛び出したから、慌ててハンドルを切ったら、壁に対向車に衝突されたんです」
「まあ、それはお気の毒に……」
玖子は同情する口調だが、喜頓は平然としていた。両親が突然失われたのに、彼は何の感情も沸いていないようだ。
「親父は常に言ってました。俺たちはいつまでもお前と一緒にはいられない。もしかしたら明日事故に遭って死ぬかもしれない。そうなっても平気なようにきっちり勉強しろよと教えられました。死後の処理のマニュアルも作ってくれましたね」
「……変わったお父さんですね。いえ、本来親がそれを教えるべきでしょう」
「そのおかげで、両親が死んでも俺一人でなんとかなりました。親戚を自称する連中が来ましたが、親父とお袋の親戚リストには載ってないので、追い返しましたね」
喜頓は笑っている。嘘はつかないが、相手の嘘を見抜けない間抜けではないようだ。
だが世間では騙されない喜頓に憎しみを抱くものが多かった。喜頓の家に押しかけ、でたらめを吹き込んでも喜頓は信じなかった。それ故に相手の怒りを買ったのである。
喜頓はマニュアル通りに家を処分し、叔母である坊屋利英を頼ることにした。
しかし喜頓の」金を奪おうと、チンピラが襲ってきたという。
「よく無事でしたね」
「俺は強いんだ」
すると物陰から複数の男たちが、二人とを取り囲んだ。
リーダー格は筋肉質な男で、白と赤の縞々模様のスーツに、顔は白粉で塗ったくり、髪の毛は赤く染めてある。さらにピエロのようなメイクをしていた。
「こっこっこ……。玖子ぉ、なんでお前が生きているんだよぉ」
ピエロ男は右手に包丁を持っていた。周囲の男たちは気弱そうなものばかりで、おどおどしている。ピエロ男に無理やり命令されたのだろう。
「あなたは八木茂千明さんですね? 私が八兵衛さんと結婚したのが気に食わなく、私たちを陥れようとしていた。それを大安さんのお金でご破算になった。違いますか?」
玖子は八木茂に対して凛とした口調で言った。どこか彼女は他人事のように言っているように思える。
「こっこっこ!! てめぇらを自殺に見せかけた後、店を二束三文で奪うつもりだったんだぁ!! それがお前が生きていて、店をあっさり売っちまった!! おかげで俺はものすごくムカついているんだよぉ!! ごっごっご!!」
八木茂はかんしゃくを起こした。周囲の男たちはびくついている。この男は普段は危険人物で何をしでかすかわからない、爆弾のような男なのだろう。しかし玖子を自殺に見せかけたとはどういうことだ?
「お前らぁ!! そこの男を殺せぇ!! そいつのせいで俺は借金を返済されちまったんだぁ!! ムカつく奴は全員殺してやるぅ!!」
八木茂が叫ぶと、男たちは包丁を取り出した。ぶるぶると震えている。
「やっ、八木茂さん、まずいですよ。今暴力団がカタギを殺すのはタブーなんですよ」
「うるせぇぇぇぇ!! 組長がなんぼのもんじゃい!! 俺は俺のやりたいようにやるんだよぉ!! 人の不幸を楽しむのがヤクザなんだよぉ!! ごっごっご!!」
八木茂は完全にくるっていた。玖子に対して執着があったのか、商売を無視してでも彼女とその周りの不幸を望んでいるようだ。
現在の暴力団法では完全にアウトである。自分は法律など守らなくていいと思い込んでいるようだ。実際のやくざは法律の網目をくぐり、振り込め詐欺や、覚せい剤をビタミン剤と称して安く売るしか生活できなくなっている。
ヤクザ神話の崩壊が認められず、文字通りの道化師になってしまったのだろうか。
「やれぇぇぇ、やらないと俺がお前らを殺すぅぅぅぅぅ!!」
八木茂は叫ぶと、男たちは包丁を握りしめ、大安に走っていった。そして全員で彼を視察するつもりなのだろう。
しかし大安はいったんしゃがむと、ぴょんと飛び上がった。そして右足の回し蹴りで彼らの包丁を蹴り飛ばしたのである。
男たちは唖然としているが、喜頓は再び地面に降りると、再びぴょんと飛び上がる。次に左足の回し蹴りで、男たちの顎を蹴り飛ばした。
男たちは時計回りで一人ずつ吹っ飛んでいった。男たちは地面に倒れ、気絶する。
「すごいですね大安さん!!」
「俺は親父から複数との戦い方を仕込まれたんですよ」
