劇場版 その4
「おやっさん!! どういうことですか!!」
一人の男が襖を開けて入ってきた。顔は険しく早馬を走らせたように息を切らしている。50代手前でプロレスラーのような体格だ。髪を刈り上げ、鼻ひげを生やしていた。
部屋は和室で畳張りであった。鎧武者の置物や掛け軸が飾られている。部屋の中央には男女二人が座布団に座っていた。
男は60歳ほどで奈良の大仏のような白髪交じりのパンチパーマに、ふっくらとした体格であった。丸眼鏡にへの字に曲がった口、紋付き袴を着ており、胡坐をかいていた。岩山をそのまま繰り抜いたような存在感があった。
女の方は茶髪のパーマに黒いワンピースを着ていた。見た目は太った中年女性だが、目の前にいる男とそん色のない雰囲気がある。
「なんや五郎。そない慌てて」
「姉ちゃん落ち着いとる場合やないで!! おやっさんの兄弟分が事故で亡くなりましたんや!!」
「喜一はんと敏恵はんやな。二人は兄弟分やあらへん、わてらとは無関係なカタギなんやで」
姉ちゃんこと、古川六葉が答えた。五郎は六葉の実弟である。喜一と敏恵はこの部屋の主、羽磨輝海の命の恩人だ。正確には輝海と亡くなった本妻が恩人だが、六葉にとっても同じである。
世間では羽磨組と二人は無関係なのだ。暴力団の繋がりを示すわけにはいかない。
「せやかて姉ちゃん!! 喜一はんたちの事故がなぜかわしらの仕業になっとるんや!! 事故を起こしたんは、姉ちゃんの命令でトラックの運転手もうちらの鉄砲玉扱いされとるんやで!!」
五郎は興奮していた。六葉は輝海の愛人であり、長男の太郎を生んでいた。輝海には本妻の間に真千代と照代の娘がいた。この世界ではまだまだ男尊女卑で男が跡継ぎと目されている。羽磨組の直参はともかく三次団体などの組では六葉が天下を取り、佐千三の痕跡はすべて消し去るという噂が業界で広がっているのだ。
「あほか! なんでカタギの喜一はんたちを殺さなあかんねん!! 意味あらへんやろ!!」
「せやかて姉ちゃん!! この噂は日本中で広まっとるんや!! 姉ちゃんらが弁解してもあいつら面白がって噂をばらまきよるんや!! これは異常やで!!」
六葉も苦い顔をしていた。五郎も理屈では理解している。喜一夫妻が死んでも羽磨組にはなんの影響力もない。そもそも輝海は喜一一家に近づいていないのだ。年賀状一枚よこしたことはないが、街中で偶然を装い、挨拶することはあった。だがそれだけだ。喜一たちは自分たちの生活に集中しており、輝海と関わることはなかった。
「……天使の仕業やろうな」
今まで石仏のように黙っていた輝海が口を開いた。
「五郎。噂を広めた連中はみんなこう言っとるんだろ? いきなり思ってもいないことをしゃべりだしたと」
「その通りですわ!! さすがはおやっさん、もう知っとるんやな!!」
「ついでに言えば喜一たちは事故死ではない。首の骨が折れていたらしいが事故の衝撃と無関係だと判断されていた。しかも遺体安置所では遺体がひとつ行方不明になっている。喜一夫妻が運ばれた後でな。監視カメラにも喜一の姿らしき映像が収められていたそうだ。天使が憑依して出ていったんだろうな。身元不明の遺体を喜一とごまかしたのだろう。天使の力ならありえることだ」
輝海は苦々しく口を開いた。彼は若い頃警視庁総監の水谷主水とともに天使たちと戦ったことがあった。水谷がリバスになり、輝海が補佐する形だった。
「わてもお父ちゃんの意見に賛成や。せやけどわてを陥れて追い詰めてどないするんや? わてが便所のコバエみたいにうるさい連中に、いらつくと思うとるんか?」
「……わしの予想やがお前らを殺して仲間の体を提供する可能性がある。主水と一緒の時、天使の連中が人間を自殺に追い込んだり、人質を殺して絶望を味合わせて殺すんだ。絶望の淵に死んだ人間は天使や悪魔が憑依しやすいという。まあ当時の天使どもは主水が優しく殺したがね」
輝海は懐から葉巻を取り出した。火をつけて息を吸い込む。目をつむったままだ。喜一夫妻を巻き込んでしまったことを悔やんでいるのだろう。
「お父ちゃん、わてらは極道だっせ。もう地獄行きは決定済みや。今更無残な死に様を晒したところで悔いはあらへん!! 太郎も同じ気持ちや!!」
六葉は右手でポンと胸を叩いた。彼女はすでに覚悟を決めている。それを見た輝海と五郎はにっこりと笑った。
☆
「……あとはあんさんがご存じのとおりや。わての死後に天使が憑りつきよったけど、わての体を好きにはさせへんで。そしてフタローィが迎えに来たんよ」
氷の玉の中にいる六葉が答えた。
「フタローィとは何者ですか? ルシファーの仲間でしょうか?」
「いいや、フタローィは死神や、すべては天使の知識を利用して自分の仲間を増やすためや。ここ最近天使が増えよったのもあの女の仕業やな。照代ちゃんが犠牲になったんは偶然や」
「……」
真千代は無言であった。妹の照代が行きずりに殺された事実が追い付けなかった。天使に憑依したのは偶然であろう。
「六葉さん、私は佐千三姉さんの妹です。あの人は本当に病死でしょうか」
