第6話 突然の 来訪者
ここは警視庁の警視総監の部屋である。シンプルな造りで、無骨なテーブルとソファーが並べてあった。
そこには黒髪でオールバックの笠置静夫警視が立っていた。
部屋には60台ほどの中年男性がいた。その男は白い木馬に乗って、無邪気に揺れている。
水谷主水警視総監だ。180ほどの長身で白髪頭に眼鏡、知的な印象があった。
その男が木馬に乗って遊ぶ。異様な光景だ。
「ひっひーん! 笠置くん、僕を見てイラっときてるでしょー!?」
笠置は眉をピクっと動いただけであった。
「君の気持ちはわかるよー! 僕の痴態をばらせば、出世ができなくなるからねー!!」
水谷はけらけら笑っていた。そしてひとしきりはしゃぐと、立ち上がり、椅子に座る。
その表情は真剣そのものであった。
「今の僕のような人間を、天使は好む。彼らにとって腐った魂は麻薬並みの刺激物らしいからね。天使が食べるのは少しだけで、あとは食べ残して捨てる。行儀の悪い連中だよ」
水谷はため息をついた。笠置は後ろに隠していた書類を机の上に置く。
「これは天使案件で起きたものです。天使に殺された後は、子供や老人が泡を吹いて死亡する事件が多発しています。それ以外に従業員などが発狂するなど荒れているそうです」
そう腐った魂が散布されると、周囲に悪影響を及ぼすのだ。
耐性のない子供や老人は突然死する可能性が高く、それ以外だと精神に異常をきたす場合があるのだ。
日本では目立たないが、海外では割と多い。先進国と違い、変死体が発見されてもニュースにはならないのだ。天使による殺害が続くと、腐った魂の残滓がたまり、精神が崩壊する。
テロや戦争が起きるのもそのためだ。軍が民間人を殺害するケースは、天使の影響があった。
「天使たちを倒せるのはリバスだけだ。これは僕だからわかる。悪魔たちは人間を滅ぼすつもりはない。彼らにとって人間の魂は空気だからね。人類が滅亡すれば酸欠になって全滅だ。悪魔たちは厳選して人材を派遣している。こちらの心配はないよ」
水谷が言った。なぜこの男は自信満々に言うのだろうか。
「……天使というか、リバス案件は警察がもみ消さないといけませんからね。まったくなんで総監がこんなことを……」
「僕が警視総監だからさ」
笠置の言葉に水谷が返した。子供のような笑みを浮かべている。
ふざけてはいても、仕事はきっちりこなすことを知っているからだ。
「まあ、リバス案件は君に任せるよ。マスコミもいざとなれば罪をでっちあげて潰せばいいからね。スポンサーを脅せば記者の人生などひとひねりさ」
水谷はけらけら笑っていた。笠置はあまり権力を笠に着ることを嫌う。エリートは凡人と違い、きちんと仕事をする使命があると思っていた。
「あと最近起きた事件ですが、人が老人のように干からびております……」
笠置は水谷に報告していた。外は晴天であった。
☆
「きゃー。このスイーツ、きゃわいー!!」「ほんと、きゃわいー!!」
「でもヒサコはもっときゃわいーよぉ!!」「リナも一緒に、きゃわいーよぉ!!」
喫茶店シュバリエ。午後の昼下がりに店内では女の二人組がスイーツを目にはしゃいでいた。
双子のように顔がそっくりだが、シニヨンヘアに赤と青のカジュアルワンピースを着ていた。年齢は20代後半であろう。
アイスにクマの顔を描いたものであった。シュバリエではシンプルなモーニングセットの他、凝ったスイーツを出すので有名だ。
「こちらがご注文の品です。以上でよろしいでしょうか?」
「えっと、これ食べ終わったら、ブレンドコーヒーふたつお願いね」「飛び切り濃いのをお願いね」
「かしこまいりました」
注文を受けているのは、大安喜頓だ。黒いウェイターの服を着ている。
喜頓は礼儀正しく接客していた。それをカウンター席でマスターであり、叔母の坊屋利英とウェイトレスの川田美晴が見ていた。
「喜頓くんは真面目に働いてますね」
「性格に難はあるけど、あの子は真面目なのよ。仕事は全力でやるわ」
利英は口を動かしながら、コーヒーを沸かしていた。
喜頓は正直者であるが、仕事はきちんとこなす。もっとも真面目過ぎて手抜きをしたがらない。そのため他の従業員と軋轢を起こし、首になることが多かった。上司に対しても疑問を堂々と聞くので嫌な顔をされることもあった。
ドアが開いた。40台ほどの女性だ。茶髪ロン毛の高身長の美人だ。首にスカーフを巻いており、茶色いコートを着ていた。
「申し訳ありません。こちらに大安喜頓様はいらっしゃいますか?」