喜頓はなんでもないように答えたが、普通の親がここまでやるわけがない。いったい喜頓の父親は何者であろうか。
「こーっこっこっこ!! なんなのお前!! あっさり殺されなさいよ!! 何も考えない馬鹿が、理不尽に殺されるのが面白いんじゃないか!!」
八木茂は地団太を踏んだ。まるで子供だ。精神が成長していないのだ。
すると八木茂の背後に一人の男が現れた。白くのっぺらぼうで歯茎しか見えないが、炎のような角がにょきにょきと生えていた。肩も炎をモチーフにしたデザインだ。
恐らく天使であろう。
天使は八木茂の肩を叩いた。なんだと振り向くと、天使は右手の人差し指を、八木茂の額に突き刺す。
すると穴が開き、そこから火が噴き出たのだ。
「こここここぉ!! あづいぃぃぃ、あづいよぉぉぉぉぉぉぉ!!」
八木茂は絶叫を上げた。彼の体はみるみるしぼんでいき、やがて老人のように干からびた。
「あっ、あぁぁぁぁ……。しぼん、萎んじゃったぁ……」
八木茂はすっかり老人と化していた。身体が縮み別人と化している。恐らく体内の脂肪を燃やし尽くされたのだろう。額の穴はすっかりふさがっていた。
「なんだ、あいつは!! あいつも天使だな!!」
「はい天使モヤセルです。ようやく会えましたね」
喜頓が振り向くと、玖子の姿は変わっていた。白い口元だけをさらした仮面に、腰まで伸びた金髪。胸を強調した白い胸当てに、ロングスカートを履いていた。
「玖子さん!! あなたは天使だったのか!!」
「そうです。ですがあなたの味方ですよ」
玖子が言うと、彼女は口を開き、舌を出した。それは細長い針のようであった。それで喜頓の右のこめかみを貫いたのである。
「ブレイン、プルプル、ピッカンコー!! あなたも、わたしも、くりゃりんこー!!」
喜頓はリバスに変身した。人体模型のような不気味な姿である。
リバスはモヤセルに突進し、なでなでしようとした。しかしモヤセルは動かない。
「コロシ、テ……。ワタシヲ、コロシテ……」
モヤセルが片言で訴えた。なぜこんなことを言うのだろうか。リバスの耳には聞こえていないが、なんとなく気配でわかる。
「今、モヤセルは八兵衛さんの意識に乗っ取られています!! 天使は無念の死を遂げた人間に憑りつきますが、中には天使の意識を凌駕する場合もあるのです!! 八兵衛さんは恩人であるあなたを殺すことを否定しています!! お願いです、あの人を楽にしてください!!」
玖子の叫びにリバスは反応した。モヤセルはぶるぶると体が震えており、リバスに対して行動を起こそうとしている。しかしその度に動きが止まることがあった。中にいる八兵衛が邪魔しているのだろう。
リバスは心臓を優しく揉んだ。すると心臓から氷の塊が突き出した。
血液が凍結膨張を起こし、心臓を突き刺したのである。
モヤセルの姿が消えると、平凡な男に変化した。坊ちゃん狩りに丸眼鏡をかけた優しそうな男性だった。彼が八兵衛なのだろう。
「玖子……、守れなくて、ごめん……」
八兵衛は両ひざを突き、倒れかけた。それを人間の姿に戻った玖子が抱き寄せる。
「私は彼女の記憶を受け継ぎました。あなたたちの想いは私が受け取ります。どうか安らかに眠ってください」
八兵衛はにっこり微笑むと、そのまま目を閉じた。 喜頓は元に戻っている。
「一体あなたは何者なんだ? 天使は悪魔の敵じゃなかったのか?」
「私の名前は天使長ミカエル。あなたが戦っていたのは革新派の天使で、私は保守派です。元々あなたがリバスに変身するためのペンは、元は天使の頭蓋骨から作られたのですよ。天使の舌はすべてを裏返す力を持っているのです。悪魔とは水面下で協力していますね」
遠くからパトカーのサイレンの音がした。二人はそっと立ち去るのであった。
八木茂千明:石原克己。個人事務所セイレーンの副社長。顔出しNG故にピエロメイクをした。
暴力団にこんなのいないだろう!! と突っ込まれるが、逆に現実にはいないからと押し切られた。
萎んだ後の八木茂:紙本光三。脇役40年のベテラン。
山茶花八兵衛:浦賀内蔵。優しいおじさんを演じさせたら日本一。悪人に殺される役が多く、ファンレターでは同情されることが多い。本人は悲壮感を増すことが大切だと思っている。