「妹はんか。佐千三はんは間違いなく病死や。そもそも武闘派の佐千三はんが亡くなり、組は一度潰れかけたんや、そんな馬鹿なことするわけあらへん」
「そうですか、ありがとうございます」
菜蘭が六葉から話を聞くと頭を下げた。彼女は噂だけだが六葉が佐千三を殺したと聞いたのだ。だが本人から話を聞き、それが真実だと確証した。
さて氷の玉をどうしようかと悩んでいたら、突如叫び声がした。
「ならば消してやろう!!」
冷たい声がした後、氷の玉は潰される。断末魔の叫びも上げずに六葉は死んだ。あまりにあっけなさに真千代は呆然となった。誰の仕業だと後ろを振り向くと、一人の白人女性が立っていた。顔は老けているが今でも美女と呼ぶにふさわしい。体は鍛えているのか引き締まっている。ピンクのハイレグレオタードを着ているが、女王のような風格があった。
「なんてことをするの!!」
「ふん、私に感謝しないとは育ちが知れるな!!」
女は腕を組みながら上から目線な態度で真千代を見下ろしていた。この女がフタローィなのだろう。
「私は冥王フタローィ!! 最近こそこそするネズミを始末してやったわ!! 私は目障りな害獣は始末せねば気が済まぬのだ!!」
フタローィは右手を突き出すと、握る仕草をした。すると真千代の体が宙に浮いた。首を絞められ苦しそうである。フタローィの能力なのだろう。
「私の力は天使ネンジルのものだ!! 生意気にも人の体を乗っ取ろうとした不届き者の意識は塗りつぶしてやったわ!!」
「なっ、やめなさい!!」
「お前の意見など知らぬ!! この偉大なる私に逆らう者は踏みつぶしてくれるわ!!」
菜蘭はフタローィに組みかかろうとしたが、今度は左手を突き出して、菜蘭の体が宙に浮く。彼女もくびを絞められていた。
「ここで殺すのはつまらぬな。島の連中に処刑を見せてあげよう。冥王自ら娯楽を提供する私はなんと寛大であろうか!!」
フタローィは自己陶酔していた。彼女は身動きが取れない真千代と菜蘭を連れて行った。
三人がいなくなった後、茂みの中からひょこりと人影が出てきた。それは天使ミカエルこと、山茶花玖子であった。左肩には女の子のぬいぐるみがちょこんと乗っていた。悪魔アスモデウスである。
「まさか、ネンジルが死神になっていたとは……。厄介ですね」
「菜蘭という人も死神だよ。コレールはマントゥールと同じように性格が悪い奴だから、ざまぁないわ」
アスモデウスはくすくすと笑った。よほど嫌いな相手だったようだ。人の不幸を笑うさまは悪魔そのものである。もっとも天使も人を殺して楽しむ外道がおり、五十歩百歩と言えた。
ネンジルは腐った魂より、善人を苦しめて魂を腐らせることを好んでいた。島をこっそり調べたが彼女は島民や本土から連れてきた拉致してきた労働者を酷使して城を建てていた。ネンジルは自己顕示欲が強いわけではない、ただ本能に人殺しを楽しむクズであった。
「……あの城はとても恐ろしい企てです。なんとしてでも阻止しなければ」
「あの城って何の意味があるの? 自己アピール?」
「違います。彼女の目的は月にある人間の魂をすべて吸い取り、悪魔を滅ぼすつもりです」
玖子がぽつりとつぶやくと、アスモデウスは真っ蒼になった。
☆
真千代と菜蘭は城の近くまで運ばれた。城は島の中央にあり、周囲は山に囲まれ、森の木に覆われていた。城の傍には数百人の人間が整列していた。恐らくは島の住民と、よそから連れてこられた人間たちだろう。どれも虚ろな目で真千代たちを眺めていた。人生をすでに諦めているようだ。彼らを監視するために水着を着て顔にペイントを施した屈強な女たちが手に剣を握っていた。
フタローィは城の門までやってきた。そこにはYの字型の貼り付け台が置かれていた。そこで磔になっているのは大安喜頓であった。
彼は黒い海パンのみ身に着けており、ぐったりとしていた。それを見た真千代は頭がかっとなった。自分ですら喜頓の裸を見たことがないのだ。フタローィが彼の衣服を脱がした事実を真千代は認めなければならなかった。屈辱で頭が爆発しそうな思いだ。
フタローィはそれを見てにやりと意地悪く笑った。そして宙に浮いた二人をぱっと離すと、どすんと二人は地面に尻を叩きつけられた。いたたたと真千代は尻をさするがすぐにフタローィをにらみつけた。
「ふははははは!! いい顔だな!! 今にも私に嚙みつきそうな面構えだが、お前は私を殺せない!!」
フタローィが右手を上げると、部下の女たちが持っていた剣を住民たちに突き付けた。恐らく人質のつもりだろう。真千代はヤクザの娘だが、性根は昭和だ。弱きを助け強きをくじく仁侠の持ち主である。
「お前たちは殺し合いをしてもらう!! どちらかが死ねばそこの男は助けてやろう!!」
フタローィの宣言に真千代と菜蘭は怒りで顔が真っ赤になった。
古川五郎:山岸匡。元プロレスラーの俳優。演歌歌手、山岸秀代の実弟。
羽磨輝海:小平透。蒼井企画立ち上げからのお笑い芸人で俳優。アニメではコミカルな役からシリアスな悪役もこなす。本来はたいら・こだいらという漫才コンビを組んでいたが、20年前より互いの仕事が忙しくなり自然消滅した。