女性は利英に話しかけた。女性は頭を下げる。
すると女性は喜頓を見た。喜頓も女性を見て思い出したようだ。
「おや、おひさしぶりですね。よくここがわかりましたね」
「はい、渡されたお金にこちらの住所が書かれたメモがあったのです。ですが忙しすぎて今日までこれませんでした。申し訳ありません」
女性は再び頭を下げた。利英と美晴はぽかんとしている。
「喜頓、この人と知り合いなのかい?」
「ほら、以前困った人にお金を上げた話をしたでしょ? その人ですよ」
喜頓はここに来る前に困った人に全財産を上げたと言っていた。どうせ騙されていると利英は思っていたが、その相手が会いに来たのは意外であった。
「申し遅れました。私は山茶花玖子と申します。喜頓さんは命の恩人でございます。あのお金がなければ夫共々心中をする羽目になりました」
話を聞く限り、玖子と夫の八兵衛は借金を苦に橋から身投げしようとした。しかし喜頓がそれを止めて、話を聞いたのだ。喜頓は全財産を財布ごとポンと渡して去ったという。
「まさか、返しに来るとはね……。喜頓、あんたいくら貸したのよ?」
「500万だよ」
「500万!!」
さすがの利英も噴出した。喜頓はきょとんとしている。美晴は呆れていた。
「あんたねぇ!! 見ず知らずの人間になんで500万も渡すのよ!! 姉さんたちの保険金でしょう!? もっと大事にしなさいよ!!」
利英は烈火のごとく怒った。親の残した遺産を赤の他人に使うことが理解できないのだ。
しかし喜頓は真顔のままである。
「利英さん。親父はね、金は天下の回りものと教えてくれたんだ。俺は若いから金は幾らでも稼げる。だけど困っている人がいたらすぐ渡せと言ったんだ。もちろんどういう人に金を渡すかはきちんと勉強したよ。この人は人目のつかないところで、旦那さんと一緒に橋から落ちて心中しようとしていたんだ。俺が止めようとしたら、なんでもないと嘘をついたんだよ。俺はそれに食いついて話を聞いたんだ。それで借金を返せないと自分たちの店を売らなければならないと嘆いていたんだよ」
「店があるなら売ればいいのにね」
美晴は見下したように玖子を見た。財産があるのにそれを売らず、自殺に走る姿勢は許せなかった。彼女は悪魔だが道徳は人間並みなのだ。
「二人で作った店なら安易に売ることはないわね。うちの店は別れた旦那の慰謝料で開いたのよ。生活のために営業しているけど、身体がきつくなれば、すぐ売るわね」
利英は身もふたもないことを言った。
「耳が痛い話です。主人は安易に店を売るのが嫌なんです。ですが大安さんからもらったお金で借金を返した後、お店を売ることにしたのです。人の親切を無邪気に受け取る気にはなれなかったのですよ。主人は今失踪していますが、私は看護師として働いています。これはお借りしたお金です」
玖子はカウンターに札束を置いた。全部で600万あった。
「いりません。あなたにあげたお金です。もう自分のお金ではないので」
喜頓は受け取りを拒否したが、利英は受け取った。あくまで預かる形である。
喜頓は不満そうだったが、利英に説得されて、しぶしぶ納得した。
『えー、次のニュースです。身体が干からびた男性が発見されました。かなり衰弱しており、警察が体調が回復するのを待ってから、調査するとのことです』
「干からびている……。変な事件ですね」
美晴が言った。本当は天使の仕業だとわかっているが、玖子がいるのでぼかしたのだ。
「これって天使のしわざじゃないですか? 人がひからびるなんてありえないから」
喜頓は空気を読まず発言した。美晴は慌てて立ち上がり喜頓の口を手でふさいだ。
「何か言いましたか?」
玖子は首を傾げた。どうやら聞き取れなかったようである。
しかし利英は見逃さなかった。天使という単語に玖子のまぶたがぴくりと動いたのだ。
玖子は近くの病院で働いているという。ちょくちょく会いに来るからと挨拶をして去っていった。
「喜頓くんはもう少し考えてよね。世の中天使と悪魔が見える人は多くないのよ」
「そうかな? 俺はあの人はなんか話が分かる気がしたよ」
「何よその根拠は?」
美晴は呆れていた。だが玖子の出会いは喜頓にとって重要なものになることを、喜頓たちは知らなかった。
水谷主水:野田栄一郎。ブギウギの趣里さんの本名から取りました。
山茶花玖子:近藤勇美。あきれたぼういずの一員、山茶花究氏から取りました。戦後、戦死した芝利英の代わりに入ったそうです。
リナ:富沢莉奈。
ヒサコ:久川寿子。セイレーンの従業員。